第4章「グイデンの小さな争い」【8】
するとリナータがずかずかとヤリデルの元へと向かってくる。
「おいおい、待てよ」
危険を感じたヤリデルは逃げようとするも、片足では無理だった。
彼女の顔を見れば容易に想像がつく。
咄嗟にヤリデルは両腕で自分の顔を覆った。
が、衝撃は彼の腹に来た。
ヤリデルの身体がくの字に曲がる。
「私らはヤリデルを助けたかったんじゃないんだよ。エスリルケ様の息子だったからだ、勘違いするんじゃない!」
蹴られた箇所を押さえ苦しむヤリデルだったが、心配する者はいなかった。
「父さんの名を利用するつもりか、何の為に、どうやって?」
「もちろんエスリルケ様の力はエスリルケ様の為に使うのさ」
「馬鹿言うなよ…?」
ヤリデルは周りを見回したが、ニューザンもトデネロもティーラも笑っていない。
「本気で言ってるのか⁈ 父さんはフェリノアへ連れて行かれたんだぞ! 俺を取り戻す為にリグ・バーグへ来たのとは訳が違うんだ、分かってるのか?」
フェリノア王国へ連行されたエスリルケを奪い返すというなら、自らもフェリノア王国へ行かなくてはならないという事。
「エスリルケ様が捕まった時から、私たちは決めてたの」
ティーラが言った。
「お前ら、頭イカれてんのか?」
呆れるしかないヤリデルだが、リナータは少し笑った。
「さすがに今すぐって話じゃないよ。むしろ三万の兵の中へ飛び込む方が頭おかしいよね?」
理想を言えばフェリノアへ入られる前に奪還したい所なのだが、それこそ無理な話なのである。
トミアからフェリノアへ戻る国王リドルバの護衛は“六角”だけではなく、リドルバ専用の正規兵三万がいるのだ。
「まあ、その三万ってのもごく一部らしいけどね」
とにかく、その中へ侵入してエスリルケを救い出し、尚且つ脱出するなど、よっぽど無茶だと彼らは声を合わせる。
「準備が必要だ。時間はかかるだろうが、今度こそもっと慎重にやらなくてはならん」
ニューザンが力を込める。
それでも内容が内容だけに、慎重にやったからといって上手くいくのかとヤリデルは尋ねたかったが、今はやめておいた。
彼らが本当にどこか壊れてしまっているのではないかと、ヤリデルは恐怖を感じていたからである。
準備の為には金や人が必要になるが、その支援を受けやすくするには、エスリルケの息子という肩書きが必要不可欠となるらしい。
「うむ…分かった、俺に出来る事なら協力しよう」
呑気に助かったと喜んでいたのが馬鹿馬鹿しく思えたヤリデルであった。
「それで、次は何処へ行くんだ?」
「医者の所さ」
「医者?」
「ああ、腕は超一流なのにモグリの医者がいてね、そいつなら罪人の脚でも治してくれるらしいからね」
コルス国。
仲間の兵数人を失ったガーディエフ軍一行は、呪術師の三人がまだ生きていると信じて行方を追っていた。
だが、敵の正体もその足取りすらも掴めぬまま、時間だけが過ぎて行った。
「現場から直接追跡するのは、やはり難しいと言わざるを得ません」
そうビルトモスに報告するのは、諜報員ウマーチである。
仲間の兵が殺された現場には足跡が残されていなかった。
おそらくは時間の後に雨が降り、僅かに残っていたかもしれない足跡も流されて消えてしまったと推測された。
ウマーチは数名の兵を引き連れ、現場からも範囲を広げつつ捜索に当たったが、収穫なしという報告しか出来ない事を心から恥じていた。
しかしビルトモスは彼らを責める気にはなれなかった。
彼らが連日不眠不休で働いてくれていた事を知っているからである。
「望みは潰えたという事か?」
現状報告を受けた時のガーディエフが漏らした落胆の声である。
「いいえ」
ビルトモスの目は望みを捨てていなかった。
「もう一班をタラテラの町へ向かわせております」
「タラテラ…とな?」
タラテラの町は彼らが居候するルーマット村から最も近くにある、謂わば隣町である。
行くには馬に乗ってもニ、三日かかるのだが。
「もしも彼らが狙われたのなら、タラテラにいた時から目を付けられていたかも知れません」
町なら住民もいて、何かを目撃している可能性がある。