11話-1 魔人
「そう、だね。そうしようか」
少し考えた末、少し悩んでいる様子もあるものの、リュカも戻る気になってくれた。
よし、行こう! と立ち上ろうとして‥‥突然の痛みに私はしりもちをついた。
「‥‥痛っ」
「大丈夫!?」
「あはは‥‥うん平気。ごめん、足のこと忘れてた‥‥。ちょっと待ってね」
すぅーはぁーと大きく深く深呼吸して、私は痛む膝に力を込めた。
脛より、膝の痛みの方がいくらかマシだったから、膝の方を軸に、両手で階段と壁を支えにしてなんとか立ち上がる。
「チトセ、僕おんぶするよ。すごく痛そうだもん」
立ち上がるのにかなりの時間を要したためか、リュカがそんな提案をしてくれる。
けど、それは断りたい。私の残り少ないプライドがこれ以上リュカに文字通りおんぶに抱っこを許さないからだ。
「だ、大丈夫だよ! それに、今から上に行くんだよ? ここまで相当降りてきたから、相当上るでしょ。私をおんぶなんかしたらリュカが倒れちゃう」
「僕大丈夫だよ」
ここで断るのも、リュカが非力っていうようなものだろうか。それは男の子的に嫌だろうから、それなら間を取ろう。
「ありがとう。でも、少し自分で頑張らせて。もしきつくなったら、その時は肩を貸してくれると嬉しい‥‥かな」
「‥‥わかった。じゃあ、きつくなったらすぐに言ってね? すぐだよ?」
「ありがとう、リュカ」
どうしてこんなにいい子なんだろう、リュカって。なんて考えていると隣にリュカが上がってきた。先に進むのかなと思っていると、手をつないでくる。
「チトセが転ばないように、手をつないでいていい?」
気持ちは嬉しいんだけど、それはむしろ歩きにくい気がした。両手で壁に体を預けてなんとか昇るつもりでいたので、片手をリュカと繋いでいると私の全体重が壁に預けられない気がする。
「うんと、むしろ歩きにくい‥‥かも。ごめん。先に行くか、後ろにいてくれる方が助かる‥‥かな」
「‥‥そっか。なら、後ろにいるね。チトセが倒れちゃわないように、倒れてきたら支えてあげるね」
惜しむように手が離れていく。リュカって本当に人の‥‥私の? 役に立ちたい子なんだなぁと感心しながら、私は体の向きを変え階段の上を見上げた。
円形の曲がり角の上の方には窓があって、そこから星空が見えた。月の明かりは入らない角度だからここは暗いけれど、窓を目指して上がる分にはなんとか行けそうだ。そこでふと考えた。
うんと、この位置ってスカート大丈夫だよね?
変な歩き方になっちゃうけど、パンツ見えたりしないよね。私、スカート短くしてたりしないし、ひざ丈だし。
それから、こんな時にもそんなことを考えてしまう自分にあきれた。忘れようとして再度階段の上の方を見上げる。
「あれ?」
そこにあったはずの窓が消えて視界が暗かった。
「チトセ‥‥!」
「えっ?」
リュカの声に振り返ろうとしたとき、脛が痛んで足を滑らせてしまった。
「ゃ‥‥っ!」
落下の浮遊感に似た感覚が襲ってくる。真後ろにいたリュカを巻き込んで、二人して真っ暗い階段に転げ落ちるビジョンが走馬灯のように頭を駆け巡った。
お腹の底が冷たい水に浸かるように冷える。
「あっ」
しかし、私は止まった。
リュカに抱きしめられる感覚があったが、不思議なことに全体重を彼にかけている感じはなかった。二の腕と肩に痛みを感じる。
あれ? と思って腕の痛みに意識を向ける。
変な向きに捻ったような肩の痛み。強い圧迫感を受けている二の腕の痛み。
‥‥この感覚は、きっと誰かに腕を掴まれているんだとわかった。
いったい誰に‥‥。
リュカ? でも、リュカの両腕に抱きしめられてる気もする‥‥。
そうこう考えていると、頭の横からリュカの震えた叫び声が聞こえた。
「ち、チトセを離して!」
つまり、私を掴んでいるのはリュカではない‥‥と。
落下の感覚でいまいち状況を把握しきれていない頭で考える。
寄りかかっているのはリュカ。私の腕を掴んでいる人は別。そしてここには私とリュカ以外味方はいない。
つまり、私の腕を掴んでいるのは、このお城の人‥‥ってことだ。
「ひっ」
今更その可能性に気が付き、私は首だけまわして振り向いた。
自分の腕があるだろうそこは真っ暗で何も見えない。
さらに視線を上げると、体が傾いたおかげか先ほど見失った窓の一部が視界に入った。窓を背景に、私を捕まえている人のシルエットも少し見える。
その人は、白い歯をむき出しにして笑っているように見えた。
「離してったら!」
リュカが私を引っ張るが、二の腕を掴む力はびくともしない。
私は見つかったことが恐ろしくて、捕まったことがこわくて、言葉を発せず、ただ目の前の人影を見上げることしかできなかった。
私の腕を掴むその人はため息をついた。
「ふん。危ないところを助けてやったというに、礼もないとは躾がなっておらんガキ共だのぅ」
お年寄りのようなしゃべり方をしていたがその声はお年寄りと言うよりは若い男性の声に聞こえた。
私やリュカよりは年上だろうけど、担任のおじさん先生より若いくらいじゃないだろうか。
先生が今年42歳の誕生日のサプライズを受けていたのを思い出す。そういったことが好きな同級生をつまらないと思ってみていたのを思い出す‥‥。
これが走馬灯なのだろうか。いや、違う。現実逃避だ。
「おぬしら、今夜のために召喚された者共の仲間か。‥‥いや、そこの坊主は違うようだのぅ」
召喚‥‥。つまり、この人は儀式のことを知っている。
やはり、いや、当たり前だけれどこの人はこのお城の悪い人たちの仲間で間違いないんだと認識して、もう逃げ場がないと愕然とする。
「呪術 踊る子供たち‥‥!」
リュカが呪術を使うと、私の腕から男の手が離れた。しかし、おかしな角度から再度掴まれる。
「ほう。わしを操るか、坊主」
怒った様子もなく、むしろその声は感心した風だった。
「ど、‥‥どうしようチトセ。この人、僕じゃ‥‥」
リュカが怯えた声で囁いた。私を抱きしめる力が強まり、私を引きはがそうと引っ張ってくれるが、相手は全く動じない。
「ほれ、そう引っ張るでない。落ちるぞ」
そう言ったかと思うと男は私の腕を強く引いた。
「きゃあ!」
「わぁっ!」
倒れこんだ拍子にリュカが離れる。
「あっ、あっ、離して! ねぇ離してよ!」
頭の上でリュカの声がした。暴れているようにばたつく音もする。
見上げると、うっすらとリュカが空中でじたばたとしている様子が見えた。
「暴れるな小僧。腕が折れるぞ」
「りゅ、リュカに何してるの! やめて! 離して! リュカを離して!」
男の人の手を掴み、私も抵抗する。
そうだ。私とリュカで同時に暴れたら、逃げられるかもしれない。
そう考えたときだった。私のもう片腕も何かに捕まれた。
「喧しいというに」
「きゃぅっ」
リュカの悲鳴が聞こえ、頭を上げる。
暗くて何も見えないけど、リュカの苦しそうな呻き声が降ってくる。
「お願い‥‥! 離してぇ!」
動かない両腕をそれでも振り回そうとしたが、肩が外れそうになるだけでびくともしなかった。それでもリュカを助けようと、この腕から逃れようともがく。もがきながら必死に考えた。
どういうことだろう? 私を掴んでいないほうの腕でリュカを掴んだのだと思ったけれど、今私は二本の腕に捕まれている。
ここにはこの男の人しかいないと思っていたけど、もしかしてもう一人いるのだろうか? 一対二ならどうにか逃げられると思ったが、二対二じゃかなり難しい‥‥。
それでも‥‥。
「お願い‥‥っ! 殺すなら私だけにして! リュカは違うの! 召喚されたのは私だけなの! だから‥‥っ」
「喚くな。騒ぐな。暴れるな。鬱陶しい‥‥。おちおち話もできんわ。今すぐおとなしくならんと、坊主の首をへし折るぞ」
「‥‥っ」
私はもがくのをやめた。
すると、男の人は私の片腕を離す。
リュカのことも解放してくれると思ったけれど、それはしてくれないようで、いつまでもリュカの声が聞こえてこない。
‥‥呻き声もやんでいる。
「ね、ぇ‥‥。リュカは‥‥無事なの?」
まさか、と思った。もうすでに首を折られて死んでいるのでは、と。
リュカの方へ伸ばした指先は何にも届かず、空をかいた。
「‥‥すまんのぅ」
ややあって返ってきた返事に、私は心臓を掴まれたような気持になった。
「う、そ‥‥」
「ん? ああ、安心せい。死んではおらん。絞めすぎてしもうて気を失っとるだけじゃ」
実際それが本当かどうかはわからないものの、私はひとまずほっとした。今はそれを信じるほかない。
「では行くかの」
そう言って、私の腕を掴んだまま男の人は階下へ向かって歩き出した。
「ど、どこに行くの‥‥」
「ここでは落ち着いて話ができんからの。この先にわしの部屋がある。そこへ行くだけよ」
「でも‥‥」
「嫌なら小僧を殺す」
「やめて‥‥っ。行くから‥‥ついて、行きます‥‥。だから、リュカを傷つけないで‥‥ください」
「ならおとなしくついてくるんじゃの」
リュカを人質に取られてしまったからには、そうするしかなかった。今は、この人について行くしか‥‥。




