27話 アバヤントの地
リフは窓に身を寄せ、高架の交通道の間から見える都市の遠景を見つめていた。幾重もの交通路に囲まれ、外から内へと明確に区分され、無数の緑地が広がる美しい都市――アバヤントの首都、ネテラリタが目の前に広がっていた。
外層には大小様々な邸宅が点在し、それぞれに豪華な主宅と広大な庭園が備えられている。建築様式は中央区にある蒼の邸宅に一部似ているが、こちらはより精緻で古典的な趣が漂っている。
中層には商業市場や一般住宅区が広がり、多くの民家はトゥクパサの建築様式に似たレンガ造りの平屋である。また、いくつかの大きな街区には白壁に高くそびえる尖塔を持つ教会や、黒い円頂と太い柱を基調とした魔法協会がそびえ立っている。
内層の中心には、精巧な壁柱や装飾を施された離れが連なる王宮がある、中央区のように多くの政府機関が集まる建物群で。中層の教会や協会も含まれている、このような大型建築の模型はトゥクパサの博物館にも展示されており、他の地域にも博物館はあるものの、アバヤントの建築群は特に完全な形で保存されている。
「ここって本当に博物館みたいですね。なんで中央区みたいに白いビルがないんでしょう?その方がオフィススペースも省けると思いますけど。」
「理由はさまざまだが、最終的には建築の美観と実用性の融合を保つ意見が一致したんだ。『イエリルの怒涛』で地脈が衰退した後、地上の建物は外部エネルギーを随時切り替えられる構造に移行したが、ジェンパロン時代の建築は地脈と繋がっているんだ。壁柱や扉、窓、内装のすべてが精巧に設計されており、主構造さえ破壊されなければ、半永久的に魔力結界を維持できる。しかし、柔軟性が乏しいため、他の地域では必要に応じて設計が変更され、古い構造を無理に保つことはしていない。」
「なるほど、蒼の邸宅みたいな感じですね。建物だけでなく、庭園の草木の下にも非常に精密な循環があるんですね。」
「そんな短い間でそこまで気づくとは?さすが黒翼の天族だな。」
ルームミラーから、興奮を抑えきれないリフと、それを見守る妻の様子を見つめる蒼の声には一抹の驚きがこもっていた。
庭にある彼の大邸宅には、複数の防壁を施し、魔力回路を厳重に隠し守っている。かつて庭を襲撃し破壊を試みた天族でさえ、その回路を見抜けなかったが、たった一日過ごしただけのリフが容易にそれを見通してしまったのだ。未成年の天族であるリフの空間観察力は、蒼の想像を超えていた。
「あっ、教会って『神』を祭る場所でしょう?わたし、すごーく興味があるの!あとで一緒に見に行ってもいい?」
「もちろんだとも。あとで一番大きなサクロ大聖堂に行こう。その後、君とインヤはすぐ近くの高級商店街で買い物を楽しむといい。この地域の衣裝店は北方諸島にも支店があるから、新しい商品が他の地域より早く入荷されるんだよ。」
「?庭の民が陸地でお店を開けるの?西方諸島では見かけたことがないけど……」
「いや、庭の民ではないんだ。もともとヒリルと共に庭へ移り住んだ者たちで、その子孫は今や北方諸島を家としている。彼らは庭と陸地を往来することが多く、私は定期的に不凋花の精油を提供して、庭の高濃度な魔力の影響を避け、長く庭に滞在できるようにしている。」
「なるほど、蒼は本当に寛大ですね!」
「いや、当然のことだよ。」
……黙って見ているつもりだったけど、ここまで突っ込みどころが多~すぎるっ~てば!
北方諸島のほとんどが蒼の土地じゃないか、この偽善的な大地主め!しかも、不凋花の精油も蒼の産業なのに、それを少し分け与えるくらい、彼にとっては痛くも痒くもない。結局それは彼らの商売がうまくいくことで、蒼自身にも利益があるのだしね。
さらに、そもそも天族が「庭の民は陸地の土地を所有してはならない」と定めた近代法って、蒼がやらかしたあれこれが原因だったわけだ。彼は北方諸島の土地に合法的な永久権を持つだけでなく、世代を越えて「寛容で善意に満ちた人物」というイメージを丹念に作り上げてきた。それによって自治権を持つ商盟や住民が天族と距離を置き、自発的に協力しないようにしているから、歴代の派遣天族たちが彼を疎ましく思うのも無理はない。
それに建築様式の話題だって、「理由はさまざま」とかで、300年を超える血で血を洗う弾圧の歴史をさらりと省略するなんて!たしかに、幼いリフに話すような「偉業」ではないかもしれないけど、主な意図が自分のイメージを保つためって、もはや計算高すぎて何も言えない。まあいい、教会もすぐそこだし、リフが楽しみにしてるし、ここは個人的な意見はほどほどにしておこうか。
降り立ち、数ブロックを歩くと、そびえ立つ壮麗な大聖堂と広々とした広場が目の前に広がった。リフは躊躇なく前へと駆け出し、少し驚いた蒼とインヤがすぐ後ろから長い足で追いかけた。二人はリフが長い車旅から解放されると、いつも興奮気味になることを知っている。今回は少しはしゃぎすぎているようだが、場所が場所だけに、しばらく注意せずに見守ることにした。
正門からまだ距離があるうちに、蒼が魔力回路を操って大扉を自動で開かせ、予め人払いされた大堂は誰もいなかった。リフはそのまま駆け続け、大堂の奥にある祭壇の前でようやく足を止めた。
彼女の前には、三体の荘厳な神像が並んでいた。庭の歴史によれば、左から順に、時の女神、生命の女神、そして死の神が祀られている。リフはじっと神像を見つめていたが、次第にひどく失望した顔を見せた。
「全然似てない。伊方は女神だけじゃなく、両性の要素を持っているし、神像がすごく不細工……式紗璃の顔はまだわからないけど、伊方はとても美しいし、ヴァンユリセイもとても美丈夫なんだよ。昔の人って、界主たちをわざと醜く表現してたの?」
「いかにも天族らしい見解だね。でも、わざと醜くしたわけではなく、人々が未知の存在に対して抱いたイメージを表現しているだけさ。」
リフが振り返ると、蒼は戯れたような笑みを浮かべ、インヤは苦笑交じりでリフを見つめていた。インヤはリフに近づき、少し乱れた髪と襟を整えてやり、蒼も祭壇に歩み寄り、一緒に神像を見上げた。
「この教会の原型は、世界暦3100年頃に建てられた。古文献によると、かつて大陸に住んでいた天族たちは、世界暦2200年から2300年にかけて、それぞれの居住地を離れてロタカン大陸とオルフェン大洋に向かい、イエリルの建設に参加した。当時、長寿の異人はすでに人類種とは隔たりがあったため、人類種の界主に対する認識が変質し、『神』として崇拝するのは当然の流れだったのだ。」
「つまり、界主たちは千年の間に伝説の存在になったってこと?」
「その通りだよ。俺も兵燕の伝承記憶を通じて浮界の主の姿を知ったから、リフが『醜い』と言う気持ちもわかる。でも当時の彫刻師にとっては、これが精一杯の作品だったのだ。界主の姿は物質で再現する際に歪んでしまうからね。」
「歪む……?」
「これは俺個人の見解だけど、もし誤解や誤りがあれば、どうか遠慮なく指摘してほしい。」
蒼は慎重な調子で、リフの胸元にかかる鎖を一瞥しつつ、説明を始めた。
「俺はこれまで、庭で再現されたさまざまなもの、特に各時代の『神』に関する絵画や彫像、紋様や象徴などを調査してきた。これらには共通点があって、『一定の期間ごとに容貌が変化する』という特徴があるんだ。その変化の理由として、職人や芸術家の解釈、素材の制約、地域の風土などが挙げられているが、記録の中で最も多い説明は『神の聖顔を失った』という表現だ。」
「詳しい記録によれば、この『失う』というのは、前の時代の作品が失われたという意味ではなく、たとえ既存の作品を模倣しようとしても、同じものが再現できないという現象なんだ。次第に、人々はこれを『失う』と捉え、神の容姿は人の手が容易に触れられるものではないとし、忠実な再現よりも敬意を持って創作することが重要だと考えるようになったらしい。」
「俺は幽界の主や時界の主の容貌を知らないが、浮界の主、つまり『生命の女神』に関する作品は調べたことがある。世界暦2500年から3500年にわたる作品を合計で23278点確認したが、そのどれも浮界の主の真実の姿に近いものはなかった。」
「つまり、界主たちの容貌は直接会って見ないと知り得ないものであり、物質的な手段で間接的に記録しようとすると、世界によって自動的に歪められてしまうのではないかと私は考えている。もっとも、これはあくまで仮説に過ぎないが、リフが天族である以上、この仮説を確かめる機会はより多いはずだ。」
「うーん……」
リフは目を伏せた。
「ヴァンユリセイ、蒼の言っていることは正しいの?」
「基本的には正しい。世界の記録には、界主たちの容貌については記されていないだろう。」
「そうなの?……あ、本当だ。伊方のことも記録にない。でも、どうしてそんな特性があるの?前にヴァンユリセイが『界主は神と称しない』って言ってたけど、それと関係があるの?」
「我々は、世界の民の思念によって固定化されることがないからだ。話はここまでにしよう。続きは、この遺跡を存分に見てからでもいい。」
「?ヴァンユリセイ?」
……突然、隔絶状態に入ってしまったわね。こういう話題は深入りするべきではないのかしら?ただ、特に不機嫌な様子ではないから、大丈夫だと思うけど。
しかし、あの神像たちは本当にひどい出来だ。あれでは、本人たちと全く結びつかないわね。
時の女神と生命女神の像は、ひどいと言ってもまだ目に耐えられる程度だけど、どうして死の神だけあんなに醜く、歪んだ表情をしているの?不公平だわ——!
夜にヴァンユリセイとインヤと一緒に遊ぶ時、いっぱい褒めてあげよう。本当のヴァンユリセイは、パパと同じくらいかっこいいんだから、あの歪んだ想像とは全然違うもの!
蒼は、リフが下を向いて考え込んでいる姿から、急に顔を上げて祭壇上の死の神の像に向かってふくれっ面をして怒っている一連の様子を、微笑ましげに見守っていた。リフの最初の短いコメントから今の反応までを見ていると、彼も多少、幽界の主の容貌を想像できるようになっていた。
「この教会は祭壇と神像だけが見どころではないわ。せっかく来たんだから、もう少し歩いてみない?大型建築と一般住宅では、魔力回路の設計が異なるから、じっくり観察すると面白いよ。」
「本当に?それじゃあ行こう、蒼の邸宅とはどう違うのか比べてみたいわ!」
リフは気持ちを切り替え、インヤと蒼に手を差し出し、手をつなぐ「お誘い道具」を渡した。初めての「お誘い」に一瞬驚いた蒼と、ちょうど顔を上げたインヤは視線を交わし、インヤはリフと手をつなぎながら微笑んでみせた。
蒼はそれが非常に嬉しかった。リフを「妻と共に育ててきた娘」としては見なくなったものの、リフとこうして手をつなぐことで、妻と繋がっているような気がして、思わず自分の表情や態度を忘れてしまう。そんな蒼の様子を、リフは見逃さず、心の中で頷いて「もっと頑張ろう」と思うのだった。
普段よりも意気揚々とした蒼の案内で、彼らは屋上を含む全ての階層を駆け足で見て回った。案内の途中、蒼はリフに建築の魔力回路について詳しく説明し、リフも予想通り一度で覚え、邸宅との設計の違いをいくつか挙げてみせた。その成長に蒼は大いに満足し、将来性のある子だと心から感じた。
外見は古風だが、内部は洗練された商店街に来ると、その装飾の雰囲気が、リフに再び糸間遂を訪れているような錯覚を与えた。彼女が好奇心から蒼とインヤに尋ねると、北方諸島は交通の制約はあるものの、南方諸島と三百年近く続く貴重品貿易を行っていることを知る。地域の商業連合のリーダーたちは歴史的な関係を維持し、各地のデザイナーも活発に交流しているのだという。
北方と南方諸島の関係を知ったリフは、なんとなく理解し、すぐに深入りをやめて、インヤと蒼を引っ張りながら広々とした商店街を楽しそうに巡り始めた。自分の興味ある服飾を選ぶのはもちろん、時折二人に合う品物を見つけることも忘れなかった。
しかし、リフの情熱は主に品定めに注がれ、彼女は道中、手首の腕輪から次々と礼服やアクセサリーを取り出し、それらと比較していたため、食べ物以外に購買意欲は湧かなかった。蒼がその腕輪について尋ね、リフの兄からの贈り物だと知ると、少し驚いた様子だったが、インヤがわずかに首を振ったのを見て、それ以上は口にしなかった。
ショッピングと精美なチョコレートのアフタヌーンティーを楽しんだ後、少し疲れながらも満足げなリフは、二人と共に蒼がアバヤントに用意していた住まいへと戻った。それは中層区の独立した小さな家で、これまで泊まった町の家と同じく、広くはないがとても居心地の良い家だった。
……リフは、そう思っていた。
蒼がキッチンに向かったとき、いつものように夕食の準備を始めるのかと思ったが、彼は壁の隠し扉を開き、中にある複雑な装置といくつかのボタンを操作し始めた。
その瞬間、家全体の魔力の流れが変わり、強力な防御結界と幻惑の魔法が張り巡らされた。床に大人が通れる広さの通路口が現れると、蒼は先に数段降り、驚きの表情を浮かべる二人に振り返って手招きした。
「これは私が建てた地下通路のひとつだ。安全性には問題ないよ。さあ、私たちの本当の家へ行こう」
「蒼……こんな通路を、いつの間に作っていたの?」
「それはまたの機会に話すよ。夕食の時間を遅らせたくないからね」
戸惑うインヤとリフが顔を見合わせると、リフはためらうことなく通路に飛び込んだ。彼女が転ばないか心配したインヤが急いで後を追い、勢いよく蒼の待ち構えた腕に飛び込む形になった。満面の笑みを浮かべる彼にインヤが睨みつつも、リフを優しく抱きかかえてそっと手を引く。そんな二人の様子を見ても、蒼の機嫌は少しも損なわれなかった。
通路が閉じると、床が淡い光で照らされた。二人は蒼の後ろに続き、通路をさらに降りていった。行き止まりで昇降リフトに乗り、多層構造の地下軌道からなる列車プラットフォームにたどり着いた。蒼が軌道の切り替えと魔力の調整をすると、まもなく優雅な白い軌道車がホームに滑り込んできた。彼は紳士的に二人を車内に案内し、車は再び動き出した。
「私たち以外、誰もいないわね。この地下空間、蒼が独占して使っているの?」
「浅い層には地域共通の貨物線があるが、深い層にあるこの人専用の路線は私のものだ。このプラットフォームは、アバイアンの各所にある私の住宅と繋がっている。通行証には二人の権限と地図も登録してあるから、これからはいつでも使える」
「地図?」
リフは今まで財布代わりにしていた通行証を取り出し、手に取って眺めた。指で金属表面をなぞると、浮かび上がる光のスクリーンにアバヤントの地図が表示され、無数の光点が示されていた。
「おお~、一目瞭然だね!蒼の家があちこちにあることは知っていたけど、ネテラリタ周辺の密度が特に高いなあ。」
「ここは私の領地だからね。いつかインヤが戻ってくる日を待つために、あらゆる場所に準備を整えていたんだ。」
「なるほど!蒼って、ほんとに細やかな旦那さんなんだね!」
「はは、ありがとう。リフにそう言われると、少し照れるな。」
和やかな雰囲気の二人を、インヤは静かに見つめていた。その様子は、彼女に初めて庭に入った日の会話を思い出させた。
一年にわたる旅は、インヤの心の多くの悔いを解き放ち、蒼に対する距離感もより自然なものとなったが、二人の間には未だに明確な一線があった。彼女は幽魂使であり執念の庭の創造者。そして、蒼は執念の庭に縛られた庭の民なのだ。
かつての蒼は、ジェンパロン大陸を滅ぼすため、天族の邪魔になるべく己の魂を燃やし尽くした。彼はジェンパロン大陸の禁忌技術によって生まれ、最終的には大陸をメンナ諸島に変えてしまった因果の呪いそのものと化した。
姉やかつての友人たちは、災厄が訪れる前にほとんど蒼の手で命を絶たれ、数少ない生き残りはこの地を離れ、新たな故郷を築いた。だが、外の地で安らかに人生を終えた人々も、亡くなった者たちと同じように庭に現れ、創造者の執念によって影として束縛されることとなったのだ。
蒼も自分も、時の流れに影響されない存在であり、その関係性もまた不変だ。だから、今のこの距離感がきっと十分なのだろう。時折訪れ、言葉を交わす――それが互いにとって最も心地よい距離なのだろう。
「……インヤ。インヤ?」
「えっ?どうしたの、リフ?」
ふと我に返ると、リフがインヤの手を引いていた。
「蒼がね、次に行く場所を当ててごらんって。インヤなら絶対にわかるって、私思うんだ。」
「次に行く場所か……」
インヤは再び蒼の眼差しを捉えた。その優しい微笑みの奥には、懐かしさや渇望、そして隠しきれない感傷があった。彼が言った「本当の家」という言葉を思い出し、インヤはわずかに指先を握り締めたが、すぐに何事もないように微笑んでリフの頭をそっと撫でた。
「きっと、クフィスペルタ家だと思うわ。あそこ以外にはないでしょう。」
「クフィスペルタ……公爵邸?」
「インヤの言う通りだよ。でも、庭にはもう貴族制度なんてない。リフはちょっと歴史のある古い館だと思ってくれればいい。」
インヤに撫でられた後、蒼もついリフの頭を優しく撫でた。二人から続けざまに撫でられたリフは、不意にひらめいたように輝いた表情を浮かべ、湛露の過去の話との類似点に気づいたのだった。興奮したリフは、自分がどう役に立てるかをさらに考え始め、その意気込みに火がついた。
軌道車は高速かつ安定した走行を続け、しばらくして徐々に減速し停車した。蒼が二人を導き、来た時と似た経路を逆方向に進んでいくと、三十分足らずで再び地上の光源に包まれた。出口に通じるのは特別な金属の塗装が施された小さな部屋で、平行に開く金属扉を抜けると、単調だった景色が一変した。
精緻な壁飾りと壁板の間には古典的ながらも明るい照明が設えられ、並んだ書棚が柔らかな光に包まれている。出入口の扉は大きな書棚の背後に隠されており、書棚がゆっくりと元の位置に戻ると、好奇心に満ちたリフは部屋の中央へ歩み寄り、辺りを観察し始めた。
壁には淡い色合いの抽象画が幾つも掛けられ、クラシカルなソファや肘掛け椅子、テーブルランプが八角形の空間内に程よい間隔で配置されている。どのソファや床にも柔らかいブランケットとクッションが敷かれ、そこに身を沈めると心地よく寛げそうだ。中央の木製テーブルはシルクのテーブルクロスで重ねられ、金色の不凋花が挿された花瓶が置かれ、淡い光を放ってまるで自然の造形のような卓上ランプのようにも見える。
光の理由を詳しく確認すると、床から天井にかけて蜘蛛の巣のように張り巡らされた魔力回路が見つかった。回路は各絵画や書棚、床タイルの裏側にまで集約され、循環した魔力が再び各器具に向かって放たれていた。その中には、不凋花を挿した花瓶も含まれており、花びらは特殊な加工が施されているため、魔力が放散する際に余剰分を光エネルギーとして転換しているようだった。
「わあ……博物館よりもずっと豪華で、魔力回路も複雑だね。」
「形式は公爵家の器具の規格に合わせているけど、実用性は時代に制約されていない。結界にも多重の防犯・防災対策が組み込まれているし、通行証の地図には各機関の操作方法も含まれているよ。」
「とても親切だね……え?」
振り返ったリフは、眼鏡を外した蒼を見て目を瞬かせた。いつも通りの優しい微笑みを浮かべていたが、幻惑魔法を解いたその姿には、一段と鋭い気配が漂っていた。
「蒼、元のかっこいい顔に戻ったね!最後にこの顔を見たのはもう一年以上前だよね。」
「褒めてくれてありがとう、リフ。家に帰ったのだから、偽りの姿を保つ必要もないだろう。ここは地下の居間だが、これから本宅の大広間に案内しよう。」
「うん!」
インヤがリフの手を引き、蒼の後に続いて階段を上り始めた。リフは柔らかいカーペットの感触を楽しみながら歩いていると、突然幾筋もの奇妙な光波と魔力線が自分たちを囲むように巡っているのに気づいた。先を行く蒼は全く反応していないため、リフはそれが防犯機構の一環であると察した。
ほどなくして、先ほどの室内の柔らかな光とは異なる、開放的な光が視界を満たした。
「おおーっ!」
リフは興奮気味に感嘆の声を上げ、一方インヤは伏し目がちに視線を落とした。明るく照らされた気品ある大広間は、かつて千年近く前にジェンパロンの上流貴族が客を迎えたという華やかな空間を再現している。淡い色調の中に銀の線や装飾が隠された螺旋階段が二階の廊下へと続き、複数の高いアーチ状の入口へと誘う。邸宅というよりも、小さな城を思わせるような佇まいだ。
「素敵〜!ここ、まるで生きている博物館みたい!」
「気に入ってもらえて嬉しいよ。インヤ、リフを『|レリティテラ《L'ereditiera》の間』に案内してはどうだろう?一人でも君と一緒でも、きっと心地良く過ごせるはずだ。」
あまりに自然な会話に、一瞬インヤは驚いたが、すぐに頷いた。
「分かったわ。確かにあそこは快適な部屋ね。さあ、リフ、二階へ行きましょう。」
「夕食の準備ができたら、部屋の通信装置で連絡するよ。それでは、また後で。」
「うん、またね、蒼!」
リフは片手をインヤに預け、もう片方の手を振りながら蒼に別れの挨拶をした。二人は二階の廊下をゆっくりと歩き、彼女たちの足音が廊下に響き渡り、広大な空間の静寂をさらに引き立てていた。
リフが空間感知を拡張してみると、壁柱や曲がり角には無数の掃除ロボットが配置されていることが分かったが、生き物の気配は一切感じられなかった。
「ここ、静かだね。ロボット以外に普通の使用人さんたちはいないの?」
「以前は数十人いたのよ。でも……蒼は庭が『灰燼期』に入ったとき、皆に別の道を選ぶよう勧めたの。庭の民は長い時間があるから、いろいろな人生経験を積むことができるしね。」
「うん……そうなんだね?」
インヤの表情はどこか複雑だった。ためらいや戸惑いが交じり、言葉自体に嘘はないものの、何かを隠しているように感じられる。
あ、もしかして蒼と使用人たちの関係って良くなかったのかな?それなら、これ以上は聞かないほうが良さそうだな。
「着いたわよ、リフ。ここが『レリティテラの間』。」
インヤが軽く触れると、魔力で動く木目調の金属扉が音もなく滑らかに開いた。小さな玄関を抜けると、全体が柔らかなピンク色で彩られ、ふんわりとしたレースの天蓋が垂れる夢のような可愛らしい部屋が広がっていた。
リフはきょろきょろと見回し、家具がほとんど幼児向けの小さなサイズであることに気づいた。唯一通常のサイズのベッドには、子供が簡単に上れるよう四方に柔らかい階段が設置されている。床には全面に毛足の長いカーペットが敷かれ、壁も半人高まで柔らかい布で覆われ、さらに全ての角が丁寧に丸められており、部屋を整えた者の細やかな配慮が感じられた。
「リフはこの部屋の初めての客人よ。遠慮せず、どうぞ好きに使ってちょうだい。もともとここは子供部屋として用意されたのだけれど、一度も使われることはなかったの。こうして飾りが役立つのを見られて、とても嬉しいわ。」
窓辺に立つインヤは、そっとカーテンの一角を持ち上げた。夕日の柔らかな光が彼女の顔を照らし、表情を淡く霞ませている。
「インヤ、あなたと蒼にはお子さんがいないの?」
「そんなこと、あるわけがないのよ。この部屋も、あくまで『子供への祈り』の象徴に過ぎないわ。かつて、蒼が国王陛下に『新生児の性別操作』の研究を提案したとき、その計画は却下されたの。彼は帰宅後、私の意見を聞き、この部屋を作らせたわ。『この家には可愛い娘のための部屋しかない。ガキどもは分をわきまえて遠くに去り、道を譲るべきだ』なんてね。ふふ、当時の貴族たちの間でも面白い話題として広まったものよ。」
インヤは軽く笑った。その声には過去を懐かしむ純粋な喜びがこもっていたが、感情を感じ取ることができるリフには、微笑みの奥に深い悲しみが渦巻いているのが見えた。リフは少し眉をひそめ、インヤのスカートの裾をぎゅっと掴み、彼女の視線を引き寄せた。
「インヤの結婚生活って、三年だけだったよね。身体が弱かったの……?」
「気を遣ってくれてありがとう、リフ。あなたは本当に優しい子ね。でも、幽魂使の中で特例なのは遠流だけで、他の者たちは皆、何らかの理由で生を終えた者ばかりよ。死の理由にこだわっていたら、この世に執着して残ることなんてできないの。」
インヤは微笑みながらリフの頭をそっと撫で、手を引いてベッドの端に座らせた。リフは光る鎖に気づき、二人を繋ぐ左手を小さな両手で包み、インヤのわずかに震える指をぎゅっと握った。その心配りが嬉しくて、インヤはほっとしたように微笑んだ。
「私もね、島々を巡る時には庭に戻ってくるのよ。蒼がこの家の全てをそのまま残してくれたから、一つひとつに馴染みがあるわ。リフは以前、私に言ってくれたわね。『自分の人生を生きている』って……そうだとしたら、私もウランや遠流のように、自分の過去にもっと素直になるべきなのかもしれないわ。」
リフがファンナヴィ村に滞在していた頃には、もしかしたら私が傭兵をしていた時の話を知っていたかもしれないわね。ほんの数ヶ月のことだったけれど、本当に多くの波乱を経験したの……そして、最後には蒼が私を家に連れ帰り、彼の妻になったの。
公爵夫人としての生活はとても忙しかったわ。クフィスペルタ公爵家は広大な領地と無数の事業を抱えていて、屋敷内の家事、夫人たちとの社交、さらには多くの行政事務も取り仕切らなければならなかった。でも、ここでの日々はとても幸福だった。蒼はその優しさの全てを私に注いでくれていたから。少し厚かましい表現かもしれないけれど、あの時私は本当にアバヤントの中で最も幸せな女性だと感じていたわ。
結婚したばかりの頃、蒼は私に「身体を大事にし、子供のことは急がなくていい」と言ってくれたの。でも、アバヤントの貴族社会では後継を大切にしていたし、蒼は前公爵の唯一の生き残りで、国王陛下からも最も期待される甥だったの。結婚から約一年後、王妃や他の貴夫人たちが私に探りを入れてきて、暗に子を求める圧力をかけてきたのよ。
その結果、蒼はあの突飛な研究計画を国王陛下に提案したのよ。同じ会議に出席していた王太子が笑いをこらえるのに苦労したと聞いたし、何人かの官吏は恥を避けるため、身なりを整えるふりをして議場を出て行ったそうよ。蒼は、私が貴族社会の圧力に苦しむことがないよう、皆の話題の的となることも厭わなかった。こんなふうに愛してくれる人がいるなんて、これ以上の幸福はないでしょう?
でも……私の存在そのものが、いずれ迎えるべき結末を決めていたの。私は創り出された生命、活動限界に限りのある人造人間なの。
あの日は突然訪れたの。ある晩餐会で倒れてしまって、姉ちゃんをはじめ多くの人を驚かせたわ。蒼はすぐに私を家に連れ帰り、診察を受けさせてくれたけれど、私の体調は一向に回復しなかった。これは病気ではなく、生命が自然と衰えていく過程だったから、蒼がどれだけ治療法を試しても、効果はなかったの。誇り高い彼は私のために頭を下げて、ある隠居した学者に診察を依頼したの。
その学者は、たまたま西部の第四研究所に関係する人物だったの。その研究所から計画への参加を依頼されたことがあったけれど、彼はその研究を馬鹿げた幻想に過ぎないとして断り、関係を絶っていたのよ。だから、幻想が現実となった私を目の前にしたとき、彼は一瞬で興奮し、狂気に近い様子を見せたわ。これを契機に、私が隠してきた秘密、私の存在、名前の由来まで、皆が調査を重ねた結果、全てが明るみに出てしまったの。
ジェンパロンの生命科学は非常に発達していたものの、人造人間は道徳や法の観点から禁じられていたわ。人々が生命科学の産物として認めるのは、農業や工業で使われる単調な生体ゴーレムだけ。私のように「神の子」を模倣して、人類を超えるほど精緻に創られた存在は、彼らにとって命を冒涜するものでしかなかったの。
私の正体を知った人々は次々と背を向け、姉ちゃんさえも訪れなくなったの。寂しかったけれど、彼らを責める気にはなれなかったわ。真実を隠していた私が報いを受けるのは当然のことだから。それに、彼らにはまだ長い人生があるのに、余命わずかな私のために時間を割くのは、きっと無意味だったのでしょう。
……それでも、蒼だけは私を諦めなかった。助かる見込みがないとわかっていたはずなのに、彼は延命の手段を探し続けたの。
毎日、私と過ごす短い時間以外は、彼は眠ることなく実験室に籠もっていたわ。国王陛下や王太子殿下ですら彼を説得できなかったの。たった十数日で、もともと強靭だった彼の体は見る影もなくやつれてしまった。彼が私の手を握るたび、その生命力が急速に削られていくのを感じていたのよ。国王陛下が密かに私を訪したとき、私はついに覚悟を決めたの。
「死にたくない」という本能のままに、私は研究所から逃げ出し、五年以上もの貴重な人生を得たわ。でも、でもね……時々考えてしまうの。もしあのとき私が生き延びられなかったなら、もし蒼と出会うことがなかったなら、彼は今のように苦しむことはなかったのではないかって。
私たちの過ごした日々を否定するつもりはないけれど、残りわずかな命が刻々と過ぎ去るたび、私は最愛の人を道連れにしてしまっているの。私のそばには蒼しかいなかったけれど、彼のそばにはまだ、彼を大切に思う人々がいた……これ以上、彼の時間を奪うわけにはいかなかったの。
だから、私は生存本能を否定したの。もう、ナイフさえも持てないほど衰弱していたけれど、莫大な魔力だけは持ち余していたわ。庭園での散歩のとき、地脈と天流を呼び覚まし、ガゼボとともに自分自身を完全に氷結させたの。
気がつくと、私はクフィスペルタ公爵家に戻っていた。でも、広大な屋敷も庭園も荒れ果て、誰もおらず、封印の魔法結界があちこちに張り巡らされていたの。私の魂はその結界をすり抜けられたけれど、この家から離れることはできず、誰かが戻ってくるのをただ静かに待つしかなかったわ。
そして、あの大災害が起こったの。空を覆いつくすような巨大な津波が、激しい魔力を帯びた波とともに地上のすべてを削り取っていった。私も削り取られた邸と一緒に潮に呑まれ、ついには海底へと沈んだの。
暗い海の底で……私は待ち続けているの。私たちのわずかな思い出を守りながら、もう戻ってくることのないの人を待っているのよ。
「——後は、リフが以前聞いた『庭の起源』に繋がる話だよ。こうして自分のことを主観的に話すのは初めてだから、少しわかりづらい部分があったかもしれないね。そこはどうか、リフには大目に見てもらえると嬉しいな。」
「その人たち、あまりにも勝手すぎるよ!!!」
「リ、リフ?」
「インヤはあまりにも優しすぎるよ!どうしてそんなふうに責任を自分に押しつけちゃうの?その人たちが本当に蒼のことを思っているのなら、他人に責任を取らせるべきじゃない! 私は今、物語の中のその人たちに腹を立てている——!」
おお、リフの力強い感想には思わず賛辞を送りたくなるね。インヤは決して何でも許す聖人というわけじゃないんだ。そうでなければ、彼女を害そうとした傭兵たちが彼女の手で半身だけの氷の彫像にされ、数か月間も男性としてのプライドを打ち砕かれるような目に遭うことはなかったはずだからね。それにしても、インヤは心を開いた相手に対してあまりにも寛大すぎるところがある。責任や感情をその人たちに押しつける代わりに、常に自分が傷つくことを選んでいるように見える。だからこそ、リフの叱責は心の奥底からすっきりとしたものを感じさせてくれるんだよ。
物語を語り終えた頃には、地平線に沈む夕陽が夜の帳を引き上げていた。ちょうどその時、蒼からの連絡が入り、どうしたらいいか分からなくなっていたインヤは助けられる形となり、夕食の話題でリフの注意をそらして一緒に食堂へと向かった。
だが、彼女は少々リフの怒りを甘く見ていたようだ。蒼が豪華な晩餐を用意してくれたにもかかわらず、リフは全く動じず、席につくなり蒼に向かって不満をぶちまけ始めた。リフの言うことには、生前のインヤの周りにいた人々は蒼以外皆、自分勝手だったという。その「生前」という言葉に、一瞬蒼の目に殺気が走ったが、すぐに彼は嬉しそうにリフの頭を撫で、「インヤのことを思いやるいい子だ」と彼女を褒めた。
その後の晩餐は、完全に蒼とリフが同じ敵に立ち向かうかのような盛り上がりを見せ、インヤは少し落ち着かない様子だった。彼女は、蒼が今日の話をきっかけにまた「灰燼期」のような大虐殺を引き起こさないかと心配していたのだ。しかし、インヤの様子をしっかりと見ていた蒼は、食事の終わり際に彼女を安心させるよう声をかけ、「新年の夜が来るまで、ここに留まって二人の側から離れるつもりはない」と約束した。
そして数日間、彼はその約束を確かに守った。二人と一緒に広大な邸宅を巡り、博物館の案内人のようにリフに説明しながら、本宅以外ではもう使われていないものの、丁寧に保存されている建物や付属施設について紹介した。
庭園を散策していた時、精緻に造られたあるガゼボがリフの目を引いた。その場に立ち止まった小さなリフに気づいた蒼は、インヤを抱き寄せてにっこりと微笑み、「俺たち夫婦はもう、たくさんの幸せな思い出で悲しい記憶を上書きしているから、リフは気にしなくていいよ」と言った。その含みを察したインヤは顔を真っ赤にし、羞恥で蒼を一撃しつつリフの手を引いて足早にその場を立ち去った。蒼は叩かれても嬉しそうに声を立てて笑いながら、楽しげに二人の後をついて行った。
こうして楽しい雰囲気の中で日々がゆっくりと過ぎていき、新年の夜の前日を迎えた。
精巧な招待状を携えた上品な青年が、クフィスベルタ邸の門を叩いた。




