第8章「満月と三日月」【10】
脇腹を刺されたカーシャを病院へ運ぶ為、アミネは馬車を大急ぎで走らせていた。
愛馬トズラーダとは違って本当に走っているのだが、この若い馬の力強さへの戸惑いもそろそろ慣れてきた。
「…あのトミア兵、心配いらないだなんて言っておいて、どういう事よ! 絶対許さないから!」
付き添うノネレーテは、苦しむカーシャに声をかけ続けている。
「大丈夫だ、今病院へ向かっているぞ。きっと他のみんなも、大丈夫だ。ここまで頑張ってきたお前を、あの、お前の大好きな神様…何て言ったっけな…とにかく見ててくれるから大丈夫だ」
コソ泥の剣は、とにかく速かった。
その速さで放たれる連撃に、エルスは後退りながらの防戦一方である。
数えて十六発目、ようやくコソ泥の攻めが止まった。
コソ泥の剣を受け続けたエルスは腕が重いと感じて反撃に転ずる事が出来なかった。
“なぜ?”と思い始めた。
「凄いねえ、少年。俺の剣を防ぎ切る奴なんて、なかなかいないんだぜ? 自慢して良いよ」
コソ泥は余裕でエルスを見下している。
「目標は何だ、少年? アレか、世界一の剣士にでもなるか?」
両手で握り締めていた剣の柄から左手を離し、手のひらを一瞥する。
エルスはそこに、柄に巻かれた布の皺の跡がくっきりと移っている事に気付く。
「まあ、ここで俺に許しでも乞うなら、今日の所は見逃してやっても良い。どうする?」
エルスの左手は、もう一度柄を握り直す。
「そんなもの…!」
向こうが連撃ならこっちだってと、エルスも剣を繰り出す。
ところがコソ泥はそれらを剣で弾き、時には体捌きでかわしてしまうのだ。
速さで敵に叶わないのかと、エルスは焦るばかり。
ついには自分の剣をコソ泥の剣が押さえつけ、そのまま力任せに吹き飛ばされてしまった。
エルスは地面を転がり、あちこち身体をぶつけて、ようやく止まる。
「せっかく良い提案をしてやってるのに、無謀だねえ」
どうしてこんなに実力が違うのかと、エルスは不思議に思う。
「俺もさ、将来有望な少年の芽を摘みたくはないのよ、分かってくれないかな?」
いや、待て。
「子供を斬るとか、さすがに褒められないっしょ」
そもそも、どうして“不思議に思う”?
「死にたいとか、そんな訳じゃないんだろ?」
コソ泥と会うのは初めてなのに、力関係が分かっているように思ってしまうのか?
「俺だって、誰でも斬りたい訳じゃない」
……………………。
「あれ、聞いてんの?」
エルスは、ゆっくりと立ち上がる。
「ツーライさんの言う通りだ」
懐かしい髭面が頭の中で笑っている。
「諦めたか?」
エルスはコソ泥に顔を向け、右手だけで剣を持ち上げ、切先をもコソ泥に向ける。
「おいおい…」
「名前を」
「えっ?」
「聞いてあげてもいいですよ、名前を」
「はあ?」
「せっかく賞金首を捕まえるのに、名前も知らないんじゃ格好がつきませんから」
「捕まえる? 俺をか? お前の実力で? 嘘だろ!」
あくまで余裕のコソ泥だが、エルスの次の言葉で顔から笑みが消える。
「僕も賞金稼ぎなので」
「ああ、何だよ、そういう事か」
コソ泥も剣を構え直した。
「だけど、そんなの言わなきゃいいのに。もう死ぬの確定だぜ?」
「心配いりません、僕が勝ちますから」
トミア兵は念の為にと宿屋の主人に言付けを頼み、外へ出た。
もしも仲間と入れ違いになったら面倒だと。
ゼオンは彼の後をついていく。
「他にもいるのか?」
「何が?」
「賞金首のフリして、賞金稼ぎを狙う奴は?」
トミア兵は首を傾げる。
「さっきも言ったはずだけどな。もはや組織だって」
「そうじゃねえよ。トミアに、そいつらはもっと来ているのかって話だ」
「ああ…」
「どうなんだ?」
「来てるよ。来て、トミアで賞金首になっている」
「そいつも強いのか?」
「強いね、間違いなく。どれくらいなのかは知らないけど、そいつも一人で行動しているんだから、強くなければやってられないってのは分かるよね?」
「はん、そうかよ」
そんなのが溢れ返ったら、世の賞金稼ぎは大変だとゼオンは思った。