16話-2 本契約
目の前が真っ暗になったが、魔人は構わず話を続ける。
「助ける、であればローベルトが死に、今後は契約が続く限りわしは契約者である主を守らねばならんからのぅ。もう叶えたも同然じゃ。が‥‥しかし、それではお主があまりにも哀れよのぅ。助けるの定義をちと広ぅしてやる」
なんとかそれを聞くに努める。
絶望の中でどれだけ理解できたかわからないが、魔人は丁寧に話してくれたから、なんとかわかった‥‥と思う。
私の願いは“私を助けること”。これは魔人と契約をすればどのみち叶うほとんど意味のない願いだった。
でも魔人はこれを“私をもとの世界に戻す”ことが最終的な助けになると拡大解釈してくれた。
結果的には良かったのかもしれないが、良い方向に向かったのはあくまで魔人が条件を譲ってくれたからだ。
リュカを生き返らせることはできなかったし、やっぱり私は私のことすら満足に助けることができないのだと痛感する。
「では、次にわしじゃな。前に言った通りじゃ。探したい者がいる。そやつに会えるまで貴様と契約を結びたい」
「その探し人って、どんな人なの?」
「主と同じく異世界から召喚されてきた者よ。そやつだけではないがのぅ」
「私以外にも、召喚された人がいるの‥‥? しかも‥‥生きてるの?」
この城で召喚された人はみんな殺されていると思っていたから、もしそうじゃなくて生きている人がいるなら会ってみたい。
「生きてはおらんかもしれんのぅ。最後に会ったのは百年ほど前じゃ」
その言葉にまたがっかりする。
「絶対に死んでるじゃない。‥‥会えなかったらどうするの? 貴方の目的が達成できなきゃ、私帰れないんでしょ?」
塔での会話だと、確かそんな感じだったはずだ。
「じゃから決めるのよ。とはいえ、わしの目的はこの世界中をくまなく見て回るようなものじゃからな。‥‥そうだのぅ。せいぜい、十年じゃの」
「十年?」
「そうじゃ。今より十年の間でわしの探し人が見つからんかった場合、わしは目的を諦めよう。十年の期限後、主をもとの世界に戻す方法がわかっておればその場で帰す。もし方法がわかっておらんかったらその後は貴様を帰す方法を探すことにのみ注力しよう。貴様を帰せるのに帰さんというのはペナルティとする。これでどうじゃ」
悪い条件には聞こえない。けど、しっかり考えなければと頭を働かせた。味のしないキャンディをころころ転がす。
そうだ。
「もし、百年後も方法がわからなければ?」
「つまり主が寿命で死ぬまで、ということか?」
「‥‥寿命じゃなくても、死ぬまで!」
魔人は不敵に笑んだ。
「その時は契約の不履行。ペナルティじゃ。しかし契約者が死んでおるなら、その時受ける罰は‥‥そう、おそらくわしの死じゃな」
「そうなったら、私は帰れないってこと‥‥?」
「その話をしておるつもりじゃが」
「やっぱり、帰れないかもしれないの‥‥?」
ここまできて、リュカを失って、魂を担保に契約までして、それでも帰れないなんてことが起きたらどうしよう。
不安を吐き出したくて見た魔人は腕を組んで真剣な表情をしている。だからか、魔人が動き出すのをじっと待ってしまった。
「‥‥召喚は基本、対象を詳細に選ぶことができんのじゃ」
「え?」
「それをローベルトは”魔力のない世界”からの召喚程度には絞り込めておったようじゃがの。召喚というものはいうなればランダムでな。誰がいつどこへ召喚されるかなどわからんものなのだ」
「そんなの‥‥。けど、聞いたこともないのに」
もし世界中でそんなことが起こっていたら、ニュースになるはずだ。約250名もの人が乗った飛行機がいくつも消えたら、耳に入らないはずがない。
「普通召喚は魔力のある者同士の間でしか起こりえんはずじゃ。召喚されそうになったとしても、力ある者であれば召喚術式自体を無視できる。しかし魔力のない者には召喚術を察知することも回避することもできん。貴様らのようにな。普通はそうならんよう、世界の理が働いておるはずなのじゃ」
「‥‥」
理屈はいまいちよくわからないが、普通は起こらないことだとしたらなぜ起きたんだろうか?
「貴様らを召喚”できた”理由は正直わからん。ローベルトの奴がよほど上手くやったのか、それとも世界の理が欠けとるのか‥‥」
「‥‥」
「召喚の対をなす送喚術というのがあってな」
「そうかん‥‥じゅつ‥‥?」
「そうじゃ。呼び出された悪魔は魔力による世界との紐づけがあってな。それを用いて元の世界へ帰すことができるのよ。一度呼び出した悪魔とは契約を交わせば次も同じ個体を呼び出せる。必要な時に呼び、不要なら帰す。呼ぶことを召還。帰すことを送喚と呼ぶ」
つまり、私も‥‥?
「私も、その送喚術で帰れるの‥‥?」
「と、思うとる」
希望は、あるのだろうか?
しかし魔人はそこで腕を組みなおす。
「送喚術式自体は存在するで、ある程度の目途がたとうがな。魔力のない貴様らがどうやって世界と紐づいておるかが分からんのだ。もしかしたら戻る世界を選べん可能性もある。つまり、帰れたとしても帰る先がランダムになる可能性が高いということじゃ」
「帰る先がランダム?」
「魔力の紐づきでは時間も紐づいておるものなんじゃが、しかし貴様にその紐づきがなければ‥‥。例えば、貴様が生きた時代の数百年後、もしくは数千年前。そもそも同じ世界に帰れるかどうかもわからん。貴様が生まれなかった世界に送り届けられるやもしれん」
「じゃ、じゃあ‥‥」
私が元の世界へ帰る方法って、ほぼゼロってことじゃないの‥‥?
私が帰れなければ、寿命がくるあと百年足らずで魔人も死ぬ。
意味が分からず、魔人を見つめたが、絶望する様子もなく笑っている。
「なんじゃ?」
この契約をする魔人側のメリットが思い浮かばない。
魔人側に圧倒的に不利な条件で契約を結ぶなんてことあるわけない。
きっと、まだなにか隠している、私に言っていないことがあるに違いなかった。
「だ、騙されない。そんなこと言って、あるんでしょ? 何か方法が」
「ほぉ」
「馬鹿にしないでよ。今のままじゃ貴方だってあと百年の命なんじゃない。なら、あるのよね? 方法が」
私の読みは当たり、魔人はにんまりと唇を広げた。
やっぱりね、と思ったが、しかし答えはそこまで芳しくなかった。
「今のところ方法は知らん。これは真実じゃ。しかし、今のところ、じゃ。安心せい。貴様は帰れよう。寿命が来るまでには必ずな。案ずる必要はない」
「どうしてそんなこと言えるのよ? 今さんざん無理だって、難しいって話したくせに。未来でも視えてるの?」
「そんなもの視えておらん」
それだけ言うと、魔人はどこか遠くを見つめるかのように目を細め黙ってしまった。なんとなく口を出すべきではないような気がして、私も黙る。
魔人の視線の先を追ったがその先にあるのはただの壁だった。やはり、未来でも視ているんじゃないかという気がしてきた。
「そうなると予想しておるのだ」
しばらくの後、魔人は静かに言った。確実な勝算ではない。
でもその声は私を騙そうとか、適当なことを言っているとか、自暴自棄になっているようには聞こえず、不思議と確信めいたものを感じた。
しかし、それをうまく言葉にできず私は口を尖らせた。
「じゃあ、なんの根拠もないじゃない。私、おばあちゃんになって帰るのなんて嫌よ‥‥」
「そうだの。‥‥そうじゃ、貴様が送喚術を学ぶという手もあるな」
「え?」
「それがよいのではないか? 魔術を学べば己の身を護る術も手に入る」
いいことを思いついた、とでも言いたげな魔人を睨む。
そんなこと言われても、そもそもその魔術を使うための魔力がないんでしょうに。
「魔力もないのにそんなのできるわけないじゃない」
「魔石を使うのじゃ。魔術は基本、少ない魔力を補い効率よく魔法を扱うために人間が編み出したものじゃからな。術式さえ間違えなければ、魔石を用いた魔術ならば扱えるようになるやもしれんぞ」
「そうなの?」
魔人は頷く。
私でも、魔術が使えるようになるのだろうか。それはちょっと‥‥わくわくするかもしれない。
そんな私の様子を見てか見ないでか、人外は愉快そうににやりとする。それから、軽く膝を叩いた。
「そうじゃそうじゃ。大事なことを言うのを忘れとった」
「なに?」
「わしの呪いについてはあの晩話しておらんかったな」
「呪い?」
魔人はにんまり笑っている。
「わしはの、呪いを受けておる。永遠に満ちることのない飢えの呪い‥‥いや、満ちるまで喰うたことはないからの。食欲の呪いというた方がええかのぅ」
「ずっとお腹がすいてるってこと?」
「そうじゃ」
「今も?」
「今は多少満ちておるぞ。ここ数日はカロリーと魔力量の多い人間の肉体を存分に喰ろうたでの。腹六分目といったところか。久々じゃのぅ、この感覚は」
魔人が満足そうに眼を閉じて笑うと、なんだか眠たいときの猫みたいに見えて少し可愛いと思えた。言っていることは物騒なんだけども。
「ん?」
そうだよ。物騒だ。
「人間を食べると、いいの‥‥?」
「魔力変換という意味では効率がいい。人間は魔力がなくともカロリーが高いからのぅ」
くっくっくと喉を鳴らして笑うが、全然笑えない話だった。
「我が胃はこの世のすべてを消化し、それらを余すところなく完全に魔力変換できる。その魔力でわしは生きておるわけだが、なに分呪いじゃからの。わしの肉体を維持するだけでも相当な魔力を消費しておる。こうやって歩き回り働いておればなおさらよ。通常の食事であれば常に喰っておらんとまるで足りん。‥‥喰っておっても足りんかったな」
「でも、今は食べてないし、旅の間ってそんなにいつもは食べれな‥‥。まさか人を‥‥?」
出会った人を片っ端から食べるつもりだろうか?
そんなことしてほしくない。
「腹が減れば人ももちろん喰うじゃろうがの。主は、殺人は嫌か?」
そんなの当たり前だ。出会う人々を殺し、食べるなんて、そんなことされるのは嫌に決まってる。だってそんなの殺人鬼と変わらない。
魔人にとっては人を殺すことなんて当たり前のことなのかもしれないけれど、私にとってそれは普通じゃない。
‥‥まだ。
「嫌」
「であればどうする。ローベルトのような輩も少なくはないのだが、そやつらも生かすと?」
「‥‥」
そうだ。ローベルトみたいな最悪の殺人鬼ならむしろ殺さなければ私の命が危ない。‥‥野放しにしておけば、リュカのような犠牲者もでるかもしれない。
「この世界には夜盗や盗賊、暗殺に長けたものや残酷な嗜好の者も山ほどおるぞ。奴らと対峙した時、主はどうするつもりじゃ。殺すなと言うなら殺さんが、するとどうかのぅ。わしが使える魔法はあまりない。魔法はコストが更に高く腹が減るからのぅ。本来ならば使いたくはないのだ。そうなれば貴様を守り切れんかもしれんぞ」
それは困る。
私は死にたくはないし、ローベルトみたいな悪い人たちのことは許せない。許したくない。
なら‥‥。
「悪い人たちだけ、っていうのは?」
ローベルトみたいな人たちなら、殺したって仕方がないんじゃないだろうか?
「それはわしらを襲う愚か者と言う意味かのぅ」
「うん。そう‥‥。でも、一度は話して、説得してほしい‥‥かも。それでもローベルトみたいに悪い人だったら‥‥仕方がない、と思う。思うことにする」
「よかろう。そうするとしよう。しかし、それでは道中どうしても魔力が足りなくなるだろうの。人が喰えんのであれば魔獣や魔物を狩る必要があるが、それは良いか?」
「ま、魔獣‥‥? なにそれ?」
聞いたことくらいは、あるかもしれない。映画とかで。
響きからなんとなく分かるが、どういうものなのかは想像しかできない。




