ロイ・マクエル受難の日々㊵
早朝更新すいません。
第62話
「二人」
日没前のユークリッド平原に多数の幕舎が張られた。そして日が落ちると同時に各所に篝火が焚かれ、【宴】が始まっていた。
内乱の終息と新しくユークリッド国の新王になるウルグ・リーレンを祝う宴である。宴の冒頭でエグルストン皇王の祝辞が述べられ、同時に軍狼の件での謝罪をおこなった。リーレン新王は不慮の事故であったとしてそれを入れた。
この謝罪により両軍のわだかまりは解け、ユークリッド軍、エグルストン軍の兵士が互いに武装を外し宴に参加していた。
本来は条約も結んでいる同盟国同士である。ぎこちなかったのも最初だけで、西方の川を渡り大量の酒と食料が持ち込まれ両王から無礼講の通達も出ると、宴は徐々に盛り上がりをみせていった。
その宴の最中、夜陰の歩哨として東方の見張りに付いていたロイ・マクエルの元に、やや引き摺り気味の足音が近付いて来た。
「おいおいこんなところにいたのか英雄君。肉を持って来た。休憩にしろ。酒は……早いか、残念だないい酒なんだが」
イル・バルサラが右手に焼いた肉と2つ酒瓶を持って来ていた。
「ユークリッ……バルサラさん!? 怪我してるのになんで出歩いてるんですか!? 寝ていないといけない身体でしょ!」
「アビスの手当てが良かった。……あの娘は医療の知識があったようでな。今は身体中に添え木が当てられ帯でグルグル巻き状態なんだが、なんとか出歩く事は出来る」
アビスとはリーレンさん側近の女武人。確かお姉さんが花蘇芳の幹部だったらしく、昔のバルサラさんによって殺されていたそうだ。
バルサラさんは国の平和を、お姉さんは家族の幸せを願っていた。戦乱の世だとはいえばそれまでだが、それでもやりきれない気持ちは残る。こんな結末しかなかったのかと。
その花蘇芳だが、エグルストンに罪人労役に出されていた元花蘇芳の女性たちが馬車でユークリッドに帰国して行った。王宮に囚われている側女と云う名目の、元花蘇芳の人たちも明日には解放されるそうだ。
新王即位の恩赦として、ユークリッド国新王のウルグ・リーレンの名で行われる手筈だ。取り仕切るのはバンバさんだけど、これはマーク兄さんの描いた筋書きだった。
過酷な状態に置かれていた女性たちを解放したということで、リーレン新王の名声は一気に高まるだろう。あのエグルストン皇王が真っ先に新王を承認した形をとったのも大きい。
これなら他の中央4ヶ国も認めざるを得ない。新王即位を認めない、と兵を挙げる国は出ない筈だ。一応の備えとして王の親衛隊をバングラ将軍の麾下に組み入れ、即日出撃可能な軍として対応を計るのだそうだ。
平和を最優先にして、方々に手を打つマーク兄さんの手腕はやはり凄いものだと感心してしまう。ただ。
ただ、その中にあってバルサラさんは愚王の悪名が晴れる機会はない。完全に悪者だ。この後、身柄はエグルストン国に預けられる。身体が完治したら身分を只の兵卒に貶して、兵舎に住むそうだ。
色に狂った王の惨めな転落劇。常々不満を抱いていたユークリッド国の民の溜飲も、下がることだろう。国を纏める為の生贄のようなものだ。
けれどこれでバルサラさんのユークリッド王即位以来続いていた、哀しみの連鎖は一応は収まる。細々とした混乱はあるだろうが、能吏でもあるバンバさんが抑えるだろうとマーク兄さんが言っていた。
「えっと、バルサラさんは一般の、兵卒になるんですよね。やっぱり辛らいものですか、王様の身分が剥奪されるのって?」
「なんだなんだ? 私の身を案じてくれてるのか? 餓鬼の癖に余計なお世話だ。ほれ、冷めないうちに食べろ」
「わっ、たた。熱っつ。あっつぅ」
バルサラさんが投げてきたのは葉に包まれた肉だった。焼きたてなのか葉を拡げるといい匂いが立ち昇ってくる。
「私の方は少し酒を貰うぞ。明日からはまともに飲めなくなるだろうからな。フォフォフォ」
「あ、有り難く頂きます。あ、あとバルサラさんは傷に障りますから少しにしてくださいね。そ、それに笑い方オッサン臭いすね」
「この餓鬼まだ言うか。おまけに一言多いわ! 大体だな、私は身体の傷よりもお前の兄貴、マーク・ザインにボロカスに言われた事の方が遥かに心に刺さっとるわ。とんでもない悪口雑言だったんだぞ。 知らんだろ」
「あ〜〜〜。聞いてませんけどマーク兄さんならエグい事、平気で言いそうですね〜〜。お気の毒です」
バルサラさんは持ってきていた酒瓶を一気に呷ると王族らしからぬゲップを吐き出した。言葉は怒っているが顔は笑っていた。なんだが気のいい兄ちゃんみたいに感じる。
「まあ、餓鬼には判らんだろうが、あ〜〜〜と、あれ、ほら、なんて言うのかな。あれはあれでほら、感謝してるんだ。本当の事を眼前ではっきりと言って貰った。人に指摘されて改めて納得できる事もあるしな。見ないように、してきた事なんかをさ」
「意外と、サバサバしてますね。してきた事を、後悔してるんですか……」
皮肉を言ったわけではなかったがそう聞こえたのかもしれない。バルサラさんは嫌な顔をして僕から目を逸らすと前を向いた。
「怒りと復讐を選んだ人生だった。悔いだらけだがそれは無かったことにはできない。愚王だった汚名は死ぬまで背負っていくつもりだ」
「そこまで言わなくても。僕だって……」
僕だって似たようなものだった。僕は師であったリリアーヌ先生の死に様に我を忘れ、完全に狂った狂人と化した。周りの全てを憎み呪った。皆殺しにして当然だと突き進んだ。それは、たった3年前の出来事だ。
気を取り直し肉をかじった。肉汁が足元に滴り落ちる。焼きたての美味い肉だ。しかし、何処か苦い気がした。
「……英雄に、父に、恋焦がれた。思えばそれすらも、誰かの為に目指していた。本当に望まれていたのはもっと違う事だった。多くの者たちを、想いを、踏み躙った」
後悔があるのかを聞いたのは僕だ。でもバルサラさんの答えは独白じみていた。言葉を掛ける事は、出来なかった。
「全てをやり直す良い機会だと思っている、一国の王である事も。だから私は王位を辞する事になんの未練も躊躇いもないんだ。いまの私には一兵卒で働くくらいの毎日が、丁度良いのさ」
そう言ってバルサラさんは僕を見て笑った。皮肉を言ったわけでは無い、きっと本心から出た言葉だろう。瞳の奥の哀しい色は消えてはいない。でも、しっかりとした目をしていた。
「あの、バルサラさんは僕に何か用事が……」
「あっと、そうだった。話は変わるが餓鬼、聞きたいことがあって来たんだ。この肉と酒、西方から橋を渡って持ってきたのがカーズ公国の人間だって? なんでも宴用にお前の兄貴が買い付けたと聞いた」
「え、え? 本当に突然変わりますね。えっと、マーク兄さんが話のついた商人からハウンズ家の金で買い付けたと聞きました。それが……?」
「違うな。私は受け渡し場所にいた商人たちを遠目に見ていた。巧妙に隠していたが武人だ。身のこなしは隠せても節くれた手の形までは隠せない。かなりの手練れだ。」
世間話をしに来た訳ではないのだとロイはようやく察した。忠告か警告。或いは違うなにかだ。バルサラの雰囲気は先程までの朗らかなものから、いつの間にか真剣なものに変わっていた。
ロイ・マクエルの手には食べ終えた肉の骨が握られていた。手が肉の油でテラテラと光る。迷いの森で過ごしていた時のがさつな食べ方で、まるで汚い棒でも握っている様に見えた。
指揮棒がピタリと止まる。指揮棒を掴んでいる手も、扱う手つきも、軽やかで優雅だった。
戦の演習や架空の擬似戦に使う兵棋地図、その指揮棒はユークリッド国北部を横断する川を指し示していた。そして川を沿うようにゆっくり西南へ移動する。
指揮棒は川を下るとエグルストン領内に。その後、同国の西岸に侵入。エグルストン皇国にある歩兵と騎馬の駒を突き倒した。
そのあと指揮棒は再び川に戻り南下、今度は南に位置するフセンチカ教義王国の領内に再び川から侵入すると、エグルストン皇国と同じ様に、兵と騎馬の駒を突き倒した。
指揮棒は其処で止まった。その棒を操っていたのは近衛見習いと思しき少年兵だった。
「……とどのつまり少年よ。此度の内乱、ユークリッドは船を利用してエグルストンとフセンチカに戦を仕掛けるつもりであった。とそう言いたいのかな?」
抑揚を極力抑えた声で、ロビン・ガトリンは指揮棒を操る少年兵に声を掛けた。少年兵は言葉を発さず口元を少し歪めると無言で頷いた。
複数建てられた幕舎の内でも一際大きなこの幕舎の中では、ロビン・ガトリンだけでなく、エグルストン皇王やウルグ・リーレン新王など両国の指導者たちが大勢集まっていた。幕舎の中央には大きな机があり、先程の兵棋地図が拡げらている。
「……面白い戦略だが問題があるな。船を使って大量の兵を送ろうにも船がない。中央6ヶ国では協定で10人乗り以上の戦船は持てない事になっている。無論、数も制限されている。違ったかの?」
「エグルストンに兵を向ける大義もないです。しかも同盟国です。それと内乱の最中に他国に兵を向ける余裕なんてありません」
これではユークリッドが内乱の混乱を装い、戦を引き起こすと少年兵に名指しされたようなものである。ユークリッドのリーレン新王と、後ろに控えていた護衛役のアビスが怒りを滲ませながら反論に出た。
幕舎の空気が剣呑なものになりかける。すると顎髭を左手で撫でながら、エグルストン皇王が声を上げた。
「お怒りはご尤も。これはあくまで机上で可能性を探っただけですのでご容赦頂きたい。しかし未だに世は戦乱。この可能性もエグルストンは考えた訳です」
「確かに内乱を偽装していたのであれば、指示一つですぐさま兵は纏められますな。大義は……労役俘虜を不当に返還しない。などを宣言してしまえば良い。そしてこのやり方なら、」
椅子に腰掛けていたイル・バンバが呟いた。
「確かに、虚は突ける。内乱を遠目に眺めていたらいきなり纏まり攻めてくるんだ。混乱する。指揮官次第だが精鋭部隊なら瞬く間に領内を占拠していくだろう。だがしかし、」
「そう。やはりどう考えても兵站が保たない。エグルストンの領内は広く、砦も多い。ユークリッドに全て落とす兵力はない。素通りして王城に辿り着いても背後は常に危険に晒される。籠城されてあっと言う間に兵糧が尽きる。話にならないね」
バンバに引き続き、兵棋地図を見ていたアルト・サラとトウ・オーカも否定的だ。机上の空論に過ぎないと言いたげな口調だった。
最初にリーレン新王に否定されてしまったが、もし大量の戦船があれば川からの兵力投入が出来て、陸と川からの両面攻勢が可能になる。前線への兵糧の運搬も容易にはなる。しかしやはり船がない。
指揮棒を持つ少年兵がマーク・ザインに顔を向けた。長めの前髪のせいで目はよく見えない。少年はマークから地図に目を移すと、指揮棒をゆっくりとユークリッド国から更に北東に向ける。指揮棒は中央6ヶ国の国境を越えていく。
ある地域まで来た処でその指揮棒は止まった。幕舎にいたほぼ全員が首をひねる、顔を見合わせた。止まった場所は中央から随分と北東の山間部だ。地名も判らない。ただ地図から解ることが一つあった。
そこにはユークリッド、エグルストン、フセンチカの領内を流れる川の源流湖がある。地図には小さく湖の名が記されていた。【融陽湖】。中央の地名ではなく東方異国の湖名。
その湖は東方異国の国、【融国】の領地内にある大きな湖であった。
ハウンズ・マーク・ザイン。
一瞬だけ動きが止まり、視線が地図から動かなかった。そのあと少年兵を見た。変わらぬ涼しげな視線。だが幾らか目に熱を帯びている。エグルストン皇王はそれを見逃さなかった。
【ハウンズ家による中央3国の併合】
その可能性の話をされた時思わず笑った。しかし同時に肌に粟が立った。どうゆう思考からそうゆう発想に行き着くのかと思った。天賦の才の、為せる業なのか?
ロビンから申し込みがあったユークリッドの労役俘虜返還。悪癖で民を苦しめる愚王ユークリッドの討伐。内乱を起こす時の援軍要請。特に不可解に思う点はなかった。それどころかまたこの英雄の悪い癖が出て、人の為に剣を振るのかと苦笑したくらいだった。
「東方異国の地、だな。ここ数年程は中央6ヶ国に兵を向けては来とらんが、それは穀物の不作による混乱が原因。混乱が収まればまたぞろ侵略の虫が蠢きだすじゃろうな」
「向こうさんは未だに国境を巡る争いも、騙し討ちや下克上も珍しくないと聞く。これから増々平和になる中央とは大分差ができてしまうな」
リーレン新王とトウ・オーカが東方異国について感想を述べる。周りの者達も概ね同じ様な感じだ。偽りを並べている風ではない。エグルストン皇王は軽く胸を撫で下ろした。どうやら【ハウンズ家による中央3国の併合】は単なる杞憂のようだった。
「その湖を統治下に置くのは『融国』。兵力は歩兵3万、騎兵1000騎。戦船は闘船100棋、走船500槽。これらは即時に動ける兵力です。後軍を組織すればさらなる動員が可能です。聞きたかったのはこれでしょう? エリザヴェータ皇女様」
「「「「!?!?!?!?!?!?」」」」」」
「……フフフフようやく明かしたわね。これで安心できたわ。あなたの口からその情報が出たということは、ハウンズ家に【大戦】を起こすつもりはない。ということなのね」
近衛隊の服を着た少年兵の口から聞こえてきたのは、まだ若い、少女のような声だった。
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