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30話-3 戦争の夢

 野戦病院のあった場所は地獄と化していた。


 いたるところから立ち上がる黒煙のせいで視界は悪い。どこからともなくごうっと吹く風が煙を巻き上げる度、熱い空気と地を這う焦げ付いた鉄の臭いが混ざり合う。


 悪臭が温度を得ると最悪の味になることを知った。舌の奥に引っ付いた酸味と苦味がざらついて気持ち悪い。


 あちこちから呻く声のようなものが聞こえる。どこかで誰かを探すような声も聞こえる。悲痛な叫び声と、怒声のような声も交じる。


「なにこれ‥‥っ」


 あれだけあったテントは全てなくなっていて、病院として機能していた場所は荒野のようになっていた。燃え、歪み、散り散りになった残骸ばかりが目立つ中、炭化したような塊は人間の遺体だろうか。


 中には鎧を身に着けたものもあるが、白鳥のように白かったそれらはどれも煤け、焦げて、見る影もない。


 吐かないようできる限り息を止め、臭いを感じないよう努める。必要な時は口で呼吸するが、すると今度は空気が舌の上を通過する度血のような鉄の味を残していく。


 服の裾でなんとか濾過できないかと工夫するものの、真夏のアスファルトに水をかけたようなじめっとした熱気もあって息苦しい。


 吐き気を飲み込んだ代わりに何か言葉を吐き出したかった。何か言わなければ気持ちが負けそうだった。


「びょ、病院を襲うって、ルール違反なんじゃないの‥‥っ」


 ジュネーブ条約ではそう決まっていたはずだけど、ここは私のいた世界じゃない。召喚されてからずっとそうだけど、この世界は本当に無法地帯だ。


 それとも、現実ではルール無用が当たり前なのだろうか。それか、ここが夢の中だからこんな風に残酷なのだろうか。


 なぜエルダーはよりにもよってこんな夢を見ているんだろう。


「リュカっ! エルダーさんはどこ‥‥!」

「あっち!」


 早く会って話して、こんな夢からさっさと目覚めてもらおう。きっとエルダー自身、こんな夢の中に囚われて辟易しているはずだ。


 影のような煙に巻かれる中、リュカに手を引かれ箱型テントがあった方へ向かう。


 吹き飛ばされる前、テントとはそこまで離れているわけじゃなかったはずが、今や完全に位置を見失った。目立っていた箱型テントは姿かたちもなくなって、どこもかしこも同じに見える。


 見上げる空は煙のせいで黒く暗い。

 視界の悪い中、生き残った人たちがテントの残骸の中から怪我人を引っ張り出して治療しているが、圧倒的に怪我人の数が多く手が足りていない。


 そこかしこから苦しそうな声や呻き声、掠れた「助けて」の声が聞こえてくる。しかしどこを見ても生きている人がいない。倒れているのは炭のような物体だけ。


 死体ばかりの景色の中を行くのだけでも気持ちが悪いものだった。可哀そうな人たちにそんな気持ちを抱きたくはない。

 だけど黒い頭に真っ赤な目と口だけが色鮮やかに見える状況では、哀れみより恐怖の方が勝ってしまった。


 今蹴飛ばしたのが瓦礫なのか遺体なのかもわからない。生きていると思って見れば、真っ赤な瞳が虚空を眺めている。そんな体から微かに呼吸のような音が聞こえると、心臓が凍り付いたような気になる。


 死体はこわい。触れたくない。

 まだ生きているかもしれないのに、こわくて近づけない。


 死に至る彼らに本能的な恐怖を感じて、近づけも触れられもしない。


 どこかから、助けて! とひときわ分かりやすい声が聞こえたけど、何もできなかった。


 夢の中とはいえ、苦しんでいる人たちを放って進むのはつらい。だけど、そんな心境で、こんな状況で、私に一体何ができるの。


「うぅ‥‥っ」


 無力感に足が止まりかける。そんな私の肩に手を置いて、リュカが首を振る。


「チトセ、こわがらないで。これは夢だよ。みんな、生きてもないし、死んでもない。本当に苦しい人はいないの。だから大丈夫。こわくならないで」

「そ、うだね‥‥。これは、夢‥‥」


 リュカに諭されてなんとか理解しようと努める。


 これは夢。全部夢。死体も助けを求める声も、みんな夢。


 うん。なんとか歩けそう。


 夢だとしても、なんて地獄だろう。

 これが本当に現実に起きたことなんだろうか。それともこれは脚色されたエルダーの妄想で、実際にはここまでのことは起きていないんだろうか。


 まさに悪夢のように真っ黒い光景。だけど一瞬、その向こうに光が見えた気がした。

 それは白い服を着た医療従事者たちの姿だった。


 彼らの服も焼けて破れ、煤け、汚れているがこの黒と赤の視界の中では白く光って見える。まるで白鳥、それこそ天使の翼のように。


 無事だった何人かの人が、まだ息のある人たちを集めている。そこに、赤黒く汚れた制服を身にまとったエルダーの姿があった。


「治癒魔術を使用します! できるだけ近くに怪我人を集めてください! 怪我をした方も、近くに来てください! 治します!」


 煙に巻かれ咳き込みながらも声を張り上げるエルダーの周囲には動けなくなった怪我人が次々集められていく。


 必死に職務に当たる彼らもまた爆撃により怪我をしたりダメージをおって、ふらふらとおぼつかない足取りをしていた。けれど弱った人を見捨てまいと歯を食いしばりどうにか踏ん張っている。


「光の精霊 ルミナ‥‥その癒しの力で、彼らに今を生きる生命力を与え、怪我を治し賜え」


 臥せ、あるいは膝をつく人たちの真ん中でエルダーが祈る。するとひときわ眩い光が現れた。そして周囲は目が眩むほどの白に包まれる。


 熱されべたつく空気が穏やかなものに変わっていく。


 それはまるで春の木漏れ日の中にいるようなあたたかさだった。誰かの腕にそっと抱かれるような、身を任せたくなる優しさに全身が包まれるような感覚。


 同じあたたかさが体の奥からも湧いてくるのを感じる。


 不安や絶望、気持ち悪さや吐き気が収まり、心地よさと安心感に満たされる。


 やがて光が止むと、不快な熱気が戻ってきた。だけどそんな中でもそこらに寝ていた人たちが驚きと安堵の表情で起き上がり、ゆっくりでも動き出すのを見ると気持ちが上向いていく。

 どうやら治療は成功したらしい。


 怪我が治り喜ぶ人たちの声。痛みがない事に涙する人。


 彼らの中で気を緩めることなく立ち上がり動くのは、エルダーとその仲間たち。


「次! 次をお願いします! 動けるようになった方は、怪我人を集めるのを手伝ってください!」


 エルダーは肩で息をしながら苦しそうな声を張り上げる。自らも怪我人を集めに向かおうとしたが、その場で膝をついた。立ち上がろうとしては倒れるのを繰り返す。


 全身に力が入っていないかのようにぐらぐらと体を揺らすその様子は、ゾンビ戦で見た魔力切れに似ていた。


 話しかけるなら、今だと思った。


「エルダー!」

「エルダーさんっ!」

「な‥‥っ、民間人‥‥!? どうしてこんな場所に‥‥」


 ただ喋るだけでも息を切らし、喘ぎながら私たちを見上げるエルダーの目が見開かれる。その新緑色の瞳は、私の向こうにある黒い影を映していた。


 鳥?


「危ないっ!」

「え‥‥っ」

「チトセ!」


 自分の影が濃くなった。かと思えば、光の中にいた。さっきのようなあたたかい優しいものではなくて、熱くて痛む光の中に。


 光の中なのに、暗い。それから、こわい‥‥。

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