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15話※ すべてが終わり、朝が来る

軽度のグロテスク描写があります。

(死体が出てきます)


軽度ではないと思われた場合お知らせください。

 穏やかな光の中で目を覚ました。


 視界には天蓋がうつり、開けられたカーテンから朝の光が差し込んでいる。体を起こすと、ふかふかのマットがぎっと軋んだ。


 いつの間にベッドに入ったんだろうと考えて、自分からここにきたんじゃないことを思い出した。だって私にはあの場所から動いた記憶がない。

 なら誰が私をここへ運んだんだろう。


 ここはどこだろう。

 あれからどのくらい経ったんだろう。

 もう安全なのだろうか。


 疑問が浮かんでは泡のように消えていく。


 眠ったからだろうか、少し残っていた体の痛みは気にならなくなっていた。

 すべてが夢のような気がした。


 ‥‥そうであってほしかった。


 ベッドの上で上体を起こした私の視界には茶色く汚れ、血や汚物にまみれた体がうつる。

 ああ、やはり夢ではないのだといまだ夢心地の中で、どこか他人事のように考えた。


 かと思えば、これからどうしたらいいのだろうか? と妙に現実的にもなる。


 ナイフで何度も刺された手のひらは何事もなかったように傷一つない。ただ血まみれなだけ。

 痛みは思い出せるが、それもどこか遠い記憶の中にあるような気がした。


 現実逃避するように、何も考えず手を握ったり開いたりする。乾いた血はべたべたとしていて不快で、なぜか指が震えた。


 渦を巻くような胸中。

 なにが混ざり合っているのかわからないほどの混乱。平静でいるかのように静かに座っているが、まるで平静でいられない心の中。

 今にもパニックを起こしそうだ。


 穏やかさを求めて視線を窓へ泳がせる。

 窓の外は冴え渡るような青空が広がるいい天気で、その中を鳥がどこかへ飛んでいくのが見えた。私の中にある不安などまるで知らない世界の様子に、少しだけ気持ちが晴れる。


 前にも、こうやって目を覚ましたことを思い出す。

 あの時は夜だったけれど、今は日が昇っている。あの時はリュカがいて、起きた? って顔を覗き込んできたけれど、今は誰もいない。


 そうだ、リュカは‥‥?


 思い出した途端に胸の中が一気にざわついた。

 部屋を見渡すが、リュカがいない。魔人もいない。


「リュカ‥‥っ」


 魔人が、リュカをどうにかしたかもしれない。そう思うと居ても立ってもいられなくなって私は急いでベッドをおりた。


「痛っ‥‥!」


 体重をかけた足が突然痛み、体を支え切れなかった。床に雪崩れるように落ちて尻餅をつく。とっさに掴んだ布団が降ってきた。


 布団から這い出る時もやはり足が痛んだ。

 脛というか、膝というか、足首というか‥‥。筋肉痛に、打ち身による痛みが追加されたような感覚だった。

 安静にしていたから大丈夫だっただけで、すべてが治ったわけではなかったのだ。


 そう、すべてが現実だ。ようやく目が覚めた。


「ぅ‥‥あ」


 しばらく動けずにいたが、じっとしていると痛みは引いていく。完全にはなくならなかったが、だいぶマシになった。


 痛みが引くと、頭の中はリュカのことでいっぱいになる。


「リュカは‥‥」


 まだ、地下のあの場所にいるんだろうか?


 進みたかったけれど、とても立ち上がれそうにはなかったから、座ったままの格好で、少しずつ部屋の出口へ向かって這いずっていく。

 出口と思わしき扉へ向かう途中、ソファとテーブル一対が置かれた一角が視界に入った。


「あ‥‥っ」


 視線を向けて、安堵のため息が漏れる。

 一人掛けのソファにリュカが座らされていた。ベッドの上からだと背もたれが死角になって見えなかったようだ。


 リュカはソファの背もたれに深々と体を預け目を閉じている。その体には毛布が掛けられていて、顔に血の跡がなければまるで寝ているように見えた。


「よかった‥‥。食べられてない‥‥」


 魔人がこうしてくれたのかと思うとなんだか妙な気分だけど、食べられていなくて心底ほっとした。


 近づくと、眠っているのではなくやはり死んでいることがわかる。もとから不健康そうな顔色をしていたのが、さらに悪くなっていて、まるで土でできた人形のようだった。


 そうだ。リュカは元は人形だったのだから、もしかしたらこれも実は人形で、今度は夢の中に帰る準備でもしているんじゃないか。


 期待して毛布をひっぱり落とす。ボロボロに切り裂かれたシャツで隠されているものの、破れた裾から内臓が空っぽになったお腹が見える。

 人形を器用に操っていた手のひらに触れると、それは陶器でも土でもなく乾いた人の手だった。冷たくて、固くて、血でべたついていて、まるでリュカのものと思えないが、これはリュカの手なのだ。


 リュカは死んだ。


 実感してからまじまじと見る血まみれの死体はひどい状態だった。

 眼球がないために落ちくぼんだ目蓋はうっすら開いているし、内臓が取り払われた体は背骨とわずかな肉だけで上半身を支えていて不安定だ。


 私が痛くて苦しくてつらくて、嫌だといった死に方そのものだった。


 こんな風になりたくなくて、泣き喚いてわがままを言って、逃げて、それにリュカを付き合わせたのに、私を守ってくれた彼にはこんな死に方をさせてしまった。


 冷たい手を撫でる。


 こんなにグロテスクな死体なのに、地下で見た光景とほとんど変わらないのに、こわくないのはこれがリュカだからだろうか。


 いつまでもどこまでも一緒に来てくれると思っていた。ここから逃げて、そのあともリュカと一緒に行けるものだと思っていた。

 だけど、それは叶わなくなってしまった。


 しばらくそうしていたが、やがていつまでもこうやっているわけにもいかないと考える。


「きれいにして、埋めてあげなきゃ‥‥」

「埋める? 本気か、小娘」

「!」


 声に驚き振り向くと、いつの間にか魔人が私の真後ろに立っていた。魔人はしゃがむと手にしていたお盆をテーブルに置く。

 お盆の上には湯気の上がる蓋の掛けたティーポットにカップ、サンドイッチが乗っていて、魔人はサンドイッチの一つを差し出してきた。


「食え。飲め。貴様ろくに食事を摂っておらんだろう。これからここを離れるという時に、貴様に倒れられたら困るでの」


 相変わらずのにんまり顔で魔人が言う。


 言われて、記憶を辿る。最後にきちんと食べたのは一昨日だ。

 修学旅行で宿泊したホテルのビュッフェ、独特なスパイスが苦手であまり食べれなかった。飛行機に乗ったあとペットボトルの水を飲んだ。

 それきり、確かに何も口にしていない。


 けど、まるでお腹がすいた気がしない。喉は乾いているけれど、それでも今は何も口にする気がしなかった。


「‥‥食欲なんか」

「ふん。食わねば小僧を埋める穴すらろくに掘れんぞ」


 言われて、そうかと考えた。なら、食べなければ。


 差し出されたサンドイッチを口に詰め込み、ろくに噛みもせず呑み込もうとして詰まらせる。

 胸を叩き、えずくが出てこない。苦しい。


「世話の焼ける」


 魔人に背中を叩かれ、詰まっていたサンドイッチが口から出て床に落ちる。拾って食べようとすると魔人がそれを取り上げた。


「落ちたものなど食えば簡単に病にかかろう」


 そう言って、魔人は私の吐き出したサンドイッチを食べてしまうと、新しいのを皿からとって私に差し出した。


「よく噛み、ゆっくりと食え」


 それを受け取り、私は一口齧った。

 味がしないと思っていたが、言われた通り何度も嚙んでいるとじんわり甘く感じてくる。ああ、これはチョコレートだと思った。


 カップを差し出され、一気に飲み干す。温かな紅茶が喉を通り胃に落ちると、冷えた体が温まってくる。また、サンドイッチを齧る。


 機械みたいに食事をする様を魔人に見張られていたが、そんな視線気にならなかった。私はリュカのことばかりを気にしていたから。


 最後の一口を飲み込み、紅茶を飲み干し、食事が終わった。さて、穴を掘りに行かなくちゃとリュカに手を伸ばしたところで頭を掴まれる。


「さて、食ったらば体を洗え。血にまみれておると貴様らは病にかかろう」


 伸ばした手をおろす。確かに、べたべたする血液まみれの体は洗いたかった。

 だけど、リュカから目を離せば魔人が食べてしまわないだろうか。私は魔人とリュカを交互に見た。


 その様子から心を読んだのか、察したのか、魔人はあきれたようにため息をつく。


「食わんから安心せい」

「‥‥本当?」

「食わん」


 その言葉を、魔人のことを、信用するわけではないが、私が寝ている間も食べずにいてくれたのだから、今は信じるしかない。

 なんだか矛盾した気持ちだけど、食べ物を口にして少し気分が変わったのかもしれない。


 魔人に言われた方へ這って行く。


「そういえば、足が悪かったのぅ」

「あっ」


 私の体が浮いた。魔人の四本の腕に抱き上げられたのだ。


 魔人に抱えられながら部屋の中を見渡す。ベッドわきの扉の先は浴室になっているようで、そこには猫足バスタブがあった。

 水をはったバスタブに服のまま落とされる。


「きゃっ」


 ざぶんと揺れる水は冷たい。


「できるだけ血を落とせ」


 そう言って、魔人は目のまえに大きな鏡を置いた。鏡にうつる私は全身が乾いた血にまみれていて、茶色い絵の具で塗りたくられたみたいだった。


 水がしみ込んだ服は脱いで、顔も髪も全身を手のひらでこする。バスタブはすぐに赤茶に染まった。


「ほれ小娘。これを持て」


 どこに行っていたのか、しばらくして戻ってきた魔人から差し出されたのは、薄緑色に光る石だった。私が手に取ると石の光は増し、足の痛みが引いていく気がした。


「これ、そっか。ケガが‥‥治るんだ‥‥」

「そういう魔石じゃ」

「! これ、リュカにも使ったら‥‥!」

「死者は生き返らん。さぁ、まだ髪に血がついておるぞ」


 魔人は手桶で赤い水を掬い上げ、私にばしゃばしゃとかけた。そして「こんなものか」と言い残すと、隣の部屋へ行ってしまった。


 赤く染まった水の中、手のひらの中で緑色の光が強くなったり弱くなったりを繰り返していた。これで私の手の傷も治ったんだ。こんなに不思議なものがあるのに、それなのに‥‥。


 死んだ人は生き返らない。


「うっ、ぅう‥‥うぅー‥‥っ」


 魔法のある世界だから、死んだなんてことくらいなんとかならないのか、なにか手立てがあるんじゃないかと期待していた。なにか、希望があるはずだと。


 私の手も腕も足の傷も治ったのに、なぜリュカが治らないのだろう。生き返らないのだろう。

 夢の国は何をしているんだろう? このまま何もしてくれなんだろうか?


 お願いだから、誰でもいいから、リュカをもとに戻してほしい。


 しくしく泣いていると、隣の部屋から魔人の声がした。


「はよう出んと小僧を食うぞ」

「だめぇ!」


 急いでバスタブを飛び出た。体はもうどこも痛くなかった。

 部屋の中、魔人はカーテンを引きちぎって食べている。リュカは無事だ。


「小娘。恥じらいはないのか」


 裸で飛び出した私を見て、魔人はあきれているようだった。

 そう言われても何も感じないのが不思議だった。裸ならさっきも見られたし、それに今の私には自分の姿を恥じらうなんて感覚が頭のどこにも存在しないように思えた。


 頭の中は悲しみと寂しさと不安と‥‥いろんなもので一杯で、だけどとても空っぽだった。


「あの部屋にタオルも服もあったじゃろう。着てこい」


 言われるまま、用意された服を着て戻ると、魔人が何かを抱えている。それは布団に包まれたリュカだった。


「埋めるのじゃろう?」


 頷いた私を見て、何が楽しいのか面白いのか笑い顔の魔人は歩き出した。私は黙ってついて行く。


 同じような景色の続く廊下に出て、魔人が壁に向かって足を止める。次の瞬間、目の前の壁に私たちが余裕で通り抜けられるくらいの大穴が開いた。音もなかったし、破片も落ちていない。

 驚く私を置いて、その穴をくぐり魔人は歩いていく。


 迷路のような城の中を、魔人は壁に穴をあけてショートカットして進んでいった。私も後をついていく。

 そして行きついた先、そこは最初に飛行機から降りた場所、中庭だった。


 壁に囲まれて日当たりが悪い中、光の当たる噴水はきらきらとした水を噴き上げている。あの夜と何一つ変わらない中庭。あの夜に戻れたら‥‥と考えかけて、考えるのをやめた。


 戻らないものをどうこうしようなんて、もう考えるのは良そうと思った。


「どれ、これも手伝ってやるかの」

「‥‥?」


 瞬きの間に、噴水が地面ごとえぐれて消えた。


 魔人は何か呪文を言った風でもないし、なにかしたようには見えなかった。ここまで来るのにもこうやって物を消していたし、それがずっと不思議だったから、その疑問がつい口に出た。


「‥‥どうやったの?」

「魔法じゃ」


 それだけ言うと、魔人は穴の中央にリュカを投げるようにして落とす。


「どうして投げるの!」

「死体を丁寧に扱うなぞ人間くらいなものよ。埋めるくらいはお主一人でできるじゃろう。わしは用があるでの。城に戻る」


 リュカを乱雑に扱ったことが許せず、魔人の背中をいつまでも睨み続けたが見えなくなると中庭はしんと静まり返った。私の心もしんとする。


 私は穴へ降りていき、無造作に転がされたリュカを丁寧に寝かせなおしてから血まみれの顔をぬぐったりした。真新しい服の裾はみるみる血で汚れていく。


 リュカの死体を見ていると、傍にいると、ほっとするのにどんどん悲しくなる。頬を涙が伝って死体に落ちていく。


「私を助けてくれたのに‥‥こんなことになっちゃって、ごめんね。ごめんね、リュカ‥‥」


 痛かったよね。苦しかったよね。

 怖かったよね。つらかったよね。


 リュカを想って、私は泣いた。泣いても泣いても、悲しみが終わらなかった。

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