第2章「それぞれの帰路」【2】
彼女の言葉の意味を理解出来ない程幼くはなく、その為ハシャルフは困る事になった。
きっぱりと断われるなら優柔不断と揶揄される事もないだろう。
疲労の為、ニマジレの気持ちをゆっくりと顧みる余裕もない。
「ニマジレ様、私は、その…」
言ってしまった。
結局自分から口にしてしまった。
相手に言わせてやると息巻いていたニマジレであったが、今日が最後と切羽詰まった中で思わず口走っていたのだ。
ただ、言ってしまった以上は仕方がない。
彼の反応を待つ。
戸惑うハシャルフを救ったのは、二人のいる部屋へ入ってきた十歳に満たない男の子であった。
「えっ、誰?」
ニマジレは驚いたが、ハシャルフは自然な態度でその子に視線を送った。
「ザルム、自分の部屋へ戻りなさい」
今のハシャルフの言い方には聞き覚えがあった。
ニマジレ自身も幼い頃、父王フリエダクの書斎へ侵入しては、そう言われたものだ。
親から子への、そんな言い方だとニマジレは感じた。
「あ、まさか…?」
「息子です」
存在はもちろん知っていた。
学生だったハシャルフが留学先で知り合った女性と恋に落ち、帰国した何年も後で自分の子が生まれていたと知った。
その女性が亡くなった事で、知らせが届いたのだ。
その留学先とは、クルル・レアだった。
そんな悲恋の噂は姉のマクミンが目ざとく見つけてきて、意気揚々と話していたのをニマジレは思い出した。
だから知ってはいたのだが、思ったより大きく成長しており、動揺せずにはいられなかった。
「ねえ、お話しって、いつ終わるの?」
「終わった時が、その時だよ。いいから、とにかく外へ出ていなさい」
ザルムはちらりとニマジレを睨み付けた後、渋々部屋から出て行った。
「……その後はあまり記憶が無いの」
馬車に揺られながら、ニマジレはノシィを前にその日の事を語っていた。
「ザルム君でしたっけ? ハシャルフ様のお子様を見ただけで日和っちゃうなんて、国を出る時から意気込んでいた割にはあっけないですね」
天井を見つめながらニマジレは答える。
「私とあの子って、年は五つくらいしか変わらないのよ。もしもハシャルフ様と結婚して、あの子に“お母様”なんて呼ばれるのは想像出来ない、いやいや想像したくないでしょう?」
ザルムが部屋から出て行った後は、気まずい二人が残るだけとなり、尻すぼみな状態でニマジレも退室した。
「でもまあ、これでようやく姫様の夢見物語も一件落着ですね。ずいぶんと振り回されましたけど」
「これから私どうなるのかしら? 国でどこかの貴族とお見合いして結婚して子供産んで育ててお茶会や舞踏会に出て歳食って死んでいくのよね」
「そんなのまだ先の話じゃないですか。ユーメシア姫様やマクミン姫様の婚礼だって決まってないのに」
長女と次女の顔が浮かぶ。
国を出るまでは疎ましいとしか思っていなかったのに、今はとても懐かしい。
「帰ったら二人とも旦那様がいたりして」
「さすがにニマジレ姫様の帰りを待つでしょう? いくらワガママで聞き分けのない三女だからって」
「……私って、ワガママだったの?」
「自覚がないって、幸せな事ですわ」
まだ天井をぼーっと見つめていた。
「ねえ、ノシィ?」
「何でしょう?」
「あなた最近、ずいぶんと酷い物言いになったんじゃない?」
「あら、そうですか?」
「え?」
「冗談ですよ、自覚あります」
「それって意図的に酷い事を言ってるってことよね」
「これでも気を遣ってますよ。ただ気を遣い過ぎるのは止めたんです」
「私のワガママに飽きたから?」
ノシィは、ふふっ、と笑う。
「違います。人生で一番怖い思いをしたからです」
ディアザ市で賊に踏み込まれた経験によって、考えが少し変わったらしい。
「他の国の正規兵の方で亡くなった方もいらっしゃったと聞いて、人間っていつ死ぬか分からないんだなーって思ったんです」
チルダスは無事だったし、ミデットも軽傷で済んだ。
「明日どうなるかも分からないのに、いつまでも姫様のワガママの言いなりになるなんて損してるって思っただけです」