27話-3 夢の中へ行く前に
エルダーの名前をからかい笑う魔人に腹を立て、これ以上はまともに話せないと判断する。
精霊に関してはもう十分聞いた。追い払うのは危険だからやめるにしても、エルダーを起こすこと自体はやめられない。外からの声掛けで起きない以上、中から起こすしかない。
ようは精霊を刺激しないよう立ち回ればいいのだ。それなら夢の中へ入ったとしてもそこまで危険じゃないだろう。
魔人は精霊に対して何もできない。私たちを無茶だと止めるのはわかるけど、エルダーを見捨てろと言った上、意地悪まで言う始末。
そんな態度をとるなら、私だって好きにさせてもらう。
「もう、いい。私行くから」
「どこへ」
「夢の中っ!」
「はぁ‥‥人があれだけ危険を説いてやったというのにまだ分からんとはな。貴様の頭の悪さには恐れ入るわ。無謀は身を滅ぼすぞ、小娘」
普段なら気が引けてしまうところだけど、今は怒りのおかげで強気でいられる。
だけどいくら私が睨みつけても、人外は頬杖を突いて大きな口を楽しそうに歪ませるだけ。
何を笑ってるんだろうとムカついて、言い返してやりたくなった。
「でもそうなったらおじいちゃんも道連れだからね」
「はははっ! 言うわい。やはり契約に書くべきじゃったな。自殺はペナルティにならんと」
意地悪を言ったってのにそれすら楽しそうにからから笑う。
「もう、知らないっ」
怒りのままテントへ向かおうと足を踏み出したところで腕を掴まれる。驚き振り返るといつものにんまり顔が私を見下ろしていた。
「まぁ、待て。なぜそこまであのエルダーとやらにこだわる。昨日今日会ったばかりの他人ではないか」
さっきまであんなに笑っていたのに今は落ち着き払っている。その上、そんなことを心底不思議そうに聞くものだから面食らう。
「会ったのがいつかなんて関係ないよ。怪我して死にそうなんだから助けたいって思うのは当たり前でしょ」
「わからんなぁ。‥‥世話を焼かれ情がわいたか。それとも少しばかり親切にされて思慕でも抱いたか。他に何かあるのか」
なぜそんなことを気にするのかが分からない。
情がなかったり好きじゃなかったら救わない‥‥そういうのが普通なのだろうか。でもそれは魔人の普通であって私の普通じゃない。
そうか。魔人は人間じゃないからこういうのが分からないのかもしれない。
普通に困っている人がいたら助けるのが普通な気がするけど、でもなんとなくじゃきっと魔人には伝わらないんだろう。強いて言うなら、そう。
「普通に、友達だからだけど」
「はぁ? なんじゃって?」
やっぱりそうだ。魔人はこういう感覚を持ってないんだ。
もしかしたらこれで夢の中に行くのを納得してもらえるかもしれない。人間の理解不能な感情の先の行動だって。
それにこれは本当のことだ。あんまりに当たり前すぎて言ってなかったけど。
「友達! 友達だから助けたいんだよ。わかるでしょ」
人外のおじいちゃんには分からないんだろうけど、意地悪でそう言った。
実際、エルダーと友達なのはリュカだけど、それはややこしいから言わない。
私にとってエルダーさんは友達の友達。良い人だけど私が彼に対してどうこうというよりは、単純にリュカの友達だから助けたいと言う気持ちが強い。
それに加えて彼がああなったのは私たちを護るためなわけだから、そこに罪悪感を感じてもいる。
なぜそこまでするのかと言われれば、これが理由だ。立派な理由になると思うんだけど、魔人はやはり理解できないようで首を傾げている。
「リュカの大切な友達だから、助けたいんだよ。変?」
「変じゃ。それだけで貴様、命を懸けようというのか」
「命なんて懸けてないよ」
だって、精霊と敵対するつもりはないんだし。そもそも警戒されてすらないし。
「ならば阿保じゃ、ぬしは」
「それは‥‥否定しないけど」
魔人はまだ納得してくれてないらしく、腕を放してくれない。けど、助かった。今のやり取りのおかげで頭が冷えたもの。
もし万が一私が精霊に何かされたら、契約で繋がってるおじいちゃんには迷惑をかけてしまう。喧嘩別れの上そんなことになってしまったら合わせる顔がない。
もちろん迷惑なんてかけるつもりはないけどね。やばかったらリュカにお願いして夢から出て、別の方法を考えるつもり。
‥‥今はまだ何も思いつかないけど。
できるだけ円満に解決できるよう努めるつもりだけど、どうなるかは分からない。だからできれば魔人には納得してもらった上で送り出してほしかった。
いってらっしゃいは言わなくていいから、見守っていて欲しい。そしたら、安心できるから。
そのためにあと何を言えば納得してくれるか考える。こじつけでもなんでもいいから、何か考えなければ。
さっきの理由に納得していない魔人の口角は下がったまま。
「あのさ、おじいちゃん。私、今の話聞いてちゃんとわかったつもりだよ。精霊は危ないって。だけど‥‥おかしいじゃない」
「おかしいのは貴様だ。チトセ」
「う‥‥うるさいな。‥‥だってさ、精霊がエルダーさんを殺そうとしてるなら、なんでまだ死んでないのか不思議じゃない?」
苦し紛れに適当に口から出した言葉だけど、今投げかける疑問としてはなんとなくいい線いっている気がした。
「ゆっくり時間をかけて殺しておるのやも知れんぞ」
「リュカが言ってた。エルダーさんが起きないのは精霊が何かしてるせいなんじゃないかって。だけど、もし精霊が本当にエルダーさんを殺そうとしてるならきっともう殺してるはずだよ。だってエルダーさん今にも死にそうなんだもん。だけど生きてる」
「ほう」
なんとなく魔人が感心してくれた気がして、これならいける気がしてくる。
「多分だけど、まだ間に合うんだと思う」
「何がだ」
「理由は分からないけど、精霊は今すぐエルダーさんを殺すつもりじゃないってこと。エルダーさんは精霊と話ができるんだから、私たちが夢の中へ行ってエルダーさんにこの事を教えて、それで闇の精霊と話して、憑りつくのをやめてもらって、そしたら‥‥」
そしたら、きっと何一つ問題はない‥‥そう言おうとしたけど、言葉が詰まった。
私の迷いを見逃さず、おじいちゃんが鼻を鳴らす。
「そうしたら無事解決か」
「‥‥う」
頷きたいけど、正直なところそんなにうまくいくのかと自分自身疑問に思っている。
だって今のは全部、この場で考えただけのでまかせなんだし。そりゃ、私自身適当なことを話してる自覚があるからね。
けど、それじゃ魔人は納得しない。だからここは苦しい言い訳でもなんでも、とにかく自信をもって答えるしかない。
「うん。無事解決すると思う」
「はっ! 本当にそうなると思うておるのか?」
私のでまかせを嘲笑うように耳まで伸びる口。私の強がりを見透かすように弧を描く目。
そんな顔で見つめられたら、だめだ。
おじいちゃんに通用するはったりなんかし通せない。
諦めて、正直に話すことにする。
「‥‥ほんとは思ってない。分からないけど‥‥でもやってみる価値はある‥‥と、思う」
「価値などない」
魔人ははっきり言い切った。
どうしよう。このままじゃ本当にエルダーを助けに行くのを許してもらえそうにない。そう思うと、心の奥に歪んだ暗い気持ちが芽生える。
こんなことなら話さなきゃよかった。おじいちゃんに内緒で行って、さくっと助けて戻ってくる。そうしてしまえばバレずに済んで、こんな面倒なことにもならなかった‥‥と。
話そうと思ったのはなんでだっけ。
嬉しかったからだ。
おじいちゃんが話を聞いてくれるのが嬉しくて、その上で許して見送ってくれるなら更に良いと思ったから。
でもそれだけじゃない。契約上、私の行動が魔人へのペナルティに繋がるから、事前に話して許可を取るのが誠実だと思ったんだ。
ちがうな、もっとある。
もしも私たちに何かあった時、スムーズに助けてもらうためだ。
何も言わず行ってトラブルを起こすより、話してから行った方が心象良く助けてもらえると想像したから。
計算高くそんなことを考えて、失敗した。なんて卑怯で、その上頭の悪い人間なんだろうか私は。
私を駆り立ててた怒りはもうない。今あるのは魔人への罪悪感だけ。自分への反省だけ。
「おじいちゃん‥‥。私‥‥」
「まぁ、どうしても行きたいのならば行けばいいがな」
「ごめんなさ‥‥え!? いいの!?」
唐突な許可に耳を疑う。しかし魔人は「仕方がなかろう」と口の端を下げるだけ。
「え? えっ! いいの!? なんで!?」
良いならいいけど、意味が分からない。あれだけだめと言っていたのになぜ急に良いと言い出したのか。
見つめると不満げに眉が上げる。
「したくないのならするな。わしは反対しとるのじゃぞ」
「行くよ! 行きたい! エルダーさん助けたいもの。けど‥‥なんで? だって、全然納得してなかったのに」
「しとらんよ、納得など。友人を助けたい‥‥その気持ちはよう分からん。なんの理があるのかさっぱりじゃ。しかし、それだけの理由なのだろう? 貴様にとってはな」
理解できない相手の行動を許すだなんて。しかも自分も危険に晒されるかもしれないのに。
魔人は私に歩み寄ろうとしてくれているんだ。
分からなくても、好きにさせてくれる。私を信じて、やらせてくれる。
お母さんからだってそんな風に信じてもらったことはない。だからか、妙に感動してしまう。
「おじいちゃん‥‥! ありがとうっ!」
嬉しくてたまらず、抱き着く。魔人の体は痩せてて細い。
頭の上からくっくと喉を鳴らす音が聞こえて来た。
「よいよい。何もただで行かせるわけではないからな。条件付きじゃ」
「条件?」
細っこい体から手を離す。三日月みたいな口からぎざぎざの歯が見える。
条件ってなんだろうか。山のようにお菓子を焼くとかだろうか。前にもそういう約束をした。
それなら、そんなことでいいならいくらだってやるけど。
「もし貴様の身に何か起こるようならな。その時点であの精霊騎士を喰う」
とんでもない条件に、言葉を失った。
「それからな。もし他の者共が騒ぐようなら、そやつらも喰らう。それを貴様が許すなら、わしも貴様の無謀を許してやるぞ。どうだ」
意地の悪い笑みがぐっと近づいてくる。
「ど、どうして‥‥そんなこと」
「どうして? 精霊の気を逸らすためよ。そうしなければわしとて危うかろう」
精霊自体をどうにかはできないが、精霊が執着する対象を消してしまえばある程度の収束はつく‥‥。だから危なくなればエルダーを殺すのだと言う。
「まさか、このわしが貴様の無謀に善意で付き合うとでも思うたか。ただただ危険を冒すのを、黙って見守ってやるとでも」
そりゃそうだ。
自分の命まで危ないのに、それをただで許す人なんていない。しかも相手は人間じゃなく、魔人なのだから。
このくらいの条件がついたって何もおかしくない。
さっきまでの自分がどれほど無責任だったかと後悔しかけるほどの重責が降りかかってくる。
もし私が何か間違えて精霊を怒らせるようなことをしてしまったら、私の身に何か起きて魔人が契約のペナルティを受けるような事態になってしまったら。
最悪、騎士団の全員が食べられてしまう。
自分の手にたくさんの人の命が懸かっている。それを意識すると急にこわくなってきた。
体が震える。
恐怖じゃない。責任の重さで。
「どうじゃ。チトセ。それでも行くか」
「‥‥」
決断ができずにいる私を見て、魔人は楽しそうに笑む。
「この程度の約束1つで揺らぐようならば、やめておけ。貴様の覚悟など所詮その程度よ」
「‥‥」
魔人の言う通りだ。私は甘えてたんだ。
精霊に何かされても、どうせ魔人が助けてくれるからと。だから魔人にすべて話す前提でいたんだし。
遊びに行くつもりなんてなかった。最初から本気でやるつもりだった。だけどその決意はどこか無責任なものだったんだ。そのことを、重大な責任を課されてはじめて自覚した。
もっと本気にならなければ。
魔人は本気なのだから。
私も、本気で。全力で。
「おじいちゃん」
「なんじゃ」
大きく息を吸う。息を止めて、体の震えをどうにか止ませてから魔人を見る。
責任の重さに潰れそうだ。こんな重要な事、したくない。でも、それでもエルダーを助けたい気持ちはなくならない。
リュカを、悲しませたくないの。
「私、行く。それで、ちゃんと大丈夫なまま帰ってくる」
「ほう、そうか。理解しとるか? しくじれば死人が出るぞ?」
「分かってる。しくじらない。絶対に」
「‥‥ならばよし。行くがよい」
私の覚悟を聞いて、なお楽し気に笑う魔人の手が離れていく。
「心せよ、娘。わしはこれ以上譲るつもりはないからな。危ういと判ずれば‥‥貴様が泣こうが喚こうが、リュカが狂おうがどうなろうが構わず喰うからな」
嘘も冗談も言っていない金色の目。それをじっと見つめたまま、私は静かに頷いた。
魔人は笑みを深くする。穏やかで優しい声音が空気を揺らす。
「では、チトセや。行っておいで」
「‥‥行ってきます。おじいちゃん」
失敗はできない。私は誰も死なせたくない。
人の命を手にしたのははじめてだ。絶対、落とさないから。
見送る魔人の後ろで、噴水の水飛沫が青く光っていた。




