タイムカプセル
就職1年目の春。慣れない環境と忙しい仕事に体調を崩して、休暇をもらって地元に帰ってきていた。
高校に進学する時に上京して、最後に帰ったのは大学1年の時だから、実に4年ぶりの地元だ。
虫をとって遊んだ広場だけの公園も、ぺんぺん草まみれだった荒地も、今ではすっかり舗装されて、立派なマンションが立ち並ぶ。
小さな男の子がホッピングに乗って目の前を通りすぎた。ここで暮らしていた7年前とは、すっかり様子が変わってしまったようだ。
久しぶりの地元で与えられた時間は2週間。時間を持て余した僕は、中学卒業後、疎遠になっていた友達にSNSで話しかけてみる。どうせ返事は来ないと思っていたが、意外にもあっさりと返事が来た。
「お前を待っていたんだ」
メッセージには、そう書かれていた。
地元の工務店で働いているという友達。仕事の合間を縫って、会ってくれることになった。
タクとは、小学生の頃は毎日のように遊ぶ仲だった。遊び場は主に学校近くの公園で、秘密基地を作ったり、よく木を登ったりして遊んだものだ。だけど、中学でクラスが別になり、部活が別になり、僕が塾に通うようになってからは、話す機会が徐々に減っていった。
関係を継続したいという気持ちはあったが、あの時はお互いに新しい生活に一生懸命で、後に残ったのは使われているかわからない携帯電話の番号とメールアドレスだけ。何度も連絡しようと思ったが、その度に時間の隔たりによって妨げられたのだった。
+++
久しぶりに会った彼は、ほとんど知らない彼だった。
野球部に所属して丸坊主だった髪は、今流行りのツーブロックに。当時はファッションなんか興味なかったくせに、なんだか小洒落たジャケットを羽織っている。
声を聞くまでは、本当にタクかすら、確信が持てなかった。
僕らは駅前の小さなファミレスに入って、ドリンクバーだけを注文した。
「このファミレス、前はなかったよな。学生時代にあれば、みんなで集まったりして楽しかっただろうに」
僕はそんな世間話を開始する。今日はこうしてまったりと思い出に浸る日、そう考えていたからだ。
しかし、タクから出た言葉はそんな平和ボケした僕の脳内を一瞬で叩き起こした。
「お前は知らないと思うけどさ。
――俺さ、殺人事件の容疑者にされたんだよ」
殺人事件、容疑者、全てが現実離れしていて、全くもってピンとこない。
しかし、彼の顔は至って真面目だし、僕の知っている彼はそんな悪い冗談を言う人ではない。
「どういうこと」
絞り出した一言で、どうにか先を促す。
「もう、7年も前のことになるか。覚えてるか、桜の木の下に埋めたタイムカプセルを掘りに行った時のこと」
「ああ」
小学校を卒業するとき、僕らはいつも登って遊んでいた桜の木の下にタイムカプセルを埋めた。3年後、中学を卒業する時に掘り返しに行こう、そう約束して。
中学3年の3月。2人の関係はとっくに薄れていたが、約束を果たすために久しぶりに公園で会うことになった。
公園の様子はほとんど変わっていなかったが、中には遊具が使えなくなっていたり、木が切り倒されて切り株になっていたりした。僕らは真っ先にタイムカプセルを埋めたあの桜の木の下に行き、埋めた場所を確かめる。意外にも、確かにここだと2人は確信していた。
持ってきたスコップを握り、掘り進める。20分ほど掘り進めた頃、異変に気づき始めた。掘っても掘っても、出てくるのは桜の木の根ばかりで、一向に埋めたはずの缶箱にあたらない。
「こんな深くに埋めたっけ」
タクが疑問を口にする。僕も同じ思いだ。
今よりも力がなかった小学6年生が、固い土をこんな深くまで掘り進めるはずはない。
「埋めた場所、ここじゃなかったのかな。向こう側も掘ってみる?」
さすがにこれ以上深いはずがないと思った僕らは、木の反対側を掘り始める。
しかし、やはり缶箱は出てこない。
日が沈みかかるまでその桜の木の周りを掘り起こしたが、ついに缶箱が顔を出すことはなかった。
その日が事実上、僕らの今日までの別れの日にもなった。
「――あの時はさ、ただ埋めた場所を勘違いしただけだと思ってたんだ」
タクは飲み終わったメロンソーダを、ズルズル音を立てて吸う。
確かにあの公園に桜の木は数えきれないほどあるし、記憶違いの可能性は大いにある。
それに、あそこは公共の遊び場だ。きっと、3年の間に公園を管理する人に掘り起こされて撤去されたんだ。夢はないが、きっとそういうオチなのだろう。
「だけど、そのタイムカプセルと殺人事件の容疑者というのはどう関係あるの?」
タクはメロンソーダを啜るのを止める。
平日の真っ昼間だからか、店内は僕ら以外に客がいない。やけに店内が静まり返る。
「まずは、樽岩川の河川敷で起きた殺人事件の話からしよう」
一息おいて、タクが語り始める。
「高校2年生の夏頃、高校の近くの樽岩川で起きた凄惨な事件が話題になった。近所の学校に通う女子中学生が、何者かに殴られた後、川に突き落とされて亡くなったんだ。現場の様子は、被害者の女性が逃げ回ったのか、高く生えた雑草が打ち倒されていたそうだ。
犯人が特定されなかったため、数日の間、俺たちの高校も休校になった。外出も禁止され、ただ家で宿題をやる日々を過ごした。
だけど、そんな日々はすぐに終わりを迎えた。犯人が女性の血を拭いとるのに使ったと思われるハンカチが見つかったのだ。そのハンカチからは犯人のものと見られる唾液が検出され、DNA鑑定によって一人の人物にたどり着いた」
タクは肘をついて、頭を抱えるような姿勢になる。
僕はおもむろに立ち上がり、ドリンクバーにアイスティーを取りに行く。いつの間にか、店内の店員が変わっていた。タクの前にそっとアイスティーを差し出す。
「その日、うちに警察が来たんだ。すごく驚いたが、事件のこともあるし、すぐに目撃情報の協力依頼だろうと思った」
「――でも、そうじゃなかった。奴らは逮捕状を持ってきたんだ。母でも、父でもなく、この俺に。
その後のことはよく覚えていない。ただ聞かれたことに、イエスかノーで答えて、トントン拍子に手続きが進んでいった。頭の中が真っ白になって、反論することも何もできなかった。
理解できたのは、証拠品のハンカチが俺が小学校の家庭科の授業で作ったハンカチだということ。事件が起きた場所は、ちょうど俺の通学路だったということ。たまたまあの日は帰ったのが遅くて、アリバイがないということ。父が、母が、必死に俺の味方をしてくれたということ」
タクは涙を堪えるように、グッと唇を噛み締める。
僕はカバンの中からティッシュを取り出す。
「結局、証拠不十分で不起訴になった。だけど、そのごたごたで甲子園どころではなくなったし、大学受験だって上手くいかなかった。それで今は、仕事を選ぶ余裕なんてなくて、地元の小さな工務店で昼夜問わず働いている。
それに何より、あの目が、町の人たちが俺に向ける軽蔑したような目が恐ろしいんだよ。あぁ、でも、工務店の人たちはそういう目で俺を見ないから、居心地が良いんだけどね」
タクは少しだけ救われたような表情をする。
「俺なぁ、悔しいんだよ。たった一枚のハンカチのせいで、人生狂わされてさ。父ちゃんと母ちゃんに、それに弟にもたくさん迷惑かけたんだ。悔しいんだよ、ダイキぃ」
タクの目から溢れる涙が止まらない。
気づいたら、僕の目の前も涙で霞んでいた。
しばらく泣きじゃくった後、タクは再び話し始める。
「タイムカプセルに入れた物、お互いにまだ話してなかったよな。俺はな、そのとき大事にしてたもんをいろいろ詰め込んだんだ。ハマってたカードゲームのカードに、金ピカの折り紙で折った鶴、あとは遠い親戚が持って帰ってきた甲子園の土とか。バカだよな、本当に大事なものは手元に置いておかなきゃいけなかったのに」
そう言って一瞬楽しそうに笑うが、すぐに表情が曇る。
「そのハンカチも、そこに入れたんだ。天狗みたいな顔の家庭科の先生にもよく出来てるって褒められたし、それを聞いて母ちゃんも珍しく褒めてくれた。だから大事に使ってたんだけど、ふとタイムカプセルに入れようって思ったんだ。そう、だから、確実に、俺はタイムカプセルに入れたんだ」
険しい表情でアイスティーの水面を見つめる。
そして、スっと僕の顔を見据えた。
「なぁ、おかしいと思わないか。タイムカプセルに入れたはずのハンカチが、事件現場で発見されるなんて。しかも、俺らがタイムカプセルを掘りに行った時には、見つからなかったのに」
それもそうだ。タイムカプセルに入れたものが、どうしてそんなところで見つかるのか。仮にタクが犯人だったとしても、わざわざ何年もタイムカプセルで眠らせたものを使う理由なんてない。
そこまで考えた時、背筋が凍りつくような思いをした。
「僕らが掘りに行く前に、犯人の手によって掘り返されていたということか。
どこで知ったかわからないが、偶然にもタイムカプセルが埋まってることを知った犯人が、罪をタクに擦り付けるためにあえて現場に残して行ったとしたら」
「ありえるな。でもよ、わざわざタイムカプセルを掘り起こしてまで証拠品を作るか?その辺の誰かが落としたハンカチを使った方がよっぽど手っ取り早いんじゃないか?」
もっともだ。
でも、きっとそれではダメな理由があったんだ。
「うーん、誰かが落としたハンカチなら、その誰かが探しに来る可能性が高いし、警察に特定されるリスクもある。その点、タイムカプセルはその性質上ずいぶん前に埋められたものだし、埋めた人物と犯人は接点がなく、犯人にたどり着くのは限りなく難しい……とか。
――もしくは、タクが犯人から恨みを買っているとか」
我ながらあっぱれな探偵ぶりだ。普段推理なんて全くしないくせに、友達が関わっているとなるとこんなにも真剣になれるのか。
「でもやっぱり一番の疑問は、どうやってあの桜の木の下にタイムカプセルが埋まってると知ったか、だろ?」
タクの眼差しを見て、嫌な予感がした。
「タイムカプセルの場所を知ってる可能性があるのは、俺とお前、そしてタイムカプセルを埋めるのを偶然見てた人。
――なぁ、ダイキ。お前、他の誰かに話したか?」
「話してない、と思う。タイムカプセルのことを話したとしても、場所までは言わないよ」
そして、嫌な予感は的中する。
「じゃあ、もう一つ、確認したいことがある。7年前のあの日、2人でタイムカプセルを掘りに行くより前に、タイムカプセルを掘り起こしたか?」
タクが今日ここで、会おうと言ったのは、これを聞くためだったのだろう。タクはSNSのメッセージで「お前を待っていた」そう送ってきた。その言葉の本当の意味が、今わかった気がした。
心臓がドクドクと脈打つ。何も後ろめたいことはないのに、緊張で額から汗が流れて止まらない。
友達に疑われるというのはこんな気持ちなのか。
「掘り起こしていない。断じて、ない」
僕はことさら、タクの目を真っ直ぐ見据えて答えた。
タクはしばらく硬い表情をしていたが、ふっと頬が緩む。
「よかった。俺はその言葉をこの7年間ずっと待っていたんだ。多くのものを失ったけど、大切なものはちゃんと手元に残る。なぁ、そうだろう?」
「信じて、くれるのか?」
「ああ。信じる。釈放されてから、いろいろと人間不信に陥ることが多かったんだけどよ。中には本当に優しく手を差し伸べてくれる人がいて。何もかも失っても、自分の心だけは奪われちゃいけねぇなって思ったんだよ」
どんな状況下でも、人を信じることができる。そうだ、昔からタクはそういう奴だった。
久しぶりに会ったタクは、まるで変わっていなかった。
+++
衝撃的な再会の日から一夜明けて。
ちょっとした探偵の真似ごとを始めた。手始めに、中学卒業当時のことをいろいろと調べていた。僕は高校から上京しているので事件当時のことはよくわからないが、タイムカプセルを手がかりにすれば何かわかるかもしれないと思ったからだ。
最近あまりコミュニケーションを取っていなかった母とも、少しだけ話してみる。
「あのさ、僕が埋めたタイムカプセルのこと、何か知ってる?」
「タイムカプセル?あんたそれ、出てこなかったって騒いでたじゃない」
すごい、母はタイムカプセルのことをちゃんと覚えていた。
当事者の僕さえ、タクから言われるまで忘れていたというのに。
「もしかして、タイムカプセル埋めた場所も知ってる?」
「もちろん。公園の桜の木の下でしょ?ぐるーっと1周掘り起こしたけど何も出てこなかったって、言ってたじゃない」
僕は開いた口が塞がらない。そんなまさか、僕がタイムカプセルの場所を言いふらしていたのか?
いや、でも待て。それは中学卒業時に掘り起こしに行った後の話。犯人が場所を知って掘ったとしたら、それより前のことだ。
「その埋めた場所って、小学生の時とか、だからその、掘り起こす前にも話した?」
「いや、話してないんじゃないかな。あの頃はほら、反抗期で、何聞いても知らない、教えない、みたいな感じだったから。私だけじゃなくて、担任の先生にまで反抗してたからね」
「担任の先生?誰だっけ?」
「ほら、6年生の時の本庄先生、天狗みたいな顔した。あなたが言うこと聞かないって私が怒られたのよ。だからほら、誰にも話してないんじゃない?」
それが本当なら、僕がタイムカプセルの場所を話してしまった線は薄そうだ。それにしても、天狗みたいな顔の本庄先生って、タクが言ってた家庭科の先生のことだろうか。
「本庄先生は、今どこの学校にいるんだろ」
「とっくにやめたわよ。やめた理由は明かされなかったけど、何か問題を起こしたんじゃないかって井戸端会議でみんな話してたわ」
なるほど、本庄先生か。タクは褒められたって喜んでたけど、顔も怖かったし、僕はあんまり良い印象がない。
+++
更なる情報収集のため、公園の管理所に来ていた。
「お邪魔します。お忙しいところ、すみません」
公園の公衆トイレ横に設置された、小さなプレハブ小屋。大きな公園の管理所と呼ぶにはチャチすぎる出で立ちだ。
中はおおよそ7畳程度しかなく、簡易的な机と椅子、それから三角コーンなどの備品があるだけだ。
管理人のおじさんは愛想の良い人だった。
パイプ椅子を奥から引っ張り出してくると、丸テーブルの前にギーッと広げた。
「普段はあまり使ってないんですがね。今日はちょうど公園の見回りで来る日で、良かったですよ」
公園にタイムカプセルを探していると連絡を入れたのは、昨日のこと。
本当は公園内に何かを埋めることは禁止されていて、こうして無くなったタイムカプセルについて公園が対応する必要は全くない。
そんなわけで諦めかけていたところ、事件に関係あるかもという話をしたら、おじさんの厚意で応対してくれることになったのだ。
「それで、タイムカプセルがなくなったんだって?」
「はい、桜の木の下に埋めたんですが、2013年の3月に掘りに行った時にはもうありませんでした。土がすごく固かったので、あまり深くは掘ってませんが」
「土が固かったって?それじゃあ、掘り返されたのは2013年よりずっと前かもしれないね。埋めたのはいつかね」
「2011年です。ちょうど2011年から2013年にかけて埋まってたはずなんです」
そこでおじさんは何かにピンときたように言った。
「2011年?それ、埋めたのって何月?」
「えっと、卒業生を送る会があって、その日の午後は学校がないからと言って埋めに行ったので…。2月、だったと思います」
それを聞いて得心がいったとばかりに頷く。
「それ、きっと3月にはもう撤去されているよ。ちょうどその年の3月に大規模な除染作業が入ってね、公園の表面の土が一通り取り替えられたんだ。タイムカプセルを埋めた木の下まで作業が行われたかはわからないけど、なくなったって言うならきっとそのとき一緒に撤去されたんだな」
おじさんは妙に確信めいて言う。
てっきり中学卒業間近まで埋まっていたと思っていたから、これは予想外だった。しかしそうなってくると、可能性があるのは撤去作業に関わった人達になってくる。
「そのあたりを誰が作業したか、わかりますか?」
「そんなピンポイントにはわからないよ。まぁ、作業員の名簿は探せば出てくるだろうけど、個人情報の関係で見せられないしなぁ」
確かにそれもそうだ。今はおじさんの厚意で話をしてもらっているだけで、名簿を見せてもらうなんて行き過ぎた行いだ。
この日はそれ以上の情報は得られず、翌日から再び関係のありそうな事件を探った。
+++
「それで、何か収穫はあったのか?」
タクが神妙な面持ちで問いかける。
僕たちは相も変わらずファミレスに来ていた。
「本当かはわからないんだけど、タイムカプセルは埋めた翌月には掘り起こされていたんじゃないかって。ほら、掘り起こしに行った時、すごく土が固かったでしょ。犯人が直前に掘り起こしたなら、もっと柔らかいはずだからね」
僕はひととおりタクに公園管理所のおじさんの話をした。
だけど、タクもそれ以上のことは特に心当たりがなさそうだった。
「確かに、根も張っていたし、直前に掘り起こされた感じはしなかったな。でも、事件は2015年だぞ。掘り起こしてからそれまで、一体どこにあったんだろう」
煮詰まった僕たちは、メロンソーダを消費した。
事件からだいぶ年月も経っているし、やはりそう簡単に手がかりは見つからないのだろうか。
3杯目のメロンソーダに差し掛かった頃、チャリンチャリンというベルの音がして、団体客が入ってきた。
ツナギを着た大柄な男性が8名ほど、こちらに向かって近づいてくる。威圧感に、僕は思わず目を背けた。
「よお、タクマ。お前が休んでる間に今日の仕事終わっちまったよ。また明日、朝イチで来いってさ」
一人がタクに向かって話しかける。どうやらタクの仕事場の人のようだ。
タクは中途半端な返事をすると、こちらをチラチラ見て苦笑いを浮かべる。
「おう、兄ちゃんがタクマの親友か。知ってるか?タクマのやつ、お前に会うために休み時間にわざわざめかしこんでやがるんだぜ」
「たつにぃ、やめてくだせぇ」
途端にタクは真っ赤になって、たつにぃを制止する。
仕事の合間に会うにしては小洒落た格好をしていると思ったが、そういうことだったのか。
僕は意外な一面を微笑ましく思った。
たつにぃ達は、何食わぬ顔で僕たちの机の周りで食事を始めた。仕事が終わった後は、いつもこうして食事をするそうだ。
「事件のこと、調べてるんだろ。何かわかったのか?」
たつにぃは世間話でも始めるかのように切り出す。
あけすけな物言いだ。
「何も。ただ、前に話したタイムカプセルは除染作業で撤去されたんじゃないかって」
「おい待て。除染作業つったら、うちの作業員も駆り出されたやつじゃないか?」
僕とタクは同時に身を乗り出す。
「10年ぐらい前によ、確かに公園の除染作業をしたさ。あの頃いた連中はもうだいたい引退しちまってるけど、連絡は取れるぜ」
タクは埋めたタイムカプセルの特徴をこと細やかに、たつにぃに話した。
何か心当たりはないか、引退した作業員たちに聞いてくれることになって、この日はお開きになった。
+++
今日は、レンガ造り風の小さな一戸建ての前に来ていた。
亡くなった女子中学生――咲さんの家である。
かれこれ10分ほど家のまわりを彷徨いている。完全に不審者のそれである。
手がかり欲しさについにここまで来てしまったが、一体なんと言って遺族の方にお会いしたものか。容疑者の友達ですなどと言って、果たして会えたものか。実際、以前ここを訪れたタクは、痛烈な門前払いを受けたそうだ。
さらに彷徨くこと10分ほど。咲さんの家の扉が開き、中から年配の女性が現れる。ちょうど母と同じぐらいの年頃だ。
まだかける言葉を見つけられない僕は、ただ近寄ってくる女性を眺めているしかなかった。
「咲に御用ですか」
意外にも、女性の方から声がかかった。淡々とした調子で、まるでこんなことが前にもあったような様子だ。
女性は、それ以上何も言わず家へと招き入れた。
僕は突き当たりの和室に通される。その意味は、入ってすぐにわかった。
大きく立派な仏壇と、手向けられた五分咲き桜の枝。そして、写真の中の花のような笑顔の少女。
この子が咲さん。可愛らしい人、そう漠然と思う。
気づけば、驚くほど自然にお線香をあげていた。
今日まで顔も名前も知らなかった少女。だけれど、他人と呼ぶにははばかられるような親近感を覚えていた。
「咲は桜が満開の日に生まれたの」
咲さんのお母さんは、静かに話し始める。
「お腹にいるときは、名前の候補をいくつも考えていたのだけどね。病室の窓一面に咲き誇る桜を見たら、一瞬で名前が定まったの」
桜が咲いたから、咲。
「でも、今考えたら浅はかだった。だって、桜なんて一瞬で散ってしまうもの。咲も桜も、輝いたのは一瞬だけ。地味でも何でも良いから、もっと長く、長く咲いて欲しかった」
小さな嗚咽がもれる。心からの叫びだ。
僕もつられて目頭が熱くなった。
「咲には、生きているときも苦労ばかりかけたの。咲の父親は酒癖悪くてね、機嫌が悪くなるとすぐ暴力を振るった。こんなことなら、もっと早く別れれば良かった。あの子は果たして、幸せだったのだろうか」
咲さんのお母さんの問いに答えられるのは、きっと咲さんだけだろう。だけど、赤の他人の僕にも言えることがある。
「お母さん。桜は決して短命などではありませんよ。
――昔、ある人が言っていました。桜の木は、夏に芽吹き、秋に耐え、冬を乗り越え、春に咲く。花が咲く瞬間は確かに一瞬かもしれないけれど、花を咲かせるまでに長い月日を過ごすのです。桜の木は誰にも注目されなかったとしても、確かにそこにあり続けます。また咲き誇るときを夢見て」
窓から暖かな日差しが差し込んで、涙で濡れた咲さんのお母さんの目に反射する。
「どうして。どうしてあなたがその言葉を知っているの?その話は確かに咲から聞いたことがあるわ。そう、担任の先生に言われたって」
「その先生って、もしかして本庄先生?」
「ええ」
その時、僕は何かが繋がった気がした。
タクのハンカチを褒めた家庭科の先生、本庄先生。それは咲さんに桜の木の話をした先生だった。
タクと咲さんの共通点はまさしく本庄先生だったのだ。
きっと、本庄先生が何かを知っている。そう確信したときにはもう動き出していた。
「お母さん、本庄先生の居場所わかりますか?とても、大事なことなんです」
僕の気迫に押されたのか、泣きじゃくっていた咲さんのお母さんは涙を拭いながら、押し入れの中をゴソゴソと探る。
「知っているわ。事件の前も後も、何度もうちに来ていたもの。確かここに」
そう言って取り出したのは、一枚のハガキだった。
本庄先生からお母さんに宛てたものだ。裏側には、確かに住所が書いてある。
「ありがとうございます。本当にありがとうございます。これできっと、咲さんも――」
僕は咲さんのお母さんへのお礼もそこそこに、駆け足で外へ出た。
+++
古いアパートだった。
お世辞にも良いところとは言えないような風貌で、まるで来る人を拒絶するような木が生い茂っていた。
ハガキに書かれた102号室の文字。
102と書かれた扉の横には、本庄と書かれている。確かにここらしい。
少しだけ緊張した面持ちでインターホンを押す。
押してから、タクも一緒に来るべきだっただろうかとよぎった。
「はい」
太くぶっきらぼうな声が、少しだけ開いた扉からする。
僕は思わず唾を飲む。
「えっと…。本庄先生、ですか」
扉がさらに大きく開いて、中からボサボサ頭の冴えないおじさんが顔を出す。
特徴的な天狗鼻は健在で、本庄先生だと確信する。
「もう先生ではないが。どちらさまで?」
相変わらずにぶっきらぼうに答える
「その、小学校のときに、先生に教えてもらってた山寺大樹です」
僕が名乗ると、先生は明らかに嬉しそうな顔をした。
慌てたように寝癖を直すと、自分のよれたジャージを見て気まずそうな顔をする。
ここで待っててくれと言い残して、扉の中へと吸い込まれた。
しばらくして、先ほどよりいくらかマシになった出で立ちの先生が出てくる。手には使い古した財布が握られている。
「ダイキくん、何が食べたい?ラーメンでしょ、ほら、若い子はみんなラーメンが好きでしょ」
答える間もなく、先生はラーメンを推してくる。
詮方なく僕はそうですねとだけ答えた。
「ダイキくんは高校から外に出たから、こっちに戻るのは久しぶりだろう?親御さんも随分と心配してたんじゃないんかい?友達とはもう会えたのか?」
先ほどから、先生はただひたすらに僕を質問攻めにする。どういうわけか、僕のことをよく覚えているようだった。
昔馴染みの個人経営のラーメン屋。脱サラ店長とその息子さんで経営しているのだが、今日は息子さんしかいない。
僕らは、その一番手前のカウンター席に座っていた。
「タクマとは会いました。タクマは地元の工務店に就職したみたいで」
「そうか。そうだよな」
タクの話になると、先生は急にトーンダウンする。
それが何となくもどかしくて、僕はたまらず桜の木の話を切り出す。
「桜は短命じゃないって話、先生前にしてましたよね。ほら、桜の木は夏に芽吹き、秋に耐え、冬を乗り越え、春に咲くっていうやつ。覚えてませんか?」
先生は急にキョトンとすると、しばらく考え込む。
「ダイキくん、それは勘違いだよ。君にその話をしたのは私じゃない」
「――でも…っ!咲さんは本庄先生から聞いたって咲さんのお母さんが…!!」
僕は興奮気味に口走る。
本当は先生から咲さんの話が出るように誘導したかったのに、ああもう全く上手くいきやしない。やっと見えた繋がりを紐解きたいと、気持ちが先走るばかりだ。
「そうか、それを聞きに来たんだね。そうかそうか」
先生は妙に落ち着いていた。いや、落ち込んでいるようにも見えた。
「確かに、安達咲さんに桜の話をしたのは私だよ。でも、私が桜の話をしたのは安達さんだけ。ダイキくんにはきっと別の人が話したんだね。
――けど、ダイキくんが本当に知りたいのは、こんな話じゃないでしょう?」
僕の心臓は跳ねた。
先生が麺を啜って、ラーメンの汁も跳ねた。先生は何かを懐かしむような表情をして、話し始めた。
「咲さんは私が小学6年生の担任をしていた時の生徒だった。笑顔の絶えない明るい性格だったけれど、たまに身体にアザを作って学校に来るんだ。原因は酒癖の悪い父親の暴力。
見かねた私は何とか父親と引き離そうと、児童相談所に掛け合ったり手を尽くした。だけど、引き離せたのは一時的ですぐに家庭に戻されたし、彼女自身も父親と離れ離れになるのは望まなかった。
諦めの悪い私は何度も彼女の家を訪問して母親を説得した。それがかえって父親の暴力を増長させているとも知らずに。
そんな毎日が続いた頃、私は生徒の家庭に干渉しすぎたために、学校を追われた。生徒のストーカーをしているだとか、ありもしない罪状を並べ立てられて、大人しく辞職するしかなかった」
そこまで話し終えると、先生は黙々とラーメンを食べ始める。
僕もこの先を聞くのが怖くなって、ただ麺に向かった。
最後の汁を啜り終わった頃、見慣れた一人の男性が入店してくる。タクだ。
「先生」
タクは一言そうとだけ言うと、先生の隣りに腰を下ろした。
「どうしてここが?」
僕が問いかけると、タクは軽く肩を竦める。
「本庄先生の家に行こうと思ったら、外からダイキの姿が見えて。何となく、先生も一緒な気がしたんだ」
僕らはただダイキが食べ終わるのを待った。ダイキは最後の一滴を飲み干すと、先生と向き合う。
「公園の除染作業があった日、撤去されたタイムカプセルを受け取りに来た人がいたそうだ。それが、本庄先生だったらしい。なぁ先生、そのタイムカプセル、どうしたんだ?」
ド直球のキャッチボール。果たして僕が望んでいたのはこんな瞬間だろうか。
「除染作業があるって聞いたときにね、ふと君たちが埋めたタイムカプセルのことがよぎったんだ。埋めた場所は聞いてなかったけど、あの公園のどこかなんじゃないかって思って、散歩がてら行ってみたんだ。
そしたら、案の定タイムカプセルが掘り起こされていてね、捨てられてしまうのは忍びないと思って受け取ったんだ。
すぐに君たちに渡すことも考えたんだけど、それでは君たちががっかりすると思って、時期をみてまた同じところに埋めることにしたんだ。
だけど、そうこうしているうちに教師を辞めることになって、母の介抱のために実家の茨城に帰ったんだ。私がこっちに戻ってきたのは、君たちが高校2年生になった頃。ダイキくんが東京の高校に進学したと知って、申し訳ないことをしたと思ったよ。それで、今更だけどタクマくんに返すべきかと悩んで、試しにタイムカプセルを開けてみたんだ。
そしたら、当時のいろいろな玩具と一緒に、桜の木の刺繍がされたハンカチが入っていて。それはタクマくんが作った大事なものだから。だから、返そうって思って、それで」
「あの日、ハンカチを持って家を出たんですね」
言葉を詰まらせた先生の代わりにタクが言葉を繋げる。
それに僕が続く。
「先生は樽岩川の河川敷を通ってタクの家に向かっていた。だけど、途中で咲さんに出会って、小さなことから口論になった。そして、頭に血が上った先生はついに咲さんを殴り飛ばしてしまって、咲さんは勢い余って川に落ちた。我に返った先生は手に付いた咲さんの血をハンカチで拭って、そのハンカチをその場に捨てた。それがタクの作ったハンカチだった。違いますか?」
先生は黙って僕の考察を聞いていた。
だけど、低く唸るような声でそれを否定する。
「違う。それは違う。あれは事故だったんだ。私は人を殴ってなどいない」
「じゃあ、どうして…!!咲さんは亡くなったんですか。タクは…!どうして殺人事件の容疑者に仕立てあげられたんですか」
だんだんと尻すぼみになって、声が出なくなる。タクはもう耐えかねて、嗚咽をこぼしている。
タクにとって本庄先生はきっと思い出の人だ。それが今は憎い相手に変わるなんて、その心情は察するに及ばない。
先生はしばらくそんな僕らの様子を見ていたが、ついに重い口を開ける。
「あの日出会ったとき、咲さんはすでに傷だらけだったんだ。家で父親に殴られて、河川敷まで逃げ出してきたそうだ。
私は咲さんの怪我した足を手当てしようと思って、鞄からハンカチを取り出して巻いた。そのときは辺りが暗かったから、タクマくんのハンカチだとは気づかなかった。
私は父親と離れなければ危ないと咲さんを説得した。だけど、咲さんはお父さんは本当は良い人なんだと言って、聞く耳を持たなかった。そんなやり取りをしている最中、咲さんは急に頭を抑えて倒れ込むように草むらへと転がった。きっと、父親に殴られた症状が後から来たのだろう。
私は慌てて草むらをかき分け咲さんを探したが、姿は見えなかった。すぐに携帯を取り出して助けを呼ぼうとしたけれど、そのとき急に怖くなったんだ。この状況をどう説明したら良いのだろうか。私はストーカーの容疑がかかっている、もし今回もストーカーを疑われたらもう教師には戻れないのではないか。そんな考えで頭の中がぐちゃぐちゃに埋めつくされて、気づいたら、その場から逃げ出していた」
「そんな話、信じられっかよ。なんで、咲さんを助けない?なんで、俺の無実を知っていたのに助けてくれなかったの。どうして、あの時、真実を話さなかったの」
タクは先生の胸ぐらを掴んで、グイグイと揺らす。先生はやられっぱなしでまるで動かない案山子のようだった。
+++
「タクのお母さん、亡くなっていたんだね」
僕たちは一つの墓石の前にいた。
頭上の桜の木は溢れんばかりの花を咲かせている。
「事件があった年の冬、病に侵されたんだ。今思えば、母の死はただの偶然のタイミングだったのかもしれない。だけど、僕にはどうしてもそう思えなくて、全ての不幸があの事件で始まったような気がしてたんだ」
先生は僕たちと別れた後、自ら出頭した。
咲さんの父親の調査はこれからだけれど、そのうち全ての謎は明かされ、タクの容疑は晴れるだろう。
だけど、気持ちが一向に晴れないのはきっと、失ったものは決して還らないから。
「そういえば、タクはこの言葉知ってる?
――桜の木は夏に芽吹き、秋に耐え、冬を乗り越え、春に咲く」
「それは母の言葉だよ」
タクはくすりと笑って言う。
ああそうか、僕はタクのお母さんから聞いたのか。
ふと思い出して、鞄から一枚の手紙を取り出す。
小学6年生の僕が、中学3年生の僕に宛てた手紙だ。タイムカプセルは証拠品として提出するけど、その前に大事なものは返しておくよと言って、先生が渡してくれたものだ。
そこにはこう書かれている。
「桜の木になれますように」
人生で花を咲かせられる瞬間は一瞬かもしれない。だけど、花の咲かない今も自分らしく力強く生きていられたらいい。
――花が咲く、そのいつかまで。