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8話-1 心の限界、理性の決壊

 ああ、なんだかあたたかい‥‥。


 目を覚ますと、薄暗い場所にいた。

 ぼんやりとする視界に四角く切り取られた小さな星空が映る。しばらくその空を眺めていたが、やがてそれがガラスもなにも埋め込まれていない開け放しの窓だとわかった。


 ここ、どこだろう‥‥。


「起きた?」


 私を覗き込んで男の子がほほ笑む。一瞬驚いて息が詰まったけれど、リュカだとわかると詰まっていたものが一息に出ていった。


 目が覚めてから、なんだか頭がはっきりしないみたいだ。リュカのことも忘れかけていたなんて。

 ぬいぐるみから人形に、そして人間に‥‥。見た目がコロコロ変わるから、イメージが安定しないせいもあるのかも。


 見上げたリュカの後ろには見慣れた石の壁。さっきの窓といい、きっとここは城壁の中のどこかなんだろう。

 それから、どうしてこうなっているのか記憶を辿る。


「あ、私‥‥」

「地下で気を失っちゃったんだ。大丈夫。まだ見つかってないよ。ここにずっと隠れてたから」


 そうだ。そうだった。


 目だけ動かしてあたりを見る。大きな木箱や樽みたいなものが雑多に置かれていて、まるで物置か倉庫のようだったけど、長く続く廊下の造りは中庭からお城に入る時に通った渡り廊下にそっくりだ。やはりここは城壁の中みたいだ。


 その物陰で、私はリュカに背中を預けて横たわっていた。あたたかいのは、リュカに触れていたかららしい。


 もう一度見上げると、リュカは私を見下ろしてはにかんでいた。


「あそこから、連れてきてくれたの?」

「うん」

「ずっと‥‥こうしてくれてたの?」

「うん」


 あの地下からここまで、私を運んでくれたの?

 しかももう日が落ちている。あの時はまだ朝だったはずだから、ずいぶん長いこと気を失っていたことになる。


 そんなに長い間、リュカはこうして私を守ってくれてたの?

 私が行くと言ったのに、なのに倒れて気を失った私を見捨てずにいてくれてたの?


 たった一人で、私をここに運ぶのだって、大変だったろうに。


「ありがとう、リュカ。守って‥‥くれてたんだね」


 言いながら、飛行機でぬいぐるみのリュカがそう言ってくれたことを思い出す。


「うふ、うふふ」


 リュカは照れたように体をくねらせている。


「ん‥‥、と」


 いつまでも寝ていられない。


 起き上がろうとしたけれど、頭の位置が変わると途端にめまいがしてきて、私はまた倒れそうになった。なんとか座った状態のまま、落ち着くのをまつ。けれど、世界が回っているような感覚はやみそうにない。


「大丈夫?」

「ん、くらくらするだけ‥‥」

「気分悪い?」

「うん‥‥。少、し‥‥うっ」


 唐突に地下で見たものを思い出した。その瞬間に吐き気がこみあげてくる。とても我慢できず、その場でえづいた。


「うぇ‥‥っ、えっ」


 飛行機を降りてから丸一日以上なにも口にしていないため、私の胃の中には吐けるものなんて何もない。それでも嘔吐の衝動は収まらない。

 何度もえづくうち、どこからかびしゃりと苦いものが出てきたけれど、それを吐き出しても吐き気は収まる様子がなかった。


 四つん這いでげぇげぇ言っている間、リュカはずっと背中をさすってくれた。やがて体力が限界を迎えてその場で倒れると名前を呼ばれたが、私は苦しみに涙が出てきて、のどがチクチク痛んで、呼吸もゼイゼイと喉を鳴らすようなありさまだったので返事なんかできなかった。


 さんざん体力を使って吐き気が収まると、ようやく現実が見えてきた。


「はぁ‥‥はぁ‥‥」


 吐いて、多少めまいも落ち着いたところでなんとか体を起こして座り込む。だけど、それ以上動けそうになかった。


 視界に石の床を映しながら、私の頭の中には地下で見たあの光景が広がっていた。


 地下の牢屋は地獄だった。

 あれが現実なんて思いたくないけれど、あれを見た瞬間にこれは現実なんだとわかってしまった。その感覚が正しいかなんて証明できない。けど、あの光景を目の前にして、そう実感するしかなかった。


 ここは夢の中じゃない。


 正しく言えば、現実なのかどうかも怪しいけれど、でも、夢ならとっくに覚めていていいはずだ。クローゼットの中で眠った時、地下で気絶した時‥‥さんざん夢から覚めるタイミングはあったはずなのに、私はまだここにいる。


 ここが夢の中だとするなら、夢から覚めてもまた同じ夢の中にいる状況だ。今後ずっとこの状況が続くとしたら、それは現実とどう違うのだろう?


 ここが現実ではないのなら、ここで見て感じたすべてが現実ではないのなら、私が今まで現実だと思っていた高校生活だって現実だと言い切れない。そんな風に思えるほど、この場所にリアルさを感じている。


 今いる現実と、飛行機で寝るまでに認識していた現実とには、そう違いがない気がする。私の五感全てがここを夢の中じゃないと理解して、そう叫んでいる。

 私の心だけが、まだどこかでこれが現実だということを否定したがっていた。まだここを夢だと思っていたい自分がいる。そうでないと自分自身が崩れそうな気がした。


 だってここが現実なら、なにもかもわからなくなる。

 これからどうしたらいいのか、どこへ行けばいいのか。

 どうしたら死なずに済むのか、どこへ逃げたらいいのか。

 何一つわからなくなる。


 それがこわくて、不安で、いられなかったから、私はまだ夢だと信じたかった。なのにどうしても、信じられない。


 だってどうしたって、ここを夢の世界と思えない。


「ねぇリュカ、私、どうしたらいい? ここが夢じゃないなら、私、これから、どうしたら‥‥」


 まだ私の背中をさすっているリュカを見て、私はすがるように問いかける。今の私が希望を見いだせる相手は彼しかいないから。


「えっと‥‥」


 お願いだから、どんなことでもいいから、私の不安を吹き飛ばすようなことが聞きたかった。


「‥‥‥‥」


 だけど、いくら待っても今の状況を打開するような返事は返ってこない。それどころか、リュカもどうしたらいいのかわからないようだった。


 そりゃそうだよね、と頭の中で私の声がする。


 だって、もともとリュカは飛行機の中に私を隠して、お嬢様を待つつもりだったんだから。

 勝手に飛行機を降りたのは私なのに。

 リュカにはこんなところまで来る予定そもそもなかったのに。

 なのにこれからどうしたらいいのかなんて聞かれても、困るよね。


「‥‥ふっ、ふふ」


 おかしくもないのに笑いがこみあげてくる。笑ってるのに、のどの奥がツンと痛くなる。


「チトセ、大丈夫‥‥?」


 心配してくれるリュカの優しさが苦しい。


 この世界で私を助けてくれそうな人なんて、リュカを除けば夢の国のマリスお嬢様とワールドエンドさんしか思い浮かばない。けど、さっき私が聞いた時にリュカからその提案がなかった時点で、きっと二人も助けてはくれないんだろうことはわかっていた。


 けど、口にしないと、確認しないと気が済まなかった。


「お嬢様は‥‥助けに来てくれないの?」

「ここは夢の中じゃないから、お嬢様は来れない」

「ワールドエンドさんは‥‥」

「ワールドエンドも夢からは出てこないから、助けに来てくれない‥‥」


 わかってたことだけど、はっきり言われるとどうしてかショックを受けてしまう。

 ショックを受けることはわかってるけど、それでも聞かないといられなかった。


「じゃあもし、あのまま‥‥飛行機の中にあのままいたら、二人は助けに来てくれてた?」

「‥‥それも、ほんとはわからないんだ。お嬢様はそこまで言わなかったし、もしかしたら、来てくれたのかもしれない。‥‥あそこは夢と現実の境目にあって、ここよりは夢の国から行きやすいところにあるから。‥‥だけど、お嬢様は体がないから、やっぱり助けに来るのは難しかったと思う‥‥。ワールドエンドも、多分同じ」


 リュカの答えははっきりしなかった。

 それでも、少なくともここよりは可能性があったんじゃないだろうか? とそう思ってしまう。


 今更、どうしようもないことなのに、考えずにはいられない。全部自分で決めたのに、後悔しても仕方がないのに。ああすればよかったんじゃないか。こうすればよかったんじゃないかって、変えられない過去ばっかり目について、後悔が押し寄せる。


 心の水面に、深くて昏い水底から浮いてきたいくつもの泡が次々波紋を広げる。泡が弾けるたびに内包されていた不安が聞こえてくる。

 心の中を埋め尽くす声、それを考えなしに口にした。


「‥‥私、殺されちゃうのかな」


 ぽつりと口にしただけだった。なのにその言葉が一気に私を絶望に突き落とす。

 波紋が広がるのみだった水面は、まるで嵐がきたように吹き荒れた。


 死にたくない。


 地下室でみた、みんなみたいに死にたくない。


 あんな風に苦しそうに痛そうに、つらそうに殺されたくない!


「死にたく、ない……っ」


 私の体は震えて、涙が出てくる。自分で言った言葉に、自分で傷ついて、恐怖している。

 ここにきてからずっと、私は私のせいで窮地に追いやられている。そんな気がする。


「チトセは僕が助けるよ。だから、泣かないで」


 リュカはそう言ってくれるけど、でもどうしたらいいかわからないのはリュカも同じなんだから、無責任なことを言わないでほしい。

 どうせ無理なのに、希望なんか見せないでほしい。


 そう思ってしまう。

 思ったら、口が勝手に動いていた。


「‥‥うそつき」

「え?」


 勝手に出た言葉は私の不安から生まれた猜疑心で、リュカの本当じゃない。私がそう考えてるだけ、感じているだけ。リュカはきっと本当に助けてくれるつもりなんだ。

 わかってる。でもきっと私の方が正しい。これは事実だ。


 私の心の中は真っ黒で、まるでリュカのことも信じられなかった。


「そうだよ。リュカは私を助けてなんてくれないよ‥‥」


 ほとんど、独り言。

 だけどリュカは私にそう言われたと思って狼狽えた。


「なんで? チトセ‥‥。なんでいきなりそんなこと言うの? 僕、助けるよ? チトセのこと、守るって言ったじゃない」

「うそ! じゃあどうやって私を助けるのか言ってよ!」


 うそじゃない。わかってる。


 だって実際に気を失った私をリュカは守ってくれていた。わかってる。


 わかってるはずなのに、信じられなかった。


「それは‥‥えっと」

「ほら‥‥。わかんないんじゃない‥‥。できないのよ、そんなこと」


 そもそも私はあなたが助けなきゃいけない人じゃない。人違いなんだもの。しかも、本当に探してるその人はきっともう、まともに生きてなんかない。


 それどころか、きっと殺されてるのに‥‥!


 それを知ったら、きっとリュカは私を置いて夢の国に帰ってしまうんだろう。そうなったら私は、‥‥私は、独りぼっちだ。

 こんなわけのわからない世界の中に、一人にされる。


「‥‥チトセ、どうしたの。なんで怒ってるの?」


 突然声を張り上げた私に驚いて、どうしたらいいのかわからずリュカはおろおろとしている。そんな態度もなんだか気に食わない。


 怒ってなんかない。私は怒ってるんじゃない‥‥。


 いや、怒っているのかもしれない。


 私を助けるつもりなんかないくせに、今はそう言ってても、いつか真実を知ったら私から離れていくくせに。嘘で私を安心させないでほしい。


 信じていつかがっかりするくらいなら、絶望の中に居続けるほうがマシだと思えた。


「ねぇ、僕のこと信じてよ。僕はチトセを助けるよ。守るよ。ねぇ、一緒に‥‥」

「一緒? うそつき。リュカのうそつき!」


 クローゼットから出たあと、私に芽生えた小さな不安は、ネガティブな感情を食べて大きく育ってしまったみたいだ。それとも、もとから大きかった不安を、今まではなんとか抑えていただけなんだろうか?


 どちらにせよ、私はもうその不安に耐え切れなかった。


「リュカは私を置いてどこかに行けるくせに! 夢の国に帰れるんでしょ!? ミズキママが見つかったら、一緒にどこかに行っちゃうくせに! 私を置いて行くのに、私の味方みたいな顔しないでよ! うそつき!」


 今まで言えなかったのは、それを言ったら本当にそうなってしまうような気がしていたからだ。私の不安をリュカに肯定されるのがこわかったからだ。それは今も同じで、今も、リュカの返事を聞くのがこわい。


 だからか、怒鳴りつけたのは私の方なのに、いい終わらないうちに私の目からはぼろっと涙がこぼれた。それはあとからあとからあふれてきて、あふれた涙と同じだけわけもわからない黒くて空っぽな感情があふれてくる。この気持ちを抑えられない。


 現実じゃないと思っていたから余裕でいられた心が、残酷なものを見たせいで一気に真っ黒く塗りつぶされたんだ。


 余裕なんて消えて、あるのは恐怖、焦り、怒り、不安、孤独、さみしさ‥‥。そんな嫌な気持ちだけ!


「嘘なんか言わないよ! まだ自分がミズキママじゃないって思ってるの? ミズキママはチトセだよ! 何度も言ってる! 僕、チトセの味方だよ!」


 おろおろと私の肩に触れるリュカの手を払いのける。


「私はミズキママなんかじゃ、ないっ!」

「‥‥なんで?」


 傷ついた顔をするリュカをみて、心が痛んだ。けどどこかで満足している自分がいるのもわかる。


 最低だってわかってる。だってこれは半分はただの八つ当たりだもの。

 行き場のない怒りを、悲しみを誰かにぶつけたいだけ。そんなことしたって状況は良くならないってわかってるし、意味がないってわかっているのに。リュカを傷つけていいわけもないってわかってる。

 わかってるのに。


 ‥‥傷ついたリュカを見て、満足して、私は何がしたいんだろう?


 なにもかもどうしたらいいのかわからない。


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