28話-2 夢に入るリスク
黒い空間の中、リュカが私を上目遣いに見上げてくる。まだ私が怒っていると思っているようだ。
「んと、あのね。チトセのこと‥‥信じてなかったわけじゃ、ないんだよ」
「うん」
「けど、僕、こわかったんだ‥‥」
「うん」
「ほんとに、許してくれる‥‥?」
悪いことをしたあとの子犬みたいに怯えながらすり寄ってくるのが可愛くって仕方ない。
ほら、頭の上に生えた犬みたいな耳。垂れ耳なとこがリュカっぽくて、とっても似合ってる。とっても愛しい。
「許す許す。あははっ。リュカの耳、本当に犬みたい。薄いのにふわふわで、柔らかくて、可愛いー‥‥って、あれ?」
そこではたと気付く。人間の頭には犬の耳なんてついてない。なら、この柔らかいものはなんだろう?
耳だ、犬の。
「うぁん‥‥そこに耳はないよぉ」
いや、あるよ。普通はないけど、今はある。
「ん? あれ‥‥そういえばここ、どこ?」
「夢の中ぁ‥‥」
言われて、そうだここは夢の中なんだと気が付いた。
夢の中なのに、それを自覚すると一気に目が覚めたような気持ちになる。
夢の中でここが夢の中だとはっきり理解できる感覚に慣れなくて、確認するように辺りを見渡す。真っ暗い空間は見渡せど見渡せど、どこまでも暗いだけ。私達以外何も見えない。
こんなに暗い場所なのに、自分とリュカだけくっきりはっきり見えているのも不思議だ。まるで黒い画用紙に、切り抜いた私とリュカの写真を置いたみたい。
触感を‥‥この場所で自分という存在を感覚的に捉えるために手元にあった犬耳をふさふさ撫でる。リュカは「ひゃあん」と情けない声を上げた。
普通ないはずの犬耳のふわふわを感じている指先。リュカも触れられた感覚があるらしいところを見ると、この耳には神経もちゃんと通ってるらしい。
今だにリアリティのある非現実って感じだけど、夢の中ってこんな感じなんだ。なんて不思議な場所、不思議な感覚。これが明晰夢ってやつなんだろうか。
「は、放してぇ‥‥」
「あ‥‥。あっ! ごめん!」
ひとまず、リュカが嫌がっているので犬耳からは手を離す。
それから、妙に冷静になった頭で思い返した。ここに来てからの私達のやり取りを。暴虐武人な自分の態度の数々を‥‥。
私、自分の事を棚に上げてリュカを責めすぎてない!?
確かに夢に入るリスクについては事前に教えて欲しかったけど、だからと言って言い過ぎた気がする。しかも、責められて苦しむ彼の姿を見て、苛立ちを沈めたり、可愛いなんて思ったりして。
最低すぎる。
「リュカ、ごめん。いつもより色々、その‥‥調子乗っちゃってたかも」
「ううん。いいの。僕が言わなかったのが悪いんだもん」
そうやって素直に認められると、ますます自分を責めたくなる。
「い、嫌なこと言っちゃわなかった? 私‥‥」
「卑怯とか?」
「う、うん‥‥それとか」
「でも許してくれたよ?」
それでチャラになるなんて、なんて心が広いんだろう、リュカって。
でも、私は私が許せない‥‥。
頭を抱えていると、リュカが優しく声をかけてくれた。
「気にしないで、チトセ。夢の中って色んな気持ちがよく見えるし、言えるんだ。あんまり嘘はつけないの」
「そ、そうなんだ‥‥? だからって、私のはやりすぎだったよねー‥‥」
「ううん。だから、チトセが怒ったのは、しょうがないの‥‥。僕、卑怯だったから‥‥」
そう言ってしょんぼり下を向く姿を見ると胸がちくちくする。
嫌味とか仕返しってわけじゃないのが分かるから、余計悪いことをしたって気持ちが強くなる。
「リュカ、ごめんね‥‥」
「ううん、いいの」
怒ったり悲しんだり、やけに情緒不安定だったのはそのせいなんだろうか。そのせいにしていいだろうか。
「耳も‥‥ごめん、痛かった?」
「んーん。痛くないよ、平気。でもすごく‥‥変な感じだった」
そう言って犬耳のあったところをぐりぐり撫でる。
犬や猫って、耳を触られると変な顔するもんね。不快だったよね。
「ごめん、嫌なことばっかして」
「嫌じゃない‥‥んと、こんな感じ?」
突然伸びてきた手が私の耳をするする撫でた。
「あひゃ‥‥っ!」
くすぐったいようなそうじゃないような妙な感覚に驚いて、さっきのリュカに負けず劣らずな変な声が喉の奥から飛び出した。
撫でられた耳を押さえてリュカを見ると「ね、変な感じでしょ?」と笑っている。
へ、変な感じ‥‥だね、そうだね。
「もうしないよ、ごめん。‥‥でも、変なの。いつものリュカには頭の上に犬の耳なんかついてないのに、さっきはちゃんとあった。触れたし。これって幻覚?」
「ううん、違う。本当はないけど、あるの。夢の中だから」
「よくわかんない、かも‥‥」
「えっと‥‥。ほらっ」
「うあっ」
突然、目の前に何かを差し出されて思わず後ずさる。よく見ると百合の花だった。それも作り物じゃなくて、生花だ。
「それ、どこから? マジック?」
「マジック‥‥? わかんないけど、あると思うとあるんだよ。夢の中だから」
ほらね、と言ってリュカは何もない空間から次々花を取り出して見せる。掴む手の平から零れ落ちそうなほど集めると、最後はリボンでひとまとめにしたそれを差し出し、満足そうに笑った。
花束を抱えてようやく、そっかここは夢の中だもんねとなんとなく理解できた気がしてくる。もしかして、念じたりすれば今なら空を飛んだりもできるのだろうか。
「でも気をつけてね、危ないこと考えると、本当になっちゃうから」
「危ないこと?」
「うん。嫌なこととかもだめだよ」
嫌なこと。例えば、蜘蛛とか‥‥。
考えた瞬間、抱えた花束が動き出す。視線を下げると白い束の中から真っ黒いお団子みたいな蜘蛛が顔を出したところだった。ペットボトルのキャップくらいある大きな8つの目が私を見ている。
「ひ‥‥ッ、ぎゃあっ!」
感情も何もない真っ黒いだけの目。
あまりの恐怖に花束を投げ捨てた。
「嫌なことは考えたらだめだってば!」
後ろに倒れそうになった私の手を引いて、リュカは怒ったように頬を膨らませる。
「楽しいこと考えなよ」
「う‥‥うん‥‥」
言われて、楽しいことを考えようとした私だけど、そう簡単に思いつくものじゃなかった。
というか、なんでこんなところに来てまでこんなことしてるんだっけ、と夢の中に来たわけを考える。
「あっ!」
そしてようやく大切なことを思い出した。そうだ、今はこんなことしてる場合じゃない。目覚めないエルダーを起こすために私たちはここに来たんだ。




