めざめ
なりませぬぞ王様・・・!
”―――――目覚めよ”
夢とも現実ともわからない闇のまどろみ中で、青年は誰かの声を聞いた。その声は、まるでこだまのように、何度も何度も闇の中で響き渡る。やがてそのこだまは、輪郭を徐々に失いながら、小さく、か細く、消えていった。そして、青年は、夢と現実の境目を破り、ゆっくりと目を見開いた……。
青年が目を開けると、眼の前には満点の星空が広がっていた。赤色、黄色、青色、みどり色。きらめく星星の粒と、それをとりまく星雲の美しさ。夜空に光る星の煌めきは、まるで手を伸ばせばそこにあるかのよう。空をまっぷたつに横切る天の川の白い輝きは、月の光にも負けないほどまぶしかった。
(イラスト 021 01)
【青年】「……ここは、一体どこなんだ……?」
青年はそうつぶやき、手をついて体を起こした。その途端、彼のからだを鋭い痛みが走る。どうやら、彼はかたい石の上に寝ていたらしい。それも、おそらく相当長い時間だろう……筋肉はつめたく、かたくなり、相当にこわばっていた。
彼が頭を振りつつ体を起こすと、自分のすぐ背後に、衣擦れの音を聞いた。
【青年】「誰だ!」
青年は鋭く叫び、振り返った。
するとそこに、一人の青年がいた。彼はオールバックにまとめた黒い髪に、突き出た鼻梁と鋭い眼光を持つ、いかつい顔をした青年だった。彼は仰向けに寝たまま、目だけを動かして、青年をみつめていた……。
青年は、そばにいたのは彼だけではないことに気づいた。見ると、そこにはほかに二人の男女がいたのだ。彼らもまた眠りから覚めたばかりらしく、まどろみにぼんやりとしており、小さな方の女の子は、大きく口を開けてあくびをしていた。
【青年】「なあ、君たち……」
青年が口を開くと、みなは彼を見つめた。
(イラスト 021 02)
【青年 】「君たちは、自分が誰なのか分かるか?俺は、自分が誰なのか、ここがどこなのか、わからない……」
【黒髪の青年】「……俺も同じだな。ついさっき、夢の中で誰かに起きろって言われた……。それで目を冷ましたら、お前がいた」
【金髪の青年】「僕も同じだ。夢の中で、誰か女の人に、目覚めよって言われた……」
金髪の青年が答えた。彼はサラサラした長髪に、エルフの尖った耳を持っている。彼の声音は優しく、どこか女性的な響きがあった。
【茶髪の少女】「私も、自分が誰なのかわかんない」
あくびをしていた小さな方の女の子が応えた。彼女は、豊かな茶色いくせ毛に、赤い瞳を持っている。彼女は、とてもかわいく、愛らしい。彼女の顔にはひとつ特徴的なことがあった。彼女の頭の側面から、羊のような白い巻き角が突き出ているのだ。
青年たちは、よろよろと立ち上がった。
彼らの立っている場所は、どうあら小さな島の上に建てられた古代の遺跡の上だった。いや、島というよりは、むしろ岩礁と呼ぶべきだろうか。島全体の大きさはおよそ直径80フィートほどで、周囲を古びた石柱が囲むように円を描いて立ち並んでいる。それらの柱は、無数の風雨にさらされた結果、所々崩れ落ちていた。
遺跡の外には、暗い海が広がっていた。
満点の星空とは対象的に、海は暗い。青年は水平線になにか見えるものを探したが、陸地は見えなかった。
ここは、一体どこなのだろう。青年たちはわけもわからず、ただぼんやりと立ち尽くした。
◇◆――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――◆◇
四人の男女は、いつの間にか暗い塔の頂上で目を覚ました。
覚醒と同時に、全員が寒さに震え、肌に刺さる冷たい空気が身を苛むのを感じる。塔の床はざらついていて、彼らはその上に散らばったまま、重たい瞼をゆっくりと開けた。
「ここは……どこだ?」
誰かが呟く。
周囲を見回しても、塔の外にはただ暗く広がる海があるだけだった。星も月もほとんど輝かず、波の音も聞こえない――不気味なほどの静けさだ。水平線のようなものも見えない。まるで世界が終わっているかのように、暗闇が果てなく広がっている。
「……あれを見て」
一人の女性が塔の縁から身を乗り出し、闇の底を指さす。そこにはかすかに、黄色い光が揺らめいていた。その光は儚く小さいが、じんわりと暖かさを漂わせ、不安に包まれた四人の心を一瞬だけ和らげた。
「あそこへ行ってみよう」
「……そうだな。それしかない」
誰もが合意した。ほかにできることはなかったのだ。
◇◆――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――◆◇
「うわ、なんか暗いよ……」
茶色の少女が言った。
塔の中には、手すりのない螺旋階段があった。
螺旋階段の真ん中はぽっかりと開いていて、闇の穴がそのまま塔の底へと続いている。もし足を滑らせでもしたら、塔の底まで、まっさかさまに落ちてしまうだろう。
「こわいよ……」
「大丈夫よ。私の手を握ってください」」
紫の髪の少女が言った。
四人は、手すりのない螺旋階段を降り始めた。塔の中は想像以上に暗く、足元がまったく見えない。四人は壁を触りながら、階段を一段一段降りていく。壁は冷たく、じっとりと湿っている。塩気を含んだ湿り気は、べっとりとした感触で指先に絡みつく。
階段は、どこまでも、どこまでも続いているようだった。
カツ、カツ、という足音が、闇の中に規則的に響く。すると時間を掛けて、カツ、カツ、という足音のこだまが返ってくる。その長い時間差は、この塔の底の深さを物語っている。
「うへぇ、まだ続くのか……?」
一人が呻くように言った。この声は、黒髪の青年だろう。その声に、誰も返事をしなかった。
青年は先頭に立ち、慎重にゆっくりと降りていく。だが、突然足元がすべり、彼は壁に手を突いてどうにか踏みとどまったが、その拍子に、彼はつま先で小石を蹴った。小石は「カツン」と音を立て、闇の中に転がり落ちた。
小石ははるかな時間を掛けて、「カツン」となにかにぶつかり、音を立てる。そうして跳ね返った小石は、また長い時間を掛けて、何かにぶつかる。そうして何度も何度も跳ね返りながら、長い時間を掛けて小石は落下していく。そして二十秒もたっただろうか、最後に「カツン」大きないう音を立てて、小石は止まる。
全員が思わず立ち止まった。
「まじか、どんだけ深いんだよ、この階段は」
また、黒髪の青年の声が響いた
彼らはしばらく立ち止まっていた。が、ここに留まっても、埒が明かない。かれらはそのうちにまた、そろりそろりと階段を降り始めた。
青年は上を見上げた。
遥か遠く、まるで針の穴のように小さく、夜空が覗いている。あれほど明るかった星空も、今はほんのわずかな光で彼らを照らすだけだ。彼らが階段を降りたび、その明かりは小さくなり、周囲はますます暗くなっていく。
それから、どれほどの時間がたったのだろう。青年は、足に疲労を感じてきた。彼は脚を上げ下げして痛みを和らげると、また前に進もうとした。そうして一歩踏み出そうとした時、彼は思わずけつまずき、よろめいてしまった。
「うわっと!」
青年は前につんのめった。次の瞬間、恐怖が彼を支配した。まずい方向に足を踏み出せば、そのまま落下してしまう。そう思い、青年はあわてて壁をまさぐる。
しかし青年は気付いた。彼がつまずいたのは、もうそこに降りる階段がなかったからだ。気づけばそこはもう、塔の最下層だった。
塔の底は真っ暗だった。青年は上を見上げたが、光はまるで見えない。彼は壁を触りながら、塔をぐるりと一周した。そしてついに、扉を見つけると、青年は扉を押し開けた。
◇◆――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――◆◇
そこには、まばゆい光があった。
彼らは外へと足を踏み出した。塔の外には、さっき見たのと同じ、満点の星空が広がっている。そして、眼の前には光がある。その光は、天使だった。
天使は、その光の輪で周囲を照らしていた。
天使の翼は、鳶色に大きく広がっている。その羽がわずかに動くたび、空気が静かに震えた。天使は優しく微笑み、穏やかな声で語りかける。
「あなたたちは選ばれた人間です」。これから北へ向かいなさい」
その声は、不思議な力を持っていた。四人の心の中に、暖かいものが染み渡っていく。まるで、その声に逆らうことなどできないような――そんな感覚に包まれる。
誰も言葉を発することなく、四人は自然と歩き出した。塔の恐怖はいつの間にか霧散し、目の前にある新たな旅が、彼らの心を支配し始めていた。
やがて彼らは、待機していた船へと乗り込んだ。北の果てへ――未知の場所へと向かう航海が、静かに幕を開けたのだった。
◇◆――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――◆◇
「みな起きたか」
彼らの背後で、声が聞こえた。振り返ると、そこには天使がいた。
天使は、鳶色の羽を広げて立っていた。彼女の髪もまた鳶色で、長く伸びた前髪に片方の眼は隠れている。彼女は、赤銅色の金属でできた、十字架の杖を握っている。
【鳶色の天使】「君たちは、ここがどこだか不思議がっていることだろう。ここは誰も知る者はいない、使徒の島。神に選ばれた使徒が、この島に生まれ落ちるのだ」
呆然と立ち尽くす青年たちを前に、天使は語り続ける。
【鳶色の天使】「君たちは、神の代理として選ばれた五人の使徒だ。君たちは過去、この世界において偉業を成し遂げ、世界を救った。今一度、その力を神に託せ」
天使は続けた。
【鳶色の天使】「今から40日の後、ここから東にあるロードランという国において、アマンダという王女の戴冠式が執り行われる。アマンダは神に選ばれ、天使として生まれついたものである。そこである出来事が起き、アマンダは東へ巡礼の旅に出る。その目的は、さらに東の地に眠る、救い主を救うことである。君たちはアマンダを助け、共に東の地へ向かへ」
天使は続けた。
【鳶色の天使】「君たちは記憶をなくし、清いからだとして生まれ変わった。その身をアマンダに捧げよ。ここに君たちに名を与える」
天使は青年を指さして、言った。
【鳶色の天使】「君の名はロキである」
続けて、天使は黒髪の青年を指さして、言った。
【鳶色の天使】「君の名はバッツである」
続けて、天使は金髪の青年を指さして、言った。
【鳶色の天使】「君の名はカインである」
続けて、天使は茶髪の少女を指さして、言った。
【鳶色の天使】「君の名はアルである」
最後に天使はこう言った。
【鳶色の天使】「我が名はメーベルである。ではみな、参ろうか」
天使は海辺を指さした。岩棚の間の小さな浜辺に、一艘の舟が浮かんでいた。
天使は船に向かって歩き出すと、そのまま海面を滑るように歩き、船べりに足をかけ乗り込んだ。ロキたちも彼女の後を追って、海の中に入り、腰まで水に浸かりながら、船に乗り込んだ。
大きな横帆が風を受け膨らんだ。船はゆっくりと岸を離れ、沖へ進みだした。
◇◆――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――◆◇
ロキたちが濡れた服を絞っていると、いつの間にか船尾にある船室に明かりがついていた。小さな窓から、淡い光が漏れ出している。
ロキは船室に近づき、窓から中を覗いてみたが、誰もいない。彼はドアノブに手を伸ばし、扉を開いた。
明るい船室の中には、食事が用意してあった。
部屋の真ん中にはテーブルがあり、その上に5人分のパンとスープが並べられている。透明な茶色のスープからは、温かい湯気が立っている。テーブルの真ん中に立てられた大きなキャンドルが、明るく部屋を照らしている。
青年はあらためて部屋を見回したが、そこにはだれも見当たらなかった。
【アル 】「これ、食べていいんだよね」
【メーベル】「もちろんよ。でもその前に、祈りを捧げましょう」
青年がテーブルの中央に置かれた手紙を指さすと、みなはじめてそれに気付いた。青年はそれを手に取ると、折りたたまれたそれを開き、声に出して読みはじめた。
こうして、彼らはテーブルについた。ロキはパンに手を伸ばしたが、ふとその手を止めた。アルとメーベルの二人が、祈りを捧げているのだ。
(イラスト 021 03)
【ロキ】「へえ、祈るんだ」
【メーベル】「当然でしょ。神様が用意してくれた食事だもの」
【バッツ】「ほーん。お前ら敬虔だねえ」
バッツがそう言うと、パンをひょいと取り上げ、これみよがしにがぶりとかじる。そして、「うんめー」などと口にした。そんなバッツを、メーベルは片目を開いて睨む。
カインはというと、女子ふたりの祈る姿を見て、自分も祈ろうと手に持っていたパンを置き、手を組んで目を伏せた。
【バッツ】「おいおいカイン、裏切りかよ!」
【メーベル】「いいのよ。食前の祈りを捧げるなんて、当然のことなんだから」
【ロキ】「そうだな、おれもそうするか」
ロキもそう言うと、パンを置いた。パンにはもう歯型がついていたので、実際のところ不信心さではバッツとあまり変わらないのだが、そんなことはおくびにも出さずに、みなと一緒に両手を合わせて祈った。それを見て、バッツは口をモゴモゴと動かしながら、すねて言った。
【バッツ】「ロキもかよ。あほらし!俺は神なんて信じてねえからな」
【メーベル】「神様がいないっていうなら、そもそもなんでわたしたちはこの船に乗ってるの?この食事は一体誰が用意したの?」
【バッツ】「別に神様がいねえとは言ってねえだろ。おれはそいつを信じてねえってだけだ」
【メーベル】「何が違うのよ」
【バッツ】「俺は神はいるとは思ってるが、そいつはアホだと思ってる」
【メーベル】「はあ?不敬よ!」
急にメーベルの声のトーンが変わったので、みな細目を開けて彼女を見た。彼女は眉間にシワを寄せ、バッツに向かって身を乗り出していた。
【バッツ】「不敬で結構コケコッコー!神様なんてなんもしてくれねーもーん。神様に祈るぅとか、ばっかじゃねぇの!死んじまえってーの!ぎゃはははは!」
メーベルは椅子に体を沈めると、机の下からバッツを蹴り飛ばした。
【バッツ】「いっってぇえええ!」
バッツが叫んでスネを抑えている間に、メーベルはバッツの皿に手を伸ばした。そして皿ごと料理を取り上げて、こういった。
【メーベル】「不信心者は食べんでよろしい」
【バッツ】「なんで前がそんなことお勝手に決めるんだよぉおお」
バッツはそう言って皿を掴み返すと、二人の間で料理のつかみ合いになった
【ロキ】「ははは。なんだか、にぎやかになりそうだな」
ロキはそう言って笑った。
◇◆――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――◆◇
そうして食事を終え、彼らは吹きさらしの甲板に戻った。
外は暗く、星は明るかった。
。彼らは、起きたときと同じように、剥き出しの甲板に身を横たえた。
【メーベル】「夜なのに、なんだか風がとても温かいわね」
【ロキ】「そうだな。ここはきっと、かなり南の海なんだろうな……」
そう言いながら、彼らは空を見上げた。空には、あいかわらず満点の星空が輝いている。あの何十万もの星星には、きっとそれぞれに名前があり、たくさんの星座をかたち作っているのだろう。もし自分に記憶があるのなら、きっとたくさんの星や星座の名前を言えるに違いない、ロキはそんなことを考えた。
やがて睡魔が襲い、みなは眠りへと落ちていった。
◇◆――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――◆◇
朝になり、ロキは目を覚ました。冷たい湿気が甲板を覆い、海には濃い霧が立ちこめている。その霧はあまりにも濃く、すぐそばにあるマストですら、白く霞んで見えないほどだった。ロキが体を起こすと、あいかわらず体は重い。見ると、そばにメーベルが起きていた。彼女は、何やら船尾の方向を、じっと睨みつけていた。
【ロキ】「メーベル、どうした?」
ロキはメーベルの視線を追いかけたが、濃い霧に阻まれてよくは見えない。しかし、しばらく待っていると、突然何かが水面を叩く音が聞こえてきた。それは、なにか細い液体が勢いよく水に流れ込むような音だ。それは明らかに、誰かがいま、船尾で小便をしているのだ。
ロキはそれがバッツだろうと思った。周りを見渡すと、そばでカインが眠っていたので、やはり音の主はバッツなのだろう。小便の音は長く続き、それがようやく止むと、メーベルは深くため息をついた。ロキはおもわず笑いながら言う。
【ロキ】「別に、小便ぐらいしょうがなくないか?」
しかし、ロキにそう言われて、メーベルは顔をしかめた。
【メーベル】「それ、わたしがいま顔を洗おうとしていたところだって知っても言える?」
彼女はそう言うと、あらためて船べりに身をかがめて、水を掬おうとした。
だが、次瞬間、小便よりもさらに不快な音が船尾から響き渡った。その水面を叩くいやな音に、メーベルは顔を引きつらせる。
【メーベル】「ちょっと……まさか……」
彼女は言う。彼女の声が聞こえたのか、船尾からバッツの大声が響き渡ってきた。
【バッツ】「フハハハハハハハハハハ!
肛門よりも臭きもの!血便よりも熱きもの!
大腸の中に埋もれし偉大なるうんちの名において、我ここに腹に誓わん。
我等が肛門に立ち塞がりしすべての愚かなるクソに、我とうんちが力もて、等しく脱糞を与えんことを!
下痢便スレイブ!!!
(ブリブリブリブリュリュリュリュリュリュ!!!!!!ブツチチブブブチチチチブリリイリブブブブゥゥゥゥッッッ!!!!!!!)」
(イラスト 021 04)
【メーベル】「ちょっとおおおおおおおおおお!!!!!やめてよおおおおおおお!!!!!」
メーベルは涙声で叫んだ。やがて下痢便の強烈な匂いが濃い霧に乗って漂ってくる。ロキはそれを嗅ぎ、おもわず嗚咽をもらした。
バッツがズボンを上げながら船尾から戻ってくると、メーベルは立ち上がり、彼に詰め寄った。
【メーベル】「あんた!最っ低の最っ低の最っ低よ!」
【バッツ】「はあ?別にうんこぐらいだれでもすっだろ。逆に訊くけど、お前はこれから四十日の船旅でうんこしないつもりか?」
【メーベル】「別にうんちぐらいするけど、あんなこれみよがしに匂いかがせないでよ!っていうかあなたさ、ちゃんとおしり、拭いたの?」
【バッツ】「べつに拭きましたけど?」
【メーベル】「いつ?どうやって?」
【バッツ】「べつに普通に濡らした手でこすりおとしたけど?」
【メーベル】「汚な!絶っ対に、その手で私に触らないでね」
【バッツ】「別に汚くもなんともねえよ。うんこなんか水で洗えば簡単にきれいサッパリ落ちるぜ。ぺろぺろぺろぺろ」
バッツはそう言って手のひらを舐めだした。メーベルは絶叫した。
【メーベル】「っきゃあああああ汚いっ!!!!うぉええええええええええ!!!!!」
【アル 】「ねえ、うるさいよ」
アルがまぶたをこすりながら、不機嫌な声を出して起き上がった。メーベルはそれを聞いて、あわてて猫なで声でなだめた。
【メーベル】「あら、アルちゃん起こしちゃった?ごめんなさいね」
【アル 】「もおお」
アルは、まるで寝起きの子どものように不機嫌に、顰め面で目をこすっていた。いつの間にか起きていたカインが、言った。
【カイン 】「なんかいい匂いがするね。朝にしようか」
彼に言われて、ロキも船室から香ばしい香りが漂っているのに気付いた。メーベルがバッツにがみがみ言うのを聞きながら、彼らは船室に向かった。
◇◆――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――◆◇
船室に足を踏み入れると、彼らの目に飛び込んできたのは、テーブルの上に並べられた豪華な肉料理だった。香ばしいかおりが漂い、骨付き肉が、赤いソースの下で湯気を立てている。
【バッツ】「おお肉!肉だ!」
バッツは大声で叫びながら、椅子にガタンと勢いよく座った。
【ロキ】「ふーん、これは子羊の肉か」
ロキが骨付き肉をクルクルまわしながらそうい言うと、バッツはニヤけた視線をアルに送った。
【バッツ】「おいアル、お前がこれ食べたら共食いになっちゃうぜ」
【メーベル】「やめなさい、馬鹿なこと言うのは」
メーベルに叱責されると、バッツは肩をすくめて言った。
【バッツ】「別にいーじゃん、ちょっとふざけただけじゃん」
【 アル 】「メーベル、わたし別に気にしてないよ」
【メーベル】「んもー、アルったら優しい子なんだから……バッツ、あんた浮つきすぎじゃないの。わたしたちは、神様に選ばれた人間なのよ。もっと自覚を持って言動を……」
【ロキ】「なあ、また手紙があるみたいだ」
ロキが言うと、みな話をやめてロキに注目した。ロキは机の上の手紙を手に取り、それを開いて読みはじめた。
(イラスト 021 05)
【ロキ】「『君たちに告ぐ。
この航海のすべては神により予定されている。
消して進路を変えてはいけない。
君たちが使徒であると、誰にも告げてはならない』」
ロキが紙を折りたたむと、バッツは言った。
【バッツ】「それだけ?」
【ロキ】「ああ」
【バッツ】「ふーん、予定ねえ……なんか、昔よく聞いたいいまわしな気がするなあ……。おれはその『予定』って言葉が気に入らねえ。いまおれが頭の中で考えることすら、あらかじめ決まってるつうんだから。嘘つけっての」
バッツはそう言いながら、骨だけになった羊の肉をくるくる弄ぶと、皿に放り投げた。メーベルは彼に反論した。
【メーベル】「あなたが神を疑うことすら、全ては決まっていることよ」
バッツは顎を引き、逆にメーベルに問いかけた。
【バッツ】「なんでもかんでも決まってるっつうんなら、なんでわざわざこんな手紙出して注意喚起する必要があるんだ?」
【メーベル】「神の意図は計るべきではないし、人間に計ることもできない」
その返答に、バッツは皮肉な笑みを浮かべて答えた。
【バッツ】「けっ。いかにも神官様のいいそうなこったな。おれは、自分が自分の意志で物事を考えてるっつーことぐらい分かるんだよ。どっかの神様の奴隷さんとはちがってね」
【メーベル】「そんなにもの考えてるなら、もっと分別をわきまえた言動をなさい」
【バッツ】「ほらな?ああ言えばこう言うだろ?ま、神様が食事も船も用意してくれるってんなら、楽でいいけどね」
◇◆――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――◆◇
彼らが食事を終えて甲板に出ると、朝もやの霧はすっかり晴れ、青い空と広い海が無限に広がっていた。湖面のような凪の静かな海を、船はなめらかに進んでいく。各自各々が甲板に腰を下ろし、心地よい風に
吹かれながら、のんびりとくつろぎ始めた。
【ロキ】「それにしてもこの船って不思議だな。風がないのに勝手に進んでいる」
【メーベル】「そうね。きっとこの帆が特別なのよ」
メーベルが言った。船の中央に張られている帆には、青い不思議な模様が描かれている。帆は、ひとりでに膨らみ船を推し進め、時々左右に揺れて進路を調整している。これはどう見ても魔法の力だ。この帆のおかげで、操船の心配はなさそうだった。
(イラスト 021 06)
ロキは海を眺めながらぼーっとした。
船は静かに進む。そのうちにバッツは退屈しだした。彼はおおげさなため息をついて、言った。
【バッツ】「暇だな……釣りでもすっかね」
ロキが顔を上げて訊ねた。
【ロキ】「釣りって、道具はどうするんだ?」
バッツはにやりと笑うと、ポケットから一本の骨とスプーンを取り出した。それは、さっき食べた羊肉の骨だ。バッツはそれを、スプーンで削り始めた。
【メーベル】「あなた本当に釣りするの?食事は神様が用意してくれるのよ?」
【バッツ】「別に魚が嫌いなら、お前は食べなくてもいいんだぜ?」
【メーベル】「そうじゃなくて、無駄な殺生はやめるべきよ」
【バッツ】「別にいいだろ、魚ぐらい。魚の命は人命より軽い!」
【メーベル】「あんたって本当に軽薄な人間ね」
バッツはそんなメーベルの言葉は意に介さず、作業に集中する。そして、ついに釣り針が完成した。
【バッツ】「完成~!どうよアルちゃん、お友達の骨でできた釣り針は」
【メーベル】「バッツ、いい加減になさい」
メーベルが怒ったが、アルは気にせず微笑んだ。
【 アル 】「メーベル、いいよ別に。だって私、自分が羊だっていわれても、よくわかんないし」
【カイン 】「ああ、それだったら海面を覗いてみたら?僕もさっき顔洗ったときに、自分の顔がどんな風なのか見たよ」
【 アル 】「ふうん……」
アルは船べりから海面を覗き込んだ。青く透き通る海には、くしゃくしゃに巻かれたな茶色の髪と、白い巻き角が映っていた。彼女は指先でその角を触っていたが、別に思うところもないのか、すぐに海の水をすくって顔を洗い出した。メーベルも、アルに習って顔を洗おうとしたが、ふと手を止めて、疑問を口にした
【メーベル】「さっきのウンチ微粒子とか、ここまで流れてないよね……」
【ロキ】「そんなこと、気にしてもしょうがないだろ」
ロキは笑った。メーベルは諦めて顔を洗い始めた。
◇◆――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――◆◇
メーベルが服の裾で顔を拭いていると、、突然、船のマストの方から、なにやら嫌な音が響いてきた。それは、ビリビリ、ビリビリビリ、ビリビリビリビリ……、という音だった……。
何の音かと振り向くと、バッツがマストの下にかがみ込んでなにかやっている。見ると、彼は帆のほつれた箇所を引っ張って、一本の糸をほどいていた。
【メーベル】「ちょっと!あなた、なにやってるの」
【バッツ】「え?だめか」
【メーベル】「だめにきまってるでしょ、頭おかしいんじゃないの……それは、神様が用意してくれた帆なのよ。動かなくなったらどうするのよ」
【バッツ】「でも、他に糸の材料見当たんねーし」
【ロキ】「いやいや、ほしけりゃ自分の服の糸解いて作れって……」
【バッツ】「カンバスじゃないと強度たんねーんだよ。いいじゃねーかもう切っちゃったし」
そういって、彼は糸をぷつんと帆から引きちぎると、釣り針に結わえつけた。
【バッツ】「文句ばっか言ってっと食わせてあげねーよ」
彼はそう言うと、奥歯の歯くそをほじって針につけ、海に放り込んだ
【メーベル】「汚なっ!……そもそもこんな沖合に、魚なんているのかしら」
【バッツ】「さっき俺が撒き餌まいたろ」
【メーベル】「撒き餌……?ってまさか、さっきのウンチのこと?」
【バッツ】「もちろんそーだけど?」
【メーベル】「うわ……ドン引き……じゃあその魚って、あんたのうんち食べてるってことじゃん」
【バッツ】「大丈夫ダイジョブ。栄養たっぷりの野菜みたいなもんだ」
【メーベル】「魚は野菜じゃないし。あたし、絶対にあなたの釣った魚たべないから」
【バッツ】「だからお前は食わなくていいっての……おお!きたきたきた」
魚がクンクンと糸を引く小気味いい引きに、バッツは興奮して立ち上がった。彼は腕を上下させて、糸を手繰り寄せる。魚が海面近くまで夜と、、腰をかがめてタメをつくり、海面から一気にごぼう抜きにした。
(イラスト 021 07)
魚は宙を飛び、甲板に叩きつけられ、ビチビチと跳ね回った。魚はそれなりに大きく、長い上下の顎から、一列にならんだ鋭い歯が突き出している。
【バッツ】「おおお、カマスの仲間かな?随分と凶暴な口してるぜ」
バッツはそう言いながら、魚を握ると、船べりに頭から叩きつけた。
【メーベル】「ちょっと!かわいそうじゃない」
【バッツ】「いいんだよ、無駄に苦しませるよりさっさと死なせた方が本人も楽なんだ。さて、捌くもの捌くものっと……」
バッツはそう言いながら、船室に戻っていった。しばらくして、船室からパリーンという何かが割れる音が響いてきた。戻ってきたバッツの手には、割れた皿が握られていた。
【メーベル】「ちょっとおおおおお!何やってるのよおおおおおお!それは神様がくれお皿でしょおおおお!」
【バッツ】「いいだろ別に。臨機応変ってやつだ」
【メーベル】「あんたバカなのぉぉぉぉおおおおおお!!!???」
バッツは、気にせず魚をさばき始めた。メーベルは彼を見下ろしながら、腰に手を当ててガミガミと叱りつけていた。
◇◆――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――◆◇
それからの日々は、毎日が冒険の連続だった。
ある日のことだった。バッツがいつものように船べりからケツを突き出していると、尻に冷たい何かが触れた。バッツはびっくりして飛び上がり、一体何ごとだ振り返ると、彼の真下で巨大なサメがあんぐりと大口を開けていたのだ。
サメは船を飲み込むほど巨大だった。大きく開かれた口の中には、二列に並んだ鋭い歯が光り輝いている。バッツは逃げろと大声で叫びながら、みんなと船室に逃げ込んだ。
(イラスト 021 08)
サメは大暴れして、船尾に激しく噛みつき横木を砕いた。船は何度も激しく揺らされ、誰もがみな一巻の終わりだと思った。しかし、小舟は魔法の帆のちからで加速すると、右に左に船をジグザグに走らせ、ついにサメから逃げ切ったのだった。
サメの巨大な噛み跡は、いまも船尾にしっかりと刻まれている。
【メーベル】「アンタがうんちなんか垂れ流すから、へんなのが寄ってくるんでしょーが!」
メーベルはサメが去った後メーベルがこう叫ぶと、バッツはこう言い返した。
【バッツ】「っせえな。じゃあ聞くけど、メーベルさんはうんちしてないんですかー」
【メーベル】「はあ?わたし……?わたしがうんち?なんでわたしがあんたにそんなこと話さなきゃならないの?」
メーベルは目をパチクリさせ、言葉を詰まらせた。それ以来、彼女がこの話題を持ち出すことはなかった。
◇◆――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――◆◇
ある夜、彼らは暗い海をウミガメの群れと共に進んでいた。オーロラが空に舞い、海面を虹色に染め上げていた。その美しさは言葉に尽くせぬもので、まるで幻想の世界に迷い込んだかのようだった。
(イラスト 021 10)
【メーベル】「こんなに綺麗な景色、一生見られないかもしれない……」
メーベルはつぶやいた。彼女の目は輝き、みなもその景色に心を奪われていた。
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ある日、彼らの前に巨大な鯨が現れた。島と見紛うほどの大きさの鯨は、しばらく彼らの船と並走した。ロキたちが手を振ると、鯨は彼らに応えて、何度も高く噴水を打ち上げた。その光景は、まるでお祭りに打ち上げられる花火のようで、彼らにとって忘れられない一日となった。
(イラスト 021 11)
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やがて、バッツもみなと同じく、両手を合わせて祈るようになっていた。
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船が進むにつれて、水平線に島が見えることが多くなった。彼らはもう大陸に近づいているのだろう。ある日などは、彼らは島の岸辺からわずか100メートルの距離を通り過ぎた。船からは、昼寝をしている牛たちの鳴き声さえも聞こえてきた。
こうして、彼らの航海は、三十三日が過ぎた。彼らの船旅は、もう終わりに近づいていた。だがそんな彼らの行方には、試練が待ち構えていた。
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こうしたいろいろな出来事が通り過ぎ、航海も二十日が過ぎた日、彼らははじめて人と遭遇した。