21話-1 おいて行かないでの涙
魔人はケーキを食べ終えるとひとまずは満足してくれたようだ。おとなしくキッチンの隅に座っている。
さて、次は何を作ろうか考えながらゆっくりケーキを食べていると、私の正面に座ったリュカがおどおどと声をかけてきた。
やっぱり食べ足りないよねと思ったが、どうもそういうことではないらしい。
「ねぇ、チトセ‥‥。あのさ、あの‥‥」
「どうしたの?」
さっきまで笑顔でケーキを食べていたというのに、その笑顔はどこへ消えてしまったのか、リュカは不安そうに私を見つめてくる。
「僕もついて行っていいよね?」
「え‥‥?」
私は魔人を睨んだ。それを見てリュカは勢いよく立ち上がった。
椅子が倒れる音がキッチンに響く。
「おじいちゃんが、さっき言ったの。僕は置いて行くから、夢の国に帰れって。いじわるだよね? 本当じゃないよね? 僕、チトセについて行っていいよね? 足手まといじゃないよね? だってケーキも一緒に作ったし、作れたし、僕頑張ったよね!? チトセを守れたよね!? ねぇ、いいでしょう? 僕、チトセと一緒に行きたい!」
テーブルに身を乗り出してリュカは必死に訴える。
「‥‥」
私は何も言えず、リュカと魔人を交互に見た。
リュカがお風呂に入っていた時相談したのだ。私はリュカを連れて行きたくないと。だから、もし説得に失敗したらリュカを説得するのに協力してほしいと。
きっとそれを私がいない間に話したのだろう。お風呂から上がった時、二人が何やら騒がしかった理由はこれだったのだ。
「ねぇ、ねぇっ! チトセ! おじいちゃんの嘘だよね? 行っていいよね?」
「‥‥」
なんて言ったらいいのだろう?
なんて言えばリュカを傷つけずに済むんだろうか?
思い浮かばず黙っていると、それを肯定と捉えたリュカは唇を震わせた。元から黒目が小さくぎょろっとした瞳だが、大きく見開かれると目から零れ落ちそうになる。
「僕を置いて行くの‥‥?」
そう言って震えるリュカの、この顔はよく知っている。リュカが死んだあと鏡で見た私の顔にそっくりだ。
絶望の顔。悲しくて、寂しくて、胸がぽっかりと空洞になったようなあの気持ち。
そんな気持ちにさせたくなかった。
「リュカ、あのね。私、リュカにはもう傷ついてほしくないの。だから安全な夢の国に帰ってほしいの。ただそれだけなの‥‥」
「どうして? 僕平気だよ? 痛いのもケガするのも大丈夫。だから一緒に連れて行ってよ」
一度の説得でわかってもらえるなんて思っていなかったけど、やっぱりリュカは食い下がってきた。だけど私だって引く気はなかった。
頭の中にリュカの死体が浮かぶ。
眼球のない血まみれの顔。お腹の中が何もない不自然な体。動かない指先を握った感触。
もう二度とあんなのはごめんだ。
「だめだよリュカ。だって‥‥だって平気なわけない。リュカ目を取られたんだよ? お腹の中だってなにも、‥‥なかったんだよ。死んじゃったんだよ? 平気なわけないでしょ」
「平気だもん! 僕ほんとうに平気だもん! 目がなくなってもお腹を切られても、お腹の中を引っ張られても全然っ! 痛いのも苦しいのも平気! 死んじゃったって、戻れるもん!」
できるだけ落ち着いて話したつもりだ。けど、リュカをヒートアップさせてしまった。
大丈夫、まだ話せばわかってくれる。リュカは人の気持ちを想像できる優しい子だもの‥‥。
リュカはテーブルを回って私の隣にきた。それから私の服の裾をぎゅっと掴む。
「ねぇ、僕身代わりになれるよ! 痛いのからチトセを守れるよ? 苦しいのも代われる! 人だって殺せるから! だから連れてって!」
それを聞いて、私の中で何かがぷつっと切れた
私だって耐えてるんだ。
あんな思いを二度としたくなくて、あなたを危険から遠ざけたくて一生懸命に考えた末のことなのに。
どうしてそんなこと言うの?
自分を傷つけて大丈夫だなんて言うの?
人を傷つけられるだなんて言うの?
どうして私の気持ちを一切わかってくれないの!?
私の中でぶわっと怒りが沸き上がった。リュカの手を振り払う。
「それが嫌だって言ってるの!」
「‥‥っ」
大きな声にリュカが怯む。私は構わず立ち上がった。
「身代わり!? やめてよ! リュカが傷つくのが嫌だって言ってるのがわからないの!? 痛いのが平気? 苦しいのが平気? あなたが平気だって私が平気じゃないの! リュカがそんな目にあってるのを見るのが嫌なの! 私のせいで傷つかないでほしいの! 死なないでほしいの! 生きて笑っててほしいだけなのに! なんでわかってくれないの!?」
「わ‥‥っ! わかってないのはチトセだよ! 僕はチトセが大好きだって言ってるのに! 離れたら寂しいのに! 一緒にいないのは悲しいのに! チトセこそわかってよ! 置いてかれたら僕悲しくなる! 泣きたくなるもん! そんなの‥‥! そんなの笑えないよぉ!」
リュカがわぁっと大きな声で泣き出した。見たことないくらいわんわん泣く。
「泣いたって置いてく! リュカは夢の国に帰って! 帰ってよ!」
「やだぁ‥‥! ここにいるもん‥‥! チトセと一緒がいいもん‥‥っ! 帰らないぃ‥‥!」
わああっと泣きながら私に抱き着いてくる。押し返しても押し返しても引っ付いて離れなかった。やがて、押し返すことを諦めて、私は項垂れた。
どうしたらいいんだろう?
「だって‥‥。だって、リュカ、死んじゃったんだよ‥‥」
「ごめんなさい‥‥! 死んじゃってごめんなさいぃ‥‥! もう死なないから‥‥っ! 死なないからぁ‥‥っ!」
「お、お腹、痛かったでしょ‥‥?」
「うぅー‥‥! もうケガもしない‥‥っ! 痛くもならないからぁ‥‥! ゆるして、ゆるしてよチトセぇえ‥‥」
リュカは謝りながらわんわん泣き続けた。
リュカが謝ることなんか一つもないのに、どうしてそんなに必死になるんだろう。
なんであんなになってまで一緒に行きたがるんだろう。
キルターンが言っていた通り、リュカは友達が好きなんだ。それはもう執着と言っていいほどの感情で‥‥。
私なんかの何がいいんだろう。私のどこをそんなに好きになってくれたんだろう。わからないけれど、その気持ちだけは嬉しいと感じた。
「謝らないで、泣かないでリュカ‥‥」
「悲しいんだもん‥‥っ! 連れてって‥‥! お願いチトセ‥‥っ」
しゃくりあげるたびにリュカの肩が揺れる。こんなに子供みたいに泣きじゃくるほど、一緒にいたいと思ってくれてるなんて、そんなこと言われたら私だってつらいのに‥‥。
もう私ではお手上げだ。リュカは諦めてくれそうにない。こうなったら魔人に頼るしかないが、魔人だって一度説得に失敗している。
それでも、二人で説得すればなんとか納得させることはできないだろうか?
視線を移すと、魔人は頬杖をついて飽きたような顔で私たちを眺めていた。退屈そうな目と目が合い、私は視線だけで訴える。一緒にリュカを説得して、と。
すると魔人は体勢を変え腕組みをした。リュカをじっと見て、首を振る。
「チトセよ。いいではないか。連れてゆけば」
私は頭を殴られたような気がした。裏切られた気分と言っても過言ではない。
「なんで‥‥っ」
「この手の手合いはここで置いて行ったとしてもついてくるぞ。わしらが行く先は魔獣やら魔物で溢れておるでのぅ。こんな子供が一人のこのこついてきたのではあっという間にそれらの餌食になろう。それはお主も望まぬだろう?」
魔人はにやぁりと笑う。
私に抱きついていたリュカは、ついて行けるかもしれない事に涙を止め、鼻をすすって目を輝かせた。
私は更に魔人を睨みつける。
「‥‥脅してるの?」
「事実よ」
「‥‥」
置いて行ったとしてもついてくる‥‥。確かにリュカならやりかねない気がした。
それにいくら死んだところでキルターンが時間を戻すと言っても、あの状態の時計はちゃんと動くのだろうか?
そもそもリュカにそんな死に方をしてほしくないから置いていくのに、それでは本末転倒だ。
唇を噛む。
どうしてこううまくいかないんだろう?




