60話 赤血修羅
あまりにも強烈な陽光に照らされ、砂漠を走る機械車の車輪跡は浅くとも、深い黒影を落としていた。車両が役目を失った崩れた城壁を通り抜けると、時折吹きすさぶ烈風が再び砂塵を巻き上げ、外から訪れる者の痕跡をすべて塗り消してゆく。
遺跡にはなおもいくつかの大型建築が高々と聳えているが、より多くは砂に埋もれた崩壊した壁柱ばかりだった。道の境界を曖昧にするそれらの障害物を前に、ブエンビは慎重に操縦桿を握り、砂地では越えられぬ障害に出くわすと、浮遊機能を起動して直接飛び越えていく。
ブエンビの代わりに路況を観察していたリフは、そのまま空間感知を街全域にまで拡げ、内部構造の詳細を確かめた。風化の痕に満ちた地上と比べ、地下には縦横無尽に走る完備された水道や道路が残されている。封じられた氷窖の中には、地表と一体化した数体の枯骨が横たわっているのみで、他に生物の痕跡は一切見られなかった。
「ここ……まったく生命がないね。規模は前に行ったオアシス都市の何倍もあるのに、地上も地下もすべてが死の静寂。土地に染み込んだ呪いのせいなのかな?」
「そのとおり。ラトゥスタンを起点にした交易路は内陸地帯の辺境だったが、こここそがアザールの真の中心点だ。この先ほんの少し進めば、ユゼーカンの王宮跡に着くぞ、お姫ちゃん。」
「ブエンビ、ここってもう何百年も誰も来ていないの?」
「いや、ウルクイ王室が数年おきに見習いと維持を兼ねて考古隊を派遣している。ここが完全に人の住めぬ場所となる前に、彼らは王宮に『王殞の地』の歴史を記した文物を残していったんだ。」
「王……前にラトゥスタンやほかの都市の博物館で関連資料を見たことがあるよ。ユゼーカン帝国に取って代わり、かつて北荒を統一した『モテナヴォ帝国』の建国王のこと?」
「そのとおりだ。もうすぐ着くんだ、口頭での説明は現地案内に取っておこう。」
「は~い。」
都市の中央にある王宮跡は、外観が最も完全に近い大型建築だった。高塔の大半こそ崩れ落ちているものの、日差しを遮るに足る堅牢な構造物がなお多く残されている。ブエンビは機械車を安全な場所に停め、きょろきょろと辺りを見回すリフを伴って広大な宮殿へと足を踏み入れた。
床一面に積もった柔らかな白砂が、もともと小さな彼らの足音をさらに吸い込む。来訪者を迎えてなおかくも静まり返った環境は、リフに南脊山脈の孤立した神殿を思い出させ、少し寂しさを覚えさせた。
「この建物はおよそ六百年の時を経ているけれど、ユゼーカン帝国は百年あまりで滅んだんだよね。その後のモテナヴォ帝国はさらに短く、数年しか続かなかった。ということは、この王宮は五百年近く空き家だったわけだ。」
「そのとおりだ。アザールはウルクイを非常に恐れているから、以前連れて行った博物館ではモテナヴォ帝国史に触れるとき、遠慮がちな記述しかされていなかった。でも、ここは違う……おっと、着いたぞ。お姫ちゃん、これを見てみな。」
「玉座と……巨大な金塊?」
二人が最終的に足を止めた場所は、壮麗な玉座の間だった。外壁が朽ち果てているのとは対照的に、この内部空間は生き生きとした浮彫や鮮やかな壁画、石造の机や椅子に彩られ、まるで五百年前に時が止まったかのように見える。壁際には魔晶石で駆動する幾つかの結界装置が置かれ、気流と温度を保つことで自然侵食の速度を大幅に遅らせていた。
なかでもひときわ目を引くのは、威厳ある玉座と、その階段の前に据えられた巨大な金塊だった。黄金の表面には染料で彩られた長文の刻文と、宝石をあしらった美しい絵が連なり、台座部分にある銀色の金属質の魔道具が微弱な魔力を放ち続け、空気中の塵を払いのけている。
「黄金を石碑代わりにするなんて、ずいぶん贅沢だね。アザールは金鉱が豊富だから、こういう素材を選んだの?」
「そうだよ。モテナヴォ帝国では黄金を単なる装飾に使うことは稀で、大半は工業製品や魔道具に用いられていた。材質こそ柔らかいが、刻文の後に魔力と複数の古代民族の異能加工が施され、半永久的な記録媒体へと変わったんだ。レイにこの碑文の強度を聞いたことがあるが、『天族だけが破壊できる』という答えが返ってきた。それで十分、頑丈さがわかるだろう。」
「おお~すごい!ブエンビ、この上にはモテナヴォ帝国最後の歴史が刻まれているんだよね?帝国が興って滅びるまでの過程、いっしょに説明して!」
「もちろんさ、お姫ちゃん。短いけれど華やかな歴史だからね。」
しゃがんでリフの頭を撫でたブエンビは、優しい微笑みを浮かべたまま立ち上がり、碑文を見上げてもその口元の弧は一切揺らがない。
……やっぱりリフには、いまの彼の異変は気づけない。ブエンビは少なくとも十日前から魂を鎖で縛っているのだから、リフにはせいぜい最近ちょっと感情が薄いかな、くらいにしか映らない。この十日間、彼がずっと血海の刑にも等しい苦痛に耐えていることなんて見抜けるはずもない。
だ~か~ら~、リフがこの碑文の秘密に気づいてくれるのを楽しみにしてるんだ。がんばれリフ、ブエンビが語り終えたらきっと彼に致命的一撃を放って、その思考回路を見直させてやって!一気に変わるのは難しいとしても、少なくとも毎日自分の喉に剣を突き立てるようなドM趣味の見世物は、そろそろやめさせたいものだよ。
「五百年以上前、北荒の各地は相当混乱していた。当時、北荒の領土の半ば近くを支配していたユゼーカン帝国は腐敗の極みにあり、権力は各地の軍や領主に分割され、敵国も掠奪の限りを尽くし、毎日のように民は奴隷となるか戦火に散っていった。そんな乱世の中、現在のウルクイ領にあたる地の一地方領主が台頭し、黎瑟暦478年から新たな勢力の拡張を開始した。」
「その領主の名はナフカルカン・ジャブクフ。ナフカルカンの母は古代民族の血を一部引く奴隷だったが、血のつながりは薄く、彼も母も異能を継いではいなかった。苛烈な幼少期と母の死が、彼に権力を求めさせる原動力となったのだ。父を幽閉し、兄弟を排除して領主の座を奪った彼は、各地に流浪する古代民族の末裔を探し集め、古代民族を主導とする帝国の建設を計画し始めた。」
「当初、この勢力は領地名で呼ばれるだけで、特別な名称はなかった。黎瑟暦480年のある日、眠れなかったナフカルカンは人を呼んで酒に付き合わせ、盃の中の星空と満天の星空を合わせて飲んでやろうと思いついた。そしてそのまま高々と倒れ込み――結果、酒の大半は頭にぶちまけられ、実際に口に入ったのはほんのわずかだった。髪を拭きながら高らかに笑い、酔いの勢いで口にした名こそが『モテナヴォ』。それは彼の母が教えてくれた古語のひとつで、多民族の融和を象徴する願いが込められていた。」
「星空を飲み干そうだなんて……そのナフカルカン王って、とてもロマンチストだったんだね。」
「そうだな、俺もそう思うよ。」
……惜しいかな、リフは黎瑟暦時代の大荒漠史にまだ詳しくない。でなければ、この説明におかしな点があることにすぐ気づけたのに。
歴史学者にとって、「モテナヴォ」の象徴的意味は確かに常識だ。だが正史にも外史にも、王が自分の頭に酒をぶちまけたなんて記録はないんだよ!このナフカルカンが黒歴史として胸にしまい込んでいた記憶を知っているのは、本人以外ではたった一人だけなのだから。
「モテナヴォ帝国の名を確立して以降、ナフカルカンの名声はいっそう高まり、長らく身を潜めていた古代民族たちが自ら進んで彼の旗下へと集い始めた。黎瑟暦485年、モテナヴォの版図は北荒の半ば近くにまで広がったが、保守派はかつて奴隷であり賤しい身分だった古代民族を重用するナフカルカンに不満を抱き、敵国と結託して大規模な内乱を起こし、ナフカルカンの長子を擁立しようとした。この内乱は一時モテナヴォに深刻な打撃を与えたが、ナフカルカンはすぐさま叛徒を誅し、短期間で敵対勢力を一掃した。」
「黎瑟暦491年、ナフカルカンは北荒の九割以上の領土を統一し、その剣先をユゼーカンの王宮へと向けた。だが、予想されたような激しい戦闘は起こらなかった。ユゼーカンに残った幼い王子は、自国がもはや救いようのないことを悟り、自ら城門を開いてナフカカンに降伏したのだ。そして自分の持つ王族としての知識と引き換えに、民を傷つけないという約束を取り付けた。こうしてモテナヴォ帝国の長き建国の旅路は、静かにその終着を迎えたのだ。」
「数か月にわたる軍務処理や修繕などの雑務を終えたナフカルカンは、王宮に入ってから玉座の間で盛大な即位式を催した。そこで彼は、新生の帝国が過去となったユゼーカンに代わり、民に繁栄と平和をもたらすと宣言した。」
「それは祝福と未来への希望に満ちた、素晴らしい式典だった。だが――」
「だが?」
黄金の碑文に朱の染料で描かれた悪鬼の図柄へ視線を移しながら、ブエンビはこれまでよりも長く言葉を止めた。だが、リフの好奇心に満ちた問いが響いた途端、いつもの狂気じみた彼は即座に鎖を駆動させ、ほとんど身体を砕くかのような勢いで自らを縛りつけた。
結果だけを言えば、その効果は実に顕著だった。ブエンビの口元は絶妙な角度で吊り上がり、まるで雰囲気作りのために間を取ったかのような物語のリズムを演出し、平静な声でこの先の出来事を語り続けた。
「王から深く信頼され、傍らに仕えることを許された将軍『赤血修羅』は、即位の祝典の場で王を裏切り、その首を刎ねた。誰も反応できぬ間に外へ駆け出した彼は、ユゼーカン王子の首もはね、最後には王宮の大庭園で自爆した。古代民族として『血呪術』の異能を持つ赤血修羅は、その死と共に大地へ深い呪詛を染み込ませ、この地を不毛の地へと変えたのだ。」
「偉大なる建国王が惨たらしく死んだ後、ようやく統一されたばかりのモテナヴォ帝国は即座に分裂した。ナフカルカンの子らはそれぞれが正統性を主張し、北荒は再び長き戦乱の時代へと逆戻りした。本来なら二百年以上続くはずだった平和と繁栄の世は、赤血修羅によって惨憺たる乱世へと反転させられてしまった。」
「黎瑟暦500年、ナフカルカンの三男ファルザド・ジャブクフが建国したウルクイは、天族の立会いの下で大荒漠唯一の永久中立国であることを宣言し、領土拡張の権利を放棄した。父の意志を継ぎ、古代民族との共存共栄を掲げたのだ。」
「それから百年が過ぎ、ナフカルカンの血脈を継ぐ勢力はウルクイのみとなり、他の勢力はすべて歴史の塵と消えた。いずれの国にも属さぬ古代民族の末裔たちはウルクイの支援を受け、『サルガドン』の名の下に巨大な商業ネットワークを築き、北荒の隅々にまで浸透する隠然たる勢力となった。」
「こうした歴史的経緯から、ウルクイを冒涜する国は一つとして存在しない。団結意識の極めて強いサルガドンの商人たちだけでなく、ウルクイには大荒漠最高の学者たちが集う――首都ダリヤチェには世界暦時代の文物を網羅した大博物館があり、神器を扱う少数の古代民族代表がその管理を担っている。その中立国としての立場ゆえに、天族の駐在館もそこに置かれているのだ。」
ブエンビの手は一度、碑文に描かれた泉に囲まれた男性の図像へと伸びたが、すぐに引っ込められた。それは魔道具の結界に弾かれるからだけではない。何よりも、自分こそがこの碑文に触れる資格など最も持たぬ者だと、彼自身がよくわかっているからだ。
「この黄金の碑文こそ、黎瑟暦500年にファルザド・ジャブクフが残したものだ。ここには『王殞の地』で起きたすべてが詳細に刻まれている。碑文には赤血修羅の名は記されていない。彼は名を記すに値しない罪人だからだ。平和の時代を覆したその罪業は、この碑文と共に永遠に伝わり、後世の唾棄を受け続けるべきだ。」
「モテナヴォ帝国の歴史とウルクイの関係は、おおよそこんなところだ。お姫ちゃん、何か気になることはあるかい?……お姫ちゃん?」
自分ではそこそこ適切な歴史ガイドを終えたと思い、ほっと胸を撫で下ろしたブエンビは、リフからの質問を待った。だが、返ってきたのは沈黙だけだった。
再びしゃがみ込んだ彼が目にしたのは、碑文を真っ直ぐに見つめる小さな顔。その表情は真剣そのもので、視線は微動だにしない。しばらくしてから、ようやく不思議そうな巨漢へと顔を向けた。
「ブエンビ。私ね、ウルクイ王室と『赤血修羅』の関係がすごく気になるの。この碑文を残したファルザドは、その『赤血修羅』を憎んでいたの?」
「もちろんさ。信じていた相手に目の前で裏切られて、しかも父親まで殺されたんだ。骨の髄まで憎んで当然だろう。」
「だからこそ不思議なの。碑文全体では『赤血修羅』を罪深い裏切り者だって罵ってるけど、その中に隠された暗号を全部組み合わせると、全然違う意味の文章になるんだよ。」
「……なにそれ?そんなのあんのか?」
「うん、最初の部分だけ読んであげるね。」
リフは再び碑文へと向き直り、魔力で小さな浮遊矢印を作り出してブエンビの視線を導いた。
「『赤血修羅は父が最も信頼した将軍であり、互いに命を預け合った親友であった。彼は勇猛果敢な戦士であり、また卓越した策を巡らす軍師として戦場で無敵を誇った。戦装を脱げば、議事堂で席を持つ賢明な学者として政務官たちと意見を交わし、国家法令の基盤を少しずつ築いていった。彼の功績あってこそ、モテナヴォ帝国はわずか十年で北荒全土を統一できたのだ。』」
ブラボーすぎるわね——!残念ながらリフは碑文の隠し文の解読に夢中で、今のところ振り返ってブエンビの顔に浮かぶ抽象芸術を見逃している。これまで一度も碑文をちゃんと読んだことがなかったツケが回ってきたわけだね!
おやおや〜?ブエンビ、表情筋の立て直しスピードはなかなかのものじゃない。けど無駄だよ、私には彼の内心の葛藤と動揺が手に取るようにわかるんだから。メンナ諸島の旅が終わって以来、こんな愉快な大場面は本当に久しぶりだね。
……っと、あなたの愉悦は少し抑えた方がいいかもね。リフの注意がこっちに向いちゃったら、せっかくの碑文解読タイムが台無しになるだろう?それはあなただって望んでないはずだね。
「……あの、お姫ちゃん。どうして暗号があるってわかったんだ?」
「幻輪の殿で浮界のすべての文字と言語の解読方法を習ったんだもん。それに碑文のあちこちに、微妙に段差のある刻みがあって、一目でわかっちゃった。これは『カレス』っていう古代民族が使ってた文字でしょ?深さの違う刻みを普通の文字に紛れ込ませるなんて、とっても精巧だよ。たとえばこの字、つなぎ目の深さがちょっと不自然で——」
リフが指し示す場所を目で追い、ブエンビはかつて馴染んだ文字を認識した。
碑文の表層の下に隠されていた文字が一つひとつ脳裏で文章を形作っていくにつれ、混沌としていた彼の意識は少しずつ静まり、あの午後の陽だまりに満ちた小さな教室へと帰っていった。
自分の腕に寄りかかってうとうとする甥っ子に気づき、苦笑しながら幼い少年を起こし、自分の膝に乗せる。二人は頭を寄せ合い、文字で埋め尽くされた黒板を見つめていた。
くるりと振り向いた妻が長い髪を耳にかけ、二人に柔らかな微笑みを向ける。彼女は先祖から受け継がれたあらゆる知識を丁寧に語り、その声は小川のせせらぎのように穏やかだった。風に揺れる薄絹のカーテン、木の葉越しにきらめく光と影——すべてが優しく、心をほぐしてくれる。
……あれは、懐かしい幸福の時間だった。
これらの文字を通して、筆者が往時に寄せる想いを感じ取った彼は、無意識のうちに拳を固く握りしめていた。
「——というわけなの。断片的にあちこちに散らばってるけど、この方法で読み進めれば、きっともう一篇の完全な文章になるはずだよ。」
「確かにカレス一族の文字だな。お姫ちゃん、本当にすごい。」
「ブエンビ、この文字も読めるの?」
「古代民族の文字なら、大体は読める。」
「ブエンビって本当にすごいね!じゃあ一緒に隠された文章を読もう!」
「……ああ。」
やる気満々のリフが小さな矢印を動かし続け、二人は黄金碑文の周りをぐるぐると回り始めた。解読が進むにつれて、ブエンビの無理やり保っていた笑顔は次第に引きつっていく。
「『赤血修羅は学識に富み、学者たちと共に多くの典籍を編纂した。もっとも有名なのは〈モテナヴォ大法典〉と〈ハリフレ帝国史〉である。成書のたびに彼は「軍略だけで名を残したい」という理由で自らの名を削った。だが我々は皆知っている。彼は父上を貶めるために自分の名声を利用されぬよう、そうしたのだ。名を記さなくとも、その功績は決して消えはしない』……前の段落の補足みたいだね。赤血修羅って学識があるだけじゃなくて、人柄もとても高潔だったんだ。あとでその本も読んでみたいな。ウルクイの図書館にきっと所蔵されてるよね?」
「……ある。書店で平装版も売ってる。」
「わーい!やった!じゃあ続き続き——『赤血修羅は背が高く勇猛で、怒らずとも威を放った。彼が戦場に立つだけで、敵の士気を打ち砕いた。しかし城に戻ると、素直な子どもたちの前では登って遊ぶ大樹になり、馬ごっこの座に変わる。遊具としての彼は絶大な信頼を受け、母上や皆が競って子供を預け、その盛況ぶりは一時行列ができるほどだった』……行列ができる遊具なんて、すっごく楽しそう!当時の赤血修羅って、いつも子供ぶら下げてたんじゃない?」
「……かもな。」
「次は?次は〜?『赤血修羅は人当たりがよく、親しみやすい。母上に「お姉さま」と呼べと迫られるといつも引きつった顔になり、口が悪いニューバウ将軍と話すときはいつも困り顔だったけれど、多くの時は穏やかな笑みを浮かべていた。私の人生で最も幸せなことは、彼が私の叔父になってくれたことだ。思いやり深く愛情に満ちた彼と叔母は、誰よりもお似合いの伴侶だった。すべてが過去となっても、寄り添う二人の姿は私の記憶で最も美しい景色だ』……ファルザドと赤血修羅って親戚だったんだ?裏切る前は本当に素敵な思い出があったんだね。」
「……ああ。」
「ついに結びだよ!『最後に、この文章を見つけた人へ。あなたが私の子孫であれ、カレス文字に通じた学者であれ、碑文の表と裏の違いに戸惑うだろう。王として私は重罪を犯した赤血修羅を糾弾せねばならない。だが私は彼を心から憎むことはできない。なぜなら、その悲劇を身をもって経験した私は、どれほど残酷な運命が彼を狂気へと追いやったかを知っているからだ。この碑を刻んだのは憎しみを刻むためではない。私が知る叔父のことを記すためであり、彼がいかに優しく愛に満ちた人だったかを伝えるためだ。願わくば、彼の魂がいつか狂気から解き放たれ、然るべき安らぎと平穏を得ますように』。」
全文を読み終えたあと、二人は沈黙に沈んだ。
リフは文章から伝わってきた感情を静かに心に沈め、ブエンビは魂を鎖で縛る力を極限まで使って、ようやく外見上の平静を保っていた。
「ブエンビ。やっぱり表の文章は偽装で、この隠された文章こそがファルザドの本心なんだね。彼は赤血修羅……ううん、自分の叔父に深い想いを抱いていたんだ。今まで誰かがこの文章を見つけたことはあるの?」
「俺の知る限りでは、ない。お姫ちゃんが最初だ。」
「四百年以上も、誰も気づかなかったなんて……?」
リフは胸元の鎖を握りしめ、もう一度碑文の最後の段落に目を向けた。末尾の文には、ファルザドがこの文章を誰かに知ってほしいという願いが込められているのに、こんなにも長い歳月、埋もれたままだった。そう思うと、リフの表情には隠せない寂しさがにじんだ。
「ブエンビ、ファルザドの生涯をもっと知りたい。どうしてカレス文字で碑文を隠したの?彼のお母さんはカレス一族の人なの?」
「ファルザドの母、マヒラ・アーラシュミはナフカルカン麾下の将軍の一人で、半分カレスの血を引いていた。マヒラの妹はカレス一族の正統な継承者で、ファルザドは彼女から教育を受けた。だからウルクイには純正なカレス文化が伝わっている。」
「なるほど。じゃあ、ウルクイではカレス文字を学んでる人は多いの?」
「読み書きできる者は人口の約四分の一だ。ウルクイの学院ではカレス文字の授業があるし、普通の書店でも入門書が売られている。」
「結構多いのに……まぁいいや。どうせこのあとウルクイに行くんだし、赤血修羅が編纂に関わった本を探すついでに、その入門書も見てみようよ。」
「ああ、そうだな。」
あまりにも平板な声と表情に、リフは不思議そうに顔を上げた。ブエンビが普段と少し違う気がしたのだが、そのことを探ろうとする前に、彼女の視界に別の存在が割り込んできて、注意をさらっていった。
「ブエンビ、隊商がこちらに接近しているよ。あの速度なら、あと三十分ほどで皇宮遺跡の外側に到着するだろうね。車体にはサルガドン商人の印があるから、私たちが交易路に残した文物情報を頼りに、わざわざ追ってきた商人たちだと思うけど?」
「こんな時にわざわざ来るとはな。お姫ちゃん、まずは離れよう──」
ブエンビの第一反応はリフの手を取って外へ連れ出そうとすることだったが、いつものように素直に付いてくるはずの彼女が動かないことに気づく。
怪訝に振り返った彼が出会ったのは、精光を放つ燦然たる紫の瞳。その狩人のような眼差しに、ブエンビはウテノヴァでの強制混浴の記憶を呼び起こされ、思わず身震いした。
「使わないと思ってたプランが役立つ時が来たね!ブエンビ、前に言ってたよね。オアシス都市で商人に会ったら単純な宝石商を、遺跡で会ったら宝石鑑定ができる考古学者を演じるって!」
「い、いや、その案は今は……」
「さっき見つけた文章がちょうど交渉材料になるよ。カレス文字が分かる人が来てくれたら最高だし、いなくても問題ない!ハッタリでも全力で信じさせてみせる!」
「待て、お姫ちゃん、無理することは……」
「任せておいて!変身——!」
唖然としたブエンビは、かつての漪路と同じように、その場で華麗かつ大げさな動きでくるくると回転するリフを見つめた。
回転の最中、リフの小柄な身体は膨大な魔力で形作られた姿に包まれ、成人男性にふさわしい体格へと擬態する。光粒子に分解された外套は、より厚手の男性用へと再構成され、砂色のコットン製頭巾と共に魔力の外殻を覆い、質素ながら耐久性の高い砂漠旅人の装束が完成した。
初老の紳士へと姿を変えたリフは、呆然と立ち尽くすブエンビの前に歩み寄り、その肩を軽く叩くと、低く温厚な声で実際に話す練習を始めた。
「我が頼もしい護衛『ジャブ』よ。そなたの教えはすでに熟知しておる。あとは安心して見守るがいい。私は神秘かつ睿智なる『ナセルさん』を演じ、あの商人たちに自ら我らを座上の賓として迎えさせ、ファルザド王が四百年以上も覆い隠してきた本心と共にウルクイへと届けるのだ。」
ぷははははっ!あはは、あははははは~~~!まさか二つ目の大イベントがこんなに早く来るなんて、今日はもう笑いすぎてお腹いっぱいだよ!
今回のブエンビの脚本には満点あげちゃう!独創性も面白さも過剰なくらいで、年間最優秀脚本賞にノミネートする資格ありだね!だって「寡黙な護衛」って設定のおかげで、彼は口を挟めなくて、このあと天真爛漫なリフの一人芝居を眺めるしかないんだもん~!それにね、もう一方の出演者たちも、ありとあらゆる可能性の中から最も面白い組み合わせで集まっちゃってる!これは修羅場回避不能だよ!
ちなみに補足だけど、伊方とシキサリが跨界通信であなたの情緒の波動を心配してくれてたの、ちゃんと観測してたからね~。兄弟姉妹の交流が急にレベルアップしてて、ほんと心が温まるなぁ。ああ、ブエンビ、私は今日のあなたの貢献を忘れない。あなたの勇姿は、ずっと私の心に生き続けるよ……
「彼には勇姿さなど微塵もなく、ただ失敗ばかりで笑いを誘う道化にすぎなかった。」
「?ヴァンユリセイはブエンビの段取りが気に入らないの?私は今の状況にぴったりだと思うけどね。さあ、私もブエンビに変装魔法をかけてあげる。これで『ジャブ』は赤血修羅に負けないほどの勇猛さを備えるわ。」
「……ありがとうございます、お姫ちゃん。」
「次からは『ナセルさん』と呼ぶのよ。あなたが前に言ってたじゃない、どんな細かいところも注意しないとボロが出るって。たとえ『ジャブ』が寡黙な人物でも、呼び方をおろそかにしちゃだめ。一緒に頑張って、見事な演技を見せようね!」
「はい……ナセルさん。」
再び満足げにブエンビの肩を軽く叩いたあと、リフは碑文の前に立ち直った。隠された碑文の一字一句を丹念に確認し、これから到着する訪問者たちに最速かつ正確に内容を解説できるよう備える。
「本当に楽しみだよ、ジャブ。ファルザド王が残した隠し碑文が、四百年以上の時を経て再び世に現れる……この出来事が学界にどんな波紋を広げるかと思うと、胸が高鳴ってならない。」
「……はい、ナセルさん。」
役に入り込んだリフはご機嫌で自分の偽のひげをいじりながら、背後でブエンビの目が死んでいることにはまったく気づいていなかった。
風と砂の中にぼんやりと見えていたいくつもの影が、次第にその輪郭を鮮明にしていく。最新式の魔導工学機械車が数台、詳細かつ完備された地図に従い、一直線に王宮へと進んでいた。
数多の曖昧な可能性が交差する時、常軌を逸した新たな運命が、やがて一本の線へと紡がれる。




