第9章「ノネレーテの結論」【2】
だがステムは面食らう、確かにエルスの剣技は先程と大きく違っていた。
速さだけではない、単調に思われていた攻めも上段から下段から、そして突き、水平にも剣が飛んでくるのだ。
たまらずステムは素早く背を向けて、地面スレスレに跳ねて逃げた。
さっきのエルスのように。
強敵と化したエルスから距離を取る為、ステムはばたばたと手足を動かしながら地面を這うように進む。
そして十分に間合いが取れたと思った辺りで、スッと立ち上がる。
彼の服は全身砂まみれになっていた。
我に返ったように砂を払った。
屈辱以外の何物でもない。
賞金稼ぎ相手に逃げてしまったのだ。
しかもたった一人からだ。
相手が百人いる訳ではない。
ほんの少し前、十人を相手に無双を決めたばかりなのに。
そうか、十人を相手にしたばかりだから、疲れているのか。
目に見えぬ疲労に、今頃になって襲われているのだ、そうに違いない。
気が楽になったのか、ステムは視線を上げた。
そこでエルスと目が合った。
彼は剣を構えたまま、じっと待っている。
じっと、待ってくれている。
ステムは顔がカッと熱くなるのを感じた。
エルスが微笑んでいるように見えたのだ。
もちろんそれはステムの妄想が多分に混ざっているに違いないが。
ここでステムは決めた。
先刻エルスを圧倒した、あの連撃があるではないか。
あの時は十六回だった。
腕に重さを感じて、そこで止めたのだ。
だが今度はもっと数を増やしてやれば良い。
あの少年剣士を斬り刻むまで続けてやるのだ。
勝って生き残る為なら、腕がどうなろうと構うものか。
トミア兵についてきたゼオンは、ぽつんと建つ一軒の民家に辿り着いた。
周囲には何も無い、と言いたい所だが、既におかしな空気が漂っているのを感じていた。
足元には幾つもの新しい血痕が飛び散っている。
トミア兵もへらへらとはしていられないと、真剣な面持ちになっている。
「中に入るのか?」
ゼオンの問いにトミア兵は軽く頷いた。
「ここは元々コソ泥の隠れ家ではなく、我々の方で用意したものだ。そこへ“三日月と入道雲”の連中を誘導して、賞金稼ぎの雰囲気を味わってもらおうと計画していたんだが」
聞けば聞くほど相手を馬鹿にしているなと、ゼオンはモヤモヤが溜まっていた。
トミア兵は玄関扉の取っ手に手をかけた。
「中に“本物”がいるかもしれん。十分に気を付けたまえ」
「心配するな、こちとらハナからそのつもりだ」
扉が開けられた。
中に入った途端、二人は更に緊迫した空気に包まれた。
血の臭いが充満している。
ゼオンは左の腰に帯びていた剣を抜いた。
窓には板が嵌め込まれていて明かりが入らない。
薄暗い中を進むと、すぐに折り重なる遺体を発見した。
近くに寄って顔を確認する。
ゼオンは、がっくりと肩を落とした。
数日前に言葉を交わしたパレムがそこにいた。
よく見れば他の者もパレムの仲間たちであった。
「確か十一人いるはずだが、一人足りねえな。逃げたのか…」
先に奥へ行っていたトミア兵も、より険しい表情になっている。
「私の仲間も殺されていたよ。相手は相当な手練れに違いないな」
「一体、どういう事だ? こんな…」
突然、トミア兵が口元に指を一本立てた。
ゼオンも神経を集中させると、何かに気付いたように目を見開いた。
「外に、いるね」
トミア兵が囁いた。
ゼオンはもう一振りの剣も抜く。
「やる気かい? これ、一人や二人じゃないよ。何十人もでこの家を取り囲んでいるね」
「何十人だろうが何百人だろうが、敵なら斬るだけだ」
「危ない考えだね」
トミア兵はスクッと立ち上がり、玄関に歩み寄る。
その際、ゼオンに手のひらを向けて“来ないように”と制止する。
だがゼオンはついていく。
果たしてトミア兵が玄関から外に出ると、思った通りに数十名の男たちが家の前にいた。
その中に、他の者より頭一つ背の高い大きな男がいる。
話が出来る人間だといいが、とトミア兵は心から願う。
「ずいぶんな集団だな。こんな所で何をしているんだ?」
酒宴に興じているような雰囲気は微塵も感じられなかった。