22話 ポーションの摂取量
6階層はゾンビがいるためにどこへ行っても腐臭がしている。その臭いはゾンビ達が一掃されても消えることはなかったが、臭いの原因が取り除かれると多少マシになるのが救いだった。
魔人がゾンビを取り除く‥‥つまり食べている間は遠く離れるなと言われているため、傍にいるしかない。私たちのすぐ後ろで食べるものだから腐肉を咀嚼する気色悪い音が始終聞こえてくる。
臭いと音のハーモニーに辟易し、一刻も早くこの階層を通り抜けたい気持ちでいっぱいだったが、はらぺこ魔人の空腹問題を放置するわけにもいかない。
あのままお腹を空かせていたら、騎士の誰かが犠牲になったかもしれないのだ。そう思えば、このくらいの不快は我慢ができる。
それに正直、ここに来るまで魔人にはだいぶ我慢を強いてしまった。あれだけ食べたいと待ち望んでいた肉なのだし、思う存分食べてくれて構わないという気持ちだってある。
それからまたしばらくの間、私はリュカ、シントラス、スベディアと不愉快な肉の音を背にしながら他愛のない話をして気を紛らわせた。
死体を追って徐々に進み、騎士4人が倒したゾンビの死骸も食べ終える。だいぶ待たせたが、これでようやく団長やレバネがいるであろう先へと進めそうだ。
霧の晴れた死体のない墓地を真っすぐ行くと、やがてひときわ悪臭を放つ場所にたどり着く。
眼前に広がるのは、巨大な腐肉の浮く大きな血だまり。
きっとこれがリュカが索敵した「おっきなの」の正体だろう。この辺りには動かぬ肉塊となったゾンビも沢山いて、足の踏み場もなかった。
「またゾンビ‥‥。しかも沢山‥‥」
ここにある大量の肉を魔人が食べる間、更に団長たちを待たせることになるのか。何より、またあの不快な音を聞くことになるのか。
「はぁ‥‥」
うんざりしていたら、なんと魔人は魔法を使って血だまりごと死体を一瞬で片付けてしまった。
「おじいちゃん、大丈夫なの? 魔法なんか使って」
「あれだけ食えば魔力も戻るからな。しばらくはもつじゃろう。それに腐肉はもう飽いた」
飽き性の魔人はそう言って満足そうに目を細めている。
血だまりがあった場所を通り抜け更に進むと、ようやく墓地の終わりが見えてきた。地面の感触も土から石畳に変わり、天井も低くなる。
7階層へ続くと思われる階段の前に、団長とレバネ、ザギ、寝かされたエルダーがいた。私たちに気が付いたレバネが手を振る。
「おっ、やっと追いついてきたね~」
「皆さん、お待たせしてすみませんでした! あの、エルダーさんの様子はどうでしょうか‥‥」
「いやぁ、起きないね。血を流しすぎたんだろうから、そのせいかな。けど、大丈夫だよ」
近寄って覗き見たエルダーの首元にはやはり黒い痣が残っているが、広がっている様子はなかった。ひとまず、安心する。
「スベディア、シントラスご苦労だった。エルダーはあの様子だ。ザギに背負わせ先へ進むが、しばらくの間チトセ殿とリュカ殿の護衛はお前達2人に任せたい。いけるか」
「いいですよ」
「了解です」
エルダーがこんな状態なのにこのまま先へ進むなんて大丈夫なのだろうか。次の階層もここのように次々敵が現れる場所だったら。
それとも、団長たちとはぐれなければなんとかなるだろうか。
再度横たわる騎士の顔色を確認する。青ざめる頬に触れるとひんやりと冷たい。
「エルダー、起きてないね」
「うん‥‥」
リュカも心配そうに俯いてエルダーの手を握っている。
そこへ、ザギがやってきた。
「そんな心配しなくたって大丈夫ですよ。出血ったってポーション飲めば回復しますから」
「そう‥‥なんでしょうか。けど、あんなに飲ませたのに‥‥。あっ、そっか、足りないんだ。なら」
もっと飲めば起きてくれるはず。
そう思ってバッグから赤い小瓶を取り出すとザギは「待った待った!」と慌てた。
「ハイポーションって‥‥そんな良いもの勿体ない。じゃなくて! その前に、あんなにって言いました? エルダーが今日飲んだポーションの全量を確認させてもらってもいいですか」
「ポーションの、全量?」
「やっぱり。もしかしなくても、ポーションの摂取上限とか知らない感じですね?」
摂取上限。初耳だが、なんとなくイメージはつく。
エナジードリンクも栄養剤も、1日に何本までって摂取の推奨本数がメーカーで設定されていたはずだ。確かあんまり飲むと腎臓とか心臓とか、内臓系に負担がかかるから‥‥だったような。
ポーションは魔法の世界の飲み物だからと、気にしていなかった。
摂取上限を超えるとどうなるんだっけ。確か、海外でエナジードリンクを1日何本も飲んでたって人が突然死したっていうのを聞いたことがある。
カフェインだかなんだかのせいで、心臓発作を起こしたとか、そのほかの臓器系の病気を併発したとかだったような‥‥。とにかく、若い人でも突然死に至るケースがあるから飲みすぎには注意しましょうって事件だった。
今日、私は彼に何を何本飲ませたっけ‥‥?
途端に全身から血の気が引いていく。
「あ、あっ、どうしよう‥‥どうしたら‥‥っ! 私、知らなくて‥‥! えと、赤いの2つと、その前に青いの2本‥‥! 聖水と、黄色いのも飲ませちゃってる!」
「ちょっとちょっと、落ち着いて。深呼吸、深呼吸」
「あっ、はっ、は、はい‥‥」
言われた通り深呼吸をしたけれど、私のせいでエルダーが心臓発作で死んじゃったらどうしようという思考が止まらない。
慌てる私にザギは「ゆっくりでいいし、大丈夫だから言ってみな」と静かに促してくれ、そのおかげでなんとか伝えることができた。話し終えると、けろりとした明るい笑顔で頷く。
「とりあえず、魔力回復薬が2本。ハイポーションが2本。毒消し1本に、聖水。で、エルダーが自前で持ってたポーション2本、ね」
「はい、はいっ。そうです。あの、大丈夫‥‥でしょうか‥‥。エルダーさん‥‥」
「それくらいなら大丈夫、大丈夫。まぁ、何もなけりゃ止める量だけど、ダンジョンに入ったんならフツーフツー! 短時間でハイポーション2本が凄いっちゃ凄いけど、うち1本は飲ませたんじゃなくてかけたんだもんね? 常用してるわけでもないし、平気っしょ」
「だ、大丈夫ですか‥‥」
「うん、大丈夫。だけど、今日はこれ以上の摂取はまずいかも。エルダーが起きてて、元気そうならもうちょい飲ませてもいいと思うんだけど、こんな状態じゃね」
そう言ってザギはエルダーの額を指で突っついた。
ポーションは便利で簡単に体力回復のできる魔法の薬だと思っていたが、割とシビアな代物らしい。飲む人の体調に合わせた摂取が求められるなんて、そんなの普通の医薬品みたいだ。
素人が勝手に使用していいアイテムじゃないのかもしれない。少なくとも、用法用量が分からないうちは大量に使うのは控えよう。
黒いのがなくならないからと、あれ以上飲ませなくてよかった。エルダーが大丈夫そうで、本当によかった。
ほっとしたのもつかの間。鎧の音が近づいてきたので顔を上げると、私を見下ろすフェグラス団長と目があった。
団長は相変わらずの無表情で感情が読めない上、視線は突き刺すよう。自然と体が身構え、硬直してしまう。
階下で彼の武器を悪く言ってしまったことを思い出し、なんだか嫌われているんじゃないか、という気がしてしまう。
用がなければ見つめられることもないはず。
大切な部下を危険に晒したと怒られでもするんだろうかと考え、そうであっても仕方がないと思った。
フェグラスは横たわるエルダーを一瞥するとまた私へ視線を戻す。私を怒っているのか、部下を心配しているのかすらも分からない。
緊張から心臓が重たく鳴りはじめ、純粋にこわいと感じる。そんな時、彼が突然しゃがみ込んだものだから、驚いてバランスを崩してしまった。尻餅をついた私へ向けられる彼の目が少しばかり広がる。
フェグラスの瞳は近くで見ると綺麗なオレンジ色をしていた。
「怖がらせるつもりはなかったのだが‥‥。すまない」
「い、いえ、そんな‥‥っ」
急いで体勢を整えて座り直す。正座をして背筋を伸ばし、片膝をついたフェグラスを見上げる。
困惑する団長の向こうに笑顔のザギが見えた。
「団長、真顔の圧やばいっすもん。こわくても仕方ないです」
震えながらそれだけと言うと、ザギは足早に離れて行って遠くで這いつくばった。声を殺して笑っているらしい。
部下の様子に不本意そうな顔をしながらもフェグラスはもう一度「すまない」と口にした。
「こちらこそ、すみません。大変、失礼な態度でした‥‥」
「いや、構わない。元から子供には好かれんたちだ。‥‥感謝を伝えたかっただけなんだ。チトセ殿、貴殿のおかげでエルダーは一命を取り留めたのだろう。感謝する」
団長ともあろう人に頭を下げられるとは思ってもなくて、慌てる。頭を上げてくださいと言う私の後ろから「僕も頑張ったよ」と小さく訴える声が聞こえてきた。
振り向くと、エルダーの向こうで体を小さく丸めたリュカが、視線をあちこちにやりながら私と団長を見ている。
そんなリュカの発言を聞いてか様子を見てか、顔を上げたフェグラスはほんの少し目尻を下げ、口の端を緩ませていた。
「もちろん。リュカ殿にも感謝を」
「‥‥えへ」
リュカへ向けられた視線は柔らかい。そのまま再度「ありがとう」と聞こえてきたその音はあたたかく優しいものだった。だからか妙に心に残って‥‥見上げた先の瞳をじっと覗き込む。
赤茶のくせ毛から覗くオレンジの目。もっとこわい人だと思っていた彼がこんな風に笑える人なんだと分かると、勝手な想像で誤解してしまったことが申し訳なくなった。
階下で失言したのは私だし、失言に至ったのは私のせいだ。それすら彼のせいにする気はもちろんないが、尻餅をついた時の私は自分のしでかしたことを棚に上げ彼を恐れていたように思う。反省しなければ。
冷たく突き刺すような視線。淡々とした物言い。身長も高く鎧もいかつい。だから彼をこわいと思ってしまうのだろうか。
けど微笑まれたことで別の印象が生まれた。笑うと優しそうに見えるのだ。当たり前かもしれないけど。
いつも無表情だからその反動もあるのだろうかと見つめると、いつの間にか元の表情に戻ってしまった。笑みが消えると途端に真冬の空気のように冷たい表情になる。だけどもうこわくはない。
さっき見たのは幻かとまじまじ見つめることだってできる。
「なんだろうか。私の顔に何かついているかね」
「あっ! いえ、すみません‥‥。なんでもないんです」
「そうか」
あまりにも見つめすぎたと視線を逸らす。
冷徹な顔が微笑み一つであんなに優しそうに見えるなんて不思議でならない。
人のもつこういうギャップには驚かされると言うか、感心してしまう。そういえば前にそれを感じたのもこの人だったなと、眠たい頭を揺らしていたのを思い出した。
団長は私が思ってる以上にこわい人じゃあないんだろう。だけど、そう思ってしまうとまた失言が増えそうので気を引き締めることにする。
「では、これより先へ進むが‥‥チトセ殿、リュカ殿、ここまで疲れたことと思うが、もう少しだけ歩けるだろうか。この先の7階層は魔物の気配がなく、休むならそこでと考えているのだ」
魔物のいない場所なら、エルダーをゆっくり休ませることができる。
「大丈夫です。ね、リュカ」
「うん。僕まだ歩けるよ」
頷く団長は階段前に立つ魔人の元へ移動すると話をし、やがて移動がはじまった。
怒られたり嫌われたりしていなくて良かったと考えて、また私は私の心配ばかりしていたことに気が付く。
フェグラスは部下と私達への感謝、心配をしてくれていたのに、私は悪いことばかり考えて相手を勝手に悪者にしていた。
それを自覚し、疲れた体が更に重くなる。体以上に、心も。
足が止まりかけるが、移動はもう始まっている。置いていかれないように急いでついていく。
団長に続いて荷物を持つレバネ。起きないエルダーをザギが背負い、その後ろにシントラス。私たちの後ろには魔人が立ち、最後にスベディア。
一行は無言で暗い階段を並んで上がる。らせん状の階段は狭くてどのくらい上がったかの想像がつきにくい。
しばらく歩いて、なんだか空気があたたかくなってきたなと思った時、前方から光が差し込んできた。階段の終わり、その先には‥‥。
一面の、花畑があった。




