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11話-1 半魔ってなんですか

 暗い場所にいた。ここはこわいから嫌だと思った時、遠くにぼんやりと明かりが見えて、ほっとした。私は吸い寄せられるように明かりの方へ進んでいく。


 近づくと、明かりの正体がわかった。石だ。

 怪しく光る、綺麗な石。


 綺麗だと思うのに、なぜかわからないけどぞっとして、立ちすくむ。


 やがて、地面に何かが流れてきた。水だ。

 けど、石に向かって流れて来たその水は、どす黒くて、赤かった。


 気持ち悪いと思った時、低い風の音が聞こえてきた。顔を上げると、山があった。


 色んなものがごちゃりと集まったように見えるゴミ山のようなそれは動いていて、暗闇の奥から段々と近づいてくる。ずりずりと、不気味な湿った音を立てて。


 大量のゴミかと思ったが違う。

 蠢く、大量の何かが一つに固まったような、おかしな物体。


 風の音かと思ったものは、風の音なんかじゃなかった。

 苦しそうな嗚咽。悲鳴のような、人の呼吸。


 暗闇のなか未だ見えぬその塊の正体に気づき、全身が強張る。


 その全貌が石の明かりで見えそうになった途端、恐怖が臨界点を突破して、私はその場から逃げ出した。


 暗闇を走る。何も見えないけど、無我夢中で走る。やがて転び、止まる。


 暗い場所。どこかわからないけど、段々目が慣れてくる。地面にはちくちくとした何かが落ちている。干し草だと思った。


 そこは納屋の中だった。


 こんな場所に一秒もいたくなくて出口へ向かおうとすると、突然誰かに捕まった。足を、手首を、腕を、胴体を、後ろから掴まれて引き戻される。


 干し草の上に仰向けに倒れると、私の上に誰かが乗ってきた。暗くて何も見えないけれど、感触でわかる。これは、あいつらだ。


 嫌だと叫びたいのに声が出ない。やめてと暴れたいのに体が動かない。逃げたいのに逃げられない。


 私に触れる彼らの手の感触、呼吸の粗っぽさ、気味の悪い笑い方。すべてがこわくて、気持ち悪くて仕方ない。


 出ない声で叫んだ時、突然圧し掛かってきていたものが消えた。動けるようになり、暗闇の中急いで体を起こす。


 助かった。

 けどまだ何かに触れている。何かが私に触れている。


 悲鳴をあげかけて、ふと指先の感触に覚えがあることに気が付いた。それは多少けばつきのある布で、私に触れる感触は軽く、柔らかい。


 なんの感触だったか思い出そうとした時、暗闇がぱかりとケーキ箱のように開いた。外の光が差し込むと、視界が一気にまばゆくなり、あまりの眩しさに目を閉じる。


 体の周りを何かが蠢く。一つ一つは軽いけど、数は多い。


 大量の蜘蛛が私の全身を取り囲んでいるイメージが頭をよぎるが、『うふっ』という聞きなれた声にかき消された。


 その声に誘われるようにおそるおそる目を開ける。開けた視界の中、私の体は青い無数のぬいぐるみマスコットで埋め尽くされていた。


 なんだこれは、と思うとそれらが一斉に顔を上げてこっちを見る。彼らは飛行機の中で見たぬいぐるみマスコットの姿のリュカだった。


『あ、なんだリュカかぁ‥‥。よかったぁ』


 安堵して呟くと、ぬいぐるみたちがざわざわとしだす。皆『チトセー』と言って、とことこと寄ってきた。『なぁに』と聞く前に全員が私の体を取り囲み、よじ登ってきたりつまづいたりをはじめる。やがて互いが邪魔だとでもいうように喧嘩まで始まった。


 体の上をごちゃごちゃ動くフェルトの感触がくすぐったくて、目の前の光景がとってもほのぼのしていて、思わず笑う。するとリュカも笑った。


 笑い声がやたら近いなと隣を見れば、そこにはいつの間にか人間のリュカがいて、私たちは一緒になってぬいぐるみマスコットに埋もれていた。


 にへっと笑う姿を見ると更にほっとする。もう大丈夫だって思える。


 ‥‥あれ、なにがあったんだっけ。


『リュカ。このぬいぐるみどうしたの。全部リュカなの? 本物はどれ?』

『本物も偽物もないよ。これは全部チトセの夢だもん。けど僕は僕だよ。このぬいぐるみとは別』


 なんて、リュカが訳が分からないことをいうから『意味わかんないよ』と笑った。


 そこで、目が覚める。


 視界には騎士団のテントの天井。そうだ昨日ここに泊まったんだったと思い出しながら柔らかなクッションの上で思いっきり伸びをする。


「んー‥‥っ! ふぅ、よく寝た。‥‥あれ、なんか夢見てたような。‥‥覚えてないけど、可愛い夢だった気がする」


 昨日納屋であんなことがあった後だから、こわい夢の一つでも見るかと思ったけど意外にもそんなことなかった。どんな夢か覚えてないけど、寝起きの感じからいい夢だったように思う。


 私って夢を覚えてることが少なくて、ほとんど夢見てないんだと思うけど、それでもこわい夢って起きた時嫌な感じで起きるから、なんとなくわかるんだよね。


 今回その嫌な感じがなかったってことは、自分で思っているよりも私って案外神経が図太いのかも?

 まぁ、そのあと夜中まで話し合いだったから、疲れすぎてて悪夢すら見ないでぐっすりだったのかもしれないけど。


 ぼんやり天井を眺めながら夢について考えていたら、うっかり二度寝しそうになった。慌てて起き上がろうとして何かに引っかかる。見ればリュカの手を握っていた。手を繋いだまま眠っていたらしい。

 けど、いくら思い出そうとしても昨夜寝る前に手を繋いだ記憶はない。


「もー、リュカったら勝手に手を繋いで寝て‥‥。まぁ、いいけどさ」


 手を離し、用意された大きなクッション型のベッドを降りる。ベッドで寝ていたのは私とリュカだけで、魔人はいつものように一晩中起きていたはずだけどテントの中に姿はなかった。


「リュカ、起きて。おじいちゃんがいないから、えっと、勝手に出て大丈夫かな。大丈夫、よね。探しに行こ。ねぇ、リュカったら」


 昨日は納屋に戻りたくない一心で泊まるだなんて言ってしまったけど、正直これでよかったのかは分からない。私たちは捕虜ってわけじゃないにしても、お客ってわけでもない。

 身の安全的には大正解だと思うけど。


 起きたからって、勝手に外を出歩いていいものだろうか。指名手配寸前なのに。


「リュカ、おきてよ」

「んぁ」


 ようやく起きた子供は私と同じように伸びをしてから体を起こす。


「おはよぉ、チトセ。このベッドふかふかで気持ちよかったね」

「おはよ。リュカ。ほんとこのベッドいいよねぇ。ふかふかで体にフィットして、なんか人を駄目にするベッドって感じ」

「うふ。よくわかんない」


 寝起きのリュカがぼんやりと笑う。


 さて、起きたらば。


 私はこっそりテントから顔を出した。外には見張りも誰もいない。魔人の姿もない。時間は分からないけれど、朝もやの感じとか独特な静寂から言って、朝5時くらいだろうか。


 だけどもう皆起きてるみたいで、いくつかのテントの向こうから何かの物音が聞こえてきた。


「ねぇ、おじいちゃん探すついでに朝のお散歩しようよ」

「楽しそう!」


 すぐに誘いにのってくれるリュカと2人でテントを出ると、まずは音のする方へ向かった。


 そこへ行く途中で例の横穴の前を通る。切り立った崖に開いた大きな洞窟は、まるで山が開けた大きな口のように見えた。相変わらず風の音がごうごうと鳴っている。


 暗闇で見るのと違って、朝もやの中で見ると昨日とは違ったこわさを感じた。言葉が浮かばないけれど、自然の凄さとか、そう言う感じの。


 穴の反対側を見ていたリュカが私の肩をたたく。


「ねぇ、あそこで誰かがご飯の準備してるみたい」

「ほんと?」


 お腹がぐうと鳴った。そういえば昨日は早めの夕食だったし、1日通して2食しか食べてない。


「手伝ったら、分けてくれたりするかな‥‥」


 ちょっと期待して行ってみることにする。


 近づくと、朝もやで見えづらかったそこにはたくさんのテーブルと椅子が用意されていた。その向こうで火がついているのがわかる。煮炊きがはじまっているんだ。

 作業員はどうやら1人。


「あ‥‥っ」

「どうしたの、リュカ」

「あれ、エルダーだ」

「ほんと?」


 リュカはそう言って私の服をぎゅっと掴んだ。顔をしかめて、睨むように人影を見つめている。昨日の事ですっかり警戒してしまったらしい。


「リュカ、エルダーさんのこと嫌いになっちゃった?」

「わかんない。でも嫌なこというから、会いたくない。あっち行こうよ、チトセ」

「ええー、でも私お腹すいたよ」

「ご飯ならドラゴンの干し肉まだあるでしょ」

「さすがに飽きたよ。ねぇ行こうよリュカ。エルダーさんとも仲直りできるかもよ」

「喧嘩じゃないもん」


 頑ななリュカを引っ張って行こうと両手を掴む。引っ張るけど、リュカがふんばるから進まない。


 こういう時の力強さは男の子なんだよね、リュカ。


「ねぇ、リュカったら」

「会いたくない! あの人、僕のエルダーじゃない。偽物だ! 本物のエルダーはもっと優しいもん!」


 朝露で足元が滑り、バランスを崩して手を放してしまった。その隙にするっと逃げられる。リュカは「僕おじいちゃん探して来る!」と一人でエルダーとは反対方向へ行ってしまった。


 追いかけたかったけど、体のバランスを整え顔を上げた時にはもうリュカは見えなくなっていた。1人になると急に心細くなってくる。


 テントに戻ろうかな‥‥。


「チトセ様‥‥?」


 声を掛けられ振り返ると、そこにはエプロン姿のエルダーが立っていた。彼は遠慮がちに「おはようございます」と頭を下げるので、つられて私もお辞儀を返した。


「その‥‥どうしてこんな朝早くに? 眠れませんでしたか?」

「あ、いいえ! あの、ベッドすごく良くて‥‥。おかげさまですっごいぐっすり眠れました。ありがとうございました」


 再度頭を下げると、頭の向こうで「それは良かったです」とエルダーの優し気な声がした。顔を上げるとどこかぎくしゃくした様子の彼と目が合う。


 ほとんど知らない男性と2人きり‥‥。


 納屋でのことを思い出した心臓がどきどきしだすが、エルダーからは嫌な気配は感じない。ただ、彼も緊張しているのがわかるので、どこか居心地が悪い気はした。


「あの‥‥」

「えと‥‥」


 こういう時のあるあるで、私たちは同時に声を発した。あわてて「どうぞどうぞ」なんてする動作まで含めて、あるあるすぎる。

 そんな日常的なやりとりのおかげか、私の妙な不安は少し減って、ふっと笑ってしまった。私の笑顔を見たからか、エルダーも表情を崩す。


 それから彼はリュカが行ってしまった方を見た。


「その、リュカ様は‥‥」

「あ、えと‥‥行っちゃいました‥‥。おじいちゃんを探すって‥‥」


 エルダーを避けたとは言わなかったが、眉を寄せて霧の向こうを見つめる彼はそれを察したようだった。彼は「昨夜は申し訳ありませんでした」と深々と頭を下げる。


「取り乱し、お連れ様のことを悪魔だなどと‥‥」

「あ‥‥その、昨日は‥‥はい」


 なんて言ったらいいか分からない。リュカのことを悪魔呼ばわりされて、私も気分は良くなかった。そのことについては今も嫌だなって思う。けど、それを許すとか許さないってのはリュカがすることだ。


 どう答えたらいいものかわからず曖昧に笑うと、エルダーはうつむいたまま迷うように打ち明けた。


「昨夜‥‥あれから一晩考えておりました。なぜ私は初対面の少年に向かってあれほど恐怖したのかと‥‥。そしてなぜ、不確定な要素を上げて、あのような悪態をついたのかと‥‥。すべて私の未熟さゆえです。本当に、お詫びのしようもございません‥‥」


 そして再度深々頭を下げる。


「あ、あの‥‥。頭を上げてください」

「リュカ様にも‥‥昨夜のことを直接謝罪したいのですが、お戻りになられますでしょうか」

「えと、多分‥‥。はい」


 正直わからない。さっきの反応を見るに、リュカは大分怒っているようだったから。もしかしたらこのままエルダーの前には現れないかもしれない。


「では、その時改めて謝罪をさせてください」


 顔を上げたエルダーは真っすぐな目でそう言った。その目をみたからだろうか。多分、この人は悪い人じゃないんだと思えた。


「はい。必ずリュカ、連れて来ますね」

「ありがとうございます」


 彼は少し不安そうな顔をしつつ、笑った。


 微妙な沈黙が流れたので、とっさに話題を探す。


「エルダーさんは、その、何をされているんですか?」


 彼の身に着けているエプロンをまじまじ見て聞くと、彼の表情が和らいだ。


「朝食作りです。準備ができましたらテントまで呼びに参りますから、チトセ様はもう少し寝てらっしゃって大丈夫ですよ。今日は昨夜の話の続きもありますし、今はゆっくり休まれてください。リュカ様も‥‥」


 なんて答えようか考えていたらまた沈黙が流れてしまった。「では、私はこれで」と言って戻ろうとする彼に一歩近づくと、彼も止まる。


「あの‥‥その」


 どうしてテントに戻らなかったのか分からない。なんとなく、リュカとエルダーの関係をどうにかするには今がいい気がしたんだ。

 なんの考えもない、思い付き。さっき、朝食を手伝ったら‥‥なんて考えたからかもしれない。


「も‥‥もう目が覚めちゃいました。それに、えと‥‥」


 私がここにいればリュカはここに戻ってくる気がした。だから、エルダーのそばにいれば、戻ってきたリュカと彼を仲直りさせられるんじゃないかって、思って。


 リュカが戻るまでここにいていいですか、それは言わないことにした。代わりに『何かお手伝いできる事はありますか』と言おうとした時、ぐぅぅとお腹が鳴った。顔に血が集まる。


 これじゃただの食いしん坊に見えてしまう!

 手伝ったら少し分けてくれないかな、なんて一度は考えたんだからその通りだけど、でも今このタイミングで鳴らなくてもいいのに!


「あ、や‥‥これはその」


 言い訳もできず狼狽える私を見て、エルダーがにっこり優しく微笑んだ。余計恥ずかしくなる。


「実は、朝食の時間はまだ先なんです。作る量が多いのでこの時間から準備をするのですが‥‥。今日は先にパンを焼きますから、こっそり味見、されますか?」


 なんて言ってくれる。


 あぁあ! 本当にただのお腹が空いた人みたいになってる!


 顔が爆発しそうなくらい熱くなる。すごく恥ずかしい。


「あ、や、その‥‥いいです我慢できます。あと、手伝います! リュカもまだ‥‥じゃなくて、することもないですし!」

「そうですか? では、お願いできると助かります。実は私、あまりこういったことが得意でなくて」


 それが気遣いかどうかわからないけど、エルダーは遠慮がちに笑う。


 彼とは、話せば話すほど接しやすくなっていく。これなら昨日とは違う関係を築けるんじゃないかとそう感じる。


 考えながら、リュカが走っていった朝もやの向こうを見る。そこには白い霧があるだけだった。

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