第3章「八つ鳥の翼の戦い」【9】
その翌日深夜、グイデン・バーグ南駐屯所つまりリグ側のその場所に、一人の男が訪ねてきた。
その男は自らをオエ副将軍の使いだと名乗った。
ネルツァカ・オエ、リグ地方側の副将軍であり、次期将軍の最有力候補と目されている。
盗賊天国となったこの国で、大盗賊団の一つを自ら指揮を執り壊滅に追い込んだ実績もある。
リグ地方の兵士にとっては雲の上の存在の一人なのだ。
そのネルツァカからの使いが来たと聞いて、駐屯所内には一気に緊張感が走った。
指揮官のムラナガは、敷地内にある彼専用の離れで眠っている所を叩き起こされた。
既に使いは指揮官室の中で待たされていた。
着替えを済ませたムラナガが遅れて入り、簡単に挨拶を交わす。
「…それで、オエ副将軍からどのような話を承ってきたのか?」
するとムラナガの部下が、先に使いから受け取っていた一本の筒を差し出した。
それを手にしたムラナガは筒を開け、中から書簡を取り出した。
ここで今更ながら、ムラナガは伊達に指揮官に任命された訳ではない。
本城から遠く離れた田舎の駐屯所とはいえ、それなりに評価を受けて選ばれたのだ。
だから、たとえオエ副将軍の名が出ようとも、目の前にいる使いとやらを全面的には信用していなかった。
偽物か本物か、半々の比率でこの場に臨んでいる。
筒状に丸められた書簡を広げ、彼がまず確認したのは、ネルツァカの印である。
この真贋の見極めについては、彼が指揮官に任命された際に軍本部において叩き込まれた。
偽の文書を掴まされるのは珍しい話ではない。
その為、本物と判断する条件が複数あり、それら全てを満たしている物こそ真の書簡と呼べるのだ。
印は間違いないと判断した。
右上と左下の端に小さな刻印がある。
ムラナガは目を皿のように細めて刻印の文字を読んだ。
正確に刻まれていると判断した。
机の引き出しから小さな炭を取り出し、書簡の左上の端を擦ってみる。
炭で黒く塗りつぶされた箇所に文字が浮き出てきた。
それを読み、良かろうと判断した。
最後に書簡を裏返し、中央部をペロリと舐めた。
苦味を感じ、舌がピリピリと痺れた。
うんうんと彼は頷いた。
「確かにオエ副将軍の書簡に相違ない」
と発し、ムラナガは文面に目を通した。
静かな時間が流れている。
厳しい表情のまま、ムラナガは書簡に目を落としていた。
やがて彼は一息つき、使いに向かって次のように言った。
「大罪人ヤリデルをバーグ側から引き取る旨、承知仕った。明朝、速やかに実行する」
ムラナガの部下は黙って目を見開き、使いは深々と頭を下げた。
即刻オエ副将軍に伝えると言い残し、使いの者は馬に跨り東の闇へ消えて行った。
見送ったムラナガは部下に対し、全員集合させろと指示を出すのだった。
グイデン・バーグを出た使いの者は東を目指して馬を走らせていた。
ところが、ひとしきり進んだ辺りで手綱を右に引き、馬の向きを南に変える。
それからしばらく走った所で、今度は馬の向きを西に変えた。
尾行がいない事を確かめながら、馬を休ませつつ、先ほどより長く進む。
そして馬を北に向け、しばらく走らせた所で東に向かうのだ。
結局はグイデン・バーグに戻ってきた格好となる。
街に入る前に馬を近くの木に手綱で括り付け、使いの者は徒歩で夜闇に乗じて街に忍び込んだ。
決して姿を見られぬよう慎重にスルスルと路地に紛れ、一軒の空き家に飛び込むと、待ち受けていたのはリナータであった。
「へえ、無事に帰って来たじゃないか」
「ああ、ただいま、母さん」
使いの者の正体はニューザンであった。
「無限に待たされるかと思ったよ」
トデネロが部屋の隅にいた。
「起きてたのか」
「寝られやしないよ。ニューザンが出かけてから、リナータがずっと家の中をグルグル歩き回ってたんだから」
「余計なこと言うんじゃないよ」
「おかげで僕らも」
ヌラムとティーラも顔を見せた。
「ニューザンのこと、皆んなで待ってたんだ」
「それで、首尾はどうだったの?」
「ムラナガという指揮官の力量次第だが、とにかく信じてくれたようだな」