19話 精霊の限界、体力の限界
私たちの周りにいくつかの竜巻が立ち上がる。風が止むとばらばらになったゾンビたちが重たく湿った音を立てながら地面に落ちていった。
付近はミキサーにかけられたゾンビの死体でいっぱいで、腐った肉と血の臭いに気分が悪くなっていく一方だ。吐き気をぐっとこらえてつばを飲み込む。
魔力が回復したことで機敏になったエルダーは次々ゾンビを倒していくし、精霊が単体で霧に突入してゾンビを燃やし回っているから、一度に倒すゾンビの数だけ見れば最初より格段に増えているはず。
魔人もお腹が満たされて魔力が戻ったのか、いつもみたいに魔法でゾンビの頭を狙い撃ちしているので、かなりの数を倒している。
なのに、一向にゾンビが減らない。濃霧の向こうからどんどん湧いてきて、終わりが見えない。
霧のせいで私たちは大して動けず、死体でどんどん足場が悪くなっていく。魔人はその場からあまり動かないので影響がないみたいだけど、エルダーは動きにくそうにしている。
やがて、騎士の動きはまた段々と重たくなっていった。
気になることは他にもあって、エルダーの動きが鈍くなったあたりから、風の精霊の動きまで緩慢になった気がする。元気に点滅していた光はゆっくりとした明滅に変わり、頭上をくるくると旋回していたはずが一所に浮くのみ。
精霊にも疲労があるのかは分からないけど、魔法を使えばその分魔力を消費するはずだ。もしかしたら、魔力が尽きかけているのかもしれない。
魔力が尽きたらこの小さな光は消えてしまうんだろうか。そうしたら、私たちはゾンビ相手になす術がない。
エルダーの体力と魔力だっていつまで持つかわからない。このまま戦いが長引けばこちらの部が悪くなる一方だと感じる。
「精霊にもこの青いポーション効いたりするのかな。ねぇ、これ飲む?」
瓶の蓋を開けて精霊の方へ差し出してみるが、精霊は不要とばかりに避けてしまう。この間も光り方がどんどん弱まり、私たちを護る風の防壁がゆるくなっていく。
それから5分もしないうちに、風の精霊はすっと空気に溶けるみたいにいなくなってしまった。途端に私たちをとりまく風の壁も消え、渦を巻いていた突風も中途半端に刻まれたゾンビを残して霧散する。
濃霧の向こうからゆっくりとやってくる人影が濃くなっていく。まだまだゾンビはやってくる。
風の中から姿を現した私とリュカに向かって、死体の群れが迫ってきた。リュカが呪術で動きを止め、ゾンビとゾンビをぶつけ合うが、その向こうからもぞくぞくと姿を現す死体達。
ゾンビは魔人やエルダーには目もくれず、窪んだ眼窩を私とリュカへ向けてくる。
「呪術 踊る子供たちっ! うわぁん! 数が多いよっ」
「おじいちゃん助けて!」
「あ? なんじゃわらわらと‥‥。おい小僧、精霊とやらが消えたぞ」
魔人が私たちの向こうのゾンビを霧ごと消してくれて、一旦は難を逃れたけど、消えた霧の奥にうじゃっとゾンビが溜まっているのが見えてしまった。
一体いつまで続くの! このゾンビパーティは!
「エルダー! 危ないっ」
リュカが私の向こうに人形を向け叫ぶ。振り返るとエルダーが3体のゾンビに襲われていた。
内1体はリュカの呪術によって動きを止められていて、エルダーは残る2体の片方の頭部を砕いた。すぐにかけつけた精霊がもう1体を燃やす。エルダーの振り落ろした剣が硬直するゾンビの頭部を破壊した。
肩を揺らして呼吸を整えるエルダーの表情は苦しそうで、体勢を立て直すその足元はおぼつかない。
「リュカ様、助かりました!」
「エルダーさん! これ飲んでくださいっ」
今の動きで彼がまた魔力切れを起こしているのがわかった。手にしていたポーションをエルダーへ投げると、あっちのほうへ飛んで行ったそれを精霊が受け取って渡し直してくれる。「助かります」とポーションを受け取った彼が私たちを見てはっとした顔をする。
「申し訳ございません。ヴェントゥレ‥‥風の精霊は魔力を使いきったようです。フェルボラ、お二人についていてくれますか」
しかし精霊はエルダーの頭上から離れない。くるくると点滅するその赤い光も、どこか弱弱しく見えた。きっとあの精霊ももう限界なのだろう。
限界と言えばエルダーもだ。ポーションを口にしても先ほどのような活気は戻らない。両手で剣を握り、一振りにそれなりの集中を要している。
渡すなら、魔力回復の青じゃなくて、エナジードリンクみのある緑の方がよかっただろうか。
「これしきの数相手にもう音を上げるか。それでよく魔女の元へ行くなどと言えたな」
言いながら、魔人は霧の奥のゾンビを消していく。
「おじいちゃん! エルダーさんは私たちのこと守りながら戦ってくれてるんだから、疲れて当然でしょ!」
おじいちゃんなんか一人でゾンビをぱくぱくしてるだけなのに、その言い方はない。
そこまで言うと、魔人は腐肉に汚れた唇を愉快そうに吊り上げた。
「それもそうだの。貴様を護るのは本来わしの役目よ。では精霊騎士、こやつらのことはもうよいぞ。若輩の身でありながらようやった。まるで足りん働きじゃがな。魔力が底を尽きるまで従事したのだ。褒めてやるわ」
「お心遣い、痛み入ります。私のことはどうかお気になさらず。任務ですので。しかし、私では力不足であるのは事実‥‥。閣下、お二人をお願い致します。‥‥大変、申し訳ございません」
「はっ! 元からわしの役目じゃと言うとるに。喧しいわ。貴様も下がれ、邪魔じゃ」
「いえ、私はまだ、戦えます‥‥」
剣を構えたエルダーが一瞬だけこちらを向く。その隙をついてどたどたと走ってきたゾンビは魔人の視線がそちらへ向けられた瞬間に消えた。
それに気づき再度頭を下げるエルダー。今度はすぐに振り返り辺りを警戒するが、疲れ、集中力が切れかかっているのは明白だった。
「ならば知らん。己の身は己で守れよ、小僧」
「はい‥‥!」
またゾンビと戦い始める彼のそば、やがて赤い光もすぅっと消えてしまった。
1人きりになったエルダーは、それでもゾンビを次々に斬り捨てていく。だがこんな状況をいつまでも続けるわけにはいかない。
霧で離ればなれになった騎士団の人たちと団長はどうしているんだろう。戦ううち、さらに遠くに行ってしまったのか彼らの声も剣の音もしばらく前から聞こえてこない。
「おじいちゃん、ゾンビたちやけに多い気がするんだけど、これってそのスタンピードとかなんとかっていうのと関係があるの」
「そんなに多いか?」
「だって、私たちの方にくるゾンビだけでこの数だよ。向こうにはレバネさん達も団長さんもいるのに。‥‥まさか」
彼らに何かあったのではないか。
私はどこにいるかわからない残りの騎士を探し、白く煙るその先を見ようと目を凝らした。しかし、いくら見つめてもゾンビの影以外見えることはない。
「音は聞こえておるからな。まだ倒れた者はおらんようじゃ」
魔人の長くて大きな耳は私には聞こえない音を拾っているようだ。
言いながら、4本の腕をそれぞれ伸ばし、自分に食らいつこうとしたゾンビを次々捕まえる。人外は捕まえたゾンビの頭を手のひら一つで軽々粉砕した。
「よかった‥‥。けど、ならなんで? みんなで倒してるのに、どうしてゾンビがいなくならないの。まるで無限に沸いてきてるみたい」
スケルトンの時だって相当数出てきていたけど、団長さんがほとんど倒して、漏れたやつを4人が倒して、私たちの方には一匹だって来なかった。
あの時は出所が一か所で、今は方々から来てるって違いもあるけど‥‥。それでもやっぱり妙に数が多い気がする。
魔人は周囲を見渡してゾンビを倒しながら「ふむ」と唸った。
「そうじゃのぅ。リュカよ、辺りを探れ。強い反応があるはずじゃ。それを探し出せ」
「いいけど、いいの? おじいちゃん、みんなの前じゃ呪術使ったらだめって言ったよ」
「貴様さっきから何度も使っておるじゃろう」
「あっ。‥‥ごめんなさい」
「良い良い。あれがなければチトセも精霊騎士もゾンビに噛まれておったところよ。よくやった」
「えへ‥‥。じゃあ‥‥呪術 かくれんぼ」
周囲を探る時いつも何も言わずに人形を下げていたからそういうものだと思ってたけど、実はあれも”かくれんぼ”だったらしい。
納屋の時も省略していたし、実はリュカ、あの技名みたいなの言わなくても呪術使えるんじゃないかな。
人形を下げ、索敵していたリュカが顔を上げる。くるりと体を捻って霧の向こうを指さした。
「あっちにね、みんないるよ。これは赤い人‥‥かな。それでね、そのもっと向こうにおっきなのがいる。おっきなのの近くから、小さいのが沢山出てきてるみたい。でも小さいのはこの辺からも出てきてる。赤い人のとこに比べたら少ないけど、まだ来るみたい」
「この辺りのは埋まっとるのが出て来とるだけじゃろうな。そしてそのでかい奴とやらがおそらくこの階層の主じゃ。どのくらいでかいのだろうな。喰いに行きたいが、わしにも見えんほど遠いからのぅ、仕方ない。騎士の長が倒すのを待つしかあるまいて」
言いながらもその目はリュカが指さす方を見ているし、大きな口から涎が垂れている。食べたいんだろう。
「ぐあ‥‥!」
突然、エルダーの悲鳴が聞こえてきた。
すぐ振り向いたけど、霧が更に濃くなっていて彼の姿はどこにも見えない。
「エルダーさん!?」
「ああ、噛まれたな」
背後で魔人が穏やかに呟くと同時に、エルダーの悲鳴が聞こえたあたりからゾンビの首が飛んできた。




