第1章「ユドリカの苦難」【2】
すると見張り役の1人が自分の短刀を抜いた。
「おい、何をする気だ?」
「分かってんだろ? 気に入らねえんだよ、こいつ。大罪を犯しておきながら命だけは助けてもらってさ。罪はちゃんと償わなくちゃならねえよな」
「殺していいとは言われてないぞ」
「心配いらん。誰もいねえんだ。俺たちのせいになんかならねえよ」
男はそう言うと、短刀を振り上げてゲジョルに突き立てた。
ところが、何の手ごたえも無い。
それもそのはずで、握っていたはずの短刀が男の手から消えていたのだ。
次の瞬間、男の頭が首から離れてゴトリと地面に落ちたのだ。
もう1人の男はしばしの後、ひっ、と短い悲鳴をあげた。
短刀を奪い取り男の首を斬り落としたのはゲジョルであった。
ゲジョルはむくっと上体を起こし、生きている方の男に目を向けた。
頭蓋骨に皮膚が貼り付いただけの異様な顔に見つめられ、男は身体がすくむようだった。
「ま、待て、ゲジョル。落ち着け、俺は違う。殺そうとしたのは、こいつだけだ。俺は何もする気はないぞ」
大きな両眼がギョロリと不気味に輝く。
「でぺ…てめえも…食ったよなあ…俺の飯を…のご」
見張りの男たちはゲジョルの分の食料も自分たちで食べてしまっていたのだ。
しかし流石に何も与えないで死なせてしまっては自分たちが罪に問われると思い、水だけは与えていたのだ。
ネビンたちは見た、もう1人の男も首を斬られて頭が地面に転がる光景を。
「助けに参りましょう」
そう言って立ち上がろうとしたボウカの腕をネビンが掴んだ。
「早まるな。今のゲジョル様に無闇に近付くと、あいつらと同じ目に遭うぞ」
まずはこちらの存在を知らせる事だと、ネビンは近くにあった石を拾い、ゲジョルの方へ放り投げた。
石が地面に当たった音に反応し、ゲジョルはくるりと頭を向けた。
返り血で真っ赤に染まった彼の顔は、部下といえども近寄り難いと思わせるものであった。
「ゲジョル様ー! 私です、ネビンですぞ!」
やはり離れた位置のまま、ネビンはゲジョルに声をかけた。
「…けえ…」
ようやくネビンとボウカはゲジョルの元へやって来た。
どうやらゲジョルは身体に力が入らないようで、口を動かすのがやっとという状態であった。
「ぎい…腹ペコだ…うじ」
これで大の男2人の首を刎ねたのだから、その執念にボウカは身震いする思いだった。
ネビンは持っていたパンを細かくちぎり、ゲジョルの口へねじ入れ、水で流し込ませた。
それを数回繰り返すうち、ゲジョルの手がようやく動き、ネビンの手を止めた。
「ぶま…もういいよ…これ以上は…吐いちまう…えで」
その間にボウカが馬を2頭連れてきた。
2人してどうにかゲジョルを馬に乗せ、ネビンが同乗した。
ボウカがもう1頭に跨り、移動を始める。
「あの2人、あれで良かったのでしょうか?」
頭を落とされた見張り役の2人は、ネビンとボウカが穴に放り込んだ。
しばらくすれば骨だけになるのだろう。
「あんな末端の連中は、居なくなったとしても探してもらえるはずも無いさ。たとえば見つかったとしてゲジョル様や我々に疑いがかけられたとしても、しらばっくれるしかないな」
最古参の部下であるネビンは、似たような光景を幾度となく目にしてきた。
今更驚いたり狼狽えたりはしないのだ。
とはいえ同じ諜報部の者に手をかけたのだから、急いで遠くへ離れるべきだと考えた。
「ぐぶ…それで…どこへ…行くつもりだい…にめ」
「西です。エゾンモールの行方が分かりました。あのエルスとかいう少年の元仲間で“八つ鳥の翼”という何でも屋が西へ運んでいるようなのです」
エゾンモールとは大きな剣の名である。
かねてからゲジョルはその大剣を探し求めていた。
「らお…仕事…してるねえ…ぜれ」
「奴らは道中で路銀を稼ぎながら進んでいるようですから、こちらが急げば追い付けるでしょう」
馬上でネビンの背にもたれるゲジョルは、とにかく軽かった。
追跡を早めつつ、ゲジョルにもさっさと回復してもらわねばと願うネビンであった。