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26話-2 リュカと夢の秘密

 リュカの肩を掴んだまま、無言で向き合う。


 なぜこんなにも私は悪夢の内容を知りたがるんだろう。


 これまでの全てを乗り越えたはずなのに、悪夢として残っていたというのが気に入らなくて、むきになってるんだろうか。


 ううん。少し違う。


 悪夢として現れる不安の残滓を知って、それすらも乗り越えたいんだ。


 力で敵わなかった上、心に深い傷を残したままではあいつらに負けっぱなしな気がしてならない。私はこれを乗り越えて、あいつらに勝ちたい。


 もう怖がりたくない。

 あいつらに与えられた恐怖なんかに支配されたくない!


 そうだ。だからどうしても悪夢の内容が聞きたくてたまらないんだ。


 そこに、ヒントがある気がする。私が前に進むためのヒントが‥‥。


「お願い。リュカ。私知りたいの。私が何を恐れているのか知っておきたいの。なにがこわいのか、どうしたらそれをなくせるのか。きっと、悪夢はその手がかりになるから。だから」


 最初はリュカが私の悪夢を覗いているのが許せなかっただけ。夢の内容が恥ずかしいものじゃないか確認したかっただけだった。


 でも今は、自分がちゃんと乗り越えられているのかを知りたい。


 私がちゃんと、それを乗り越えられるのかを知りたい。


 リュカの手を取り、握る。今度は怒らず、冷静に彼の黒い目を見つめてお願いする。


「教えて」

「でも‥‥」

「リュカ、お願い。知りたいの」


 断らせたくなくて、何か言いかけた彼の言葉に被せるように再度頼み込むと、迷う子供は眉を寄せて俯いてしまった。


 リュカは深く長く悩み唸るが、やがてゆっくりと顔を上げた。昼間より黒目の広がった瞳は、私を見て揺れている。


「どうしても‥‥? どうしても知りたいの、チトセ‥‥」

「うん。どうしても」


 頷く私を見てリュカはしばらく唇を噛んでいたけど、じっと見つめ続けると肩を落とした。


「もし、こわくなったら言ってね。言うの、やめるから‥‥」

「うん」

「じゃあ‥‥話すね。いい?」

「うん。いつでもいいよ」

「‥‥お、一昨日は‥‥ね」


 リュカは私の様子を窺うようにゆっくり喋りだす。


「チトセ、暗くて‥‥変なのがいるところ‥‥で、こわがってる夢を見てた、よ」


 もどかしいけど、これが悪夢の話をする上での彼なりの譲歩なのだとしたら、それでかまわない。


「変なの?」

「うん。気持ち悪い‥‥ぐちゃぐちゃの塊、みたいなの。それに、追いかけられてた」


 そこまで聞いて、私は首を傾げる。思ったよりなんともなかった。というか、覚えていない。


 てっきり納屋でのことを夢見ているんだと思っていたから、拍子抜けしてしまう。


「それだけ?」

「う‥‥」


 しかし、やはりそれだけでは終わらないらしい。リュカは言葉に迷い口をパクパクさせている。


 大きな目が私を見つめて、言葉に詰まる唇がおそるおそる次の言葉を吐き出した。


「あ‥‥あとはね、んと‥‥男の人に」

「うん」


 きた。これだ。


 リュカもこれが一番の悪夢と思っているんだろう。今度は更にゆっくり、一つずつ小出しに言う。私の手を握りなおして、1秒ごとに私の表情を確認して反応を探るようにしながら。


「意地悪、されてた」

「う、ん」


 私の目を、表情を、呼吸を、返事を、握り返す手の強さを。私が発するサインそのすべてを注意深く観察するような、そんな視線を向けてくる。


「チトセの、上に」

「‥‥、‥‥?」


 それを聞いた瞬間、なにかが胸をかすめた。

 なんだか、胸のあたりがもやっとくるようなおかしな感覚。


「男の人が、乗っかって」


 今度は全身の毛が逆立つ感覚。

 途端、たまらなくなった。


「いや‥‥っ!」


 私の手を握るリュカの手を振り払い、勢いよく立ち上がる。黒い目が驚きに見開かれ、固まってしまった。


「あ‥‥ご、ごめん」


 謝ったけど、気持ちも顔も体もリュカに向けられない。なんだか妙な気分で、落ち着かない。


 落ち着くためにベンチに座りなおすが、ざわつく胸の震えは収まってくれなかった。足や手の先から力が抜けていき、指や末端には力が入らないのに、背中や肩はがちがちに固まっている気がして、動けなくなる。


 指先が冷える。手足から引いた血が心臓に集まっているみたい。鼓動だけ段々と激しくなっていく。心音が胸の中を響いて、体を震わせる。


 血流のせいか、ここにいるのにどこかに落ちるような感覚。


 どんどん深くなっていく嫌な気持ちをどうにか落ちつけたくて、胸を押さえて深呼吸する。


「ふぅ‥‥っ、ふ‥‥!」


 しかし、それも荒い息遣いに変わった。気がついてしまうと、呼吸の仕方を忘れる。息がうまくできない。


「あ‥‥、‥‥っ」


 良い夢を聞いた時はこんなことにならなかった。聞いても何も思い出せず、本当に私の見た夢かわからなかった。


 なのに悪夢は違った。最初の変な塊の夢は覚えてなかった。聞いてもなにもなかった。でもその次は違った。


 覚えてないのは同じなのに、話されたって見たことを思い出すわけじゃないのに、なのに突然無理だと思った。知らない夢の話なのに、まるですぐ目の前で起きてるみたいに頭の中にはっきりとしたイメージが浮かんできた。今ここで起きてることじゃないって分かっているのに、それすら本当かどうか分からなくなって、とてもこわくて‥‥。


 だって、あの時の事を思い出したから。

 捕まって、動けなくて、逃げられなくて‥‥こわかった。


 そうだ、こわい。

 リュカはもう話すのをやめたのに、やめられない。私は悪夢を思い出そうとしてる。


 忘れた夢の記憶が戻ってこようとしてる。夢だけじゃない。なくなったはずの恐怖が蘇ってくる。あの時の恐怖が、どうにもできなかった気持ちが、全部。


「は‥‥っ、ふ‥‥!」

「チトセ、大丈夫‥‥? ねぇ‥‥」

「だ、だめかも‥‥。わ、わ、わた、し‥‥っ」


 リュカを見るのに、頭の中には暗い室内が見えている。


「だ、だめ‥‥」


 だめだ、だめだ、だめだなくならない!


 嫌な気持ちがなくなってくれない!

 やっと大丈夫になったのに、全部戻ってしまう!


 乗り越えられたか確認したいなんて、なんて馬鹿なことしたんだろう。

 そんなことしなければよかった!


 あれからまだ2日しか経ってないのに、なにを忘れた気になってたんだろう。なぜもう大丈夫になったんだと勘違いしてたんだろう。


 なんで乗り越えられると思ったの!


 納屋での出来事は、私の中でまったく乗り越えられずにいたんだってことがよく分かった。


 むしろどうして今まで平気だったんだろう。

 あんなにこわかったのに。


 どうして今まで笑ってこられたんだろう。

 あんなに辛かったのに。


 今だってこんなに‥‥。


 胸が痛くて。

 喉の奥がきつくて。

 息が苦しいのに‥‥。


「う、ふぅ‥‥っ! うぁ、あ‥‥っ」


 呻いて、身を丸めて俯いて、でもなくならない。こわいのが消えない。苦しいのがなくならない。嫌な気持ちがずっとある。


 声を出すと痛いのに、喉の奥から嗚咽が勝手にこぼれてくる。


「うぅ‥‥っ、うぁ‥‥あっ!」


 全ての感情が我慢ができなくなった瞬間、体をぎゅっと押さえつけられた。驚いて振り払おうとしたけど、振り払えない。


 パニックになりかけた私の耳元で声がする。

 あいつらじゃない。

 リュカの声が。


「ご‥‥ごめんっ! チトセ、僕‥‥っ! な、泣かないで‥‥泣かないで‥‥っ! お、思い出させて、ごめんなさい‥‥っ!」


 言われて気づいた。視界が歪んで見える。頬を何かが流れてく。


 私、泣いてる。


「うぅ、うー‥‥っ!」


 自覚したからだろうか。涙があふれて止まらなくなった。リュカが私の背に触れて、肩に触れて、強く抱きしめてくれても、止まらない。


 悲しいんじゃない。こわくて、つらくて、悔しくて。

 あの時の感情が戻ってきたみたいになって、涙が止まらない。


「ふ‥‥っ、うぁ、あぁ‥‥っ!」

「ごめんなさいっ、ごめんなさい‥‥! ちがうの、ちがう‥‥っ。な、泣かないで欲しかったの‥‥っ! チトセがこわいって、嫌だって、チトセが思うのが嫌だったのっ!」


 喚くリュカが何を言っているのかは聞こえない。わからない。


「ごめんなさいっ! 思い出させて‥‥っ! ごめんなさいっ!」


 されるがまま抱きしめられて、リュカの肩に額をこすりつける。納屋の時みたいだと思った。あの時も、リュカはこうしてくれたことを思い出す。


 思い出したからか、恐怖の中なんとか理性を手繰り寄せることができた。


「はぁっ、はぁ‥‥っ」

「こわい夢をなくしたら、変えちゃえば、チトセが笑ってくれるから‥‥! こわくしたくなかったのにっ! 話してごめんなさいっ! こわいことしてごめんなさいぃ‥‥っ」


 あの時みたいに、リュカは私の背中をさすり続ける。優しく、強く、泣きそうな声で喚きながら。おかげでリュカの言っていることがなんとなく分かる程度には落ち着いてきた。


「嫌なことして‥‥っ、ごめん、なさ‥‥っ」


 リュカはとにかく謝っていて、それが私に対してだと言うことはわかったけど、なんで謝られてるのかは分からなかった。


 だって私が悪いのに。リュカは止めてくれたのに。私がこうなったのは、むきになって意地を張って、自分を試した私自身のせいなのに。


「う、うぅ‥‥っ! ごめんね、ごめんねチトセ‥‥!」


 ごめん‥‥それは私の方だ。自滅してこんなことになって、またリュカを困らせた。


 なんにも学ばない、成長しない、そのくせできた気になる。愚かな自分が心底嫌だ。


 そう思うと、今度はその事が悔しくて悲しくてたまらなくなってくる。


 あいつらに勝ちたい。あいつらなんかこわくないって思えるようになりたい。


 馬鹿で弱い私に勝ちたい。もっと、強くなりたい!


「‥‥っ、は」


 心音、呼吸、フラッシュバックはだんだんと止んでいく。


 このまま、なんとか気持ちを立て直せそうだ。


「ごめんなさいっ、ごめんなさい‥‥っ! もう言わない。思い出させないから、だから、チトセ泣かないで‥‥。チトセが苦しいのは嫌だよ、こわいのも嫌。お願い、忘れて‥‥全部、悪いこと全部‥‥忘れて‥‥っ!」

「ふ‥‥」


 細い背中に触れて感じるあたたかさ。


 あの時もこうだったけど、やっぱり不思議だ。リュカにこうやって触れてもらうと恐怖や不快感が少しずつ薄くなっていく。


 彼の体温がそばにあると、その優しさに安心できる。


 心の中を埋め尽くしていた悪夢による恐怖や無力感は波が引くように消えていく。やがて涙も止まって、喉の痛みも引いた。


「ごめっ、なさい‥‥っ、ごめん、なさいぃ‥‥っ!」


 私が落ち着いた頃、今度は逆にリュカが泣き出した。その背中に腕を回して撫で返す。


「あ、あやまらないで、リュカ。私が悪いの。私こそ、ごめん。私が聞いたことなのに‥‥また泣いて、困らせた。リュカがこうしてくれたからもう平気。こわくないから、大丈夫」

「うぅ‥‥ほんと‥‥?」

「うん、楽になったよ。リュカのおかげ‥‥」


 ぐっと抱きしめると私の背中に回る腕にもぎゅうっと力が込められた。


 ちょっと苦しいので緩める。


「チトセ‥‥ごめんね‥‥。僕、‥‥ごめんね」

「ううん。私こそ。私こそ‥‥ごめん」


 私もリュカも、まだしゃくりあげるような声だった。


 抱きしめるのをやめて顔を上げ、お互いの泣き顔を見つめ合う。

 いつまでもそんな顔をしていられないから無理やり笑って見せると、リュカも同じように笑ってくれた。


 少しずつ、いつもの調子を取り戻す私たち。不器用な笑顔をどちらともなく照れ笑いに変えると、小さくなった不安がため息と一緒にでていった。

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