9話-1 後悔、それから
薄暗い闇の中。冷たい石の上で、冷たい指に捕まって、動けずにいた。
『殺してあげられるよ』
その言葉を頭の中で何度も何度も反芻して、後悔する。
優しいリュカに、そんなことを言わせるつもりはなかったのに。私の心配をしてくれていたリュカに、あんな困った顔させるつもりなんてなかったのに。
私はリュカに甘えていたんだと自覚した。
甘えていたから、リュカを何度も傷つけることができたんだ。何度も傷つけて、そのたびに私の近くに戻ってきてくれるリュカに心底安心して、喜んでいた。
こんなにひどいことを繰り返しても戻ってきてくれるリュカなら、私がどんなにひどいことをしても裏切らないって、しょうもない感情を小出しにして彼を試して、そうやっていつか、どこかのタイミングで、リュカが絶対に私の味方でいてくれるって確信して、どんどん寄りかかってたんじゃないかと、そう思う。
彼にひどいことをしていると気が付いていてもやめられなかったのは、このまま甘えていたかったからだ。甘えているのはとても楽で心地が良かったから。
信じてほしいと言うリュカの言葉は信じなかったくせに、自分の都合で信じる必要があったためにそんなことをしたんだ。
そのくせ、リュカのことなんか全く見ていなくて、彼のことをちゃんと認識できてなかった。彼が一人の人間だってことすら考えていなかった。
私、本当に最低だ‥‥。
でも、‥‥仕方ないじゃない!
だって、こんなわけもわからない世界で、人違いって理由があったとしても、無条件に私を助けてくれた唯一の人なんだもの。
頼って、甘えて、当たり前じゃないか!
でも、私が甘えた分、リュカは頑張らなきゃけなかったはずだ。私が頼った分、リュカは大変だったはずだ。私が考えなかった分、リュカは代わりに考えて、困って、それでも私を助けようとしてくれて。
なのに私はそんなリュカを利用して、いいようにして、八つ当たりなんかして‥‥。
地下でも扉の先を怖がっていたのに、結局私のわがままに付き合ってくれた。
ひどい光景が広がっているなんていくらでも想像できたはずなのに、私は甘くみていた。
リュカだって何度も忠告してくれたのに、どんな景色が待ってるかなんて想像もしなかった。
心構えなんてしてなかったから、簡単に気を失ったんだ。
私は自分がやりたいようにしかしていなかった。それにリュカを付き合わせて、振り回してた。
私が今生きていられるのは、気を失った私をリュカが誰にも見つからないように運んでくれて、一緒に隠れていてくれたおかげなのに。リュカは私が死なないように、してくれてたのに。
私は私のことばかりだ‥‥。ここにきてからじゃない。ずっと、ずっとそうだった。
飛行機の中、ほんとうは友達と楽しそうにしゃべる同級生達が羨ましかった。私も仲間に入れてほしかった。友達がいたら、きっと修学旅行だってもっと楽しいものになったはずだって思った。
行先だって、別に東京じゃなくたってどこでもよかったはずだ。友達がいれば、きっとどこでも楽しいと思えたんじゃないだろうか。けど、私は自分のことばかりだから、こんな私と友達になんてなりたい人なんかいないから、だからずっと一人だった。
きっと友達がいたって、こんなふうに振り回して私の都合に付き合わせて我儘に傷つけてたと思う。私に声をかけてくれた同級生だって過去にはいたけど、彼らもやがて離れていった。
私が彼らに対しても酷い態度を取ってたんだと、今なら分かる。
違うな。きっと分かっていたんだ。
分かってたのに気が付かないふりをしていたんだ。一人の方が楽だって思うふりをして。
だって、私が悪いんだってことに気が付いたら、友達を作るために私自身を変えないといけなくなるから。
それはとても難しくて煩わしくて、嫌なことだと思ってたから。
他人を思いやるなんて、疲れるだけだって思ってたから。
私は酷いやつのまま、楽なままでいたかっただけ。
だけど、自分が傷つくのばかり怖がって、他人が傷つくことを無視していたから、私はリュカを傷つけてここまで追い詰めたんじゃないの?
目の前の男の子は、生身の人間だってことを除けば出会った時となに一つ変わらない。私を守ると言ってくれて、実際に守ってくれて、我儘な私に寄り添ってくれて、こんな世界で唯一私の味方をしてくれた。
良い人のままなのに。
なのに、こわいと思うのはなんで?
リュカが私を殺すと言ったのだって、元を辿れば私が泣き喚いたせいなのに。彼をここまで追い詰めたのは私なのに、どうしてこわいだなんて思ったんだろう。
沈黙する私をリュカはただじっと見つめて、答えを待っている。けれど、やがて首を傾げた
「どうしたい? チトセ。教えてよ」
その表情も声音も今までとなんら変わりない。ただ、どこか冷たく感じるのは、私が緊張しているせいだろうか。
緊張する必要はない。だって相手はリュカだ。
謝って、許してもらえなくても謝って、それから考えれば良い。これからこの世界でどうすればいいのかを。リュカだけに頼らず、私も考えるの。
私はリュカにこの思いをどう伝えたら良いのか考えていた。
だけど、今まで人とちゃんと接してこなかったから上手く言葉にできなくて、言葉に詰まる。
その間もリュカは思考を巡らせていたようで、独り言のように呟いた。
「‥‥お嬢様は怒らないかもしれない。チトセが泣いて、苦しんで死んじゃうよりは」
リュカはなんとか、私のために私を殺す理由を考えているようだった。
理由をつけて正当化して、仕方ないって自分をだまして、やりたくないことを一生懸命にやろうとしてる。‥‥ように見えた。
そうだよね。リュカはきっと、私を本気で死なせたいわけじゃないんだよね?
そう思い、安心する。
だって、リュカは今までずっと、私の味方だったから‥‥。
けれど、突然にリュカの表情は明るくなった。
「‥‥そっか! チトセがこのまま夢の国に来てくれたら、僕もチトセとずっと一緒にいられるんだ」
「‥‥え?」
「それってすごく楽しそう。‥‥そうだよ。元からお嬢様が来てくれたって、夢の国に行くしかなかったんだ。なら、これって悪いことじゃないよね?」
そう言って嬉しそうに笑うリュカを見て、リュカが本気になっていくのを感じて‥‥改めて怖いと思った。その恐怖は、さっき否定した感情とは全く別のものだった。
リュカが私を殺すことを良しとしたら、唯一の味方を失ってしまうことになる。この世界で誰一人、私が生きることに肯定的でなくなる。その恐怖。
それから、本気でリュカが私を殺そうとしたら、きっとできてしまうという恐怖。
「りゅ‥‥」
この首にからまる指が怖い。リュカが怖い。
すっかり涙は引っ込んだ。だけど混乱と緊張のせいでなにを言ったらいいかわからないままだ。
さっきまでまとまりかけていた感情は、リュカの豹変で一気に霧散して新たな混乱の渦を作っている。
「うん。そうだよ。夢の国に行こうよチトセ。夢の国は楽しいよ。お仕事はあるけど、ないときはずっと遊んでいられるよ。美味しいお菓子もある。痛いことも苦しいこともない。もちろん怖いこともないよ。そうだ! お嬢様に頼んでお屋敷のメイドさんにしてもらうのはどう? それでお嬢様と僕とワールドエンドと、ずっと一緒に暮らそうよ」
リュカはもう困ったように笑っていなかった。
地下室で見たように怯えてもいなかった。
ただ、これからどんな遊びをしようか考える子供みたいにわくわくとした笑顔で私を見つめていた。
「いいよ、チトセ。僕、できるよ。どうしたい?」
「し、‥‥」
死にたくない。
当たり前だけど、死にたくなんてなかった。
どれほど優しい死に方だって、死が目の前にあると思うと怖かった。
「死にたい? うふ」
リュカが嬉しそうに笑って、指に力を込めてくる。
喉がひゅっと鳴って、まだそんなに絞められてるわけでもないのに声が出せない。混乱のせいじゃない。怖くてしゃべれなかった。
私は喋る代わりに首を横に振る。残った涙が頬を流れていった。
「‥‥え? 死にたくないの?」
そんながっかりしたみたいな声を出さないでほしい。それに、断ったのにまだリュカの手は首にかかったままだ。
リュカの顔を見る。彼もまだじぃっと私を見つめている。
「でも、捕まったらあんな風に殺されちゃうかもよ? あんな風になるの、怖いんでしょ?」
なぜそんな不安をあおるようなことを言うの? さっきまで助けてくれるって言ってたのに。
私は首をさらに振る。それでもまだ放してくれない。
「もう無理なんでしょ? 疲れたんでしょ?」
リュカの目は真っすぐで、小さな黒目は月が陰ったせいか真っ暗で、地下の天井のようだった。
私はもっと強く首を振る。それでも手がどかない。
「痛くないよ‥‥? 怖くないよ‥‥?」
自分が叫んだ甘えの言葉だからか、それらの言葉で詰められるのはかなり苦しかった。
だけど、自分のせいなのだからと言い聞かせ、私は首を振り続ける。さっきまでの自分を否定するように。
「苦しいのは嫌でしょう?」
何度首を振っても、リュカは私を「死にたい」に誘導しようとしてくる。
‥‥リュカが私を本気で殺したがっている気がしてきた。




