第3章「八つ鳥の翼の戦い」【4】
「嘘、ホントに⁈」
だが、すぐに彼は笑顔になつた。
しかも今度は心からのものに見えた。
「いやあ、大したものですなあ! 何がって、その胆力! 囲まれて逃げ場が無いのに落ち着いた振る舞い! 天晴れでございます!」
「え、それって…」
タンデはきょろきょろを繰り返すばかり。
「ど、どっち⁈」
「いいから、タンデ。座りなよ」
愉快に笑った後、ネッチは再び酒を人数分注文した。
ちなみに、周囲の客には変わった様子など微塵も感じられない。
「少なくとも二十人はいますかなあ。こいつらに一斉に襲い掛かられたら、どうするおつもりだったんです?」
酒を奢ってもらった事に関して素直に例を述べたツーライは、赤く染まった顔でこう言った。
「二十人…? おかしいな、それはおかしい。ここには俺たちの仲間が十人いる。数が合わないじゃねえか」
ツーライとうすら笑いのネッチが睨み合う。
シャンとコムノバも目を合わせていた。
次の瞬間、ツーライとネッチは大きな声で笑い始めた。
タンデは一人、呆気に取られている。
しこたま笑った後、ネッチは自分のコップを持ち、ツーライのコップにこつんとぶつけた。
「いやあ、笑い過ぎて苦しくなってしまいました。皆さんは実に素晴らしく、楽しませてくれました」
「あんたも相当なもんだ。最後には俺も笑っちまった。愉快な野郎だ」
「まあいいでしょう。ホローニッドの件は他の人間に回しましょう」
ようやくネッチが諦めてくれた所で、シャンがお開きの声をかけた。
真っ先に出口へ向かったのは、最初の威勢が何処かへ行ってしまったタンデである。
ツーライたち三人も後に続く。
彼らが店を出て行くのを見届けた後、ネッチは自分のコップを空にした。
それから彼はゆっくりと立ち上がり、静かに店を後にした。
程なく、他の客もぞろぞろと出て行く。
その数、十人。
翌朝、二日酔いの頭を抱えながら畑へ来てみると、タンデが勢いよく走ってきて、ツーライたちに耳打ちした。
「あの監視役、急にいなくなったそうですよ。どういう事でしょう?」
「はあ、知らないわよ、イタタ、一身上の都合じゃないの」
飲み過ぎた事を後悔しつつ、彼らは畑へ向かう。
そこへ頭領のヤンドが別の問題を彼らの元へ運んできた。
ちなみに彼は酒を一滴も飲んでいないので、元気そのものである。
「他の労働者が消えたそうだ」
“八つ鳥の翼”と共に雇われた労働者のうちの数名が、いなくなっていたというのだ。
「畑の所有者が彼らの寝泊まりしている小屋へ行ったら、もぬけの殻だったんだと」
「数は?」
「え? ああ、確か十人とか…」
それを聞いて二日酔いの三人より先に、タンデが青ざめる。
「やっぱり、ネッチが⁈」
「知るかよ、そんなもん。たまたま十人が重労働に嫌気が差して逃げ出しただけかも知れんだろう」
「一体、何の話だ?」
気になるヤンドだったが、酒が抜けてから話すというシャンの言葉に渋々諦めた。
一方のネッチはイリバキの町から遠く離れていた。
もちろん、一人ではない。
彼が御する馬車の荷台には、目付きの悪い長身の男が座っていた。
その周りにも馬に乗った十人の男たちが。
「おいネッチ、こんなに急ぐ必要があったのか? 奴らは俺に手を出すつもりは無いと言ったんだろう?」
「それが本心なら、仲間を十人も潜ませておくはずがないでしょう。十一対十三だったんですよ、こっちが全滅してたかも知れません。ああ、危ない所でした」
「嘘をつきやがったのか、タチが悪い連中だな、“八つ鳥の翼”ってのは」
「ええ、ええ、極悪人でしょうな。きっとエルスなんてガキがスメロカを倒したってのもデタラメに違いありません!」
奴らにはスメロカを倒す実力があるとネッチは断言していた。
ネッチは時折振り返っては、追っ手が来てやしないかと確かめている。
「それで、これからどうするよ?」
「アレイセリオンへ戻ろうかと思っています。あそこを離れてからずいぶん月日が経ちました。そろそろ向こうも忘れている頃でしょうから」
空は曇り、ジメジメとしていた。
ここにいる誰もが、スッキリとした気分にはなれなかった。