16話-1 本契約
「まだ埋めておらんかったのか」
顔を上げると、傾いた日差しの中にあきれ顔の魔人が立っていた。私と目が合うとにやりと笑む。
「埋めんなら喰ろうてええか」
「ダメに決まってるでしょ!」
「ふん。数日のうちにここを離れるでの。それまでに別れはすませておけ」
そしてまたどこかへ行ってしまった。一人になり、妙に頭がさえてきた。地面に横たわったリュカを見る。
確かに、はやく埋めてあげないと可哀そうだ。
私は日が暮れるまで必死になって土をかいて、ようやくリュカを埋めた。低木に咲いていた花を摘んで墓標がわりに添える。
どうかリュカが安らかに眠り、夢の国に帰れますようにと願った。
すべてが終えても、私はその場を離れられずにいた。墓前に座り込み、疲れから眠気が襲ってくるとその場で横になった。
どのくらいそうしていただろう。ふと目覚めると辺りは暗くて何も見えない。見えないけれどわかる。ここは地下の会場だと。
なんでここにいるんだろう。中庭にいたはずなのに‥‥。
ああ、そうだ。あのあと、私はリュカを探しにここまできたんだ。そしてまた眠ってしまった。
探さないと、と思って体を起こした。寝台から降りると床がぬめり、滑りそうになる。思わず寝台にしがみつくと、そこには誰かが寝ていた。
今、私がおりたばかりなのに。一人用の寝台なのに、これは、誰?
なぜか突然理解した。これはリュカだと。
「‥‥リュカッ!」
見つけたと思ってその軽い体を手繰り寄せる。真っ暗の中、手繰り寄せたリュカの顔は、かおは‥‥。
「いやぁああああ!!」
叫び、目を覚ますと、そこはベッドの上だった。
視界に移る天蓋は昨日とは違う模様をしている。
呼吸を落ち着かせているうちに、なんの夢を見ていたのか思い出せなくなった。ただ、不快な感情だけ覚えている。
昨日は中庭であのまま寝てしまった気がする。
そうか、魔人が私を運んでくれていたのねとようやく思い至った。
「さて、小娘。契約の内容を話すとしよう」
穏やかな声の方へ視線を向ける。ベッドサイドに置かれた椅子に腰かけた魔人が、にんまりと笑っていた。
契約の話をする、と言われてもピンとこない。契約ならもうすでに済ませたはずでは? と思い返す。
「ほれ」
ぼうっとしていると、魔人が手を差し出した。何か持っていて、手渡そうとしてくる。
「なに?」
「いいから、起きて飲め」
起き上がり見てみると、ミルク入りのマグカップだった。もうずいぶん冷めているけど、ホットミルクだったようでまだぬるい程度には温かい。
「いいから飲め。結局昨日もまともに食わんかったじゃろう。それで有利に交渉事ができるとでも?」
魔人のいうことは無視して、ミルクを小さく啜る。
おいしい‥‥。
おいしい!
はちみつでも入っているんだろうか? 甘くて、優しい味がした。
私は夢中でごくごくと喉を鳴らして飲みほした。まったりしたミルクの味わいが胸にじんわり広がっていくと安心する。
安心して、だからか、じわじわと悲しみが胸を覆っていく。
「わ、私‥‥」
じわじわ涙があふれる。
「ああ?」
魔人が不機嫌そうに顔をしかめた。
「リュカが‥‥」
その名前をつぶやいた瞬間、ため息とともに魔人が大きな声を出す。
「まぁだ言うか! ええい、めんっどうな。小僧が一人死んだくらいでいつまでもめそめそと。いい加減にせい! 鬱陶しくてかなわんわ!」
それにつられて、私も大きな声で叫び返した。
「だって、私のせいでリュカが死んじゃったのに! 私がもっとはやくあなたと契約してたら、リュカは死ななかったのに! 私のせい、わ、わたし、のぉ‥‥っ! わぁ、あああ、ああぁ‥‥!」
大きな声を出して泣いた。手からマグカップがごろりと落ちる。
抑えきれない感情が濁流のように押し寄せてくる。魔人はそんな私を一蹴するように鼻で笑った。
「はっ! くだらん。自分の命一つで満足しておればよいものを。そもそも、主が殺したわけではないわ。ローベルトがやったことじゃ」
「私を助けようとして殺されたんだから、私のせいでしょぉ。しかも‥‥あんな、ひどい死に方で‥‥! 目がなかった! 内臓がなかった! 優しい子だったの‥‥! なのに、あんな‥‥あんなっ! ひどい、ひどいよぉ‥‥!!」
あんなむごい殺され方をするような子じゃなかった。あんな拷問のような殺され方をするような人じゃなかった。
むしろあんな殺され方をすべきはローベルトや三人の男たちの方だったのに。彼らは一瞬で死ねたんじゃないか? 昨日の壁のように。
彼らこそ拷問でもされて、辛い思いをすればよかったのに。今まで殺してきた人たちの苦しみの分も苦しみぬいて死ねばよかったのに。どうしてそうならなかったんだろう。
どうして何もしていない私たちやリュカがこんな目に合わないといけなかったんだろう。
そう思うと悔しくて、腹が立って、恨みの気持ちが湧いてくる。今となってはどこにぶつけたらいいのかもわからない感情だった。
「なんで‥‥っ」
会場から私を逃がしたあと、リュカはいつまで生きていたんだろう?
しばらくの間、私の体は勝手に動いていた。痛みが出たのは通路を抜けたあとだった。
あの時だろうか。
リュカが死んだのは、あの時だろうか?
ならそれまでの間、彼は痛くて苦しい拷問に耐えていたはずだ。きっと私を逃がすために、リュカならそうしただろう。
目をえぐられる痛みがどれほどかわからない。腹を裂かれる痛みも、内臓を取り出される痛みもわからない。
きっと手のひらを刺される痛みなんかよりずっと、ずっと!
想像を絶する痛みだっただろう。苦しみだっただろう。それでも私を救うために、きっと最期まで頑張ってくれた。
だってそういう子だったじゃない!
そう思うと本当に苦しくて、悲しくて、つらくてたまらなくなる。
「泣くなというに!」
ベッドの上でうずくまってわんわん泣く私を、魔人は乱暴に転がして覆いかぶさってきた。
「いつまでそうやって泣いとるつもりだ? お主には泣く前にやることがあろう? 契約を進めねば、わしはいつまでたっても自由になれんのだ。ああ、腹が減る。この城にはもう食うものがほとんどないからの。もう待てんのだ。早ぅ覚悟を決めよ!」
見上げた魔人の口はサメみたいに尖った歯がいっぱいだった。
喋るたびに見える口の中、歯の向こうにも歯が見えた。何重にも生えた歯が喉の奥まで続いている。
腕が何本もあるだけじゃない。本当に人間じゃないんだ、と理解する。
けど、怖くなんかなかった。虚勢かもしれないけれど、けれど本当に怖いと思わなかった。
リュカと一緒に地下の牢屋を見に行った時の方がずっと怖かったから。
リュカが死んだことのほうが、ずっと怖いから。
「リュカ‥‥っ」
「ああ、やかましいのぉ。これ以上泣くなら食うぞ」
「う、うぅっ!」
そんなことを言われたって、悲しいのは止まらない。それにこれまでさんざん怖い思いをしてきて、今更あんたの脅しなんか効かないと私はやけになって泣き続けた。
そんな私を見て、魔人は感心したようににんまり笑う。
「ほう。泣き止まんか。ならば本当に食うぞ。小僧が命を懸けて助けたその命すら無駄にしたいなら泣き続けるがいいわ」
「‥‥!」
そんなことを言われたら、泣き止むしかなかった。
リュカのしたことが無駄になる、それは今の私にとって一番嫌なことだった。リュカがしてくれた全てを肯定したかった。
涙を止めようとするが、けれど簡単に止まるものじゃない。それでも必死に鼻をすすり、涙をこらえる。
そんな私の様子を見て、魔人は納得したように鼻を鳴らし椅子に座りなおした。
「よし。では契約の話をするとしよう。良いの?」
「‥‥はい」
できるだけ落ち着いて私は魔人の話に耳を傾ける。
リュカが助けてくれた私なんだから、つまらないことで死んじゃだめだと思った。
「まず、現状わしらは仮契約状態じゃ。ここから細部を決めた後本契約ということになる」
「仮契約‥‥。細、部?」
「前にも言うたじゃろう。細かなことは後で決めると。聞いておらんかったか」
聞いていなかった。そんなこと言っていたっけ?
魔人の顔を見ると「‥‥ああ、全く」とぼやかれる。
「よいか? 今のままではわしは主を騙し、いたずらにこの世界に繋ぎ止めることもできる。それは嫌じゃろう?」
「‥‥ペナルティがあるって言った」
「ほう、よく覚えておった。偉い偉い」
子供のように頭を撫でられて、むかっとする。
「そのペナルティが下るも下らんも契約次第じゃ。例えば、そうじゃな‥‥。わしの探し人が明日見つかったとしよう。すると、貴様の願いはいつ叶う?」
「‥‥明日」
「しかし、わしは貴様を帰す方法を知らんのだぞ? するとどうなると思う」
「あなたがペナルティを受けるんでしょ!」
なにをわかりきったことを! と怒鳴った。すると魔人が喉を鳴らして笑う。
「なによ。違うの?」
「違うな」
「‥‥あなた、私に嘘をついたの? 本当はペナルティなんかないの?」
怒りが消え、不安と恐怖が湧いてくる。それにつられて、消えた怒りの火が燃え上がってきた。
魔人はにんまり笑っている。その顔も殴ってやりたくなる。
「嘘はついとらん。言うたじゃろう? 騙すならという話じゃ。そう怒るな。いや、今の貴様は怒っていた方がよいかもしれんな」
「なんの話してるのよ‥‥」
「期限を決めねばならん。わしの目的の期限。貴様の願いの期限じゃ」
「‥‥期限?」
魔人は頷いた。
「もし明日わしの目的が果たされたとして、しかし貴様の願いは百年後に叶えられたとする。今のままではそれでもわしはペナルティを受けんでよいということになるのじゃ。わかるか?」
「‥‥なんで?」
「今のままでは最悪、貴様が老衰で死ぬ直前に叶えればよいということじゃからのぅ」
「だから、なんで! そんなの、契約じゃないじゃない‥‥っ」
怒鳴る私の口の中に何かが飛び込んでくる。布団の上に吐き出すと、それはキャンディだった。新しいキャンディを魔人がもう一つ私の口にねじ込む。
「いや、契約じゃ。契約時に決めておらねば、万が一そうなってしまっても文句が言えんのだ。それは嫌じゃろう?」
口の中にキャンディを含ませたまま、私は頷く。
「じゃから、細かく決めるのよ。わしにも、貴様にも不利にならんようにな。さて、貴様の願いは‥‥」
そこで気がついた。
そうだ、願いがあった。魔人に願ったものは叶えてもらえる。
なら、リュカを生き返らせてって願えばいいんだ!
私は身を乗り出して叫んだ。
「リュカを‥‥っ! リュカを生き返らせて! それが願いよっ」
しかし、魔人の返答は私の期待を、唯一の希望を一気に谷底へ突き落とすものだった。
「それは無理じゃの。貴様の願いは“助けて”じゃからのぅ。あの時貴様はそう願い、口にしたじゃろう。これは今更変えようがないでのぅ。‥‥あの小僧の蘇生は諦めよ」
私は全身から力が抜けた気がした。せっかくの希望も絶望へと変わってしまった。私は唯一の蘇生の術を失ってしまった。
リュカは生き返らない。




