18話-2 六階層は腐臭で満ちてる
「リュカ、足大丈夫?」
「うん、へいき‥‥」
腐った手に足を掴まれたことがショックなのか、それを口にした魔人を見たのがショックだったのか、リュカは意気消沈している。
魔人はエルダーが仕留めた手首の本体を土から引きずり出して食べているが、墓石の向こうなので運よく見ずにすんでいる。
音は聞こえるが、無視だ、無視。
前方を見ると、先頭を歩いていたはずの団長もレバネ達も見えなくなっていた。今のですっかり出遅れてしまったようだ。
と思っていたら向こうも気が付いてくれたみたいで、霧の向こうからレバネの声が響いてくる。
「エルダー! どこにいるー!」
「レバネさん! 私達は後方です! すぐそちらに向かいます!」
聞こえてくる声の感じからして、そう遠くに離れてしまったわけでもないようだ。学校の廊下の端から端へ叫ぶくらいの距離だろうか。もっと近いかもしれない。
先へ進もうとした時、レバネが止まれと言ってきた。声の様子からして、なにやら焦りを感じる。
「気づいてるか! 前方からゾンビの群れがくる! そっちに合流してもいいが、ありゃここで食い止めた方がいい数だ! お嬢ちゃんたちは任せたからなぁー! そっちのは上手くやれよー!」
言い終わったかと思えば、すぐに何やら音が聞こえ始めた。鈍く重たい物体を斬るような音と、4人の掛け声。どうやらすでに戦闘がはじまったらしい。
辺りは濃霧にまかれ、もはや数m先すらよく見えない。
そんな中、どこからともなく土をかき分けるような音が聞こえてきた。それはそこら中から、いっぺんに聞こえだしたように思える。リュカと私は手を取り合って忙しなくあたりを見回した。
真っ白い視界にはほとんど人影が見えない。魔人は、エルダーはどこだろうか。
「ほほう。まるでパーティーじゃな。そこらじゅうから溢れてくるわい。いいのぅ、いいのぅ。ゾンビの肉は臭うが、それもまた珍味の証。良い香りだのぅ」
霧の中、先程の肉を食べ終わり上機嫌の魔人が現れた。にんまり顔はどす黒い血と変色した肉片で汚れているが、それらはすべて長い舌がべろりと舐めとる。
「貴様らはあまりわしから離れるなよ。そして気を付けよ。ゾンビに噛まれれば同じくゾンビになるからの」
「ゾンビ‥‥」
そうだ。動く腐肉。動く死体。それは、ゾンビっていうんだ。
エルダーはどこだろう。
背後で土を踏む音が聞こえた。振り返ると、エルダーが剣を手に立っている。
「お二人は私と閣下の間に。風の精霊 ヴェントゥレよ、祈りのままここに来たれ。お二人に近づくゾンビどもをその風で切り裂け!」
エルダーが祈りを捧げるようなポーズをとると、次の瞬間私たちの周りを突風が取り囲む。風の中をキラキラと輝きながら点滅する光は、彼の呼び寄せた風の精霊、ヴェントレだ。
「お二人とも、危険ですので、そこから出ないでくださいね」
「は、はいっ」
「うんっ」
それからエルダーは私たちからぎりぎり見える位置まで進んだ。立ち止まり、また祈りを捧げる。すると彼の周りに赤い光が飛び回る。
祈りのため俯いたエルダーの横、霧の中にぼんやりと人影が現れた。もしや騎士団の人かと思ったそれは、首が折れ曲がった動く死体。ゾンビだった。
「エルダーさん!」
「ええ!」
エルダーは今まさに襲い掛かってきたゾンビを躱し、構えた剣を振りかざす。覆いかぶさる動作のまま、よろけたゾンビは二歩三歩と足をもつれさせた。その隙を見逃さず振り下ろされた剣が、前のめりになったゾンビの首を切断する。
ごろりと転がった頭を踏み潰し、胴体と共に蹴り飛ばす。そうしてなるべく足場を確保してからエルダーは剣を握りなおした。彼の立ち位置は最初とそう変わらない。
霧の中うっすら見える背中。この距離が離れられるぎりぎりの距離だ。これ以上離れれば互いを見失いかねない。
続いて、2体のゾンビが霧の中から現れた。エルダーはそれも斬って捨てる。
ゾンビの動きは非常に愚鈍で、向かってくるスピードは大したことがない。普通の人が歩くスピードの方が断然速く、徒歩でも捕まることはまずないだろう。
しかし、ゾンビの間合いに入った時は違う。獲物に抱き着こうとする一瞬の動作は素早くて、まるで餌に噛み付く亀のよう。近づかれたら相当危険だ。
なおかつ、ゆっくりとした動きは音がほとんどない。彼らが時折口から漏らす「ぁあ」「ぅう」と言った唸り声や運よく聞こえた足を引きずる音がなければ、気配はないも同然だった。
濃い霧の中に立つエルダーの更に向こうから、ゾンビは1体、また1体とやってくる。彼は囲まれない様距離を取りつつ、ゾンビの間合いの横に回り込んでから頭部を砕くか両断して倒していく。
2体のゾンビが同時に向かってくれば、まず片方を蹴り飛ばす。蹴り飛ばしたゾンビがよろめいている隙にもう1体に斬りかかる。
残ったゾンビが次の動作に入ろうとする前に再度横腹を蹴り飛ばし、倒れたところを剣で突き刺す。
ゾンビの動きは遅いからどうにか処理できているが、その数は段々と増えていく。
不意に砂利を踏む音が聞こえ視線を移すと、そこには。
「あっ!」
視線の先、私たちから3mほど離れた場所にゾンビがいた。うつろな眼球がこちらを見ている。
「呪術 踊る子供たち」
私の後ろでリュカがこっそりと囁いた。するとゾンビは動きを止め、その場で立ち尽くす。
「リュカ、ありがと」
「えへ。でも内緒ね。呪術使うなっておじいちゃんから言われてるもん」
「フェルボラ! お二人を!」
エルダーの声がしたと思ったら、赤い光が飛んできた。エルダーの精霊だ。精霊がリュカの止めたゾンビに触れると瞬きの間に動く死体が炎に包まれた。
「小僧! できるだけ死体をそのまま残せ! 焦げすぎるとせっかくの肉が台無しになる!」
声の方を向けば、2体のゾンビを捕まえた魔人が霧の中に立っていた。まだ動く死体の頭部を直に齧り、燃えていくゾンビを睨みつけている。
頭部に損傷を受けるとゾンビは息絶えるらしい。脳みそが半分飛び出た姿の死体はその場に膝をついた。人外はゾンビの頭部を盃のように斜めにしてどろりとした内容物をごくりと飲みこむ。
「おぇ‥‥。見なきゃよかった」
ゾンビ物の映画とかはお母さんが嫌ってちゃんと見れたことがない。それでもテレビでよくやるから、CMは見たことがある。
止められれば止められるほど興味は湧くものだけど、お母さんの不機嫌を押してまで見ることはなかった。
でも、見なくて本当によかったと思う。
あんなグロテスクなシーンを見ながらご飯は食べれないし、もし見ちゃったらその日一日は食欲をなくすだろうから。
でも、グロテスクなものを見たくないからと言って目を閉じるのは逆にこわい。さっきのように知れずにゾンビがこちらへやってきたらと思うとどうしても気が気でない。
それに、魔人はともかくエルダーへは注意を向けていないと、もし彼に危険が迫った場合対処が遅れれば命取りだ。彼を視界に入れておけば、死角から現れるゾンビがいることを知らせることができる。
そう思った直後、白く煙るエルダーの周りで火が燃えるのが見えた。精霊がゾンビを焼いているのだ。それを見ると、今のところそこまでエルダーを心配する必要もなさそうだなという気持ちにはなる。
が、それでも警戒しておくに越したことはないはずだ。
風の壁を作ってくれている精霊が私たちをどこまで守ってくれるか分からないし、最悪いつでも逃げれるように、ゾンビからの攻撃を避けれるようにしておきたい。
「うぇ」
リュカがえずく。魔人のスプラッタお食事会を見ているようだ。私はエルダーへ注意を向けた。
「エルダーさん! 2体、右から来ます!」
「はいっ」
「左から、3体!」
「フェルボラ!」
ゾンビの方へ体を反転したエルダーは、その勢いのまま剣を振った。しかし、振るった剣はゾンビの頭部に真横に入るが、両断するには威力が足りないらしい。ぐらんと垂れた頭部を揺らしたまま、ゾンビが迫ってくる。
あっ、こっちもスプラッタ。




