9話-2 後悔、それから
リュカはきっとそんなことしない‥‥!
私は頭をぶんぶん振った。リュカの言葉への否定と、自分の不安の否定のために。
私を殺したがってるように見えてしまってるけど、そんなわけない! リュカは、今、夢の国で楽しく暮らすっていう明るい未来を想像して視界が狭まっているだけ!
「だ、だいじょうぶ‥‥!」
やっと声が出せた。大きな声で泣き喚いたせいでかすかすの声だけど、ちゃんと喋れる。
「苦しいのが大丈夫なの?」
「ちがうっ」
私は、私の首を掴んだままのリュカの手首をぎゅっと握った。
リュカは一回思考が振り切れると、軌道修正が難しいタイプなのかもしれない。だとしたらなおさら、私もちゃんと言わなければ。
「泣いて、わがまま言って、ごめんなさい‥‥。私、死にたくない‥‥っ」
「えー‥‥。‥‥ほんとぉ?」
本心なのに、信じてくれないリュカがこわい。
謝罪を口にしたはずなのに、受け入れてくれないリュカがこわい。
首にかかったリュカの手がこわい。
でも、おかげでわかった。心の底からこう思う。まだ、死にたくない、と。
私は、死にたくない!
リュカに何を言えばいいのかもわかった。
わかってもらえるまで謝らなきゃ。甘えて、試して、突き飛ばして、傷つけて、ごめんなさいって。
「リュカのこと困らせて、ごめんなさい‥‥。私甘えてた‥‥。リュカが、優しくて、私のこと、許してくれるから‥‥。だから‥‥っ!」
「そっかぁ‥‥。じゃあ、僕の手を叩いたのとか、僕を突き飛ばしたのは、僕のことが嫌いだからじゃないんだね?」
言われて、リュカの顔を見て、どきっとする。
笑顔のままなのに、なんだか今までで一番怖い。
けど、考えたら当たり前だ。私のしたことって、最低だもん。
自分がやられたら、絶対に怒る。きっとリュカも怒ってるよね。
「‥‥ごめん、ごめんね、リュカ‥‥。たくさん傷つけたよね‥‥」
「ううん。大丈夫だよ。痛いのは平気。けど、チトセは‥‥僕のこと嫌い? 嫌いだからあんなことしたの?」
首を強く横に振る。
嫌いなんてこと、ないに決まってる。それはしっかり否定したかった。
リュカのせいじゃない。
全部、私の弱さのせいだから。
「私、リュカのこと嫌いじゃないよ! 嫌いだからやったんじゃない‥‥。そんなわけ、ない」
「そっか! ‥‥よかったぁ。じゃあ、怒ってたの?」
それにも首を振る。
私が怒っていたのは、私自身に対してだった。今も私は私が許せない。
リュカに怒ることなんて一つもない。
「怒ってない。‥‥ごめん。あんなことしても、リュカが、‥‥あんなことしたのに、私をかまってくれるのが‥‥嬉しくて。私、こわくて‥‥不安で‥‥。リュカが私から離れていかないって思いたくて‥‥。安心、したくて‥‥っ。だから、あんな‥‥っ! 最低で、ごめん‥‥っ」
リュカをまともに見れなくて、目を逸らしたけど、沈黙の中ちらりと見たリュカはじっと私を見ていた。きょとんとして、それからよくわかっていないように首をかしげる。
「うんと‥‥じゃあ、僕のこと嫌いでもないし、怒ってもないんだ」
「うん‥‥」
私はリュカをどれほど傷つけたんだろう。
なのにこうやって話を聞いてくれるなんて、やっぱりリュカって優しいんだな。きっと、私が同じことをされたら、もう話すら聞きたくないって思うのに。
「なら‥‥、僕のこと‥‥好き?」
リュカは少し自信なさげに聞いてきた。
今日いち慎重な物言いで。
それは‥‥首に手をかけながら聞くことじゃなくない?
と内心思わないでもなかったけど、どちらにせよ答えが変わらないので私は素直にうなずいた。
「好き」
だけどすぐにはっとして付け足す。
「えっと、もちろん、その‥‥友達として‥‥」
必要があったかと言われたらもちろん必要だ。とても重要な付け足しだ。
付け足した部分をちゃんと聞いていたかわからないが、リュカは体をくねらせてくふくふ笑った。とても喜んでいるみたいだった。
「嬉しい! 僕もチトセがだーい好き! 僕たち友達なんだね!」
付け足しをしっかり受け取ってくれていて、笑ってくれて安心した。
リュカの反応を見ると、なんだかこれで仲直りができたんじゃないかという気がするが、妙な感じだ。
首の手が一向に取れないのはなぜなんだろう。
動かそうとしても動かないし。これだけがずっと不安として残ってる。
「僕もごめんね。チトセが何で泣くのか、わからなかったの。どうして僕をうそつきっていうのか、わからなかったの。けど、怒ってたんじゃなかったんだね。こわくて、不安だっただけなんだね。僕のこと好きでいてくれてたんだね。そっか、よかった」
そうだけど、そうなんだけど。
よかったなら、手を放してほしい‥‥。
私はちゃんとリュカと仲直りできたのだろうか?
仲直りって、首を絞められながらするものだろうか?
友達いないし、喧嘩したこともないし、嫌いになったらそれまでの人間関係の中で、仲直りの経験なんてものないからわからない。
それとも、男の子との喧嘩ってこういうものなのかな?
別に、体勢なんてどうでもいいんだけどさ。ただ、首を掴む手を感じていると、まだリュカが怒っているような、何かを納得してくれてないような不安を感じてしまうから、それが気になるんだ。
「大丈夫だよ。僕チトセを一人にしたりしないよ。信じてくれる?」
そんな優しい言葉を聞いても、首の手が気になっちゃうんだよ。
首を絞められながら、命を握られながら信じるもなにもなくない? って思うんだよ。
けど、私の感覚って普通なのかいまいちわからなくなっちゃった。私、人間関係だめだめだったんだもん。
リュカのことは信じるよ。信じたいもの。
「うん‥‥」
「よかったぁ」
リュカには私の気持ちがちゃんと伝わったんだよね?
なんて考えた瞬間、首を絞める指にきゅっと力が込められて、心臓が跳ねた。
「ならやっぱり夢の国に行こうよ」
「えっ」
笑顔で言われ、心の底から驚愕の声が出た。
今の流れでもそうくるの?
というか、とうとうリュカが私を夢の国に本気で連れていきたがっていることが判明してしまった。
だからずっと首から手を離してくれなかったの? 諦めてなかったの?
だけど、もしかしたら私のことを相当怒っていて、さっきの八つ当たりのやり返しのためにそんなことを言っている‥‥可能性もあるよね? だから念のために確認だけしてみる。
「リュカ‥‥もしかして、怒ってる?」
「? 怒ってないよ。どうして?」
きょとんとする。その表情からは微塵も怒りを感じない。だけど、ならなんで。
「‥‥だって」
怒ってないの? なら、どうして?
怒ってないなら、どうしてそんなこと言うの?
もう何を言ってもだめなの?
リュカは私をどうしても夢の国に連れていきたいの?
‥‥私、リュカに殺されるの?
どうしよう?
‥‥どうしよう!?
そう考えたら、私の頭の中は「死にたくない!」で一色になった。
死にたくない! 死にたくない! 死にたくない!
生きていたい!
こんな世界でもなんでも、相手がリュカだろうとなんだろうと、苦しかろうと楽だろうと! 殺されたくなんかない!
私は! 死にたくない!
「でも、わ、私、死にたくない‥‥っ。死にたくないの‥‥! まだ、死にたくない、よぉ‥‥!」
どうしたらリュカに伝わるのかわからなくなって、もうどうしたらいいかわからなくなって、とうとう泣いてしまった。
いろんな感情がぐちゃぐちゃで感極まったところもあるが、一番大きな理由は私を夢の国に連れていきたいリュカがこわかったからだと思う。
「死ぬの嫌だよぉ‥‥! こわいぃ‥‥っ! 生きてたいよぉお!」
心から泣き叫んだ。
すると、リュカは私の首から手を放してくれた。そしてぎゅっと私を抱きしめた。
「よかったぁ! 僕もチトセが死んじゃうなんて嫌だもん!」
その声は跳ねるように明るく喜びに満ちていた。
「ほ‥‥ほんと‥‥? リュカ、ほんとにそう‥‥そう思ってくれてる?」
しゃくりあげながら私は聞く。
「もちろん! チトセが生きててくれるの嬉しいよ」
その言葉を聞いて、私はようやく心底安心した。
それは、本当に本心だよね? と疑う気持ちも残りつつ、しかしリュカの声も態度もまるで演技には見えない。
‥‥さきほどまでのリュカも、演技には見えなかったが。
「よかったぁ‥‥。チトセを死なせずにすんで、よかった‥‥」
「うん‥‥。うん‥‥!」
私は頷いて、リュカの背中に腕を回した。ぎゅっと抱きしめる。
生きているリュカはあたたかくて、安心する。
「大丈夫だからね。僕、チトセを置いていったりしないよ。ちゃんと守るよ。信じてね」
「うん、信じる‥‥。信じるよ、リュカ‥‥」
一抹の不安は感じるものの、リュカの言葉に嘘は感じない。
リュカを信じる。
私が信じたいから、信じるの。
きっとリュカは私を置いてったりしない。きっと人違いだったって、かまわず一緒にいてくれる、そんな気がするし、そうであってほしいから。
それに、あんなひどいことをした私を許してくれて、あまつさえ好きだって言ってくれて、友達だって言ってくれて、一緒に生きてることを喜んでくれてるんだもん。リュカは本当に信用できると思うから。
それに、リュカは大丈夫と言ったけど、彼を傷つけた分、彼を信じることで私のしたことが許されるような、そんな気がするから。
罪滅ぼしの意味もあるのかもしれない。
とにかく、リュカは私の味方。
それからこの世界ではじめての、ううん、はじめての私の友達。
「よかった‥‥。リュカ、‥‥よかったぁ‥‥!」
リュカがこわくなくて、本当によかった。
リュカが私を殺したいわけじゃなくて、本当に良かった。安心して、抱きしめあうその肩に顔をうずめて少しだけ泣いた。
鼻を啜っていると、リュカの腕の力がきゅうっと増した。耳元で囁かれる。
「でも、本当にいいの? 夢の国は楽しいよ?」
私はぞっとしながらリュカをさらに強く抱きしめた。
「い、いいの。それに、夢の国は夢を見れば行けるんでしょ‥‥? もし、お嬢様と会うことがあるなら、その方法がいい‥‥」
「そっかぁ‥‥」
リュカは腕の力を緩めてため息をついた。
納得してくれたようで安心したが、その声が残念そうに聞こえたのは、どう受け取ったらいいんだろうか。




