第8章「満月と三日月」【9】
「私が行ってくる!」
アミネはすぐに背を向けて駐屯所の方へ戻っていく。
「エルス、私は皆んなの所へ行くから、この子を病院へ連れて行ってくれ」
すると、カーシャがノネレーテにしがみついた。
「嫌、行かないで、頭領…痛いの…一緒にいて…」
「カーシャ、私は…」
脇腹を刺された痛みのために、カーシャの手には力が入っていない。
しかし、ノネレーテはその手を振り解く事が出来なかった。
「僕が、行きます」
地面の血痕を見てエルスが言った。
「何とかしてきます」
言うや否や、エルスは全速力で駆けて行った。
「エルス、気を付けろ! 皆んなを頼む!」
しばらく黙って座っていたトミア兵だったが、ゆっくりと首を左右に振った。
「これは駄目だ、遅過ぎる」
表情や声の調子に変化はないが、痺れを切らした事だけは伺える。
「こちらから向かうとしよう。失礼するよ」
時間はずいぶん稼げたはずで、今頃はトミア兵の正体がノネレーテに伝わっているだろう。
「俺の役目も終わった訳だが、しかし退屈だった」
そう言うとゼオンも立ち上がった。
「俺も行く」
「なんだ、まだお目付け役を続けるつもりか?」
「そんなんじゃねえよ。暇すぎて身体が固まってしまいそうだから、付き合ってやるってところだ」
トミア兵は、ふん、となる鼻を鳴らす。
「いいだろう。戦力になる人間は多いほど良い。一緒に行こう」
ゼオンとトミア兵は共に宿を出て、コソ泥の偽の住処へと向かった。
コソ泥が地面の血痕を追って進んでいると、道の向かうから人が走ってくるのが見えた。
「怪我をした女が逃げた方から剣士が来たか…ふふん」
コソ泥は立ち止まって待ち構える。
「おや、ずいぶん若いのだな」
コソ泥を視界に入れた若き剣士は、走りながら剣を抜いていた。
そして、そのまま突進する。
「全員、死んでおりやすねえ」
コソ泥に斬られた十人を見て回った部下からの報告である。
「大した腕です、全員、一太刀で息の根を止めていやがる」
「チンケな盗人にしておくにはもったいないな」
レザナムはニヤリと笑みを浮かべた。
「仲間に引き入れよう。それで皆が上げ上げになる」
それからレザナムは、十名の遺体を見てこう言った。
「あいつらをあの民家へ放り込んでおけ。野晒しも気の毒だからな」
エルスが先制を撃つ。
それをコソ泥はほぼ動く事なくかわした。
続いて何度かエルスは力を込めて剣を振ったが、まるでかすりもしない。
コソ泥は後ろへ一歩飛び退き、ようやく自身も剣を抜いた。
「さて、お互い自己紹介もなく斬り合うというのはいかがなものかと俺は思うが?」
「女の人に大怪我を負わせたな!」
「なるほど、人違いで俺に斬りかかってきた訳ではなさそうだ。まあ、やっぱりだけどな」
エルスは剣を真上に大きく振りかぶり、全力で振り下ろす。
彼の手に何の手応えも感じられなかったのは空振りだから当然であり、その刀身が地面にぶつかって初めててに衝撃を受けたのだ。
「…っつ…!」
「どうやら時間はありそうだ。俺は賞金首のコソ泥だ。チンケな物ばかり盗むって蔑まれたりもしているが、俺自身はいたって真剣でね、真面目にやってるという訳だ」
エルスはコソ泥を睨みつけた。
「なのにどうして、人を傷付けたんですか⁈」
「やらなけりゃ、捕まるから…いや違うな。俺を捕まえに来た、という事は賞金稼ぎだから、斬ってやった」
エルスは下唇を噛み締める。
「俺は賞金稼ぎって人種が大嫌いなんでね。金の為にわらわらと群がってきやがる。自分たちが正義だとでも勘違いしてるんだろうな」
「あなたは悪い事をして指名手配されたんです! 捕まえに来たのが賞金稼ぎだっただけでしょうが! どのみち正規軍が出て来るんですよ!」
コソ泥は手をひらひらと振って否定する。
「いやいや、正規軍に恨みはないね。許せないのは、あくまで賞金稼ぎだから」
エルスは大きく前に踏み込んだ。
その突きはしかし、コソ泥に軽くあしらわれてしまった。
「熱いねえ、少年。俺もお前くらいの頃は、正論だけで突っ走ってたもんだ」
コソ泥の見下すような目が、癪に触る。