第4章「グイデンの小さな争い」【6】
強い力でグイグイ引っ張られ、ヌラムは真っ白な煙の中を後退させられた。
「ニューザンだよな?」
仲間で煙玉を使うのは彼しかいない。
「ここは引け。分が悪い」
「駄目だ、諦められねえ」
「今日はヤリデルだ。そうすれば奴らは必ず追ってくる。そこで迎え撃つんだよ」
今が絶好の機会だと信じるヌラムと、ただの危機だというニューザン。
ぐずぐずしていると煙が晴れてしまう。
「無駄死にになるぞ」
「仇討ちの為なら、死んでも…」
「お前の師匠は、そんな事を教えてないだろう⁈」
セギレはいつも言っていた、生き残る道を探れと。
一度失敗しても、機会はその後何度でも訪れるから、その時やり直せと。
「ああ、分かったよ。気に入らないけどな。セギレの教えに反するんじゃ、仇討ちにならないよな」
「そうだ、それで良い。今は逃げ…」
ニューザンの背筋が一瞬で凍りついた。
背後に、誰かがいる!
耳の真横を人の腕が通り抜けた。
その手には短刀が握られていた。
シュッ、と真っ赤な血飛沫が宙に噴き上がった。
「ヌラム!」
力無く崩れていくヌラムを抱き止めたニューザンだが、これで終わった訳ではない。
二の太刀が襲ってくる、今度は自分にだと確信する。
白刃が頭上から降ってくる。
ヌラムを抱えたままでは避けようが無い。
ところが、背後の者の手から短刀がこぼれ落ちた。
彼の手に黒い棒が直撃していた。
トデネロが間に合ったのだ。
煙がすっかり晴れてしまった。
「ミグラ殿!」
ヘルザダットを守る護衛兵が通路の先で叫んでいる。
ミグラは動揺していた。
この黒い棒は見覚えがある、ついさっき戦った相手だ。
だが実力は自分の方がずっと上だと確信していた。
背後を取られて気付かなかったなどあり得ない。
「ミグラ!」
ヘルザダットの声のおかげでミグラは我に返った。
黒い棒が目の前に迫っている。
慌てて頭を下げるが、髪を掠めた。
床に落ちた短刀が視界に入った。
形勢をひっくり返すには、アレを拾わなくてはならない。
ヌラムは首から血を流している。
兜と鎧の隙間を刺されたのだ。
汗拭き用の布を傷口に当てたが、血が止まる気配が無い。
彼の身体からも力がすっかり抜けてしまっていた。
「おい、しっかりしてくれよ! なあ、ヌラム!」
咄嗟に腕を伸ばす。
もうちょっとで短刀に手が届く、そう思った矢先、後頭部に衝撃が走った。
まただ。
黒い棒が当たるまで、その気配に気付けなかった。
普段なら後ろから襲われようと、まるで背中に目が付いているかの如く素早い反応が出来るのに。
この若者の実力を見誤っていたのか?
気配を悟らせない技術を今まで隠していたというのか。
だが、まだ意識はある。
飛び付くように床の短刀を掴み、もう一度前方へ飛んだ。
自分が首を斬った兵の脇をすり抜け、賊とヘルザダットの間に来た。
「無事か、ミグラ⁈」
頭がガンガンする、相当強く殴られたのだろう。
あれが棒でなく剣だったら、頭を真っ二つにされていた。
「ご心配なく!」
ヘルザダットに背を向けたままミグラは答えた。
「こ奴らの狙いは副将軍、あなた様ですぞ! とにかくお逃げ下さい! 外にいる兵を中へ呼び戻して下さい!」
「しかし…!」
「こ奴らは茶色兵の残党だ! お前ら、ヘルザダット様を頼んだぞ!」
意を決した護衛兵二人は踵を返し、ヘルザダットを連れてこの場から離れようとした。
「今はミグラ殿に任せるしかありません!
賊の規模も分からぬ以上、戦力を集めて防御するのです!」
護衛兵に諭され、ヘルザダットは後ろ髪を引かれる思いでこの場から去って行った。
足音が小さくなっていくのを感じたミグラは、低い姿勢からゆっくりと立ち上がった。
「まったく…」
命の危険を感じるなど何年振りだろうかとミグラはほくそ笑んだ。
目の前には黒い棒を携えた兵士がいる、声を聞いただけだがずいぶんと若いのだろう。
地下で相対した兵と同じはずだと思うのだが、どこか雰囲気が違うとも思う。
「こんな化け方が出来るのは、若さ故か、本当に羨ましい」
素軽さが奪われるのを嫌い、鎧などは身に付けない。
今日だけは纏っておくべきだったかとミグラは後悔した。