第12章「ヌウラの祈り」【5】
「そうなのか?」
ヤーシャは頷いた。
「”彼女“が誰かは分からないけど、恐ろしい力を持っているわ。世界を変えてしまう程の」
「どうしたらいい? 何か出来る事はあるか?」
ヤーシャは頭を振った。
「どうすればいいのか、私にも分からない。私なんかの力では、到底“彼女“には叶わないから」
母が目を覚ましたと聞いて、ホレストが妹と弟を連れて病室までやって来た。
レーナとオムは母の笑顔を見て無邪気に喜んでいるが、ホレストは違った。
両親が深刻な話をしているのだと気付いていた。
「ネムレシア様⁈」
コルス国の王宮呪術師ネムレシアは、トミアから本国へ帰る途中、馬車の中で突如倒れた。
慌てふためくのはユリシアである。
すぐに同行の別の馬車から医師が飛んできた。
「ここまでずっと体調を崩される事もなかったのに…」
診察を行う医師は、顔を上げて深く息を吐いた。
「むう…心臓の動きに異常は見られない。ただ原因は不明だが、命に別状は無さそうだ」
「原因が不明なのに安心しろっていうのですか? そんなの無理です。だって、つい先ほどまで楽しくおしゃべりをされていて、“リグ・バーグではあのパンを食べたいわ。ええと、何て言った…”っておっしゃりながら倒れたんですよ!」
ユリシアに捲し立てられた医師だが、慣れているのか動じてはいない様子だ。
「今のところは眠っているだけのようなので、このまま様子を見よう。過労か心的要因かはネムレシア様の目が覚めてから確認するしかないな」
ネムレシアの目覚めには五日を要した。
安堵の表情を浮かべるユリシアをよそに、ネムレシアは寝過ぎたと頭が重そうである。
「お腹が空いたし、喉も乾いたわ」
肉やスープをもりもりと食する姿は、寝起きとは思えぬほどであった。
「生きていたのね」
「当たり前です。ネムレシア様が亡くなられるなんて、あってはならない事です!」
「縁起でもない事を言わないでちょうだい。私の事じゃないのだから」
「はい?」
白い布で口を拭ったネムレシアは、機嫌が良さそうであった。
「再び姿を現したのよ、例の化け物が。まったく、今までどこに雲隠れしていたのかしら」
「以前に体調を悪くされた時と同じ呪術師ですか?」
「そうよ、あの時と同じ。だけど今回は私でさえ一瞬で意識を奪われた」
「そうなんです。“リグ・バーグではあのパンを…”」
気を失う直前の言葉を再現しようとしたユリシアを、手を上げて制した。
「一体何をするつもりなのかしら。世界中の呪術師を全滅させるなんて、考えているんじゃないでしょうね」
「そんな、恐ろしい事…」
「…コルスにいるかもしれない」
ネムレシアは神経を集中させていた。
流石にユリシアも口を閉ざす。
馬車の外では護衛の正規兵が休憩を取っている。
幾ばくかの静かな時が流れていた。
「いるわね、コルスに」
「まあ、どうしましょう」
「間に合うといいけど」
「当たり前です! 本国へ辿り着くまでネムレシア様の御命は必ず保ちます!」
「あなた、再教育が必要ね」
城勤の呪術師がバタバタと倒れた事で、フェリノア王国の本城オレルメアタールでは騒ぎになっていた。
庭園で、廊下で、会議室で、挙げ句は玉座でもと、場所を選ばず彼女たちは気を失った。
「呪術師だけなのかい? どうして?」
国王付きの諜報員コザは、得体の知れない事態に表情を曇らせている。
「以前に同じ様な事が起きましたが、あの時倒れたのは半分にも満たない数でした。しかし今回は全員です」
コザの元へ訪れた彼の部下も、現状を報告するしかなかった。
国内の呪術師で最高の位を持つ者も、糸の切れた操り人形のようにストンと倒れ伏したのだという。
「困ったね、何も分からないでは手の打ちようもないって事だろう? 国外の者に調べてもらうとしようか」
周辺十一ヶ国から嫌われている超大国に、他国から情報が寄せられるのはあまり期待出来ない。
「御意」
部下は即座に姿を消した。
「リドルバ様がご不在の時に、何かが起きました、でも原因は不明です、だなんて冗談じゃないよね…」