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 突然だが、私には前世の記憶がある。

 しかも定番の前世では、乙女ゲームを嗜んだり、悪役令嬢もののネット小説を喜んで読み漁ったりしていたタイプの人間だった。さらに気が付けば今世では公爵令嬢だったのだから、それはもう前世の記憶を取り戻した当初は怯えたものだ。

 幼いころから抗う間もなく王太子となる予定の第一王子の婚約者候補だったし、この世界には貴族が通う学園もある。国名や人名に覚えはなかったけど、私が知らないか覚えていない作品の中に転生したのかもしれないと思って、ずっと心のどこかで怯えていた。

 前世の感覚では身分社会がしっくりこなかったが、せめてとノブレス・オブリージュを実践してきたし、王子とも恋愛感情は努力しても生まれるものではないので難しかったが、幼馴染として将来は王と王妃として国をよくするため助け合って育ってきたつもりだ。

 そうして、ヒロインも登場せず、婚約破棄イベントも発生せず学園を無事卒業し、結婚式に至ったときには、これでもう大丈夫だと思った。ここは乙女ゲームや悪役令嬢もののネット小説の世界ではないのだと。

 なのに、これだよ。

 王太子妃となり、そして王妃となって、大変な日々の中で、陛下との間で、幼馴染としての友情から、家族としての愛情を育てていけると思い始めた頃、それは起こった。

 聖なる魔法に目覚めた聖女が現れたのだ。それも定番の平民育ちの男爵令嬢。今更……!?と思ったものの、陛下とは良い関係を築いてきたとも思っていたから、当初は静観していたのだ。

 それが!あっという間にあれだよ!

 もちろん途中からはこうなるかもしれないと予測ができたから、私も我が実家も準備はしていたわけだが。王妃宮からの撤収も、あの聖女様にいやがらせをされたなどと言い出されては面倒だからだ。前世の知識からの考えすぎかもしれないが、ああなっては、いずれにせよ私はもう王妃ではいられないだろう。陛下が国王ではいられないのだから。

 陛下が聖女を公の場で優先し、王妃である私が王妃宮を出たことで、あの夜、これからこの国の体制が変化することが決定的になった。そこで、我が家だけではなく、ほとんどの貴族や有力な商人達は次の体制へ向けて動き出した。みんな次の体制への準備を始めたのだ。

 そう、みんな、だと思っていた。しかし違ったのだ。しかも肝心な人が違ったという。

「来たか、グレーテ」

陛下に呼び出されたので、てっきり今後の方針についてのすり合わせかと思ったが、何だか雰囲気がおかしい。バールケ男爵令嬢がいるのは、まあ今後に関わってくる人であるのでいいのだが、その殊勝な顔の下の勝ち誇った雰囲気は何なのだろうか。

「王妃宮の侍女たちが、私の真実の愛を勝ち得たアーダに嫌がらせをしているらしいではないか」

「はい?」

いきなり何を言い出すのだろうか。

「自分の指示ではないと言い訳するのかもしれないが、いずれにせよ侍女を御せていないのは王妃としての資質に欠けるのではないか」

本当にいきなり何を言い出すのか、この陛下は。

「お言葉ですが、現在王妃宮は空ですわ」

「何?そんなわけが……」

 間の抜けた反論をしようとする陛下を遮って、

「ですわよね、ロルフ」

陛下のそばに控えている侍従長にふった。

「はい。確かに王妃宮は先日の夜会の翌日から閉鎖されています」

自分の側の人間であると思っている侍従長に肯定され、陛下がぐっと黙る。

「ですから、侍女がその方に嫌がらせをしているのでしたら、陛下付の侍女ということになりますわね」

侍女も御せないとは。と言外に込めてみると、伝わったらしい。陛下は言い返せず唸っている。

 そこへ、侍従の1人が入ってきて、ロルフに何かささやいた。ロルフは頷いて侍従を扉のほうへ向かわせる。

「ヴォーヴェライト公爵とヴュルツナー公爵がお見えです」

どうやら譲位されて今は新たな公爵位についている前王と、王弟殿下がいらしたらしい。

 ……ロルフの仕込みかしら。陛下はロルフを自分の側の人間だと思っているようだが、彼は王宮の侍従長だ。王家の、国の側の人間なのだ。すばらしい能力の持ち主で、我が家でも王宮内での陛下とバールケ男爵令嬢の正確な動静はつかめていないほどの情報統制を王宮内で敷いている。おかげで陛下とバールケ男爵令嬢がここまで馬鹿なことになっていると気が付けなかったわけだ。その間にロルフは正しく王家のために動いていたらしい。

「な、なぜ……」

陛下も戸惑っているから、知らなかったのだろう。陛下が戸惑っている間にも再び扉が開かれ、ヴォーヴェライト公爵とヴュルツナー公爵が入ってきた。

「ち、父上どうされたのです」

「何、お前が今後の相談を王妃としているというから、クレーメンスと共に参加させてもらおうと思ってな」

何を話そうとしていたのかも伝わっているはずなのに、素知らぬ顔でヴォーヴェライト公爵は答え、

「久しいな、グレーテ」

私にご挨拶してくださった。

「ご無沙汰しております」

私は立ち上がってカーテシーで応える。陛下はともかく、ぼんやりと座っているバールケ男爵令嬢を思わずちらっと見たが、まあ今更だ。

 諦めて視線をそらしたとき、

「陛下は、私のために王妃を問い詰めてくださったのです」

バールケ男爵令嬢がいきなり話し出した。っておい。空気を読め。

 何気ないふりをしていてくれたヴォーヴェライト公爵とヴュルツナー公爵の纏う空気が一気に冷える。

「そなたに発言を許してはいないが」

「アーダっ」

さすがに陛下が慌ててバールケ男爵令嬢を制している。バールケ男爵令嬢は不満そうな表情ではあるが、一応黙った。のだが、

「で、いつクレーメンスに王位を譲るのだ」

ヴォーヴェライト公爵が話を切り出すと、

「王位を譲る!?」

バールケ男爵令嬢はまた口を開いた。また今度は随分大きな声で。

「アーダ、頼むから黙っていてくれ」

陛下が懇願するように言うとやっと彼女は黙った。不満そうな表情のままで。……ヴォーヴェライト公爵とヴュルツナー公爵の視線の冷たいこと冷たいこと。私もここにいなければいけませんか……?そばにいるこちらのほうが寒いわ。

「王妃の引継ぎについては進んでいるだろうか」

「はい。王妃宮はすでにいつでもヴュルツナー公爵夫人に王妃としてお入りいただけるようになっておりますし、夫人と王妃の職責についても引継ぎを始めていますわ」

譲位のスケジュールをどう考えているのかとプレッシャーをかけるためだろう、ヴォーヴェライト公爵がこちらに話をお振りになったので、当然のことのように答えておく。しかし、引継ぎか。王とか王妃とか言っても、前世で経験した退職や異動のときの仕事の引継ぎみたいなことは同じように発生するのだ。

 そんなことを考えていると、

「それで、お前はどうしているのだ」

真正面からヴォーヴェライト公爵が陛下に圧力をかけている。

「聖女が現れれば、その者は王家の者と結ばれる」

そこまで聞いて、バールケ男爵令嬢は表情を輝かせたが、先ほどの態度だと彼女は知らないのだろう、続きがあるのだ。

「そして、その者は王位に就くことはできず、一代限りの公爵となる。それがしきたりだ。お前の場合にはすでに王位に就いているが、聖女と婚姻するのであればその前に退位することになる」

わかっているなとヴォーヴェライト公爵は圧力を強めている。

 そう、わかっているはずなのだ、この国の貴族ならこのしきたりのことは。さすがに陛下が知らないはずはない。暗愚なわけではないはず、なのだから。

「……わかっております。クレーメンス、引継ぎはすぐに始める」

忘れていた、とは言えない陛下がぐっと言葉に詰まった後、それでも大人しく頷いた。

「ええ、そうしてください」

ヴュルツナー公爵がにこやかに頷いている。

 内心色々思っているんだろうなぁ。陛下がバールケ男爵令嬢に選ばれそうだと聞いたときの第一声が、王位に就かなくて済むはずだったのに!だったと聞いているし、王妃の引継ぎが始まっているのに、陛下から引き継ぎの話が全くないことに内内ではイライラしていたとも聞いている。

 誰からって?ヴュルツナー公爵夫人からだ。もともと私と彼女は仲がいいし、彼女は優秀なので引継ぎもそれほど大変ではないから、引継ぎの合間に雑談する余裕くらいはある。

「そんな……」

バールケ男爵令嬢がまだ不服そうな表情をしているが、この人が誰かを選べばその人は王位についていることはできないことは古からの定めで、覆せないことだ。

 というか。あなたに王妃は無理でしょう。まずはマナーとかマナーとか。それに王妃は綺麗に着飾って微笑んでいればいいというわけにはいかないから、様々な知識がいるし、その知識は増やしたりアップデートしていかなければならない。……そうか!もう私はそんなことをしなくていいんだ!

「グレーテには申し訳ないことになった」

「いえ、全くそんなことはありませんわ」

王妃の職責から解放されるのかと改めて思い至ると、私は、ヴォーヴェライト公爵のお言葉に、晴れ晴れとした気持ちで心から答えた。

「全くそんなことはないのか……?」

陛下が愕然とした表情で私を見ている。……この人は私が自分の妻の地位に執着していると思っていたのだろうか。

「ええ、全く。私たちの間にあったのは、友愛でしたでしょう?」

それに王妃の職責から解放されるのは嬉しいとは、横にその職責を担うことになる妻をもつヴュルツナー公爵の前で明言するのは憚られたので、やめておく。まあ、彼は察しているようで苦笑しているけど。

「それもこの度の仕打ちですっかりなくなりましたわ!」

「それは……」

だから、なぜそんなショックを受けたような顔をしているのだ。

 婚姻中だというのに堂々と他の女にうつつを抜かし、こちらに誠意をもって説明することすらせず、挙句に今日の断罪もどきだ。こちらからすれば、どうして友愛すらすっかりなくなると思わないのか不思議なくらいだ。

「グレーテの今後についてはクレーメンスとも相談しているから」

悪いようにはしないとヴォーヴェライト公爵がおっしゃって、ヴュルツナー公爵もうなずいている。

「ありがとうございます」

まあ、父も何とでもしてやると言ってくれているから、何とかなるだろう。私1人くらい我が実家の財産からすれば何てことない。

 そんなやり取りの間に、

「何で……私は愛されて王妃になるはずなのに……悪役令嬢のはずなのに……」

何だか不穏なワードがバールケ男爵令嬢から聞こえてくる。……この人もしや私と同じ前世の記憶持ち?最近聖女だと名乗り出たのは、もしや記憶がよみがえるのが最近だったからとか……?等と思い至ってしまったが、もう関係がないことだ。

 というか関わらないほうがいい気がとてもする。

「私はお先に失礼させていただいても……?」

マナー違反かもしれないが、私が言い出すと、

「ああ、時間を取らせて悪かったな」

ヴォーヴェライト公爵がうなずいてくださったので、さっさと退出してしまうことにする。

 先日の夜会でもういいと思ったとき、解放されようと決めたけれど、その後引継ぎだ根回しだと慌ただしくて実感が持てなかった。それが、さっき王妃の職責から解放されるのかと改めて思い至ったとき、前世の記憶を取り戻したときから抱いていた、悪役令嬢(正確にはもう悪役王妃かしら?)になるかもしれないという不安や何もかもから解放されるのだとやっと実感できた。

 ということで、バカバカしい断罪のために呼ばれていたにもかかわらず、私はすっきりとした気持ちで王宮を後にすることができたのだった。

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