17話-3 人形師の人形
さっきも思ったけど、彼らがここに偶然やってきたとは思えない。
ふとキルターンの頬を見る。綺麗に治った彼の頬を。
「ねぇ、時計の子はどうしたの? なんだかすごく嫌そうだけど」
「いつもああだから気にしないで。時計はいつまでもリュカをお父様だと認めてくれなくてね。頑固なんだ。けど、お願いすればやってくれるから大丈夫だよ」
「何が大丈夫なの?」
「何がって、何?」
キルターンは意味が分からないというようにぽかんとしている。
「時計の子は何をしようとしているの?」
「? リュカの時間を戻すんだよ」
「え‥‥?」
私は聞き間違いかと思ってキルターンの顔をまじまじと見つめた。
キルターンは眉をひそめて、何かを咎められたかのようにむっと唇を尖らせる。
「まさかとは思うけど、君も時計と同じ事言わないよね? だって死んだままだといつまで経っても俺を許してくれないじゃないか。困るよそんなの。リュカとは早く仲直りしたいんだ。それから早く好きって言ってもらえないと! 俺、そのうち粉々になっちゃいそうだよ」
色々言っていたが、大体の内容が頭に入ってこなかった。
ただ、リュカが死んだままだと困るというのだけ頭に入ってきた。
私はキルターンに飛びついて、縋り付くように彼の襟首を握りしめる。
「キルターン! リュカが、戻るの? 生き返るの!? 本当に!?」
「あ、わっ! 揺さぶらないでよ! 戻るよ。生き返るというか、戻るんだよ! なに? なんなの? 君はリュカが戻るのは嫌なの?」
「そんなことない!!」
「うぁ! すごい大きな声‥‥。耳が割れそう」
私は時計の方を見た。
時計の針は甲高い音を立てて勢いよく回っている。先ほど嗅いだ金属の焼けるような臭いがただよってきた。
ああ、あれでリュカが生き返るのね‥‥!
私の胸は希望で満ち溢れる。
しかし、段々と金属が燃えるような臭いが強くなってきた。
それでも針は勢いを落とさず回り続ける。そしてとうとう時計から煙が上がり始めた。
「ねぇ、あれは大丈夫なの? 時計の子、煙が出てるよ? 壊れたりしないの‥‥?」
振り返った時、キルターンは私から少し距離をとっていた。
ちょっと腑に落ちない。
彼は笑って言う。
「大丈夫。ちょっと戻す時間が多いだけだよ」
「そうなの? カリンカちゃん」
「ウ、ん‥‥。どうかしラ‥‥。なんだカいつもより煙が多いみたイ。ケド、時間を戻スのはいつものことだカラ、大丈夫ヨ、きっト」
気楽な様子のキルターンと違って、カリンカは少し心配そうだった。
私もどこか大丈夫じゃないような気がしているが、しかしだからといってできることもない。ひとまず彼らと同じように見守ることにした。
「キルターン、聞いていい?」
「いいよ」
「リュカをああやって“戻す”のは、いつのもことって言ったよね」
「言ったね」
「リュカのこと、知ってたの? ここで、殺されたこと‥‥」
「うん。見れるときは見ていたからね」
やっぱり、知っていたんだ。
じゃあ、彼の暴走はリュカが死んだこととは完全に無関係なのかと考える。だとしたらキルターンの“お父様”に対する執着心はかなり強いらしい。
そこへの言及はやめておこう。
「君がリュカを埋めたのも見てたよ。ずっと泣いていたね。リュカのこと好き?」
何度目だろう。それを聞かれるのは。リュカにも聞かれたことを思い出す。
友達に好きだとか嫌いだとかはっきり言うことってあんまりないと思うけど、口にするととても恥ずかしいのに、言うととても清々しい気持ちになるんだよね。
「うん。好きだよ」
それを聞いてキルターンがまたおかしくなるかと思ったが、特に何も変わらなかった。ただ満足そうにそっかと頷く。
「リュカって友達が多いんだ。ああいう性格だから、誰とでも仲良くなりたがってね。君もそのうちの一人なんだね」
これまでのキルターンの挙動を見て彼を知ったからだろうか。
その言葉が暗に、私はリュカのたくさんいる友達の中のたった一人でしかなく、大した特別感はないんだと、そう言われている気分になる。
私の猜疑心だと思うことにする。
というか、見ていたならどうしてこうなる前に助けてくれなかったんだろう?
私はともかく、キルターンにとってリュカは相当特別なはずなのに。
「どうして助けてくれなかったの? リュカのこと‥‥。あなたが助ければこんなことにならなかったかもしれないのに‥‥。距離を取っていたから?」
「それもあるけど、リュカが無茶をしてああなるのっていつものことなんだ。人のため‥‥。特に友達のためってなると、火の中でも構わずに飛び込むんだよ。かっこいいよね」
「うん、それはわかる」
地下で拷問されていた時、助けに来てくれたリュカは控えめに言ってもかっこよかったし、来てくれて本当にほっとしたのを思い出す。
怯え、震えながらそれでもいつも私を助けてくれて、本当にヒーローみたいだ。
けど、なにかもやっとする。
大好きな父親を褒められて相当嬉しいのか、キルターンもにこにこ笑った。
「でしょ。リュカってとっても純粋だからね。良くも悪くもさ。できた友達がリュカを傷つけちゃうような悪いやつでも、一度心を許すとさ、離れたくないって言うんだよ。どんなにひどい目にあっても一緒にいたいって言うんだ。‥‥俺には言ってくれないのにね」
最後の一言で彼の表情が一気に曇るが、見なかったことにした。
「じゃあ、リュカはもう何度も死んでるっていうの?」
「死んでるって、動かないってこと? なら、そうだね。リュカって天真爛漫だし、臆病なくせに友達のためなら簡単に身を投げ出すから、すぐ壊れちゃうんだ。だからその度に俺たちが行って、戻すのさ」
友達想いなのはいいことだけど、それはちょっといき過ぎじゃないだろうか。リュカの純粋さって危なっかしさと紙一重だ。
そっか、もやっとの正体はこれだ。
「今回だってリュカはきっとなんだかんだ言っても俺が来るってわかってたと思うよ。だから君を一人で逃がしたんだ」
キルターンの話がすべて本当だとしたら、リュカの選択肢の中にはいつも自己犠牲があるということだ。生き返って、これからも一緒にいられるなんて単純に楽観視してはいけないんだ、と思った。
だって私はこれから長い旅に出るのだから。魔法や魔獣、きっと危険な旅になる。魔人が助けてくれると思うが、もしリュカが今回のようなことになったら‥‥?
その度にキルターンが生き返らせてくれるからいいだなんて思えるわけがない。そんなの、私の心臓がいくつあっても足りない。
「そう思いたいな。けど、違ったら嫌だから、やっぱり俺が来たことは内緒で」
「でも、生き返ったらあなたがやったってすぐわかるでしょ? こんなことできるの、多分あなたくらいじゃないの?」
「そう‥‥なんだよねぇ。だから悩んだんだ。どうしたらいいのか。けど、やっぱり俺はリュカに許されたいからさ。いつか許してくれて、また一緒に色んなところへ行けるようになりたいから、戻すんだ。でも、もし近くにいたことがバレたら嫌だから、本当に言うなよ」
キルターンの本音なのだろう。狂った人だけど、リュカを想う気持ちはきっと本物なんだと思った。
しみじみしていると、鼻をつんとした臭いがさす。それになんだか煙たい。
時計の方を見ると、そこには真っ赤な炎に包まれてなお針を戻し続ける時計の姿があった。
「ネぇ、キルターン? 時計が燃えてるワ‥‥」
呆然とするカリンカの声に、キルターンも呆然として返す。
「燃えてるねぇ」
「ちょっと! 燃えてるねじゃないよ!」
落ち着いているのか放心しているのかわからないが、時計をただ眺めている二人を残して、私は火だるまに駆け寄った。
どういう理屈だか、噴水が若干戻っていたのでその水を手で掬って時計にかける。チュンッという高い音を立てて水はすぐに消えた。
「ねぇ! やばいよ! これもいつものことなの?」
「ううん。いつもは燃えない。‥‥どうしようか」
キルターンは真顔でフリーズしたまま言った。カリンカは言葉もなく震えて、ぷくぷくと手書きの口元から毛糸の泡をはいている。
この二人は役に立たない!
私がなんとかしなければ‥‥。
「なんなの!? もう!」
私は必死で噴水の水をかけ続けた。金属に水は駄目だと思うけど、火が出ている以上仕方ない。
この子が燃え尽きてしまったら、リュカの蘇生が中途半端になっちゃうかもしれないじゃない!
それにこの子だって一生懸命嫌なことをした結果こんなことになっちゃうなんて、あまりにも可哀そうだ!
私は噴水の水を全部使う勢いでかけまくる。やがて、火は少しずつ勢いを弱めていき、火が完全になくなる頃、時計も動きを止めた。
時計は最初真っ黒いタキシードみたいなものを着ていたのに、衣装はすべて燃えてしまって、今は金属の部分だけが残されている。しかしよく見ると彼は全身がほとんど金属でできていたらしい。
煙の上がるボディと細い腕、円形上の頭部を真っ黒に焦がしてはいるものの、形は保っているし、動いている。少し、腕が曲がっているけれど、きっと大丈夫だろう。
それでも試しに水をかけるとまだじゅうじゅう鳴るので、私は音がしなくなるまでかけ続けた。
「大丈夫?」
「ケケ‥‥」
喋れるみたいだ。けれど、時計はその場で座り込んでしまった。
「時計、無茶させてごめんね」
見上げるとキルターンが眉を下げて立っていた。大切そうに時計を抱き上げると、カリンカも追いかけてきて彼の肩に乗った。
「じゃあ、俺はもう行くよ。リュカも戻ったし、時計も直してあげたいしさ」
「キルターン‥‥リュカのこと、ありがとう」
今までのことがあって、つい呼び捨てにしてしまったけど、キルターンは気にしていない様子で笑う。
「君にお礼を言われる筋合いはないよ。リュカを戻したのは俺のためだし。そうだ。忘れてないよね? リュカが自分で気付くなら仕方ないけど、君が俺のことを言うのはナシだからね」
「わかってるよ。‥‥ありがとう、カリンカちゃん。時計も、リュカを戻してくれてありがとう」
黒と赤の人形は私に手を振ってくれた。
キルターンはそんな二人と一緒に庭の向こうへ歩いて行く。段々とその姿が蜃気楼のように消えていき、とうとう見えなくなった。
私は一人残されて、しんとした中庭でぼうっとした。まるで嵐のようだった。




