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ロイ・マクエル受難の日々㉗



         第49話



       「再起への路」





「ハァ、ハァ、まれ、ハァ、此処ここで少し休息だ。陣を張り、逃げて来る兵たちの収容をおこなう。われやお前たち近衛このえへい以外にも、敵から馬を奪えた者や健脚な歩兵たちが戻ってくるだろう。暫しのあいだ、待機する」


「ハァ、ハァ、解りました、ユークリッド王。戻ってくる兵たちには休息きゅうそくあとに陣形を取らせていきます」


きにはからえ。我をわざわざ囲む必要はないぞ。10人戻る毎に一塊ひとかたまりで待機させ、塊が5つになったらそれぞれに方陣を組ませておけ。退却兵たちを数えやすくなる。」


「承知しました。ユークリッド王」


「よしでは行け。しばらわれを1人にせよ。いいな」


「はっ」






 箔山峡谷から南に10kmあたりの距離に、比較的ひかくてき大きめの川があった。ユークリッド王以下近衛兵たち200人程が川に渡してある橋を渡ったところで陣を張り、退却する兵たちを迎える事にした。


 ユークリッド王は急いで川岸かわぎしに降りると川の水を飲み、腰に掛けていた水袋みずぶくろに水を補充した。

 そういえば昔はこうして視察のたびにこの川の水を飲んで、川岸かわぎしで休息を入れていた事を思い出す。その後はここの川の水を水袋に入れて行くのだが、重い重いとお付きの少年が文句ばかりを言っていた事を思い出した。つい笑いが漏れる。


 その視察に何時いつも付いて来ていたお付きの少年。共に水を飲み、共に夢をかたり合ったなかだった。其奴そやつが近衛兵になっていた事すらも、我は忘れていたのだ。


 戦友と言っていい男を無くした、自分の無能ゆえに。殴られた頬の痛みは、中々消えはしなかった。それは心に打ち込まれたこぶしの様なもので、これから先も我をさいなむだろう。それは乳母との別れの日の痛みに似ていた。





 ユークリッド王は頭を勢いよく川の水に沈めた。もう終わった事なのだ、後悔は全てが終わった後ですればよい。今はず、やるべき事を考える時だった。

 文字通り頭を冷やしたユークリッド王は顔を上げると、そのまま近くの石に腰を掛け、今回のいくさを思い返した。


 たかだか1000足らずの奇襲軍にがユークリッド軍5000がいいよう翻弄ほんろうされ、完膚かんぷなきまでに打ち破られた。如何いかにに実戦指揮を離れていたとはいえ、われ采配さいはい悪過わるすぎた事はいなめない。


 その上に単純に打ち破られただけではない。不利な状態のなかで踏ん張った近衛兵や我直属の麾下きかである第五大隊の損害が甚大じんだいな筈だ。今にして思えば敵は最初からそちらを狙ってさえいたように感じる。騎馬を引き離された時点で負けいくさであり、敵の術中じゅっちゅうはまっていた。


 立て直しが難しいように打ち破る戦略なのだ。流石にこれはトウ・オーカだけではないだろう。敵方には、かなりの智慧者ちえしゃか軍師が付いているのだ。この負けはもはや取り返しがつかない。一度城に戻って軍の再編成、立て直しがいる。それ程の大敗たいはいだ。


 これ程振り回された負け戦ならば、同数の軍同士であれば壊滅していてもおかしくはなかった。敵が寡兵かへいゆえに、そこはまぬれていた。


 我が裁決を下す立場なら、指揮官は極刑きょっけいまぬがれまいな。自嘲気味に笑った。これらの事態じたいは全て、我の油断から生じた事は間違いなかった。後は敗残はいざんの兵たちを如何いかまとめて城に帰れるかだ。


 普通に考えても間もなく追撃ついげきぐんが来る。まだ来ないのは追撃に向かう軍をまとめているのか、我を逃がす為に残った部隊が奮戦ふんせんしているかだった。おそらくは後者だろう。



『王は苦しい状況や窮地の時こそ、強いような気が致します。全く怯えること無く奮い立つ。此れは凄い事ですよ、英雄の為せる業です。昔から、始めて会った時からそうでした』



 思わず空を見上げていた。箔山峡谷で別れた友が言っていた昔の言葉を思い出す。確かにあ奴は昔、そんな事を言っていた。だが今日のこれは負け戦なのだ。強い事は必要でなく、敗残兵を一刻も早くまとめあげねばならない。




 ユークリッド王が悔恨かいこんを抱えつつ今後の対応を考えている間、続々と退却して来た兵たちが橋を渡って陣内に合流を始めていた。皆は川の水を飲んだ後はへたり込むように陣内に腰を降ろしていた。そんな中、


「ユークリッド王。四方しほうに放った斥候せっこうから連絡入ってきました。西に1000程の軍勢が居ます、緑の旗に狼の絵です。おそらくガラコとりでの軍勢です。援軍に来てくれたと思いますが」


「ガラコのリーレンか。今頃ノコノコ現れたか。バングラ将軍の援兵の早馬はとっくに着いておろうが。何故出陣にこれ程かかったのか、後日詰問してくれるわ」


 ザラりと何かに撫でられた感じがした。なんだ? なにか、違和感がある。バングラからの早馬がユークリッド軍本体に来たのは戦前いくさまえで、かれこれ二刻にこく(4時間)以上も前になる。バングラが砦への援兵依頼も同時に出していたならば、出陣が余りに遅すぎる。


 ユーグリット国において砦守護の豪族には、援兵依頼には一刻以内に応じる決まりがある。それをリーレンが知らぬ訳ではあるまい。冷たい汗が頬を伝う。

 ・・・今、もっともそむかれてはならないタイミングだ。なればこそ、効果的であろう。どう判断したらいい?


「東の方からも八方槍はっぽうやりの旗の軍勢が来ております。アズ砦の援軍かと。此方も1000程の数です、ユークリッド王」


 斥候せっこうからの第二報を聞いた瞬間、ユークリッド王は方陣を組む兵たちの元に駆け出していた。いくさに敗れた敗残兵はいざんへいが川を渡り始めて直ぐところで東と西からの援軍到着? これは流石さすがにあり得なかった。


 ガラコ砦のみの造反ぞうはんではなく、アズ砦、あるいは他の砦も関わる大規模な反乱の可能性もあった。信じがたいがユークリッド国内の豪族が、何者かの調略ちょうりゃくを受けているのだ。出陣のタイミングも負け戦を想定した周到しゅうとうなやり方だった。


 有力者の息子や娘はユークリッド王宮内に住まわせてある、乱を起こせば我に首を討たれる事はわかるはずだ。つまり砦の者たちは、此処ここで我を討ち取る算段さんだんなのだ。


 急に血が沸いた。あ奴の言った事が(・・・・・・・)もしも正中を得ているとするならば、この状況こそが我の武勇が発揮できる時ではないのか? この退却兵たちは敗残とはいえども本当のところは指揮する者がなく、敵寡兵てきかへいき回されて引いただけだ。第三、四大隊の者が多い、それ程傷付いている訳ではない。いくさらしいいくさ出来できないままで、引かざる得なかった兵たちだ。いきどおりが必ず心の中に押し込められている筈だった。


 わずか20分程の待機の間に、橋を渡り方陣を組む兵たちの数は1000程にも達していた。顔を見る。敗残兵の顔ではない。確かな確信を持ったユークリッド王は方陣の前に立ち、兵たちに声を掛けた。




「皆の者。ここ迄でよく耐えてくれた。我の力が足りず負け戦になっている事、あいすまぬ」


「王・・・」「ユークリッド王・・・」


 ユークリッド王の呼びかけに兵たちは顔を上げた。皆、不安気な顔付きだが王の話に耳を傾けている。


「ガラコ砦とアズ砦が造反ぞうはんした。いま彼方かなたに見える土ぼこりは彼奴きゃつらの軍勢でそれぞれ1000程を率いてこの場所に向かっておる」


 兵たちは互いに顔を見合わせると、くやしそうにうつむいた。状況は絶望的だと察した様だった。



 ユークリッド王は更に一段、大きく声を上げる。



「我にはかつて夢があった。英雄になる。と云う夢だ。だが、いつの間にか忘れていた。かないもとどきもしない夢だと感じたからである」



 王の言葉に兵たちは驚いたように顔を王に向けていた。みな一様いちように目をまたたかせる。ユークリッド王の姿が一際ひときわ大きく見えるからだった。



「だが、今日、思い出した。思い出した事でようやく理解した。我はおろかな王であった。英雄王たるべき挑戦もせず、ただ逃げていた。我は死んでいたのだ。つい先程まで」



 皆は固唾かたずんだまま王を見ていた。



「我は戦うと決めた。『苦しい時に奮い立ってこそ王は英雄足り得るのだ』と、死んだ友が我に言ったからだ。勝とうとも負けようとも戦う。英雄は決してあきらめはせぬ。男ならばひざは屈せぬ。命のある限り戦うものぞ」



 座り込んでいた兵たちはいつの間にか立ち上がり各々《おのおの》が得物えものを持って王の言葉を聞いていた。


怯懦きょうだとがめはせん。戦いを選べぬ者や手負いで動けぬ者はこのままこの陣内にとどまり降伏せよ。我と共に進む者のみ付いてまいれ」



 ユークリッド王は一足いっそくで馬に跳び乗った。手の平には汗が滲み、全身が小刻みに震えていた。力の限り雄叫おたけびを上げた。



「ゆくぞ。男として死にたいものは剣を振れ。槍を穿て。先鋒はこのユークリッドだ。われの背中だけ見て駆けて来い」



 ユークリッド王の後ろから一際大きな喚声が上がった。100や200ではない。1000近い喚声がこだましていた。それはかつて一度だけ見た、父王ユークリッドの戦いに似ていた気がした。













 ──────────箔山峡谷近く野戦病院




「ユークリッド王の助命ですか? それはここに居るものだけでは決められません、バングラ将軍。それに、あの王が生きて城に帰り着くとは思えません。此方こちらは討ち取る準備をすでに完了しています」


「余りに都合の良い言い分なのは解っている、レベルカ殿。王のこれまでの所業しょぎょうを考えても万死ばんしあたいするであろう。だが、それを推して頼んでいる」


 箔山峡谷の奥にある林には、箔山の戦で傷付いた兵士たちの応急救護の野戦病院がある。その待機所で、フリス・レベルカとバングラ将軍が話し込んでいた。バングラ将軍はフリス・ローエンのはからいで縄を打たれることなく過ごしていた。重傷者治療室にはマリオとロイ・マクエルなど30名程が治療を受けている。


「どうにもせんな、バングラ殿。あの魔王のごとき愚王になぜそれ程までに忠を尽くすのだ。儂が思うにあの魔王は死んだ方がよい。今も後宮には数百人の娘たちが幽閉されておるのだろう」


 あごさすりながら横にいるフリス・ローエンが心底疑問に思い口をはさむ。



「正直に言おう。ユークリッド王は変わりつつあると思う、いや1年前から既に変わって来ていた。あの『トウ・オーカ』とのねやいくさに負けた時からだ。女狩り遠征も減り、連れて来た女も放置状態なのだ。実のところはこの1年、王は女性をっておられる様なのだ。後宮の女たちにも相応の勤め金を手渡し、少しずつ親元に返している」


「・・・そんな事は初耳です。信用できない」


「・・・云うてみれば今回のユークリッド王の『女狩り遠征』も確かにしばらくぶりじゃな」


 バングラ将軍の言葉を確かめるように、二人は情報を上げていく。少々引っ掛かるが、辻褄つじつまは合っていた。


「しかし今回トウ・ユーナを求めた件はどうなんです? 少し控えていただけで、また女を嬲る性根が出てきているのではないですか?何がどうあろうと、あの王を信用などできません」



 フリス・ローエンは腕を組んで考え込んでいた。バングラ将軍の想いは解る。だがユークリッド王のやってきた婦女子に対する行為は許容しうるものではない。悪行の話はおおむねトウ・オーカに聞いているが戦乱が激しかった時代ですらあれ程の蛮行は聞いた覚えはない。変わるのが遅過ぎたのだ。



「私も半信半疑な面も確かにある。だがトウ・ユーナに関しても側室ではなく、王宮の淑女としての教育を受けさせる気であった筈だ。執事たちがその手筈を整えていた。トウ・オーカへの罪滅ぼしの意味を込めて」


「その言葉を信用しろと? オーカさんにも同じ事を言えるのですか、バングラ将軍」


「王は生い立ちの事もありどうしても女性にはじれた言葉を掛けてしまう。だが本当なのだ。仮にもし万一まんいち、ユークリッド王が他国の者に殺害されたとあらば民たちは決してその者たちを許しはしないだろう。新しい為政者と泥沼の内戦状態に陥るかもしれない。ユークリッドが豊かな国なのは、まぎれもなく今の王の手腕なのだ」


 フリス・レベルカとバングラ将軍の話は平行線のままだ。ローエンもこの難しい問題に良い落とし所を見出せずにいる。どちらにも理があるのだ。袋小路に入る前に決断が必要だった。





「あの〜、ちょっといいですか? そうゆう事ならトウ・オーカさんに裁決さいけつをしてもらうのはどうでしょうか? あのひとの決定ならばだれしもが納得すると思いますよ」


「「ロイくん!!?」」


「! び、びっくりした。大声出さないで下さい。レベルカさんもローエンさんも驚き過ぎです」


「そ、それは此方こちらのセリフよ! あなた身体中からだじゅうに矢を受けて血まみれで運ばれてきたのよ?なんでそんな平気そうなのよ!?」


「ああ、大丈夫ですよ。鎖帷子くさりかたびらを着てましたし、じいちゃん直伝じきでんの呼吸法で矢もそれほど深く刺さってもいなかったから」


「ロビンの剛体法か。あきれた奴じゃ、そんなモノまで身に付けとるのか?」


 あっけらかんとした風で治療室から出て来ていたロイ・マクエルに、フリス・レベルカ、ローエン親子が驚きの声を上げていた。全身血まみれのロイと出血多量で意識のない青ざめたマリオを見たときは、二人とも最悪の事態を覚悟かくごしていたからだ。


「そうそう、マリオさんも今さっき目を開けていました。もう大丈夫そうですよ」


 それを聞いたレベルカは思わず両手で口を抑える。涙が溢れ出した。大声を上げそうになるのをなんとかこらえていた。心からの喜びに満たされていると、それを見るローエンとバングラ将軍も優しげに微笑みをたたえている。恥ずかしくなりレベルカは顔を逸らした。




貴方あなたがユークリッド騎兵隊をひきいていた人ですね? れをお返しします。いくら作戦の為とはいえ、ひどい侮辱を与えてしまった事を謝罪します」


 そう言ってロイはバングラ将軍に頭を下げるとポケットに収めていた赤いフサを手渡した。ロイ・マクエルのいつもと違う真摯しんしな態度と口調に、フリス親子も二人を静かに見ている。



「じ、じゃあ、・・・君がやはりあの英傑なのか。これ程の子供であったとは・・・驚きだな。いくつになるんだい? 君の歳は」



「今13歳です。え、英傑とかやめ、止めて下さい。半ケツみたいに聞こえて思わず自分のお、お尻をみちぇ、見ちゃいます」


 ロイ・マクエルは赤い顔でクネクネと腰を横に振った。


『『ちょ!おま!聞こえるわけねーだろ!! そりゃお前だけだ!! ついでに仕草が気持ち悪いわ! 誰得やねん』』



 フリス親子の心の声ツッコミが炸裂した。



「ハッハッハッハッハッ、面白いな君は。コリャまいった。ハッハッハッハッハッハッ」



 バングラ将軍のツボに入ったのかお腹を抱えて笑っている。何故かロイは右手をグッと握って口角を上げていた。してやったり、といった感じだ。



『『いやいや、笑いを狙った訳じゃなくて素で言っただけだろ!! オマケに噛みまくりもボケでなく、マジで噛んでるだけだよね!』』



 フリス親子の心の声ツッコミが再び炸裂していた。



 いつまでも笑っているバングラに改めてロイ・マクエルが声を掛けようと近寄った。



「さて話を戻しますが、ユークリッド王に関してはトウ・オーカさんの決定ならば口を差し挟む人はいないと思います、どうでしょうか?」


 笑い続けていたバングラだったが真剣なロイの問いかけに、笑いを収めて正面に向き直る。


「ユークリッド王からもっとも凄惨せいさんな扱いを受けたのはトウ・オーカ殿であろう。彼女の裁決ならば私も、兵たちも、ユークリッドの民も納得すると思う」


 箔山のトウ・オーカを知らぬ者などユークリッド国内にはいなかった。彼女の美しさと高潔さは国民の皆が知るところである。ユークリッド王を正面から跳ね除けた女傑として、特に女性からの支持は圧倒的ですらある。



 私も無論、彼女の決定ならばいなやはない。



きみげんに従う事にしよう。国内に異論が起こるようならば、私が全力を上げて説得しよう。ロイくん」




 バングラ将軍はロイ・マクエルにそう返答した。自分を見つめるロイ・マクエルの瞳は、何処どこまであたたかだった。











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