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23話-2 夢の国、バラ園にて

 俯いた私の手にお嬢様が触れた。柔らかな指先が優しく私の手を包み込む。

 ふと視線を上げた時、目の前の少女が年齢にそぐわない不思議な雰囲気を纏っていたものだから、つい目を奪われた。


「ミズキママは、きっとあの子に責任を感じているのね」

「そ、りゃ‥‥」


 自分を助けるために死なれて、それに責任を感じないでいられる人がいるだろうか?

 しかしお嬢様は首を振った。視線は柔らかだが芯があって、その力強さに射貫かれた私は目が逸らせない。


「私はミズキママにリュカのことで責任なんて感じないでほしいの。リュカだって何も考えてないわけじゃないのよ。きちんと考えて、自分のやりたいことをやりたいようにしているの。確かにミズキママを助けてって私は言ったわ。けど私の命令だから命を懸けたわけじゃないと思う。あなたが大切なのよ。あの子の判断はあの子の責任よ。‥‥それは認めてあげて?」


 言い切ると最後ににこっとほほ笑む。少女のフリルたっぷりのドレスがふわりと膝に触れた。


「それに、きっと今帰ってきなさいって命令したら、リュカは泣いちゃうわ。あの子、友達と一緒にいるのが大好きなの。新しい友達ならなおさら一緒にいたがるのよ。リュカの気持ちが沈んだままここに帰って来られると、お庭が暗くなって私も嫌なの。だから、お願いミズキママ。あの子を連れて行ってあげて? それとも、やっぱりリュカがいるのは邪魔? 迷惑?」

「そんなことない。邪魔だとか、迷惑だなんて‥‥そんなことない」

「邪魔じゃないなら、迷惑じゃないなら、どうかリュカを連れていってあげて」


 天使のように可憐な少女は、そう言って私の両手をぎゅっと握る。やわらかな手のひらが私を優しく掴んで離さない。


 それでも、私は簡単には頷けなかった。リュカを失った時の喪失感が今でも胸に焼き付いている。あれを二度と味わいたくない。


 あれ、なんだか私、リュカのためと言いつつ自分のためのような感じじゃない?


 自分の気持ちに気づきかけた時、お嬢様が私をじっと見ていたことに気がついた。さっきまでとは少し違う感じの、何かを探るような視線だったから、自分でも気づいていなかった嫌な本心を読まれているような気がしてしまって、焦る。


「あ、あの‥‥?」

「ミズキママ、もしかして魔人と契約しちゃった?」

「え?」


 少女は訝しげに私を、というか私を見透かすように目を凝らしている。


「あ、うん。契約したよ。それがどうかしたの?」

「どうして‥‥」

「え?」


 途端に少女の顔が嫌なものを思い出したかのように曇り、歪んだ。私の手を離すと席に戻り手を鳴らす。

 すると、少女の後ろで花びらがつむじ風のように立ち上がり、中からモノクルをつけたスーツ姿の男性が現れた。


 お嬢様は男性の一つに結ってある長髪を乱暴に引っ張ってとげとげしい口調で責める。


「ねぇ、どうしてこんなことになってるの? ちゃんと見張っていてって、言ったじゃない」


 先ほどまで私に見せていた可憐な姿はどこへやら、年相応のわがままな少女といった態度への変貌に驚いて言葉も出ない。


 対する男性は涼しい顔をしているが、モノクルの奥の鋭い瞳はただ見つめているだけで相手を睨んでいるようにも見えた。


「申し訳ございません。ですがお嬢様があれに全部任せるとおっしゃったんですよ。覚えておいででしょう? それに私はあれが汚した庭を今日この日までに手入れしろと言われておりましたから、手が空いているわけがないのです」

「じゃあ私のせいだっていうの?」


 少女も男性もお互いまるで怯まない。私は肩をすくめて気配を消し、そんな二人を見守るしかできなかった。


「仕える者にはその者がこなせるだけの仕事を与える。それも主人となる者の務めですよ、お嬢様」

「私はあなたが全部できると思ったから見張ってって言ったのよ!」

「そこまで私に期待をかけてくださっていたとは。このワールドエンド、感激いたしました」


 ああ! この人がワールドエンドさん!

 お城で安全な道をリュカにナビゲートしてくれていた、私の三人目の命の恩人。真面目そうできっちりとした印象が、まさに想像通りの人だった。

 この人はお嬢様の‥‥執事とかだっけ?


「ですが、お嬢様。私は単なる家庭教師ですからね。リュカやメルリアンのようにあなたに仕えているわけではないのですよ。命令されたとて、できることには限りがあります。お分かりですね。私に頼るのもよいですが、頼りきってしまっては、あなたの判断も、責任の所在も、おろそかになるのですよ」


 そうだ、家庭教師だ。

 だからだろうか。彼に反論されたお嬢様は不貞腐れた表情をしていたが、勢いを失いかけている。

 しかし少女は負けなった。


「けど! メルリアンはお姉ちゃんのメイドだし。私の言うことを素直に聞いてくれるのはリュカとあなたしかいないじゃない! イモチェシャもドードーウサギも私のことは助けてくれないしっ!」


 離しかけていた長髪をぐっと握りなおすとぶんぶんと勢いよく引っ張る。その度にワールドエンドの眉間には皺を増えていった。

 私はただ、見守ることしかできない。


「それに! 魔人が相手じゃ! 貴方くらいしかどうにかできないって、そう思ったの! でも貴方ここから出ないじゃない! だからリュカを行かせるしかなかったの!」

「私がここから出られない理由は貴方だってよく存じ上げているはずですよ。それに動かせる人材が足りないのは単に貴方に人望が足りないせいでしょう。いつも言っていますよね。屋敷の主たる品格と教養を身に着け‥‥」

「うるさぁーーい!!」


 とうとうお嬢様は顔を真っ赤にして怒鳴った。ワールドエンドの容赦のない指摘にすっかり口を尖らせて、不機嫌を通り越して泣き出しそうになっている。

 はらはらと見つめるが、少女は顔を上げない。


 その様子を見て、家庭教師は長いため息をつくと少し穏やかに続けた。


「大丈夫です。相手はまだ話の分かる食欲魔人ですから。あなたが嫌っている怠惰でも天秤でも死体でもありません。それはこの間ちゃんと授業で教えたはずですよ。あなたは落書きに夢中になっていて、聞いていなかったのでしょうが」


 最後の方は穏やかさの中にも冷たい響きが入る。モノクルの向こう側で鋭い目がお嬢様を睨みつけていた。


「魔人はみんな同じだもん‥‥」


 お嬢様はすっかり言いくるめられて、声を小さくして目元を拭い始めた。それでも彼の突き刺すような視線が終わらない。

 きっと、言おうと思えば言いたいことなどまだたくさん出てくるのだろう。


「あ、あの‥‥。その、庭師ウサギ? がいなくても大丈夫、ですか‥‥?」


 もう見ていられなくて、気が付けば口を挟んでいた。


 ワールドエンドの手が足りない原因になっている庭師ウサギとはリュカのことだ。もし人手不足ならリュカを夢の国に帰す口実になるかもしれない。


 二人の視線が私に集中する。

 特にワールドエンドの視線が恐ろしい気がして、軽率に口を挟んだことを後悔した。


「大丈夫よ。お庭のことなら、この人が全部やってくれるもの。ね、でしょ?」


 語尾が突き刺すように強かったが、ワールドエンドは気にしていないようで静かに頷くのみだった。

 それが気に食わなかったのか、お嬢様が無言で髪を引っ張る。彼の眉間にまた皺ができた気がするが、見なかったことにした。


「そ、そうですか」

「ねぇ、魔人がいるならなおのこと、リュカをそばに置いてちょうだい。お願いよ。わたし心配なの」

「‥‥」

「お願い‥‥ミズキママ‥‥」


 じっ、と私を見つめるお嬢様の瞳にはワールドエンドとのやりとりで浮かべた涙が溜まっていて、目元は赤い。

 そんな顔でしおらしくお願いされたら‥‥。


「わ、わかり‥‥ました‥‥」


 もはやこれ以上は断れなかった。


 だってお嬢様は私の命の恩人で、彼女は今も心の底から私を心配してくれている。それでもリュカは連れていけないと言えば、少女の気持ちも踏みにじることになる。


 当初の予定通り、私がしっかりすればいいのだから、と首を縦に振ったのだった。

 するとお嬢様は笑顔に戻った。


 ふと、そういえばなぜ私はここに呼ばれたのだろうと不思議に思う。まさか、リュカのことを頼むために呼ばれたのだろうか?


「えっと、マリス‥‥お嬢様。今日はどうして私をここへ?」

「マリスでいいのよ。‥‥だって、無事を確かめたかったから」


 少女はもじもじと言った。それで私もはっとした。

 私、まだこの子に伝えていないことがある。とても大事なことを。


「私、まだあなたにお礼を言ってなかった‥‥」


 立ち上がり、お嬢様を見つめる。


「助けていただき、ありがとうございました! このご恩は一生忘れません。マリスちゃんのおかげで、私はまだ、生きてるの。本当に、ありがとう‥‥」


 深々と頭を下げる。


「どういたしまして。うふふ。お礼を言われるって、素敵なことね。なんだか嬉しくなっちゃう。いつか、いつかね。ミズキちゃんをお願いね、ミズキママ? ‥‥さぁ、お顔を上げて、お茶会の続きをしよう?」


 顔を上げると、照れくさそうにはにかんだお嬢様の笑顔があった。


 それから私たちはワールドエンドさんの淹れた紅茶を飲みながら、たくさん喋った。お城のこと、リュカのこと、お菓子作りのこと‥‥。

 三杯目のお茶を飲み終えたとき、ふと口にした。


「元の世界に戻る方法って、何かないでしょうか」


 すると、お嬢様は肩を落とした。


「ううん。知らないの。ねぇ、ワールドエンドは知ってる?」


 しかし利発そうな彼も首を横に振る。


「そっか‥‥」


 十万歳の魔人でさえ知らなかったのだからわかってはいたが、やはり帰るのは難しいのだろうか。


「ごめんなさい。私、夢の世界のことならどうにかできるんだけど、現実世界には一切手出しができないの。あなたがずっと眠っていてくれるなら、ずっとここで守ってあげられるんだけど、でも、それだとミズキちゃんは産まれてこないし‥‥。でもきっと、帰れるわ。だって私はこことは違う世界でミズキちゃんに出会うんだもの。だから、頑張ってほしいの」


 そう話す少女の言葉には妙な説得感があった。幼い少女が未来を純粋に信じる力、のような前向きな気持ちが伝わってきたからかもしれない。


「うん。頑張る‥‥頑張ります」

「そうよ、その意気だわ」


 ふふ、と笑いあう。

 その時、遠くで鐘の音が聞こえた。


「お嬢様、そろそろお時間です」

「そう、ね‥‥。楽しい時間ってあっという間。ミズキママ‥‥ううん、チトセ。魔人が怖いからもう会いに行けないんだけど、元気でいてね。この世界から出られるよう祈ってるから。そしていつか、元の世界の私に、ミズキちゃんを会わせてあげてね」


 少女は控えめに言うと、小さく手を振った。

 途端に私の周りにパステルカラーの茨が伸びて、私の体は下へと引っ張られる。それは夢の中で足を踏み外すような感覚に近かった。

 ああ、眠りから覚めるんだとわかった。


 顔を上げると、東屋がずっと遠くに見えた。そこにいる二人の姿も、もう見えているんだかいないんだか。

 だから、最後に精一杯大きな声で叫ぶ。そこにいる少女へ向けて。


「うん。ありがとう! ありがとう、マリスちゃん! 私、頑張る!」


 少女が満足そうに微笑んだのが見えた気がした。

ここまで読んでくださりありがとうございます。


一章が終わり、次からは二章です。

ただ、二章の前に幕間として別の人たちの視点の話が7話くらい入ります。

二章はそれが終わった後また毎日更新しますので、少し休憩と思っていただいて、明日から1週間、幕間をお楽しみいただければ幸いです

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