27話-2 夢の中へ行く前に
噴水が背後でじゃぱじゃぱ音を立てる。縁に座って眺める庭は静かで広い。
夢に入る前に、魔人に精霊について聞いておきたかった。リュカの話じゃほとんど分からなかったから。
精霊がどんな存在で、どれほど脅威なのか。私たちのすることは危なくないかどうか。もしくはどれくらい危険なのか。
「貴様はまだ眠らんのか。明日も進むのだから、早ぅ寝た方がいいと思うがな」
「もう寝るよ。でも聞きたいことがあって。おじいちゃん、リュカから黒い精霊の話は聞いたよね?」
「聞いたが、貴様までなんじゃ。闇の精霊のことなど、知ってどうする」
訝しむような声音にはどきりとするけど、やはり魔人は頼りになるなと思う。黒い精霊の正体がこんなにすんなり知れるとは。
だけどその先は今話したらだめな気がして、なんとかはぐらかせないかと考える。
「いやその‥‥うん。気になったから。ていうか、闇ってよく分かったね」
「さっきからテントの周りを飛んどるからな。見れば分かるわぃ」
「ええ!?」
言われてテントの方を見るけど、何もいない。何も見えない。
「なんだ、何もいないじゃない。びっくりした」
「貴様らが来る少し前に中に入って行ったからな」
「中って、テントの中?」
魔人は澄ました顔で頷く。
謎の精霊がエルダーのそばにいることは分かっていたものの、一度ザギとテントに入った時は何もなかったから平気と思い込んでいた。
今さらながらリュカのことが心配になってくる。
テントの中ではちあって、どうにかなっていたらどうしよう。
「そんな顔せんでも大丈夫じゃ。おそらくあの精霊騎士に取り憑いとるんだろうが、触らねば祟られることはない。精霊など気にせず、安心して寝るがいい」
そう言って手をひらひらと振る。まるで早く行けと言わんばかりに。
それははたして安心して寝ていいものだろうかと思うが、それよりも。
「エルダーさん取り憑かれてるの!?」
頭の中でリュカが言っていた『死んじゃう』がこだまする。
「こ、このまま死んじゃうとか‥‥ないよね?」
「案ずるでない。貴様らには何もせんだろうよ。精霊からしたら人など空気に等しいからな。しかし、あの騎士になんぞしようというならやめておけよ。精霊は執着しとる獲物を横取りされることを嫌うものだ」
魔人は落ち着き払っているが、それを聞いた私は落ち着いてなどいられるわけがない。
獲物と言ったもの、この人外は。
「じゃあ、やっぱりエルダーさんはこのままじゃ‥‥!」
「さてな。どうなるかは分からん」
まるで興味なさげに言うものだから、何もしてくれないんだと不安が増してきた。
膨らんだ不安がぽろりと口からこぼれ出る。
「やっぱり、追い払うんじゃだめかも‥‥早いところ起こさないと‥‥」
「ああ?」
「あ‥‥っ」
しまったと思って魔人を見ると、猫みたいな目が細く光った。
「貴様、もしや何かする気か。精霊騎士に」
隠すつもりはなかった。最後にはちゃんと話をするつもりだった。だけどこのタイミングで話すつもりはなかった。
しかし言ってしまったものは戻らない。
「えっ、とー‥‥。そのー、‥‥‥‥うん」
はぐらかそうと思ったけど、言葉が出てこなかった。
「言え。すべて」
4本の腕を広げた魔人が身を屈め迫る。座っていてもかなりの圧を放ってて、今全部打ち明けなければ絶対に怒られると思った。
「は、話すよ! 話すから、それやめて‥‥。こわい」
言うと、魔人は迫るのをやめてくれる。4本の腕も下ろすが、しかしまだ近い。話さなければ逃してもらえないのだろう。
失敗したなと思う反面、なんでだか嬉しくも感じている。
こういう時、話も聞かず頭ごなしに「やめなさい」の一点張りにならない事が新鮮で。魔人は私の話をちゃんと聞いてくれるんだよね。
「で? 何をする気じゃ」
「その‥‥リュカとエルダーさんの夢の中に入って、朝まで精霊を追い払い続けようかって‥‥」
そして朝まで彼を護りきるのだと告げると、魔人は呆れたように眉を寄せて体を戻した。
大したことがないと判断されたらしい。
小さなため息が聞こえてくる。
「無茶はよせ。精霊など貴様らの手には負えんよ。やつらは魔法以外で対処できん。じゃから、諦めよ」
今ここにいる中でも魔法を扱えるのはエルダーだけ。だからやめろと。
精霊は魔人でさえ対処できない危険な存在ということだ。
精霊からエルダーを護る。つまり、獲物の横取りになるんだろうか、これって。
もとから安全とは思ってなかったが、こうもはっきり言われると悩んでしまう。しかし、ここで引くことはできない。というか、まだ引かなくて大丈夫そうだ。
夢の中に入ること自体は反対されたものの、魔人の態度はまだ呆れているだけ。もう少し踏み込めそうだと感じる。
気になることはまだあるしね。
「闇の精霊ってさ、エルダーさんの精霊じゃない‥‥んだよね?」
「なんじゃて?」
「えっと、だって不思議で。エルダーさんていろんな精霊にお願いして魔法を使ってたじゃん。なら、闇の精霊もエルダーさんの味方の精霊なんじゃないのかなって」
もしそうなら、まさかエルダーを殺すわけがないんだけどね。だけどそうなら、私たちは安全に夢の中へ行けるということになる。
魔人はつまらなさそうな顔をしたまま私を一瞥した。
「それはないだろうよ。闇の精霊を扱えるのであればあの若造はこうなっとらん。力を貸すでもなくそばにおるなら、取り憑いとる以外なかろう?」
闇の精霊を扱えるのと、エルダーの今の状況がどう繋がると言うのだろうか。
「ごめん、全然分からない。なんでそれで味方じゃないってわかるの」
すると今度は口の端を下げ、ため息混じりに「ああ‥‥」と唸られた。
分からないことは聞けといったくせ、聞くとまずこうやって面倒くさそうな反応をする。そんな態度をとられるたびに自分の知識のなさ、推理力のなさを実感していたたまれなくなる。でも聞くほかないし。
私、本当は人に何かを聞くのって苦手なんだよね。無視されたり、答えをはぐらかされたり、結局教えてもらえなくて‥‥勇気を出して聞いても、ただ己の馬鹿さ加減を認識するだけなのが嫌でさ。
お母さんも、先生も、同級生たちも‥‥みんな、私の問いには答えをくれなかった。
『そんなこともしらないの』そういう顔でくすりと笑ったり、なんて馬鹿な子だと顔をしかめられたり、どうして私に聞いたのかと関係性を疑われたり。そういうのに傷ついてきた。
教科書にでも載っていれば楽なのに、私の聞きたいことは一切書かれてない。
きっと、誰もが知っていて当たり前のことを聞いていたんだと思う。わざわざ口に出して言わないようなことを。
けど、それが何だったのかは、今も分らないまま。
聞きたいけど聞けない。これ以上変だって見放されるのは嫌だから。
だから、分からないまま諦めた。
そして周りと何かが掛け違ったまま1人になったんだ。
「‥‥教えてよ、おじいちゃん」
「何が知りたい」
うんざりしながらだけど、そう返されてほっとする。
そう。魔人はちゃんと答えてくれる。
私とちゃんと話をしてくれるから、だから安心して聞けるんだよね。
馬鹿な私の、馬鹿な質問にもしっかり答えてくれるの。だからどれだけ顔をしかめられても大丈夫。
おじいちゃんは答えてくれる。私を無視したりしないでいてくれる。
それって、見放されてないってことだ。私の事を見ていてくれてるって事。それが嬉しくて、安心できるから聞けるんだ。
「ありがと、おじいちゃん。えっと、じゃあ‥‥闇の精霊が味方ならこうなってないって、どういうこと?」
「あ? そりゃ、闇の精霊を使役しとればゾンビなど敵では‥‥ああ、知らんよな。そうだったな。‥‥はぁ」
魔人はどうやら、私がこの世界の知識をほとんど持っていない事自体を忘れていたようだ。
「闇の力には死体を操る術があるのよ。アンデッド系の魔物とは相性が良くてなぁ。奴が階下で闇の精霊を使いゾンビどもを操っておれば、少なくとも首を噛まれるようなことにはなっとらん」
「でも、それだけで取り憑いてるってのは言えなくない? 今たまたま通りがかっただけとか」
「はん! ないな。さっき言うたろう。精霊は人など基本見とらん。貴様は足元に生えた草1つ1つにいちいち何か思うか?」
「思わない‥‥けど」
花なら思うかもしれないけど。
「そうだろう。それは精霊も同じだろうよ。‥‥まぁ、それだけではないがな」
含みのある言い方に首を傾げると、魔人は腕を組んだ。
「そもそもじゃ、晒す必要のない姿を晒しとるのだあの精霊は。あやつは己の獲物だと主張しとるのだろうよ。人に執着しとる精霊は面倒じゃから構うな。手を出すでない」
「手を出すなって‥‥起こすのも?」
「刺激するなと言うとるのだ、阿呆。言葉が通じん相手じゃ。何が引き金になるかわからんのだぞ」
なんとなく理解できたが、なんだろう。なにか引っかかる。
「あ、でもそれ変だよ。だって私は精霊見てないもん。何度もエルダーさんを起こそうとしたのに、精霊は何もしてこなかった。もしかしたらさ、起こすのはOKなんじゃない?」
起こすこともNGなのだとしたら、エルダーの様子を見ていたザギやポーションを飲ませた私の行動自体がすでに精霊の逆鱗に触れているはずだ。
精霊の反応がないのならあるいはと思ったが、魔人は鼻で笑う。
「貴様などに主張したところで意味がないと思うとるのだろうな精霊も。半魔のリュカと魔人であるわしには姿を見せた。つまり、人ではないものに対して警戒を露わにしとるのだと思わんか? 貴様のような魔力もない人間など元から相手にされとらんのよ」
「じゃあ、それならむしろ私ならエルダーさんを起こしても大丈夫なんじゃない?」
「貴様と話していても埒が明かん。いい加減にせよ。いくら雑草でも、足に絡みつかれれば鬱陶しくなるだろうが」
そう言うと、魔人は頬杖をついてしまった。段々苛立ってきている気がする。
どうしよう。このままだと本気で止められかねない。
というかもうほとんどだめだの一点張りにしか聞こえない。
「団長さんに相談するとかは‥‥」
「やめておけ。精霊に剣は通用せんからな。下手に騎士共に話せば奴らも闇の精霊の餌食になるやもしれんぞ。そうなったら貴様はどうせ泣くだろう。私のせいだとかぬかしてな。鬱陶しい。やめよ」
そうだ。それに今騎士の誰かにその話をしたら、私たちはエルダーと引き離されるかもしれない。
手を繋いで寝なければエルダーの夢の中には入れない。騎士たちが精霊を警戒して見張りにつきでもしたら‥‥。
彼らの前でリュカの呪術は使えない。
なら少なくとも、今は話しちゃだめだ。
ならどうしたらいいか。
次の一言が出て来ず唇と噛んでいると、突然魔人が腕を伸ばした。4本の腕全てを組みなおし、私を見下ろす。
「そういえば、奴の名前は何と言ったか」
「エルダーさん?」
「性は」
「確か‥‥レイリッチ?」
それを聞いた魔人の口が耳まで裂ける。
「はっ! エルダー・レイリッチか。そりゃ笑い話じゃな」
「わ、笑い話!? 真面目に話してるんだけど!」
真剣な話をしているというのに、からかうみたいに笑うものだから神経を疑う。しかし魔人は「わしとて真面目に話しとるよ」と楽しそうに言った。
「いいか、奴がもしこのまま死に絶え、闇の精霊にネクロマンスの魔法を掛けられれば魔術師の素養と相まってリッチとなるだろう」
「リッチって何‥‥」
まさかお金持ちの事ではないことくらい分かるけど、それ以外で聞いたことがない。
「不死の魔物となった魔術師のことじゃ。ぬしに分かりやすく説明するならば魔術師のゾンビといったところか。もちろん魔術や魔法を扱う分、下の墓地にいたようなゾンビなどよりずっと手ごわいぞ」
魔力も多いがな、そう言って魔人は涎を垂らす。
階下で見たゾンビ。腐敗した土色の肉は少しの衝撃で崩れ、眼球はどろりと溶け落ちる。黄色い歯をむき出しにして呻き、理性もなく噛み付こうとしてくるような、そんな魔物。
「エルダーさん、そんなのにされちゃうの!?」
「可能性の話じゃ。しかし、そうなった場合、更にその上位存在となったあかつきにはエルダーリッチと呼ばれる魔物となる」
「エルダーリッチ‥‥?」
彼の名前に似ているけど、まさかと思った。
まさか、さっきから魔人が愉快そうにしているのはこれなのだろうか。だとしたら、その子供っぽい低俗な思考には腹が立つ以外の感情がわかない。
そんな小学生みたいな理由で笑うなんて! しかも人がこんなに真面目に話をしている時に!
睨みつけると、魔人は声を出して笑いはじめた。理由に気が付いた私の怒りすら楽しんでいるらしい。
「ははは! まさにそうなれと言わんばかりの名ではないか?」
「たまたまでしょ! そんなの! 人の名前をいじるとか、最低だと思うよ」
「たまたまなわけがあるか、間抜け。貴様と違ってこの世界でな、魔物の名を知らんですむものかよ」
さらに笑う魔人の横で怒りに拳を握る。人の名前をふざけたり、悪意ある呼び方で呼ぶのは大嫌いだ。理不尽だと思う。
名前は本人が望んでつけられるものじゃないから、余計に。
小学校の時、私には妙なあだ名があった。同じクラスの男の子が私の名をセンサイと読んで以降、事あるごとにミレニアムと笑ってきたのだ。
変なあだ名は急速に広がり、女子がそう呼ぶ頃には隣のクラスの男子にまでからかわれる始末。先生は私を人気者だと思い込んでなにもしてくれなかった。
魔物を引き合いに出されるなんて私の比じゃない屈辱だろうけど、なんにせよ名前をいじられるのっていじられる側からしたら何一つ面白くないことだ。
過去の経験もあって、魔人の悪意を感じるにたにた顔にはいつもの悪口やからかいよりずっと腹が立った。
「人とは愉快な生き物よな。名に意味を籠めるくせ、マシな意味をもたせん者が多いのだから。名には言霊や‥‥魔力が宿ることもある。だのになぜそんなくだらん名づけをするのかのぅ」
エルダーの名前を馬鹿にして笑い続ける魔人にいい加減我慢の限界が来る。
「いい加減にしてよ! おじいちゃん! エルダーさんがああなったのは、私とリュカを護るためなんだよ!? それなのにさっきから‥‥! やめて!」
怒鳴ると、にんまり顔が更に笑みを深くした。
「そう怒るでない。今回もし精霊騎士がそうなっても、ぬしらのせいではないからな」
「意味わかんないっ」
「親が付けた名に、因果が寄せられただけと笑えんか?」
「わ、笑えない‥‥!」
魔人の冗談のセンスが全く分からない。人外だから仕方ないのかもしれないが、私はそれを聞いても「そうなんだ。面白いね」なんて返せない。
さっきまではちゃんと話をしてくれてたと思ったのに、なんなんだろう。
「そうか? なんにせよ、貴様が負い目を感じることはないのだ。放っておけ」
相変わらず冷たいけど、その言い方はなんだか気になった。
細められた目も弧を描く口も私をからかっているようにしか見えないが、だが、しかし‥‥。
もしかしたら、魔人は私を元気づけようとしているのだろうか。
エルダーがああなったのは私のせいじゃないと、そう言ってくれているのだろうか。
だとしたらかなり不器用な優しさだけど。
でも、それならまぁ、少しだけ嬉しいかも。
「そうじゃ! リッチは高い魔力を内包した魔石を持つのだが、あやつがそうなったらば、わしが一口に喰ってやろう!」
だけど次の瞬間にはそんなことを言ってまた笑い出した。
それを聞いて、やはり優しさは微塵もないとはっきりわかった。収まりかけていた私の怒りが再度頂点に達す。
人の心配をしているかと思えば結局魔人はからかったり食べることばっかり!
なんて意地悪なんだろう!
怒りのあまり思わず魔人の肩を引っ叩く。そんなことではびくともしない人外は笑い続け、私の手の平はじんじんと痛んだ。




