25話 不安の吐露
ガゼボのベンチに座り、光る庭を眺めてどのくらいか。しばらくして、ようやくリュカが口を開いた。
「エルダーね‥‥。黒いのが、ついてて‥‥」
「うん」
「だから、起きないのかなって。このままじゃ、ほんとに死んじゃうかも‥‥」
首の痣。冷えて意識のない体。呼んでも反応一つない。
花冠を作ったり明るく振る舞っているけれど、大切な友達がこんな状況で、それを不安に思わないわけがない。
私も同じ気持ちだけど、リュカがそう言うなら私まで不安を口に出すわけにはいかない。勇気づけなきゃ。
「私も心配。だけど、みんな大丈夫って言ってくれてるから、きっと大丈夫だよ。きっと明日ポーション飲んだら起きてくれるよ」
「そうかもしれないけど‥‥。でも黒い精霊が今夜エルダーを殺しちゃったらだめになるもん」
「ん‥‥!?」
リュカがどれだけネガティブなことを言ったとしても、できるだけポジティブに返そうとしていた私だったが、今のは流石に無理だった。
驚いた声が大きすぎたらしくて、リュカは言っちゃいけないことを言った子供みたいな顔をして固まる。
大きな声を出してしまったのは悪かったけど、でも仕方ない。責めるつもりなんて毛頭ないけど、リュカったらあんまり突然にそんな大事なこと言うんだもの。
「ごめん、驚いて‥‥」
「ううん、平気‥‥」
気を取り直して、改めて聞いてみる。
「それより黒いのって、あの痣じゃなくて‥‥精霊のことだったの?」
「うん」
「黒い精霊?」
「黒くて光ってるやつ」
「精霊って‥‥洗濯の時とか、お風呂とか、ゾンビの時の竜巻起こしてた、あれだよね?」
「うん」
「黒いの? そんなのいた?」
風は緑で、熱が赤いようなオレンジのような色。水が青で、地図を作った精霊は白かった。黒なんて見てない。
「いたよ。さっき見た」
「どこで」
「テントで」
思い返しても、そんな光見ていない。もしかしてテントの隅に潜んでいたとかなんだろうか。
「私には見えなかった‥‥」
「嘘じゃないよっ。明るいときは見えなかったの。でも、テントから出るとき外が暗くてテントの中の明かりを小さくして、その時だよ。見たら、黒い光がエルダーの周りを飛んでたのっ」
「嘘だとは思わないから、落ち着いて‥‥」
どうしてその時に言わなかったのかと問うと、エルダーの精霊だと思ったから、らしい。けれど妙な違和感をずっと感じていると。
「違和感‥‥。なら、おじいちゃんに相談しようよ」
「おじいちゃんにはご飯の前に言ったの。でも、精霊には関わるなって言われて、それで‥‥僕、どうしたらいいか分かんなくて‥‥」
そのまましょんぼりと俯く姿には覚えがあった。リュカは夕食の時もこうやって1人もくもくとレーションを齧っていた。
あの時はレーションの美味しく無さにテンションが低いのかと思っていたが、このことを考えていたためだったのか。
「なら、団長さんに言おう」
魔人が頼れないなら、頼るべきは1人だ。
だけど立ち上がった私の腕をリュカが掴んだ。まるで行くなと言うように強く引かれる。
「ねぇ、チトセ。もしかしたらエルダー、怪我で寝てるんじゃないかもしれない。夢の中から出られないんじゃないかな」
「夢の中から出られない‥‥?」
またもや先の読めない発言で一瞬どうしようかと思ったけど、掴まれた腕が痛いくらい握られるから、今はとりあえず聞くしかなさそうだ。
「だから、赤い人に言う前に僕らでエルダーを起こそう? もし言っちゃったら、エルダーの傍で寝れなくなったら、僕、起こせない。起こせないと、黒いのがエルダーを引っ張ってっちゃうかもしれない。そんなのやだ。ねぇ、お願いチトセ」
リュカは必死なんだけど、矢継ぎ早にそう言われても何が何だかわからなくて話に全く追いつけない。ただ、彼が相当焦っているのだけは伝わってきたから、一から説明してもらうためにまずベンチに座りなおす。
大きな目を見開き黒目を揺らすリュカが、私の腕を放したかと思ったら今度は手を握ってきた。強く握られるから痛い。
「い、痛いよ‥‥! 落ち着いてったら、リュカ。全然わからない。だからまず教えて。エルダーさんを起こすって、どうして? だって怪我して寝てるんだよ。無理やり起こしちゃだめだよ」
「違うの。エルダーは怪我して寝てるけど、そうじゃなくて。黒いのが放さないんだと思う」
「エルダーさんを黒い精霊が眠らせてるってこと? どうしてそう思うの」
「‥‥なんとなく」
「なんと、なく‥‥」
しょっぱなから根拠が薄い。そう思ったのが伝わってしまったのか、リュカは私の手を更に強く握って身を乗り出してきた。
「でもね! そう思うのっ! だって、‥‥だってそう思うんだもん! 嘘じゃないのっ。本当だよっ! 信じて、チトセっ」
縋るものが私しかいないと言う風にリュカが迫ってくる。あんまり近付いてくるからベンチの上に倒れそうになって、リュカに握られた手ごと彼を押しやり少し距離を取った。
「わ、わかったよ。わかったから、落ち着いて‥‥ね?」
「うぅ‥‥ほんとだよ‥‥」
声を震わせながらも、なんとか身を引いてくれる。手は握ったままだけど。
「じゃあ、そうだとして。黒い精霊はどうしてエルダーさんを眠らせてるの。引っ張ってくって、どこに? ‥‥夢の国とか?」
寝てるし‥‥と考えてから、そういえば夢の国へ行くには死ぬ必要があって、その方法に眠るように死ぬ呪術があることを思い出した。
そう思うとリュカが最初に言った『死んじゃう』の意味にもつながる。
「‥‥わかんない。けど、夢の国に近いところだと‥‥思う」
「死ぬって事だよね」
「うぅ‥‥、ん」
最初にそう言ったくせに、リュカは曖昧に頷く。これもまた、なんとなくそう感じているだけで確信はないのだろう。
「なんでそんなこと分かるの?」
一応聞いたけど、おそらくこれも今のリュカには説明できないんだろうなとは思った。できるならきっともう話しているだろうし。
「な、なんで‥‥? えぇと」
予想通り、リュカは苦いものでも口に入っているかのように顔を歪ませて、首を捻り体を捻り、不安そうに瞳を揺らして黙り込み、かと思えば何か言いたげに私をちらちら見た。
「それも分かんない?」
「でもねっ!? 嘘じゃ、ない‥‥よ」
信じては欲しいが言葉にできないらしい。このままでは埒が明かないので別角度から話しを進めてみる。
「じゃあ、もう一つ教えて。エルダーさんを起こせば、エルダーさんは死ななくてすむの?」
「‥‥多分」
だがこちらも曖昧だ。
リュカの話は、信じるうえで大切な‥‥決定的な何かが欠けていると感じる。なぜそう思ったのか、なぜそうするのかの説明が不十分で、本当にそうした方がいいのかどうか判断しにくい。
原因はリュカ自身が自分の感覚を上手く説明できず、また、感じた違和感の正体をわかっていないせいだ。
こんな夢のようなふわふわした話、通常なら信じたくても信じられないだろう。
だけど私はリュカを信じてあげたい。
これまで、リュカが嘘をついたり私を騙したりしたことはない。お城でも森でも、彼の感覚は正しかったし、それはいつも私を助けてくれた。
なにより、私を信じて話してくれたことが嬉しかったから。
根拠も証拠もない。話せばうそつきだと思われても仕方ない違和感というあやふやな感覚だけの話を、リュカは私を信用して話してくれたんだ。
精霊のことなんて聞いたって何もできない無力な私を、それでも頼ってくれた。そのことが嬉しくて。
だからそれだけで十分に、心の底からこの子を信じたいと思えた。
怯えたような黒い瞳が私を上目遣いに見つめてくる。
「チトセ、信じて‥‥」
祈るように私の手を握る、その力が強くて痛い。
この痛みはリュカの抱える不安の強さそのものなんだろう。これ以上そんな気持ちを抱えてほしくなくて、その手の上に手のひらを重ねる。
私はリュカを真っすぐ見つめた。
「大丈夫。私はリュカを信じるよ。エルダーさんを起こそう。私達だけで」
そう言って強く手を握り返す。すると不安にまみれていた暗い顔は安堵の表情へと変わり、リュカはいつものように表情を崩してへにゃりと笑ってくれた。
「ありがとう! チトセ大好きっ!」
「え、わっ!」
握られた手が強く引かれて、リュカの方へ引き寄せられるように体が傾ぐ。リュカも私の方へ寄ってきたからお互いの肩がぶつかって、勢いで上半身だけ対面になる。繋いだままの手を挟むように体が密着するが、こんなのはもう慣れっこ。
‥‥嘘。リュカと手を繋ぐ以上に体がくっつく時は、毎回ちょっとどきっとする。
だけど嬉しそうな彼の顔が肩にぐりぐりと押し付けられると、帽子からはみ出た髪の毛がふわふわ首周りを掠るから、羞恥心よりはくすぐったさが勝つ。
「けど、どうやって起こすの? 大きな音出すとか、強く揺するとか?」
言ってみたけど、大きな音は出した途端に誰かが気付いてやってきそうだ。見つかれば事情を説明することになって、そうなるとリュカの言う通り、怪しい精霊のいるテントに私たちはいられなくなるかもしれない。
強く揺すって起こすというのも、怪我をして寝込んでいる人には乱暴すぎる気がする。
すると、こっそりポーションを飲ませるとかだろうか。さすがにそれは、摂取量の上限に詳しくない以上したくはないが‥‥。
「んと、夢の中に入って、起こすの」
私に体を預けたまま喋るから、首元にリュカの息がかかって妙なくすぐったさを感じる。身をよじるとむしろ変な感じの体勢になりそうだから、大人しくそのまま動かずにいるけど、そろそろ普通に座りたい。
「夢の中に、入る‥‥? 待って。何言ってるのかよく分かんない。どうやって? あ、呪術で?」
聞くと、リュカは私の肩を掴んで首を傾げた。ついでに体勢を元に戻せそうだったので、膝をリュカの方へ向けてかわりにお尻を少し後ろへずらすと、腕一本分の距離ができる。
「ううん。呪術じゃないよ」
「ならどうやって?」
呪術も使わず、どうやって。そもそも、夢の中に入るって一体‥‥?
明晰夢的なやつだろうか。自分が今夢を見ていると分かれば、夢の内容を自在に操れるってやつ。だけど、人の夢をどうこうなんてのは聞いたことがないし、そもそも他人の夢に干渉できるものじゃない。
心理カウンセリングに近いのがあったような‥‥。寝ている状態なら無意識の自分の声が聞こえる、本人が認識できてない心の奥底が喋れる的なのが。でも、夢の中に入れるなんてものじゃなかったと思う。
「一緒に寝ればいいんだよ。近くにいたり‥‥もっといいのは、こうやって手を繋ぐの。これなら迷わないから」
言いながらリュカは私の手を握りなおした。いつも寝る時繋ぐみたいに。
いつもみたいに‥‥?
あれ、と思う。もしかして、と。
「リュカ、手を繋ぐとその人の夢に入れるの?」
「うんっ!」
うん‥‥?
うん、ってことは、‥‥うん!?
ここ最近毎朝起きる度、リュカと手を繋いでいたことを思い出す。
つまり、なに? もしかして、私の夢も!?
驚きのあまり言葉を失い見つめると、リュカは照れたように無邪気に笑った。




