23話-1 夢の国、バラ園にて
「あれ? ここ、どこだろう」
気が付くと、私はかわいい背丈のバラの迷路の中にいた。バラの植え込みは胸の高さほどで、小さな子供だったら迷ってしまうのかもしれないなと想像する。
淡い色のバラが咲き、すずやかな甘い香りがする。ゴールデンウィーク前後の自宅の庭を思い出し、なんだか懐かしくなる。
なんて品種だろう?
周囲を見渡すと迷路自体はそこまで広くはないことが分かったものの、迷路の向こうは霧が濃くて見えなかった。
とりあえずたった一つだけ見えるアーチのある方へ進んでみる。
アーチにたどりつくといつの間にか霧は晴れ、その先の景色が見えるようになった。振り返ると今度は薔薇の迷路が霧に包まれる。
迷路の先には洋風の東屋があって、ふとそこに人影を見つけた。見知らぬ少女が人懐っこい笑顔でこちらに手を振っている。なんとなくそちらへ行くべきだという気がした。
「こんにちわ」
「こんにちわ。お席へどうぞ」
愛らしい声に招かれるまま東屋に入ると、そこには贅沢なティーセットが用意されていて、少女の目の前の席に座るよう促された。
薄いピンク色のエプロンドレスを着た少女はまだ幼く、見た目から10歳前後程度に思えた。けれど纏う雰囲気はどことなくミステリアスでなんだから大人っぽくも見える。
「ミズキママ、来てくれてうれしいわ」
「あ‥‥」
それを聞いて、この子がリュカの言っていた”お嬢様”なんだと分かった。そう思って改めて見ると、彼女の姿は夢の国のお嬢様とイメージした通りのように思えてきた。
バラの迷路といい、東屋にティーセット。お屋敷のお嬢様と聞いていたけれど、フリルの具合からして服も相当高そうだ。
きっとすごく良いところのお嬢様なのだと想像する。そう思うと妙に緊張してきた。
お嬢様はにこにこ嬉しそうに小さな手で一生懸命にカップに紅茶を注いでいる。
「はいどうぞ」
「あ、ありがとう、ございます」
差し出された紅茶からは優しいバラの匂いがした。先ほどの迷路のバラともまた違う香りだ。
飲んでみてと促され口をつけると、砂糖を入れていた様子はないのにほんのり甘くて美味しい。不思議と緊張感が和らいだ。
「美味しい」
おもわずつぶやくと少女は照れたように肩をすくめて嬉しそうに体を揺らした。見た目の年齢に相応しい愛らしさのある子だと思うと、更に緊張がほぐれる。
「あの、あなたがマリスお嬢様、なの? 私のところへリュカを連れてきてくれたのは、あなたなの‥‥よね?」
少女は嬉しそうに頷いた。
「うん! そうなの。リュカ、役に立った?」
「うん、たくさん助けてもらっちゃった」
「よかったぁ。もしかしたらリュカには難しいかもってちょっとだけ不安だったの。‥‥ちょっとだけよ?」
いたずらっぽく人差し指を立てて「リュカには内緒ね」と言う。
ふんわりした白い髪がまるで天使の羽のように見える。
紅茶にミルクを溶かすお嬢様の様子をじっと見つめながら、ずっと気がかりだったことを切り出した。
「あの、私、ずっと言いたいことがあって‥‥」
「なぁに?」
大きな瞳が私をうつす。
カップを置いて私の言葉を待つそのしぐささえお人形のよう。
私を見て嬉しそうに輝く視線が痛い。この子の笑顔が曇るところは見たくなかった。
だから言うのをやめようかと一瞬迷ったけれど、やはりそれはできない。正直に伝えるべきだ。
彼女たちの、大きな勘違いについてを。
「私、ミズキママじゃないんだ‥‥。人違い、だと思うの。‥‥ごめんなさい」
口に出すと同時に頭を下げる。
言ってしまった。
言えば少しは楽になるかと思ったが、言う前と少しも変わらない。心は重たいまま、むしろさっきまでよりも‥‥。
「え‥‥」
案の定、お嬢様からは困惑した声が上がる。
あんな視線を送るほど大切なミズキママという人物と、人違いで私を助けたことをこの子に後悔されるのがこわくて仕方ない。どうして別人を助けてしまったんだと思われることが辛くて仕方がない。
なんでお前なんかが生きてるのかと言われるのがこわい。
けれどそれは甘んじて受け入れるつもりでいた。運良く助かった私にできる、それが唯一のミズキママへの罪滅ぼしのような気がしたから。
それから、だからリュカをここに戻すよう言わなければならない。ほんとの私は、リュカやお嬢様から守ってもらえる立場にない赤の他人なのだから。
リュカを帰すならきっとこれが最後のチャンスなのだ。
けど、まずはミズキママのことを彼女にどう受け止めてもらえるかだった。
まだ返事はない。
どんな顔をさせてしまっただろうかとおそるおそる少女を見ると、相変わらずにこにこと私を見ていた。
「ううん。人違いじゃないわ。ミズキママはあなた。あなたのことだわ、チトセ」
「‥‥そう、なの?」
「ええ、そうよ」
人違いじゃない。
それを聞いて安心したが、納得はできなかった。だって、私はミズキママじゃないからだ。
「でも、もしかしたらあなたは私の知らない別の世界のミズキママなのかもしれないわね。でも、それっておんなじことよ」
「別の、世界?」
「そう。世界ってたくさんあるから‥‥」
花びらの砂糖漬けを口に入れて、少女はほほ笑む。
そして両手の指先をそろえてうっとりと語りだした。まるでおとぎ話に心奪われた夢見る乙女のように。
「ミズキちゃんって私のとっても大切なお友達なの。私、ミズキちゃんのこととってもとっても大好きなのよ。強くて優しくてカッコよくて眩しくて‥‥。だから、もし世界が違っても、ミズキちゃんのママのことは助けてあげたかったの。だってそしたら、またどこかでミズキちゃんに会えるかもしれないもの」
お嬢様は私を見ているようで見ていない、そんな感じだった。
別の世界。
私の元いた世界と、召喚されてきた世界。夢の国はまたこれらとも別の、違う世界なのだろうか?
別の私が存在している、どこかの世界‥‥。
召喚されて異世界を知ったものの、私が別の運命を辿っている世界のことまでは想像もしてなくて、うまく話を飲み込めない。
そんな私の様子に気づいてか、お嬢様はふふとほほ笑んだ。
「貴方は、そうね‥‥。もっと具体的に言うなら、いつかミズキちゃんのママになるかもしれない人ってところかしら」
そう、つまりはそういうことなのだ。いつか私が結婚して子供を産んだ時、生まれてくる子がきっと彼女のいう”ミズキちゃん”なのだろう。
そんな未来全く知らないところだし、自覚云々の話ではないけれど、少女がそういうならそうなのだ。
「じゃあ、じゃあ本当に人違いじゃないんだ? 最初から、お嬢様もリュカも、私を助けに来てくれてたんだ?」
「そうよ。リュカもそう言わなかった?」
愛しそうに私を見つめる少女は、幸福の世界のお姫様のように幸せに満ちた笑顔を浮かべている。
私はリュカが必死になって私を説得してくれていたのを思い出し、わかるはずもなかったとはいえ、申し訳ない気持ちになった。
そうだ。リュカのことを伝えなければ。
私がリュカのことを口にしようとしたその時、お嬢様は突然元気はつらつな少女の顔になったかと思うとテーブルに両手をついて身を乗り出した。
「そうだ! リュカはもう少しそっちにいたいみたいなの。変な子だけど、いい子なの。一緒にいてあげてほしいのだけど、どうかしら?」
「ええっ」
まさかお嬢様からそんなことを頼まれるとは思っていなくて、私はたじろいだ。
そんな私の様子を見て察したのか、お嬢様は少し困ったように甘えるように眉を寄せた。
その目はずるい‥‥。
「だって、お城から出れても、あの世界には危険ってたくさんあると思うの。ミズキママが一人でいるなんて危ないわ。一緒にいれば、きっとリュカがなんとかしてくれる。だから」
「だ、だめ!」
私が突然叫んだので、お嬢様は肩を震わせるほど驚いた。それから悲しそうな顔をしてまた私をじっとみる。
「どうして‥‥? やっぱりリュカ、何かしちゃった‥‥? 変な子だった? ‥‥嫌?」
「そ、そんなことない‥‥けど」
「けど‥‥?」
嫌なんじゃない。そんなことじゃない。
リュカに悪いところなんかない。
死んでしまったのには傷ついたし、悲しかったけど、あれだってただ頑張りすぎただけで、でなければ私が死んでいたのだから、リュカは一切悪くない。
ただ、私は私のために誰かに傷ついてほしくない。それが優しい人ならなおさらだ。だから、それを伝えたい。
きっとお嬢様なら、この子ならわかってくれると思うから。
「リュカ、私の身代わりになって、その‥‥死んじゃって。戻れたけど、一緒にいたらきっとまたあんな風になると思うと‥‥」
お嬢様の哀しそうな視線に負けないよう、小さな女の子を傷つけないよう、私は必死に言葉を選ぼうとした。‥‥そして、語彙力と共に勢いまで殺してしまった。
言いながら途中で、こんな説得では納得なんてしてもらえない気がしてくる。
「リュカはいい子だし、傷ついてほしくなくて。ましてや死んでほしくもないの。だから、危険ならなおさら‥‥。連れて行きたくないの」
私の弱弱しい説得を聞いたお嬢様は合点が言ったようにそっと手を合わせた。指先でふわりと三角形をつくって口元に持っていく。とても愛らしいしぐさだった。
そして輝く目を安心したように細めた。
「それなら平気よ。リュカの近くにはいつもキルターンお兄様がいるもの」
「え?」
「リュカが死んじゃったなら、きっと会ってるでしょう? リュカのストーカーなの、彼。彼の時計は特別製で、死んだ人も生き返るのよ。だからリュカなら平気よ」
確かに本人も言っていたしそうなんだろうけど、そういうことじゃないのだ。私が伝えたいのはもっと、根本的な、倫理観とか道徳とかそういった部分の、もっと感情的なやつだ。
けど、やはりうまく伝えることができない。
私の伝達レベルではお嬢様を説得できない気がする。
リュカの時もだったけど、私が嫌だと思っていることを根っこの部分で理解してくれていないのだ。傷つかなければ、死ななければいいって話ではないのだ。
けれど、小さな子供からしたら大差ないことなのだろうか。
‥‥そうかもしれない。
私も彼女よりもっと小さなころ、飼っていたカナリアが死んでしまったのを電池が切れたのだと思って家中の電池をかき集めて親を驚かせたと聞いたことがある。
幼い子供に命とかそういったことを語って伝えるには、私の人生はあまりに浅いということだろうか。
「けど、それでも‥‥」
生きていて笑っていてほしい。危ないことに巻き込みたくない。




