第12章「ヌウラの祈り」【6】
テネリミが力無く地面に仰向けに倒れたと同時に、ミジャルは身体の自由を取り戻した。
だが次の行動を取ろうとした際、彼は一瞬躊躇した。
ヌウラとテネリミ、どちらを選べば良いのかと。
祈るヌウラを止めるか、テネリミを介抱するかの二択である。
ヌウラが祈りを始めた事とテネリミが倒れた事は、決して偶然ではないだろうと彼は確信していた。
しかしテネリミが気を失うまでに至るなら、それはヌウラの力が戻ったという事なのだろうとも。
それにしても、祈っただけで同じ呪術師に多大な影響を与えるとは、彼女の言う通り恐ろしい力だとミジャルも息を呑んだ。
やはり、ラーキン村近隣を巡って結束を高めようと集会を開いていた頃、人々がヌウラを崇めていたのは、ヌウラの力なのかとあらためて思う。
では、ヌウラを止めるべきなのか。
いや、だったら彼女の力はもっと先にまで届いているはずだ。
このまま続けさせる方がいいのか。
テネリミは、未だ倒れたままである。
今すべきは彼女の介抱でもない。
足が自然と動き出す。
仲間の兵の外を周り、先頭まで出て来たが、それでも彼は止まらない。
「どこへ行く、ミジャル?」
ツヴォネディに見つかり、立ち止まる。
「要塞の中へ行きます。事態が急転しているかもしれません!」
「…何を根拠に、そんな…」
「私は鎧を着けていません。奴らに紛れ込めるでしょう。確かめたいのです、行かせてください!」
ミジャルの目を見たツヴォネディは、そこに並々ならぬものを感じた。
「気を付けて行け、決して無茶はするな」
その言葉と同時に、ミジャルは弾けるように再び走り出した。
要塞で何が起きているか。
恐れはあるが、胸の高まりも感じているミジャルであった。
ヌウラが祈りを始めた頃、要塞の中ではナポーヒ隊とリャガ隊の睨み合いが続いていた。
このままでは、何も出来ぬままいたずらに時間だけが過ぎていく。
さっきの大きな音は何だったのか、クワンたちはどうなったのか、リャガは焦れるしか無かった。
こんな時、辛抱弱いケベスが無茶をしてくれないものかと期待したが、彼もまたじっと動かないでいる。
この先の事、ガーディエフ軍全体の事を考えての不動の構えだろうか。
「リャガ様、あれを!」
部下に呼ばれて我に帰ると、目の前が異常な光景に変わっていた。
ナポーヒ隊の持つ全ての盾が赤く染まっていた。
テネリミが術をかけようとした時と同じかと、始めリャガはそう思った。
だが違う、盾はどんどん赤色が濃くなっていくのだ。
まるで高熱を帯びているかのよう。
すると盾がぐにゃぐにゃと波打つように曲がり始めた。
風になびく紙のように。
あれは剣撃も防ぐ硬い材質ではなかったのか?
「ナポーヒ様、盾が!」
「分かっておる! だがこれはどういう状態なのだ?」
彼らは何もしていない、ただ手に持っているだけなのに。
やがて波が大きくなり、生き物のように変形し始める。
原型をとどめぬその姿は、無機質な盾とは到底思えなかった。
「ぐあっ!」
ナポーヒ隊の兵の持つ盾の一つが、変形に耐え切れぬように、粉々に砕け散った。
それは伝染するように、他の兵の盾も次々に破裂していく。
当然のようにナポーヒの盾も砕け散る。
破片が鎧を直撃し、その勢いに驚いて尻餅をつく兵もいる。
「一体何が起きているのだ⁈」
ケベスがそう叫ぶのはもっともだが、リャガは答えられない。
だが次の瞬間、彼らは更に驚く光景を目にする事となる。
十五人が横並びになっていたナポーヒ隊が、真ん中から左右に分かれていく。
ナポーヒはリャガから向かって右の組にいる。
彼らは左右の端に固まり、ぽっかりと間が空いた。
まるで通ってくれと言わんばかりに。
「…良いのか?」
前進しようとしたケベスを、リャガは止めなかった。
ナポーヒは突っ立ったまま、動くどころか喋ろうともしないのだ。
「リャガ隊、進め」
ケベスを先頭に、リャガも歩を進める。
部下たちも続く。
先ほどまで一人も通さんと壁になっていたナポーヒ隊は、リャガ隊が間を通り抜ける間も、ただそこに立っているだけであった。