20話 噛まれたらゾンビに‥‥
魔人は確かに言った。エルダーが噛まれたと。
斬り落とされたゾンビの頭部を見るに、エルダーはまだ無事なのだろう。だけどゾンビに噛まれたら噛まれた人もゾンビになるんじゃなかったか。
「大変‥‥!」
エルダーの元へ向かおうとした私の腕を魔人が掴む。何だと思ったら、足元の生首が歯をガチガチ鳴らして首だけでこちらへにじり寄っているところだった。
「ぎゃあ!」
「チトセ危ない! えいっ」
悲鳴を上げた私の横からリュカがジャンプしてきて両足でゾンビの頭を踏んづけてしまった。腐った頭はいとも簡単につぶれる。
「うわぁ、どろどろ」
足を掴まれて震えてたのに、動く頭部は平気らしい。リュカは死体から足を離すと両手に人形を下げエルダーの方を見た。
「呪術 踊る子供たち。ねぇっ、このままじゃエルダーが食べられちゃう!」
「わかったわかった。行ってやるから1人で行くな。お前がおらんとこやつが喚くじゃろうが」
「今はそんなこといいから! おじいちゃん、急いで!」
悲鳴の元へ向かうリュカを追い、のんびり歩く魔人をできるだけ強く引っ張って霧の中を行く。少しすると地面に伏せる人影が見えた。エルダーだ。
彼とはそこまで離れていなかった。せいぜい5メートルくらいだ。霧が濃くてそんなすぐ先の景色すら見えなかったなんて。
リュカが呪術を掛けたゾンビが仲間のゾンビともみ合っていて、その真ん中にエルダーが倒れている。瞬きの間にゾンビの上半身がまとめて消えたので、駆け寄った。
仰向けに倒れるエルダーの首元から血が出ている。自分で押さえているが、出血は多い。
抑える力が弱まったのか、どぱ、と勢いよく溢れ、止まらない。
「エルダーさん! 大丈夫ですか‥‥!」
「‥‥は、‥‥、‥‥」
微かに返事が聞こえるものの、もうほとんど虫の息で、なんと言ったか聞き取れなかった。
「エルダー! 死んじゃやだよ‥‥!」
「ああ、いかん。首の血管を傷つけておる。ハイポーション‥‥赤い瓶を出して傷にかけるか飲ませるかしろ。死ぬぞ」
「あ、赤いやつ‥‥!」
急いでバッグの中を漁り、赤い瓶を取り出す。エルダーの手の上から傷口付近に一気にかけると、出血は止まった。もう一本あけて飲ませる。
飲ませると言っても、もうエルダーは自ら飲み込む力すら失っている。ゆっくり、少しずつ口の中にハイポーションを流し込んで、それが喉の奥へ伝っていくと、肉体の反応か小さく喉が揺れた。
そうやって徐々に飲ませていく。一口か二口で終わる小瓶の中身は中々減らない。
ようやくひと瓶飲ませ終えた時、辺りにはゾンビの死体が山積みになっていた。それでもまだやってくる死体達。
エルダーは目を開けないが、一応息はしている。傷口は黒く変色しているように見えるけど一応は塞がって見えた。魔人を見上げると頷いたから、きっともう大丈夫‥‥なはず。
「リュカよ、精霊騎士は無事じゃから、貴様は周りを警戒しておれ。もし騎士共の仲間が近づいたらばすぐに知らせよ。こう霧が濃いと敵も味方もわからんからな。間違って喰ってしまうと困るじゃろう?」
「わかった‥‥!」
霧の向こう、今までよりずっと遠くでゾンビ達が倒れる音がする。魔人は敵味方の判別をリュカに任せ、視界に入ったものすべてに容赦なく魔法を放っているらしい
目を覚まさないのが心配で、地面に横たえたエルダーへ視線を落とす。
彼の頬、首元、地面まで真っ赤に染める血の量は相当だ。傷口付近はポーションによって洗い流されているが、そこに残る黒く変色した肌が痛々しい。
「あれ‥‥」
黒く変色した部分をようく見る。痣のような傷痕のようなそこは、さっきよりずっと大きい気がする。というか、瞬きの間にもじわじわと広がっている気がした。
「おじいちゃん、エルダーさん大丈夫だよね? 死なないよね。ゾンビになったりしないよね‥‥? なんか黒いのが広がってるんだけど」
「おっと、そうじゃった。ゾンビに噛まれて死ねばゾンビになるからのぅ。チトセ、透明な瓶があったろう。念のためそやつにはそれを飲ませておけ」
「う、うん! 透明ね!」
危ない。聞いておいてよかった。
透明な瓶を開けて、気を失っているエルダーの口に少しずつ流し込む。全部飲ませる頃には進行は止まってくれたけど、黒く変色した部分が治らない。
ゾンビ映画のCMでよく聞く、なんとかウイルスとかそういう言葉を思い出す。それによるとゾンビは大概ウイルス感染によって広がっていくものらしい。ペストなんかの伝染病のように。
映画はもちろんフィクションだけど、この黒いのが広がっていく様はなんとなく、カビとか、それこそウイルスだとかを連想させた。
「どうしよう、黒いのが取れないよ‥‥。これってゾンビの毒素とか、ウイルスってやつ? なら、毒消しあったよね、黄色の‥‥それを飲ませたらだめかな。ねぇ、おじいちゃん」
「効くかもしれんが、どうじゃろうな。ウイルスなど知らんし、毒とは聞いたことがない。が、気になるようならやってみよ。どうせポーションは有り余っとるじゃろう」
「うん‥‥!」
黄色いポーションも飲ませるが、変わらない。
「まぁ、生きとる間はゾンビになどならんからな。肌が黒くなろうがどうなろうが問題なかろうて。それにゾンビ云々は生きとる間に教会へ行けば治るものよ。聖水は進行を抑えるためのもの。貴様もリュカも、もしも噛まれたならば即座に傷口に聖水をかけよ。よいな」
言われて、そうだこの透明なやつは聖水なんだったと思い出した。
エルダーのそばに座り込み、リュカと魔人に敵を倒してもらいながらどれくらい経った頃だろう。
「ね! おっきいのがいなくなったよ!」
「どうやら騎士団の長がこの階層の主を倒したようじゃ。ならばゾンビの群れもじきおさまるじゃろうて。リュカよ、もうしばし辺りを警戒してくれるかのぅ」
「うんっ、できる!」
リュカは言いながら左右の人形の一方で索敵しつつ、片方でゾンビの動きを止めたり、操って仲間同士ぶつけたりして私たちからゾンビを遠ざけてくれる。魔人もせわしなくあたりを見渡しては残るゾンビを倒し続けた。
霧は徐々に消えていき、するとやってくるゾンビも目に見えて減っていった。
戦いの終わりは見えてきたのに、エルダーが目を覚ます気配は一向にない。晴れていく視界の中、それだけが気がかりだった。




