1-2話 暗い機内
「起きて起きて」
小さな声がする。
「起きて起きてったら」
きっとクラスメイトとか、同級生の誰かが起こしてくれているんだろう。
飛行機が空港についたんだ。こういうときに私に声をかけてくれるのは大概が先生か学級委員長なんだけど、知らない声だなぁ。別のクラスの子だろうか。
「んん‥‥」
ああ、せっかく窓際の席だったのに、結局日本につくまでずっと寝てしまったのだなぁと考えながら目を開ける。不思議と機内は薄暗かった。
窓から差し込む月明りが飛行機の中を照らしてくれているが、あたりはしぃんと静まり返っている。
「え?」
目をこする。隣を見ると、お姉さんはいない。座席に手のひらサイズのぬいぐるみマスコットが落ちている。お姉さんの忘れ物だろうか。
座席の向こう、真ん中の3人掛けには仲良し三人組がいたはずだが、誰もいない。さらにその向こうの窓際の席も誰も‥‥。
「え、えっ、ええ!」
思わず立ち上がりあたりを見渡す。薄暗い飛行機の中には誰もいなくて、私だけがぽつんと取り残されていた。
寝起きの頭の中はパニックに陥る。
さっきの声の人は!?
それよりも!
寝過ごした!
みんな降りて、私一人取り残された?
飛行機の中に!?
学校のある日に寝坊した時のような、電車の終着駅で車掌さんに声をかけられたときのような焦りに包まれる。心臓がきゅっと冷たい手で握られたような感覚になる。
どうしたらいいんだろう。
こういう時、どうしたらいいんだろう!?
その時、先ほどの声が聞こえてきた。下のほうから。
「おはよー。夜だから、こんばんわ? ねぇ、僕の声聞こえてる?」
「わぁ!?」
誰もいないはずなのに、どこから聞こえてくるんだろう。
とっさに声のした方へ視線を落とすと、そこにはやはり誰もいなかった。
「だ、だれ‥‥?」
こわごわ返事をすると、思ったより近くから「ここだよ」と声がする。
まさかと思いつつ隣の席へ視線を向ける。そこには二足歩行をするぬいぐるみマスコットがいて、手を振りながら私を見上げていた。
「やっと見つけてくれた」
マスコットから男の子の声がする。さっきから私に声をかけてくれていたのはこの子だったようだ。
というより、動いてる。
「ぎゃー!」
「わー!」
人形が動くなんてホラーすぎて思わず叫んだが、人形は私以上にあわあわと慌てふためき、座席の上をぐるぐる走り出した。
恐怖と混乱から、私は走り回る人形をじっと見守ることしかできずにいた。
人形はしばらくの間座席の上をぐるぐる走り回り続け、やがて目を回したのか大きな頭をぐらんぐらんと揺らして背もたれに衝突して転がった。
しばらく座り込んでいたが、また起き上がると同じようにぐるぐると走り出した。そのまぬけさになんだか拍子抜けしてしまい、肩から力が抜けていく。
そして同時に気が付いた。
「あ、そうか、これは夢なのね」
よく考えればそうだろう。
ニュースとかで市営のバスなんかだとたまに聞く話。残っていた乗客に気がつかず、バスが車庫まで帰ってしまうというやつ。
最初はそれだと思ったけれど、さすがに規模が違う気がするし。
市営のバスよりはずっとこういう置き去りとか、忘れ物とか、セキュリティみたいなものに飛行機は厳しいイメージがある。
そうだ。乗客を見過ごして帰る乗務員なんかいるわけがない。常識的に考えて、きっとそう。
それに、飛行機を降りたあと空港でクラスごとに点呼をとるはずだから、私がいないことはそこでわかるだろうし、こんな風に飛行機の中で放置されるなんてことまず現実的にありえるわけがなかった。
きわめつけに、こんなフェルトでできたぬいぐるみマスコットみたいな人形が現実に動いたりしゃべったりするわけもない。
だから、これは、夢の中なんだ。
うん、納得。
わかってしまえば、私はだんだんと落ち着きを取り戻していった。最後に一度、深呼吸‥‥。
「ふぅ‥‥」
完全に落ち着いたところで、いまだに慌てふためいて座席の上をくるくる走り回る人形を手に取ってみる。人形はやはりフェルト製で、綿がつまった体はほどよい弾力もあってふわふわだった。
夢の中なのにしっかりと手触りを感じられて、なんだか感動する。
「ごめんね、大きい声出して。びっくりしちゃって」
「わぁ。なにか起きたのかと思っちゃった」
話しかけると彼? は落ち着いてくれたようだ。
ピエロのような格好の、ボタンを縫い付けた目がかわいい人形。
「ねぇ、僕リュカ。ミズキママはなんて名前なの?」
リュカと名乗った人形は首をかしげている。
それより、ミズキママとは? 人違いだ。
「ううん。私はチトセ。ミズキママじゃないよ。そのミズキママって人と私を間違えたの?」
「チトセ? あれぇ。お嬢様からミズキママを助けてって言われたんだけどなぁ‥‥。君はミズキママじゃないの?」
「うん。違う」
ミズキママ、かぁ‥‥。
小さな子供とかだと、友達のミズキちゃんのママのことをミズキママとか呼んだりするよね。けど、私はまだ高校生で、子供なんて産んでいない。
お嬢様というのも誰なんだろう。心当たりなんてない。聞きたいけれど、リュカはうーんと悩んで黙り込んでしまった。
リュカが黙っている間にあたりを再度見渡す。飛行機は止まっている。乗客はいない。
あれ? 乗客の荷物が荷物棚に残されてる。
「ねぇリュカ。もしかして、ミズキママって人と私を間違えちゃったんじゃないかな」
「うーん。けど、お嬢様がチトセを指さしたんだけどな。チトセはミズキママのこと知らない?」
逆に聞き返されると困ってしまう。この飛行機に乗っていた誰かがミズキママなんだろうけど、この飛行機にはほとんど同級生しか乗っていなかった。
仮にミズキちゃんのママという意味ではなくて、ミズキという人を探していたのだとしてもだ。同級生の下の名前まで覚えていない。
「クラスメイトにミズキって子はいなかったと思う‥‥。あ、でも飛行機の中には別のクラスの子もいたしなぁ。‥‥そのお嬢様って本当に私を指さしてた?」
「うん。この乗り物を見ながらね、この子がミズキママだよって。だから僕、君を隠したんだけどなぁ」
隠すとは?
言っていることはよくわからないが、リュカは私をミズキママだと思い込んだらしい。変な夢だけど、まぁ夢の中だし変でいいのかも。
あ、そうだ。一人かなりそれっぽい人物がいるじゃないか。
「もしかしたらさ、私の隣に座ってた女の人だったのかもよ」
おそらくそれが一番可能性がある。大人の人だったし、お子さんがいても不思議ではない‥‥と思う。私の前の席も後ろの席も同級生が座っていたし、私の近くを指さしていたならそう考えるのが妥当だろう。
しかし、大人の女性と高校生で子供の有無を考えたとき、まさか私のほうを選ぶとは。
まぁ、相手は人形だしね。
「うーん。そうかなぁ。‥‥そうかなぁ」
リュカは納得いかない様子で首を左右交互にかしげる。
「だからさ、飛行機を降りて追いかけようよ。まだ空港にいるかもしれないよ。ミズキママ」
人形が顔を上げる。
「追いかける? ‥‥ここを出るの?」
「うん」
すると、リュカはまた頭を抱えてしまった。
黙り込んだリュカを手に持ったまま、私は飛行機の出口へ向かった。そして何気なくふと視界に入った窓の外を見て足を止める。
窓の外には空港もなにもなくて、砂浜のような景色が広がっているだけだった。反対側の窓も見てみるが、同じ景色が続いている。
草も木も、家や人の住んでいる様子もない地平線までずっと砂の世界。ここは砂漠の真ん中のようだった。
けど驚かない。だって夢だもん。
というより、みんなして砂漠に降りて行っちゃったっていうの?
ふと、なにかの事故が起きて砂漠に不時着したのではと不安が頭をよぎったが、すぐに考え直す。航路は海を渡りはするが、途中砂漠なんてないはずだから。
それから、再度これは夢なんだからと考え直す。
そういえば座席にスマホもなにもかも、荷物を置いてきてしまった。
いやいや夢だし、必要ないって。
「うーん‥‥」
まだ悩んでいるリュカの頭を撫でると、ボタンの瞳が私を見上げた。
「ね、私も一緒に探してあげるから」
「うーん。けどね、お嬢様がくるまで、ここを出ないほうがいいと思うの」
リュカがこんなにも飛行機を降りることをしぶるのは、なぜだろう。そのお嬢様って人にそう言われているんだろうか。それとも、飛行機を降りたら私の夢が覚めちゃうとか?
「どうして出ないほうがいいの?」
「お外が危険だから」
まぁ、確かに窓の外に広がる砂漠は、見る限り水も食べ物もなさそうだ。砂漠と言ったら毒サソリのイメージもある。昼になれば熱くなるだろうし、飛行機の中よりはずっと危険そうではある。
「じゃあここにいたとして、そのお嬢様っていつ来るの?」
「わかんない。ここは夢の中とあんまり変わらない気がするけど、それでもお嬢様は夢の中から出てこれないから‥‥。いつだろう。‥‥百年後?」
「いや、待てるわけないでしょ。夢も覚めちゃうよ」
ここはやはり夢の中らしい。
「覚めないよ。夢って永遠だもの」
「永遠じゃないよ。覚めたら終わりだもん」
けれど、今のところ覚める気配のない夢なので、ここで人形と一緒にいたって埒が明かない。それになぜか、行動を起こすべきでは? と感じて仕方がなかった。
夢の中の行動力とでもいうのだろうか。
「えっと、飛行機の扉、開いてるといいんだけど‥‥」
「‥‥どうしてもここを出る?」
出口へ向かう私を見上げて、リュカは引き止めたそうにしている。相当ここを出ていきたくないらしい。
いいんだけどさ。ずっと飛行機の中の夢でも。
「だってミズキママ探すんでしょ」
「チトセがミズキママだもん‥‥」
「違うってば」
きっぱりと言い張ると、リュカは納得いかない様子だった。
「だって、お嬢様が来るかもしれないって言っても百年後でしょ? そんなに待ってたらミズキママどっか行っちゃうよ」
「だからぁ‥‥」
平行線をたどる会話だったが、リュカがとうとうあきらめたようにため息をついた。
「わかったよ。じゃあ、難しいけど、頑張ってチトセを守るね」
そう言って私の手を抜け出して肩へとのぼってくる。砂漠の脅威ってなんだろうか。
「やっぱりサソリとかかな?」
サソリの針にぶすぶす刺される人形を想像するとシュールだ。けれど、人形に毒が効くわけがないから案外強いかもしれない。
襲い来るサソリをちぎっては投げちぎっては投げする人形を思い浮かべると、ふふっと笑いがこぼれた。
飛行機の出口は空いていて、その先には空港で飛行機に乗る前に通った通路が伸びている。やはり、ほかのみんなもここを通って外へ出たということだろうか。
通路に取り付けられた窓の外を見る。
「あれ」
そこから見える景色は砂漠ではなかった。
夜なのは同じだけど、枯れた木や岩、ひび割れた地面があって、遠くには山が見える。さっきの砂漠には山なんかなかった。
通路の先の階段を下りていくと、その先もまた景色が異なっているようだった。出口のところに石畳が見える。
そして、その先は。
「お城だぁ!?」
「お城だよぉ」
階段を降りきった私の眼前には、ヨーロッパあたりにありそうな洋風のお城が現れたのだった。
読んでくださりありがとうございます。
初投稿なので、ファンタジーに足を突っ込む二話まで投稿しました。その方が‥‥いい気がしました。
明日も朝7:40に続きを投稿予定ですので、よろしければまた読んでいただけますと嬉しいです。