第2章「それぞれの帰路」【3】
「えーっと、辞めたりしないよね?」
「辞めたりなんてしませんわ。私、このお仕事が好きですから」
「そうよね。あなたがいなくなったら、私が困るもの」
ノシィは自分の耳を疑った。
もしかして、今のは?
「あら、まあ」
十二ヶ国による会合は終わったのだが、エルスはまだトミアの首都ディアザにいた。
骨折をしたり何だりと満身創痍となった為、入院しているのだ。
ゼオンに関しては左腕がぽっきりと折れた。
エルスより重症といえるだろう。
大部屋に幾つものベッドが並んだ中に二人は隣同士で横たわっている。
この部屋はほぼ満床で、患者の数に比例して見舞いの者なども大勢いた為、病院といえども賑やかであった。
「お前さん方があの連中をやっつけたんだろう?」
エルスの隣にいる入院患者の男が話しかけてきた。
「いやあ、もう病院中の噂になっててさ、俺もいつ話を切り出そうかと思ってたんだ」
エルスが倒したのは、ヤリデルやニューザンを含めてほんの数人。
エスリルケ軍の撤退に大きく貢献したかというと、首を傾げたくなる。
「ああ、俺たちは敵の総大将の息子を倒したんだ。俺たちの活躍無くしてディアザの解放は成し得なかっただろうな」
反対側からゼオンが頭を持ち上げて大袈裟に吹聴する。
次第に別の患者や見舞い客まで集まってきて、大きな人の輪が出来上がった。
小さな子もエルスの枕元に集まってきて、憧れの眼差しを向けてくる。
エルスは不慣れな愛想を振りまく事に神経を擦り減らし、話すのはゼオンの独壇場となっていた。
「そんな時にオバさんの剣士が現れてだなぁ…」
「そういえば、今日はアミネさんが来てないな」
エルスが呟いた。
いつもならこれくらいの時間に顔だけ出しにくるのだが、今日に限って姿が見えない。
ひょっとしたら病室の前まで来ていたのだが、人だかりができていたので逃げ帰ってしまったのかもとエルスは思った。
そんな事はなかった、アミネは見舞いに行ってなかった。
彼女は本城ディマルザ・ワイゼイに来ていた。
トミアの王宮呪術師コヴィータに招かれたのだ。
緊張でガチガチのまま、アミネは彼女の部屋へ案内された。
「いらっしゃい。わざわざ来てくれて感謝するわ。さあ、好きな所に座って」
年齢はネムレシアより上だと聞いているが、口調もしっかりとしていた。
ネムレシアのように“英雄”扱いではないにせよ、コヴィータもまた先の大戦で力を発揮した功労者である。
本城や国民からの信頼は厚い。
何よりアミネが嬉しかったのは、ネムレシアのように厳格な姿勢でなはく、あくまでも朗らかである事だった。
召使いがすぐにお茶を用意してくれた。
「トミアでは昔から飲まれてきた紅茶よ。ただこの品種は少し苦味があるから、今の人にはウケが悪いのよね」
アミネは口をつけてみたが、少しどころではない苦味が口の中いっぱいに広がった。
コヴィータの手前、顔をしかめないよう必死にこらえる。
その様子を、コヴィータはにっこりと柔らかに眺めていた。
「残念ながらネムレシアは本国へ帰っちゃったのよね。なんでも、やりかけの仕事があるとかで」
コヴィータによれば、ネムレシアはディアザがエスリルケ軍から解放された日、既にコルス国へ向けて旅立ったのだとか。
それでも、こうしてアミネがコヴィータと面会出来たのは、ネムレシアが手を回してくれていたからである。
自分のようなペーペーの呪術師を気にかけてくれていた事がアミネには嬉しい事であった。
「聞いたわよ、あの魔女を追いかけているんだって。偉いわねぇ」
魔女、と呼んでいるのかとアミネは複雑な思いがした。
それはかつてヴァヴィエラ・ルーローのみが冠した名称である。
コヴィータは元よりネムレシアでさえ、ヴァヴィエラには遠く及ばなかったという。
ただし魔女と呼んだのは、決して良い意味ではない。
それをまだ見ぬ強大な力の持ち主に与えたのは、どういう事だろうか。
「今は全く感じなくなってしまったけれど、あの時私たち世界中の呪術師が感じた力は、最盛期のヴァヴィエラを超えていたと私は確信しているわ」