1-3-2話 お城
塔の中は中庭より暗く、しかし目が慣れるとそこそこ見えるようになった。一階の奥に階段が見え、そこへ向かう途中、ふっと見上げたその景色に私は足を止めた。
塔は吹き抜けで、壁沿いに上へと続く階段があるだけだったのだ。
「うそでしょ? これを上っていくの?」
「そうだよ」
ぬいぐるみがぴょんぴょん先を行く。これは夢、これは夢と何度もつぶやいてから、私は意を決した。
吹き抜けのおかげで塔の中にも月明りが差し込んでいる。少ない窓からささやかに入ってきているその明かりが、足元をかろうじて照らしてくれていた。
スマホを持ってくれば、最強の明かりになったのにと今更悔やむ。
それにしても、吹き抜けの階段なんてこわすぎる。これが夢でなければ進めなかったと思う。
実際、今も階段を踏みしめる私の足裏はどこか痒みをおびていて、石ではなく綿を踏んでいるような気がするし。気を抜いたら貧血が起きそうだった。
私は必死に壁側に身を寄せて、下を見ないようにして、足先にぐっと力を込める。そして深く呼吸を繰り返しながら、先を行くリュカの背中を追った。
ある程度上がっていくと渡り廊下のようなものが見つかった。噴水から見上げた時、衛兵が通ったのはここだろうか。円形にのぼっているからか、今何階にいるのわからない。
階段はまだ上に向かっていたが、リュカはこっちだと渡り廊下へ走っていく。
この階段をこれ以上上がらなくてすんで、心底ほっとした。階段を抜けて渡り廊下に上がると、当たり前だけど下が見えない床の上だった。その場で両手をついて安定していることを確認するとようやく人心地つく。
顔を上げると不思議そうに私の様子を窺うリュカがいた。
「そういえばさ。ミズキママのいる場所がわかるの?」
「ううん。でもこっちだって言うから」
誰が言っているんだろう?
「リュカって今、お嬢様とお話ししてたりする?」
「ううん。してないよ」
「誰がこっちだって言ってるの?」
「えっと‥‥大丈夫。見つからないようにいくよ」
リュカは、私ではない誰かに語り掛けるように返事をした。どうやら夢の案内役だと思っていたこの人形にも、案内をしてくれる誰かがいるらしい。
月明りの廊下を小走りに進んでいて、ふと、リュカの背中がまた大きくなっていることに気が付いた。
しかも、腕や足の質感がさっきまでとまるで違う。
さっき私の顔を覗き込んでいた時は確かにぬいぐるみだったのに、今は腕や足がつるりと光を反射している。服も、簡素なものだったのが人間が着るのと大して変わらないものになっている。
先が二つに裂けたナイトキャップみたいな帽子に、百合の花びらのような飾り袖、裾の上下おそろいの服。襟ぐりはオーバーに開いていて、振り返ると鎖骨が見える。
コンセプトはピエロかな? もしかして、顔にも怖いメイクがあったりして‥‥。
そんなことを考えていたら、リュカが突然振り返った。心臓が跳ねるけど、その顔にはおかしなメイクなんてない。ただただきれいに整ったふっくら下膨れほっぺの人形の顔があるだけだった。
まるで大きなリカちゃん人形みたいだ。顔的にはぽぽちゃん味があるけど、こういうのは‥‥そう、ビスクドール。お祖母ちゃんの家に沢山あったアンティークなフランス人形がこんな感じだった。
「リュカ、どんどん大きくなっていくね。というか、人に近づいて行ってる。そのうち人間になったりして」
「そのつもり!」
ぴょんとジャンプするリュカはかわいくて、このまま人形でいていいよと思った。けど、そのビスクドールは正直少し怖いからぬいぐるみに戻ってほしい。
廊下はだいぶ長く感じた。中庭から見上げたときはそうでもない気がしていたけれど、遠近法とかで短く見えていただけだろうか。いやいや横の距離は変わらないだろう。
ふと、そうか夢の中だからだ、と気づく。
夢の中って走っても走っても進まないもんね。
景色も進んでるし、進めてる気がしているけど、実際は進めてないのかも。
なるほど‥‥。
けど、この疲労感はリアルだなぁ。
そんなこんなで、下りの階段を見つける頃には体育の授業で3キロの持久走をした時くらい疲れてしまっていた。リュカは人形だからかまったくばてておらず、先をどんどん行くのですっかり追いつけなくなってしまう。
ていうか! 長いよ! 絶対おかしいじゃんこれ!
さらに1キロ進んだくらいのところでついに私は膝に手をついてその場で立ち止まった。息を整えたら、もう少しいけそう。
「チトセ? 疲れちゃった?」
私を置いて行っていたことに気が付いて、戻ってきたリュカはとうとう私の身長の半分以上の大きさになっていた。容姿も先ほどのほっぺのふくよかさは消え、フェイスラインがすっきり綺麗になっている。
けど、人形の不気味さ自体のベクトルはさっきとそう変わらない。
綺麗なんだけど、やっぱり人形ってこう整いすぎてる感じがちょっと不気味だと思う。表情も真顔って言うか、薄く笑っているけど、それが逆に怖い。
表情が変わらないのに無邪気にしゃべって動き回るもんだから、不気味の谷って感じ。
でも、リュカ自体は優しいんだよね。今も私を心配してくれてるし。
「疲れるよ。夢の中なのに、おかしいの」
「夢じゃないんだってば」
疲れた私に合わせて、リュカは歩いてくれた。階段を下りていく背中を追う。
「夢だよ。だって変なことばかりだもの」
「どこが変なの?」
「全部。だって、飛行機からおかしいじゃない。私を残してみんながおりるわけないし、外も砂漠だったり荒野だったり、降りたらお城だし。呪術とかあるし。変だよ」
リュカは首をかしげる。
「チトセは夢の世界の境目も呪術も知らないんだねぇ。‥‥そっか。そもそもチトセたちはここに召喚されてきたんだから、知らなくて当たり前なんだ」
そっかぁ、とリュカは納得したように何度もうなずく。世間知らずのように言われたけれど、リュカの無邪気さには腹も立たなかった。
ていうか、そう、それだ。衛兵も言っていた召喚。それが知りたかったんだ。
なんなの? それ。
現実的な私の頭のどこに、そんな設定生み出せる想像力があったんだろう。夢ってみてる本人の想像を超えられるんだろうか。
「僕からしたら、変なこともおかしいことも一つもないよ。あの飛行機? の中で僕がチトセに呪術をかけてみんなから見えなくしたから、チトセだけ残してみんな降りたんだよ。じゃないと一緒に降りるでしょ?」
「そうだったの? なんで私だけ降ろしてくれなかったのよ」
「お嬢様に言われたんだもん。ミズキママを助けてって」
いやいや、だからミズキママじゃないんだってば。
そもそも、なぜ私を降ろさないことが助けることにつながるのよ。飛行機の外の危険。見つかってはいけないお城‥‥。
まだわからないことが沢山あるなぁ。
それでも、なんとなく話がつかめてきた。
この夢の中では私は召喚されてきた設定、と。そして危険のある飛行機の外へミズキママを降ろしたくなかった謎のお嬢様の命令を受けやってきたリュカが、ミズキママと間違って私にさっきみたいな呪術をかけた。周りの人たちは私が見えなかったから、私一人残してみんな飛行機から降りて行ってしまった、と。
頭の中で出来事を整理すると、ストーリーはなんとなくあるんだけれど、やっぱり細部が気になった。
「なんで降りちゃいけなかったの? 危険ってなに? なんで衛兵から隠れたの? そもそも誰が私たちを召還したのよ。なんのために?」
わからないことを一呼吸で投げかけると、人形はフリーズしてしまった。薄く微笑んだ顔が少し傾ぐ。
あ、やっちゃった、と思った。
わからないこと、聞きたいことをこうやってマシンガントークで聞いちゃうのはよくないよね。これで何度周りから白い目で見られたことか。
わからないことは頭の中で適当に補完して納得したふりをするか、流してしまえばいいのよね。
けど夢なのに、なんで私はこんなに一生懸命なんだろう。手で触れた感触とか、疲れた感じがリアルだからかな?
なにか違和感を感じてはいるんだけど、うまく言えない。
しばし、リュカはじっと立ち止まって私を見つめていたけれど、やがて口を開いた。
「あのままみんなと一緒に降りてたら、そしたら死んじゃうから。このお城の人たちはみんな悪い人だから、見つかったら殺されちゃうんだよ」
「ええ?」
聞いたのは私だし、適当な補完でいいと思ったばかりだけども。
なにその設定。突然また意味がわからなくなった。
「どうして私たちが殺されるのよ。殺される理由は?」
お城への不法侵入‥‥ならありえなくはない。けど、そもそもその召喚っていうのをしたのはこのお城の人なのでは? なら、なぜ?
リュカはガラス玉の瞳で私を見上げた。
「儀式をしてるんだって。その生贄が必要なの。そのためにお城の人がチトセ達を召喚したんだよ。儀式の生贄はたくさん必要で、たくさん召喚した。飛行機から降りた人は、もう何人も死んじゃってる‥‥みたい」
「‥‥え?」
何人か死んでいる。それは、誰の話? 今私たちの話してたよね? え? 私たちの話なの?
儀式のために召喚し、殺す?
そもそも、召喚にかかるコストを支払うために生贄って用意するのがファンタジーのセオリーじゃないの?
‥‥ファンタジー詳しくないしセオリーもわかんないけどさ。むかーし見た映画だとそんな感じだった!
一体全体、わけがわからなかった。
夢って意味が分からないものだと思うけど、そういう意味の分からなさじゃないところがこわい。
そろそろ目が覚めないだろうか。
ここまで読んでくださり、ありがとうございます。
6月の間は平日朝7:40に毎日連続投稿?していきますのでよろしくお願いいたします。