11話-2 魔人
歩き出した男に腕を引かれるまま一歩踏み出すと、案の定足に鋭い痛みがはしった。
一度はなんとか頑張れるかと考えたが、実際はあまりの激痛にしゃがみこむほど。腕を掴まれていなければ、そのまま階段を転げていたかもしれない。
「つぅ‥‥っ!」
私の全体重がかかった肩が、腕がみしみしと鳴る。もはやどこの痛みで自分が呻いているのかもわからなかった。
「なんじゃ。貴様足が悪いのか。ほう、血のにおいがすると思えば、転びでもしたか娘。致し方ないのぅ」
「あ‥‥っ」
体が浮いて胴周りに圧力がかかる。暗闇で何も見えないが、感覚的に男に担がれたのだと思った。
「重たいのぅ。食ったばかりだというのに、また腹が減るわ」
男は歩き出したと思ったら、しばらく降りてすぐに立ち止まる。次いで扉の開く音が聞こえた。
不思議なことに、あれだけ降りても降りても続いていた階段は、体感一周程度でもう目的地にたどり着いてしまったようだ。
ふと、足音の数が一人分だったことに気づいた。
それに二人を抱えながら、どうやって扉を開けたんだろうか。
疑問に思っていると、私は柔らかい場所におろされた。軋む音と手に触れる生地の手触りからしてベッドのようだ。
「おとなしゅうしとれ」
もう一度軋んだ音がして、私の体が傾く。おそらくリュカがおろされたのだろう。私は急いで暗闇に向かって手を伸ばした。
リュカに触れたと同時にマッチを擦るような音が聞こえ、背後で小さな明かりがつく。まだ完全とは言えない視界の中確かめたリュカは、気を失っているがちゃんと呼吸をしていた。
「よかった。生きてる‥‥」
ひとまず、ほっとした。
歩く音、増す明かり。男は部屋中を回って次々とろうそくに火を灯しているようだ。やがて椅子を引く音が聞こえたので振り返る。
そこに座る男の姿を見て、言葉を失った。
「‥‥っ!」
男には腕が四本もついていたのだ。
それだけじゃない。笑う口は耳まで裂けていて、そこにサメのようなぎざぎざの歯が生えている。
耳も長く尖っていて、目は金色に光っていた。
人間じゃない。
「さぁ、ローベルトが来るまでにできるだけ話を進めようではないか」
正体不明の人外は先ほどまでと同じように穏やかな口調で言う。
「話‥‥? 貴方は私を殺すんじゃ‥‥ないんですか? 生贄にするために捕まえたんじゃ‥‥」
困惑のあまり聞いてしまった。バカな質問だと思ったが、私はそのために召喚されて、探されて、捕まったはずだ。
それが話をするというのだから意味がわからなくて当然だ。
「それはこの城の城主であるローベルト・ヘリオン・エディオンがやっとる儀式のことじゃろう? わしはあやつとは別よ。まぁ、無関係とは言えんかもしれんが」
「別‥‥? 仲間じゃないの?」
頷き、男は腕を組みなおす。それぞれがばらばらに動く四本の腕は、まるで偽物には見えない。
「時間はないからのぅ。話は簡潔な方がよい。小娘、貴様わしと契約をせい。悪いようにはせん」
「え?」
唐突な話に呆ける私を見て、男の人は眉をひそめた。
「なんじゃ。魔人との契約はわからんか。それとも契約自体を知らんのか」
「魔人‥‥? え?」
契約? 魔人? ‥‥いきなり何の話だろう?
状況を消化しきれず混乱する私の様子に、魔人と名乗った男は少し考えるような仕草をしてから改めて視線を向けてくる。
「ああ、貴様は魔力のない世界から呼び出されたんじゃったか。なら知らんで当然よの。ならばまずは知れ。わしは魔人じゃ。人ではない。見てわかろう?」
そう言って魔人は両腕を広げた。四本の腕がばらばらにそれぞれの動きをしてみせる。作り物や飾りではなく、本当に彼の腕なのだ。
魔人というと、ランプの魔人くらいしか思いつかないが、魔法の世界ならそういうものがいても普通のことなのかもしれない。なにより今現実に目の前にいるので受け入れるしかない。
少なくとも、この魔人は会話ができる相手のようだし、その契約というものの内容によっては味方になってくれるのかもしれない。
「どうして、私と‥‥?」
「今ここにおるのが貴様なだけじゃ。契約は‥‥わしが自由になるために必要でな。主らにとっても悪い話ではないと思うが、どうじゃ」
なにがどう悪い話ではないのかが全く分からない以上、それだけで頷けるわけもない。けれど今契約をしないと言ったら殺されるかもしれない。
逃げようにもまだリュカは起きないし、会話で時間稼ぎができるならしたかった。
「わ、私は契約したらどうなるんですか? た‥‥魂をとられる‥‥とか?」
「契約の担保にはなるが、契約しただけでは貴様の魂がわしの物になることはない。契約するならば貴様の願いを一つ叶えてやるが、なにか望むものはあるか?」
魂が契約の担保になるというのは恐ろしい気がするが、この状況で願いを叶えてくれるなんて願ったり叶ったり。まさにランプの魔人に出会えたような状況じゃないだろうか。
「なんでも言うてみよ。できる限り叶えよう。しかし、多くを望むならばわしは契約を諦めるしかあるまいて。‥‥して、貴様は何を願う?」
贅沢や欲をかきすぎるのはダメってことらしい。しかし、今この状況で私が願うことはただ一つだけだ。
「願うことって言ったら、元の世界に戻ることだけど‥‥」
「あい、わかった。では‥‥」
「ま、待って! ‥‥待ってください。まだ私、契約するって決めたわけじゃなくて」
言いながら、なぜ止めたんだろうと考える。
このまま契約してしまえば、私は元の世界に戻れる‥‥のに。
「しかし、せねば小僧もろとも死ぬしかあるまい。悩む余裕があるかのぅ」
そんなこと言われても。
だって、そう、おかしいじゃないか。
契約をして魔人が自由になり、私は元の世界に戻れる。それだけしかわかっていないのに、魂を担保になんてしていいの?
自由になったあと、魔人はどうするのだろう。そもそも、なぜ自由になりたいのだろう。それは、彼は今自由ではないということなんじゃないか。それはなぜ。
私を元の世界に帰したら、契約はどうなるのだろう。終わって、何事もなかったようになるのだろうか。
「契約したら、そのあとはどうするんですか。自由になって、私が不要になったら。‥‥その時は私を殺すんですか」
「安心せい。契約者を殺すことはできん。例えわしが目的を果たし、貴様が不要になったとて、貴様の願いが継続しておれば契約は続く。その間はまず主の身の安全は保障されると思ってよいぞ」
ん? なにか引っかかるような。
「‥‥あなたの目的って、自由になることですよね? 契約すれば私は元の世界に帰れるんですよね。契約したらそれで終わりじゃないんですか?」
「おお、言うのを忘れとったな。わしは自由を得て、とある者を探したいのだ。主にはそれに付き合うてもらうことになる。貴様の願いがこの世界から出ることならば、それが叶うのは後になるな」
「は、はぁ!?」
今すぐに帰れるんじゃないの!?
けど、そういうことだと思ったら納得もできた。契約をしてその足ですぐ帰れるなんておいしすぎると思ったから。
それから、そういうことならなおさら簡単に契約をすることも難しくなった。だってもし人探しが難航したら、私が戻れるのがどのくらい先になるか見当もつかないから。




