24話-5 幕間/冒険者の話
ギルドに途中経過を報告し、森への立ち入り許可も出してもらう。通常は領主の許可が必要らしいが、今は緊急時だと押し切った。
馬を借りると二人は真っすぐに森へ向かったが、ついた頃には夜になっていた。
「‥‥この森、想像以上にやばくないか? シンのダンジョンの奥と似た感じがする」
キャットはノイにしっかりとしがみつきながら暗い森の中を見渡した。
森のあちこちから魔獣の気配や息遣い、魔力の強い臭いがただよってくる。ノイがいなければ逃げ出しているところだ。
「本当にね。まさか地上にいながらダンジョンの深層に足を踏み入れた気分になるなんて思いもしなかった。こんな魔獣たちを除けられるなんて、すごい魔獣除けだけど、もってあと数日だろうね」
ここへ来るまでに魔獣除けの結界が張られているのは確かに感じたが、それはもはや消えかかっていた。 おそらく術者が死亡したために、魔力の供給が途切れ、術式が維持できなくなったのだろう。
結界維持の予備動力として魔石でも使っているらしく、結界自体はまだ保ってはいるし魔力が供給され続ける限りある程度の効果は見込めるだろうが、正直脆いとノイは考える。
あの程度の薄さならこの森の魔獣でなくてもこじあけて入ってしまえるだろうし、もしこの森の魔獣にそれを知られたら街は襲われてしまう。
ギルドにはまともに戦えそうな人材がいないように見えたので、きっと街が死体で埋め尽くされるのもあっという間だろう。
そんなことを考えているので、自然とノイの表情は険しくなる。前に座るキャットはそんなことも知らず馬の上からランタンで地面を照らしていた。
「足跡、結構わかりやすいよな。こりゃ逃げてるのはど素人だ。国の騎士団にでも追われりゃ、すーぐ捕まるぜ」
「足跡が残る程度には、道が整備されてるね。鉱山の採掘っていうのがあるからかな」
「そうだ。ついでにその鉱山に行かねぇか? ちょっとくらいちょろまかしてもバレねぇって」
「キャットは鉱山の話本当だと思う?」
「‥‥どゆこと?」
「入った時から殺気立つ魔獣の気配を感じてる。一匹や二匹じゃない数だ。こんな場所で採掘なんかできるかな? 馬だって入りたがらなかったから魔法で暗示をかけてるってのに」
「‥‥」
それを聞いて、キャットは背中を伸ばしてぴったりとノイにくっついた。真剣な声音を聞くたびに寒気がするのだ。
「国の騎士団が、ちゃんと動いてくれるといいけどね」
「どゆこと?」
「もし、逃げてるのが城主だとしたら、国は動いてくれるんだろうかって。ギルドや街の人たちってどこか諦めているような、傍観しているような印象がなかった?」
「おいらには始終他人をバカにした態度にしかみえなかったな」
「城のことだって、あの商人もギルド長までも他人事で、城主自体にかかわりたくないって感じだった。物価の高さに通行料の高さ、どこに行っても耳にする有名すぎる悪評ばかりの領地のことを、国が知らないわけがない。けど実際放置されていた。‥‥どういうことかわかるだろ?」
「‥‥ぐるってことか!?」
キャットが大きな声を上げたとき、左手の森が開け、湖が現れた。
「おりよう!」
「うぇえ!?」
ノイが突然馬をとめ、キャットを抱えて勢いよく飛び降りる。そのまま走り、森と湖の中間で足を止めた。
いつの間にかランタンの明かりは消えていたが、開けた地形と月明りのおかげで視界に困ることはなかった。
目の前にはえぐれた地面があり、その向こう側には破壊された馬車がある。あたりには馬車の積み荷だろう小物が散乱していた。
「この地面‥‥城の中庭もこんな感じだったよな?」
「城の地下もこんなのがいくつもあった。‥‥ここに逃げてきたんだと思って間違いないと思う。追おう」
そういうと、ノイはキャットに鎧と盾を装備させ、自分は剣を取り出した。
「馬は?」
「道もない森の中じゃかえって邪魔になるから、おいてく」
「こんな魔獣だらけの森に!? 食われるだろ‥‥」
「じゃあ、隠匿魔法をかける‥‥ヴェイリンタス。あとついでに魔獣を見ても暴れないようしておこう。セレニタンス」
ノイが魔法を掛けた馬は月明りの中その場でじっと立ち止まっている。キャットの目には見えているが、魔獣からは見えないはずだ。
「これで安心かな。さ、追いかけよう」
「おう‥‥」
頷きながら、キャットはシンの街のダンジョン深層でのことを思い出していた。ノイの横顔はあの時のように楽観的ではない。
だからか思うのだ。ここはあの百年続いたダンジョンより危険だというのだろうかと。
「‥‥ノイ、平気か?」
気が付けば不安に耐えかねてそう声をかけていた。
フードを外し、見上げるとノイは驚いたように目をぱちくりさせている。それからいつもの笑顔を浮かべて頭をかいた。
「平気じゃなく見えた?」
普段と変わらないあっけらかんとした態度に胸をなでおろし、念のため確認する。
「お前が真剣だと、調子狂うってんだよ。‥‥ここの魔獣、そんなにやばいのか?」
「え? 魔獣?」
予想外というように素っ頓狂な声が返ってきて、キャットは首を傾げた。
「ああ、ううん。いや‥‥魔獣とか魔物は全然余裕だと思う。‥‥ごめん、違うんだよ。ちょっと考え事しててさ」
ノイはランタンを取り出して森へ入る準備を進めるので、キャットもランタンに火をつけなおした。
明かりをつけると、さっきまで月明りで十分だった辺りが真っ暗になる。が、近場はかなり視界が開けた。とはいえキャットは暗闇でもある程度夜目がきくので、火の眩しさに目をぎゅっと閉じる。
「‥‥俺考えたことなくってさ」
目を閉じた暗闇の中、ノイの迷うような声が聞こえる。
「なにが?」
目を開けると、先ほどより火の明るさに慣れ、楽になった。
ランタンに照らされたノイがキャットを見ている。その顔は笑っていたが、同時に軽薄な複雑さが浮かんでいた。
「もしさ、俺の敵が魔獣とか魔物とか、悪魔や魔王じゃなくて‥‥人間だったらって考えたらさ、どうしたらいいか。‥‥答えが出なくて」
ノイは、まるでイチゴパイとレモンパイどちらを食べるか悩むような顔で言う。それから黙って森へ向かって歩き出した。
キャットも黙ってついて行ったが、ノイの背中を見つめて小さく鼻を鳴らした。
「絶対迷わないくせに」
ノイに聞こえないくらい小さな声が漏れる。
選択肢が限られたとき、ノイは自分が正しいと思った方を躊躇するふりをしながら迷わずに選ぶ。それをキャットは知っている。
「チェット‥‥」
そう思うと脳裏には一人の半妖精の少女の顔が浮かんだ。
あれはシンのダンジョンが崩れるときのことだった。ノイはキャットに向かって手を差し出していた。
それまで一緒にダンジョンを進んでいた、キャットの隣にいる半妖精のチェットのことなど全く気にせずに、一瞥もくれずに、迷うそぶりさえ見せずに。
そして唖然とするキャットだけを抱えて出口へ向かったのだ。
ノイは最初からチェットがシンのダンジョンが見せる幻影だと知っていた。だからキャットだけを救った。
そうとは知らず、キャットは混乱と焦りの中彼女を見つめていた。崩れ行くダンジョンの中こちらに小さく手を振るチェットの姿。
それまで一言も喋らず、とりわけ表情もなかった彼女が、初めて見せた別れのしぐさ。
それをキャットは今も大切に覚えている。
一時はそのことを責めたが、結局ノイの判断は正しかった。シンの街も、そこで生きているようにしか見えなかった住民も、屋台も宿屋もみんなすべてシンの見せる幻だったのだから。
きっと、ノイは選ぶときは選んでしまう。それが独りぼっちの道だとしても、きっとそうする方がいいと思えば、そうするだろう。
「だからおいらは‥‥。ん?」
なんて浸っていると、突然かすかな地鳴りが足の裏を伝ってきた。すぐにランタンを消してカバンにしまう。
「ノイ! なんか来るぞ!」
「え? さすがキャット、よく気が付くなぁ」
当のノイはキャットの心配なんてよそに、のんきなものだった。言っていた通り、魔獣自体は大したことがないのだろう。
生き物の気配のない重たい夜の闇の向こう。やがて、木々をなぎ倒す巨大な音がノイの耳にも入ってきた。




