2-1話 森の湖畔
お城を出て半日ほど行った森の中の湖畔で、私とリュカはお昼ご飯を食べていた。メニューはアップルパイとチーズとハム。
へんてこな昼食だけど、慣れない馬車の運転後だからか、それとも清々しい晴れ空の下だからかとてもおいしく感じられる。
「リュカがあんなに上手に馬車を運転できるなんて知らなかったよ。お屋敷でも運転してたの?」
「上手? ほんと? 夢の国でも他のとこでも、たまに乗ってたんだ。だからかなぁ」
「教えるのも上手だったよ。午後も私が運転していい? もうちょっとでコツが掴めそうなの」
「うふふ。じゃあ午後もチトセの隣に座っていい?」
「もちろん。やばくなったり曲がり角があったらお願いするかも‥‥」
「いいよぉ」
午前中はリュカに見本をみせてもらいつつ、魔人のアドバイスもありつつでなんとか真っすぐ走って、止まれるようにはなった。やってみると案外簡単だったのは、馬が慣れていたせいもあるかもしれない。
ただ、集中力がいるので一時間も運転していると相当に疲れてしまうのだった。疲れたところにハムの塩味とアップルパイの甘味がしみる。
「アップルパイ美味しいね。もう一個食べていい?」
「好きなだけ食べていいよ」
アップルパイは昨日一日かけて山のように焼いたものの残りだ。
食糧庫に樽一杯あったリンゴをリュカと二人で手分けして切り、ありったけのバターを使いパイ生地を作って、カスタードクリームはなしで代わりに砂糖を沢山かけて焼いた。魔人の分はりんごの芯も種もそのまま、かなり雑に作ったがそれでも十分満足してもらえた。
自分たち用のはさすがに芯と種を取り除き、リンゴを砂糖で煮たが魔人がそれも食べたいと言い出したのでいくつも残らなかった。
驚くことに三十個も四十個も焼いたリンゴパイはあっという間に魔人の腹に収まってしまった。結局昨日一日私たちがしたことと言えば、魔人一食分のお菓子を作ったことだけだった。
治癒の魔石のおかげで筋肉痛も疲労も残っていないのが救いだが、本当になんのための一日だったのか謎だ。
「それにしても、おじいちゃんどこ行ったんだろ? すぐ帰ってくるって言ってたのに、全然帰ってこないね」
「ほんとだねぇ」
魔人からは湖を離れるなと言われたので、お昼を食べ終えた後も私たちはおとなしくきらきらと光る水面を眺めながら魔人を待った。
静かな湖畔は穏やかで、のんびりとした時間が流れている。
この世界に来てはじめてこんな時間を過ごした気がしたが、昨日リュカとお菓子を作っているときもなかなかに穏やかだった。
こういう時間を楽しめるようになったのは、魔人が友好的なのを知ったり、一昨日見た夢が優しかったり、そしてなにより隣にいてくれるリュカのおかげだろう。
「そういえばね、私、マリスちゃんに会ったよ」
「え、本当?」
お嬢様の名前を出すと、リュカは驚いたように顔を上げた。
「元気だった?」
「うん。バラの迷路の近くでお茶会をした」
すると、リュカの表情が曇った。
「どうしたの?」
「僕もお屋敷の夢を見たの。夢っていうか、呼ばれただけだけど。‥‥ワールドエンドに」
夢の中で家庭教師が言っていたことを思い出す。なんとなく、その先が分かった気がしたけれど、それでも一応聞いてみる。
「なにか、言われたの‥‥?」
「すごく怒ってた‥‥。僕が迷路を短く切りすぎて、子供用にしたって」
しょんぼりと俯いて草をむしるリュカの姿を見るに、相当絞られたようだ。
てっきりあのバラ園はお嬢様用にあの背丈なのかと思っていたが、リュカが切りすぎたためだったらしい。
「けど、そのおかげで私は簡単にゴールできたよ」
「ほんと?」
「うん。それから、マリスちゃんにちゃんと聞いたの。私がミズキママで合ってるんだって」
「僕だってずっとそう言ってたのに。けどこれで信じてくれたでしょう?」
「ごめん。だって、本当に人違いだって思ったから。私子供産んでないしさ。そしたら、別の世界の私のことかもって。でも、やっぱり私は私だから、助けてくれたんだって。不思議なとこだね、ここ。今まで、別の世界の私のことなんて考えたことなかった。本当にいるのかな? 私じゃない私が」
想像したこともない、結婚をして子供を産んで、家庭をもった私。どんな私だろう? と考えていると、リュカが膝を曲げてぼそっと呟いた。
「キルターンも僕にそう言うんだよ」
「そうなの?」
リュカは首を傾げて不満そうに頷く。操り人形を取り出していじけるように手遊びする。
いつもそれをどこから取り出しているんだろう。気が付くと持ってるのよね。
リュカの服はオーバーサイズっぽいので、服の中に隠しているのかもしれない。
「僕、人形なんかこれしか作ったことないのに、キルターンは僕がキルターンを作ったって言って、僕のことお父様って呼ぶときがあるんだよ」
「そう、なんだ?」
キルターンの話を聞いて、どこか釈然としなかったのはそういうことか、と思う。リュカがあの等身大の陶器の人形を作ったといわれても、実際ピンとこなかったから。
キルターンはかなり精巧に造られていた。人工皮膚をはりつけたアンドロイドと言われた方がしっくりくるほど自然な動き方をする陶器の人形。
「キルターン、リュカに嫌われたくないって言ってたよ。喧嘩してるの?」
「嫌いじゃないよ。僕、キルターンのこと大好きだよ。多分、世界で一番好き」
リュカはふにゃりと体を曲げてとても幸せそうに笑った。きっと本当に好きなんだろう。
ならなんでキルターンはあんな誤解をしているんだろう?
「だけどさ、変なんだよ。お父様って僕を呼ぶときのキルターン。なんか、変で、こわくて、嫌」
夢の中でお嬢様が私のことを見ながら私を見ていないような目をしていたことを思い出す。
別の世界の私だとしても、同じだから助けたといった。そのおかげで助かったことは本当だから、ありがたいし嬉しい。
だけど、私としては別の世界にも私という存在がいたとして、その私とこの私が全く同じかというと、同じじゃないと思う。子供を産んで、育てているだろう私とこの私は別人だ。
いくらお嬢様から見た別世界の私が私と同じ存在であっても、別の私が送ってきた人生もすべて私に起きたことのように感じることはできない。
お嬢様には感謝しているけれど、彼女が私を通して別の私を見ているとしたらなんだか寂しいと思った。
実際にその目で見つめられた時は私を無視された気がして居心地が悪かったし。
きっと、リュカも同じように感じているのだろう。
「最初に会ったとき、キルターンだけが僕を見つけてくれたから、嬉しかったんだ。それからもずっと一緒にいたから、一番の友達になれたと思った。‥‥けど、キルターンは僕をお父さんだと思ってたんだ。それが、なんだか悲しくて」
「うん」
キルターンはリュカとの関係性について友達ではないとはっきり否定していた。正直親子というのも長考していたことを考えれば、正しくはもっと別の、違った答えだったんじゃないかと思う。
結局親子で落ち着いていたが、なんにせよそれはリュカの認識とは大きくずれている。
「そうだ! あとね、キルターンは僕の友達のことを悪く言ったんだよ。だからもう会いたくないって言ったんだ! ‥‥そうだった」
珍しく怒りの声を上げたかと思うと、急にしょんぼりとしてリュカはそのまま湖の方を見つめて黙ってしまった。
「リュカ?」
「キルターンは僕のことを怒っているのかなぁ。僕が会いたくないって言ったから、会いに来てくれないの?」
そう言ったリュカの声は本当に寂しそうに聞こえた。
彼はきっと怒ってなんかいない。逆にリュカが怒っていると思っている。そう伝えた方が良いのかと思ったが、言っていいのかわからない。
お互いが同じ誤解をしあっているが、キルターンが認識を変えない限りすれ違いは終わらない気がした。
「リュカは会いたいんだ?」
寂しそうな視線は湖の水面を見つめたままだ。
「僕をリュカって呼んでくれるキルターンには会いたいよ。けど、お父様って呼ぶなら会いたくない‥‥」
「そっか‥‥」
リュカのストーカーをしているらしいキルターンがこの会話をどこかで聞いてくれて、認識を改めてくれることを祈りながら、私も穏やかな水面を眺めた。
きっと二人のことは時間が解決してくれるだろうとそう考えながら、残りのチーズを口に入れた時だった。波紋一つなかった湖に、突然現れた異変を見つけて、私は目を凝らした。
「ん? なんか‥‥なにあれ。魚かな?」
「え?」
「ほら、湖の真ん中のあたり。ぽこぽこしてない?」
「ほんとだ‥‥なんだろ」
二人で湖の様子を見ていると、突然、木に繋いでいた馬が大声で鳴いて暴れ始めた。それを聞いて、私たちは即座に顔を見合わせる。
なにかわからないが、とにかくやばいことが起きているのだと理解して、すぐさま立ち上がって湖から離れる態勢に入る。
「リュカ、おじいちゃんは!?」
「まだ帰ってきてない!」
「馬を馬車に繋いで、とりあえずここを離れよ! 私、馬連れてくるね!」
とは言ったものの、近寄った馬はとんでもなく暴れていて、手綱をとることさえままならない状態だった。慌てていると、リュカが走ってきた。
「呪術 踊る子供たち!」
「ナイス、リュカ!」
リュカが操ってくれたことで、馬はおとなしくなってくれた。なんとか馬車に繋ぎなおす。
湖を見ると異変はもう明らかで、ぼっこんぼっこんと大きな泡があとからあとから湧いて出てきている。
巨大な何かが出てきそうだった。
馬車に乗り込んで馬に鞭を打つが、怯えてしまったのか今度は馬が動かない。悲鳴のような声を上げて、その場で足を踏み鳴らし暴れるばかりだ。
「呪術 踊る子供たち‥‥あ~! 呪術でお馬さんを走らせたことなんかないから、どうしたらいいのかわかんないよー!」
隣でリュカがパニックになっている。
さっきはただおとなしくさせただけだからできたのだろうが、人間の形をした人形をああでもないこうでもないと動かしている。そのたび馬が二足歩行で踊っているみたいに暴れた。
それをみて、切羽詰まっているはずなのにこの状況自体が無性に面白く感じられて、たまらなくなる。
馬が嘶きながら二足歩行した途端、とうとう噴き出してしまった。
「チトセぇ‥‥! 笑わないでよぉ」
「ごめん‥‥ごめ、だって、馬が‥‥! ひぃっ‥‥だめ、ツボに入った‥‥!」
ひぃひぃ言って笑う私を見て、不安そうな顔をしたリュカもつられて笑い出した。
「うふ、ふふ‥‥っ。んふふふふ!」
「リュカだって、笑ってる‥‥!」
「だって、ふふっ、チトセがっ、笑うから‥‥んふふふっ」
笑っている場合ではないのに、一度笑い出した私たちの爆笑はもう止まらなかった。二人して涙が出るほど笑いあう。
箸が転がってもおかしい年齢とは誰かが言っていたが、これがその感覚なのだろうか?
高校生の青春らしいことができていることに感動しつつ、私は何が面白いのかも理解できないまま呼吸ができないほど笑う。
しかしそれはすぐに終わった。
突然、あたりに爆発のような水音が響いたのだ。同時に私たちから笑顔が消える。
恐る恐る、そうっと振り返った先。湖から巨大な首長恐竜のような生き物がぬうっと出ていて、空高く伸びた首の先で、大きな金色の目がぎらりと光った。
読んでくださりありがとうございます。
ここより2章です。
まだ続きますが、お付き合いくださると嬉しいです。




