23話 庭園の7階層
階段の先にあったのは冷えていた階下と違ってあたたかい空気に満たされた空間。まるで春の陽気のような7階層。
防寒着のボタンを外しながら辺りを見渡す。
眼前のお花畑はローズマリーで四角く囲われている。その向こう側にも庭園は続いているが、ツゲかヒイラギか1~3mほどのいわゆる低木で空間が狭く仕切られていた。仕切られた空間内にも色とりどりの花が咲いている。
ゾンビが蔓延っていた墓地と比べて、なんて優しく穏やかな場所なのだろうと目を奪われていると、いつの間にか隣にいた魔人が言う。
「ふむ、魔物の気配はないな」
「うん。ここ、とっても静かだよ」
「おじいちゃんとリュカがそう言うってことは‥‥ここって原っぱのダンジョンにあった、敵の出てこない泉があったところと同じ?」
癒しの水が湧いている、敵が出てこなくて安心して休憩ができる階層。深いダンジョンはそういった場所があると魔人が話していたのを思い出す。
「よく覚えておったのぅ」
感心したように言われ、大きな手で頭をぽんぽん叩かれる。子ども扱いされるのはあまり好きじゃないけど、なんていうか、優しく頭を撫でられているみたいなこの感覚は嫌いでもない。
けど人前でされるとかなり恥ずかしいので、そっと避けた。
「先ほど私が確認しているが、念のため再度周辺の様子を探りたい。レバネ、ザギ、いけるか」
「やりますとも」
「いけます」
言うと、ザギは担いでいたエルダーを花畑の中におろした。レバネも背負っていた荷物を置いて身軽になる。
「では、2人は右へ。私は左へ行く。閣下、申し訳ないが安全確認のためしばしここでお待ちいただけないか」
「そんなことをせんでも、ここには魔物はおらんだろうよ」
「閣下の言葉を疑うわけではないが、念のためだ。このような階層であるにもかかわらず魔物に襲われた部隊の話を聞いたことがあってな」
「はっ! どうせ十分な経験もない浅はかな奴らがダンジョンに騙されただけじゃろうがな。まぁ、よい。好きにせよ」
3人が行ったあと、私とリュカは横たわるエルダーの近くに腰を下ろして首元の痣を確認した。黒色は階下で見た時と同じでそれ以上広がってはいない。目を開けないのが気になって、小さく声をかけるがなんの反応もなかった。
ザギが言っていたように出血が多かったために意識が戻らないのだとしたら、ポーションもこれ以上飲ませることができない今、彼のために私にできることは何だろうか。
血が足りないのだから当たり前だが、血の気が引いて青ざめているエルダーは死体のようにも見える。花畑に寝かされているものだから、余計に。
「‥‥っ!」
「チトセ? どうしたの」
突然立ち上がった私をリュカが不思議そうに見上げる。
「あ‥‥。ご、ごめん。なんでもないの」
「虫でもいた?」
虫を探し始めるリュカに曖昧な笑みを返すしかできない。自分自身今何を感じて立ち上がったのかわからなくて答えようがなくて。
また、ゆっくり地面に膝をつく。しめった草花の柔らかくひんやりとした感触は、あたたかな空気に包まれたこの場所だと気持ちがよかった。
なのに、心が浮かない。じわりじわりと何かが溢れてくる。
花に囲まれた死体。
きれいになっていて、安らかで、目の前にあるのにとても遠い。非現実的な光景。
「‥‥」
嫌な思いがするのに、エルダーから目を逸らせない。
そうやって、どのくらい彼の横顔を見ていただろう。俯いている私の頭に何か軽いものが触れて、ぼうっとしていた意識が現実に引き戻された。
顔を上げるとリュカがにこにこしながら私を見ていた。防寒着はいつの間にか脱ぎ捨てて、いつもの道化師のかっこうでとても楽しそうにしている。
頭に触れたものはまだそこにあって、何だろうと手に取ると、それは色とりどりの花でできた輪っか。花の冠だった。
「可愛い‥‥これ、リュカが作ったの?」
「うん! 上手でしょ」
「うん、すごく上手‥‥」
可愛らしい花冠を手にしながら、思い出すのは悲しい記憶。
昔、両親とどこかの花畑に行った際私も作り方を教えてもらった。不器用な私が作った不格好な冠を2人はそれでも喜んでくれて、幼心に嬉しかったのを覚えてる。
花畑から帰った後、もう一度冠を作りたかった私はまた行こうとせがんだが、忙しかったのかとうとう行くことはなかった。そんな時目に入ったのが庭の花だった。
うちの庭はお母さんの趣味で四季を彩る色んな花が植えてあった。毎日綺麗な花が咲いて綺麗で、だからそれを使って作ろうと考えた。
母の育てた綺麗な花で、母のための花冠を作ったら、きっと綺麗で可愛くて、喜んでもらえると思ったんだ。笑顔になってくれると。
だけど、だめだった。
こっぴどく叱られて、泣かれて、笑顔にしたかったのに真逆の思いをさせてしまった。
その時に、あの庭はそのすべてが母のものだったのだと強く感じた。花はすべて母が愛情を込めて育てたもので、私が勝手に触れてはいけないものだった。
そんなことも知らず、想像もせず、勝手なことをした。人の愛情をぶちぶち引き抜いて、壊してしまった。今考えても恐ろしく、とてもこわいことだった。
自宅の庭は花に埋め尽くされて綺麗なのに、それは絵画のように遠く思えた。寂しかったけど、人のものを大切にできない私にはそのくらいでちょうど良いのだろう。
庭で楽しそうに花を育て愛でる母は、いつも穏やかだった。幸福な人を、その場所を、壊したくない。
花冠の作り方なんて、もう覚えてないや。
「器用だね、リュカ。お花の冠‥‥私作れないや」
「じゃあ作り方教えてあげる。一緒に作ろうよ」
「‥‥いいの?」
「もちろん」
そう言ってリュカは無遠慮に周辺の花をぶちぶち摘んでいく。
ここはダンジョンだから、誰かが丹精込めて育ててるってわけじゃないとは思う。けど、それでもこんなに綺麗に咲いているものを勝手に摘んでいいんだろうか。
でも、花冠、また作ってみたいな。
「チトセ、ほらこれ持って。ここをね、こうして、こうやって通すの。この繰り返しだよ」
リュカは器用にくるくる作ってく。あんまり早いからよく分からなくて、頼むとゆっくり手本を見せてくれた。丁寧にやり方を教えてくれる彼の手の動きをまねすると、なんとか形になっていく。
けどリュカが作るのと比べると私のはすごくガタガタしてて不格好だ。こんなに難しかったっけなぁと思いながら一生懸命やっていると、段々熱中して来た。
下手なりに、せめて輪っかにだけはしたい。
「ねぇ、チトセ、皆の分も作ろうよっ」
「そんなにたくさん作ったらここのお花全部なくなっちゃいそう。それに全員分なんて無茶だよ。すごい時間かかるよ。みんな戻ってきちゃう」
「大丈夫、できるよ」
「まぁ、確かに、リュカならできそう。作るの早いもんね」
「えへ」
最初はいいのかな、なんて不安に思っていた花冠作りだけど、地道にこつこつ花を編んでいくのは心地よかった。静かに風の音がして、風にのってどこかに咲く花の香りが届く。
手元の草の香りの方が強いけど、それもなんだか気持ちがいい。
庭園は優しい雰囲気に囲われた心安らぐ場所だった。
母が庭で幸せそうに見えたのは、こういう穏やかな空気を感じていたからかもしれない。
私が最初の花冠を作り終わるころ、安全確認に出かけていた団長、レバネ、ザギが戻ってくる。
団長がスベディアとシントラスを見るのでつられて振り返ると、いつの間にか彼らの頭にはリュカの作った花冠が乗っかっていた。彼らの横で花を摘んでは口に入れている魔人の頭にも。
「なんだか楽しそうだな、お前たち」
「はい」
「まぁ」
花冠を頭に乗せたまま、2人の騎士は少し照れくさそうにしている。
リュカは今作り終えた花冠をエルダーの頭にのせて、満足そうに笑った。私が一つ作る間に、本当に全員分作ってしまったんだと感心する。
「すごい。本当に早いね、リュカ。私やっと一つできたところ」
「うふ。いつもお嬢様とどっちが早く作れるか競争してたからかな」
「お嬢様と‥‥。どっちが早いの?」
「僕! いつも僕の勝ちだもん」
胸を張って誇らしげにする姿がなんだか可笑しくて笑うと、しゃがんだリュカが私の手元を見てもじもじと体を揺らした。
「ねぇ、チトセの作ったやつ、僕に頂戴?」
「いいよ。けど‥‥下手すぎて恥ずかしいから、もうちょっと練習してからでもいい?」
「じゃあ、それも頂戴。でも、今作ったやつも欲しいの」
「いいけど‥‥じゃあ、後でまた作るから、そしたら綺麗なのと交換ね」
リュカの頭に不格好な花冠を乗せると、体をくねらせて喜んでくれた。喜んでくれたことは嬉しいんだけど、出来の悪いものを渡してしまって恥ずかしいような気もして、微妙な気持ち。次はもっと綺麗に作ろうと決心する。
くねくね喜ぶ彼の向こうでザギがエルダーを担ぎ、レバネは荷物を背負いなおした。また移動が始まるらしい。
「で、どうじゃった。魔物はおったか?」
にまぁと笑って魔人がフェグラスを見る。
「いや、いなかった」
「だろうな」
「向こうに休むのにちょうどよい場所があったのだが、そこまでご移動願えるだろうか」
「よろしい」
魔人は頷き、その拍子にズレた花冠を手に取るとむしゃむしゃ食べてしまった。
「あーっ! おじいちゃん僕の作ったの食べたぁ!」
「ただの花より喰いがいがあるな。さぁ、もっと作れ」
「やだ!」
そんな2人を見ながら立ち上がる。途端、軽いめまいがして、足がふらついた。
体がぐらりと‥‥。
「わっ、あっ!」
「危ないよっ!」
リュカが支えてくれて、倒れずすんだ。
花冠を作るのに夢中でずっと同じ体制だったから足が痺れたのだろうか。貧血って程でもないけど、それに似た感じ。
なんとなく下半身に妙な怠さを感じるし、歩き詰めだったから疲労でも溜まってるのかもしれない。
「大丈夫?」
「うん、平気。ここまで割と歩いたし、さっきはゾンビに襲われて大変だったしで、疲れただけだよ。ごめん、もう大丈夫」
「疲れたなら、僕おんぶしたげようか」
「平気、1人で歩ける」
体は確かに疲れてるけど、歩けないほどじゃない。ここでリュカに背負ってもらうのは普通に恥ずかしいし。
ローズマリーの囲いを抜けて、おそらくツゲだろう低木に囲まれた道を進む。その先の草花のアーチには藤の花が垂れていた。
季節感がないけど、ダンジョンだから当たり前なのかもしれない。
綺麗な庭園はどこか夢の国を思い出す。ここにも、バラの迷路がありそうだ。




