ロイ・マクエル受難の日々⑲
第41話
「馬上の英傑」
────────────────敵である。
だが、その威容を目の当たりにした時思わず唸った。大軍を前にしての威風堂々たる立ち姿。見事だ。拍手すらしそうになった。それ故にその男を前にして、武人の根底にあるものが激しく掻き立てられた。
強者と干戈を交え、そして打ち破りたいと云う、武人の本懐を。
我々ユークリッド軍の前方を駆けていたのはたかだか10騎程の騎馬であった。それは普通に考えても一撃で揉み潰せる数に過ぎず、それ故余り深く考えぬまま騎兵隊を突っ込ませた。
だが、それら騎兵が次々に何かに弾かれた様に吹き飛ばされ、空に跳ね上げられていた。
しかも1人2人ではない。5人10人と次々に討ち払われ、たまらず突っ込んだ騎兵たちが後退してきた。
僅か数分のぶつかり合いであったろう、その間に騎兵を20騎近く失っていた。
ユークリッド軍騎兵隊を率いて幾度となく戦場を駆けてきたが、その俺が初めて目にする光景と言っていいだろう。
その信じがたい事態の原因を遠目にでなく、よく確かめようと騎兵隊の最前列に出た。直ぐにその威容が目に飛び込んできた。
ひときわ大きな騎馬の上に立ち、此方を見据えているやや小ぶりな武人が居た。だが武人から発せられる武威の気は尋常ならざる物があった。
そして両端を走る騎馬が持つ旗が翻る。黒地に金の華の旗物、箔山の旗だった。あの騎馬たちは戦う気だ。たった10騎でもそれを感じた。感嘆の一語に尽きた。見事に咲いた華だ。それは認めよう。
騎兵の話を聞くに、あの一騎の騎馬に我が騎兵が良いようにあしらわれたとの事だった。勿論、こちらの騎兵の調練は欠かしてはいない。
つまりはあの武人がたったひとりで、精鋭と呼んでいいユークリッド騎兵隊をまるで子供扱いしたと云う事になる。それは驚くべき事だった。
感嘆だけではなく沸々とした怒りと闘志が沸いてくる。
この、いつもの退屈な遠征軍に、とんでもない大魚が喰らいついて来たものだと思った。
今回のユークリッド軍の遠征は、王の【女狩り】遠征である。ユークリッド王に目を付けられ、献上される女を軍を率いて迎えに出る。その為に一軍を動かす。我が国に於いてはよくある事だった。自国領地の民に、王軍を見せつける為の下らない示威行為でもある。
だがそれでも王には騎兵の勇猛さと、精鋭部隊の価値を常に見せておかねばならない。そうして於けば軍の事やその家族には手を出さない。それが目的で軍人をしている者もいる。
街や砦の有力者の娘に王の触手が伸びて叛乱に発展した事や、無理矢理連れ出した豪族の娘を取り返そうと手勢を率いた婚約者が襲いかかって来た事もあった。
また単純に献上品となった美しい娘と高価な持参品目当ての賊徒が襲ってくる事もしばしば起こる。
それらは全て軍が出陣して踏み潰してきた。調練もまともに積んでいない私軍や賊徒など物の数ではなかった。
結果的に【女狩り】には【軍の遠征】という名目がつくようになったのだ。
だが今回の【女狩り】はこれまでとは少し違っていた。
献上品を載せた馬車を郊外の合流地点まで迎えに出るのまではいつもの事でも、その馬車が突然護衛の騎馬と共に逃げ出したのだ。
少し面食らったが目の前で逃げられる訳にもいかない。直ぐに捕縛する為、騎兵隊を差し向けた。
だがその馬車と護衛騎馬はかなりの速さで、なかなか追いつけない。騎馬が徐々に馬車から遅れ始めたかと思ったら、その護衛騎馬が横に広がりまるで横陣をひくような形を作った。
たかが10騎やそこらで横陣も何もなかった。鼻で嗤った。意図は測りかねたが此方は300騎からの騎馬部隊なのだ、追いつけば一撃で揉み潰せる。そう思い指示をだした。
────それが20騎を失う事態となっていた。
認識は改めねばなるまい。先程のぶつかり合いでも乱れないあの10騎は歴戦の騎馬たちだ。それに加えてあの真ん中にいる騎馬は一騎であっても傑出している。小勢ではあるが、全騎兵を使って揉み潰すのがよさそうだ。
・・・それにこの行動は破れかぶれではないのかもしれない。援軍の合流がないか、斥候の騎馬を周囲に放つよう命じた。遅れて来る遠征軍本体には輪形陣を保ちつつ進軍の指示を出す。
数は此方が圧倒的なのだ。状況を見極め、援軍や伏兵がいないならば焦らず大きく包み込めば良い。
斥候が戻って単独軍とわかったら直ぐに動けるように指示を出す。数の利を活かし騎兵を3つに分ける。真ん中の部隊で殿を抑えつつ、左右から別働隊を大きく回り込ませる。その指示を部隊長へ出した時・・・騎兵隊の左方からにわかに喚声があがる。
────目の前で信じられない事が起こっていた。
「無事ですか? マリオさん。」
「あ、ああ。無事だ。一応剣を持ってはいるが一度も使っていない・・・」
『想像を絶する』そんな言葉がマリオの頭に思い浮かぶ。それほどにロイ・マクエルの戦いぶりは驚嘆すべきものだった。
今も信じがたいが彼は馬の鞍に足先を掛けただけで、馬上に立ち上がっている。恐ろしい程のバランス感覚。まるで曲芸団の馬上の曲芸のようだ。
先程起きたぶつかり合いでは殿の中央を走り、一番目立つ騎馬に乗る俺とロイくんの騎馬が最初に目を付けられた。
追いついて来た騎馬が躊躇なく、左右と後方から一斉に槍で突いてきた。が、次の瞬間には3騎ともロイくんの槍を受けて空に跳ね上がっていた。
後方に居た騎馬も追い上げ、迷わず突っ込んで来たと思ったらあっと言う間に二人が槍を絡め取られ馬から突き落とされていた。驚くべき手並みだった。
左手には手綱を持っているが右手には剣を持ち、追い縋る騎兵の槍を払う気でいた。が、全くその必要はなかった。一瞬でロイくんが打ち払ったのだ。
敵騎兵も手練れと見て取ったのだろう。次は一呼吸置いて4騎が同時に斬りかかって来た。
しかし瞬時に4つの首が飛んでいた。鞍を蹴って空に飛び上がり、剣で槍の穂先を全て落とし、着地と同時に左右の騎兵4騎を剣で撫で斬りにして首を飛ばした。その武芸の冴えに目を瞠った。
それだけではない。首を失くした敵の騎馬の槍を掴んだかと思ったら、近くの味方騎馬に斬りかかる敵騎馬に槍を投げつけ落馬させている。
人外の如き武芸を見せつけてもなお、敵騎馬は怯むことなく押し寄せた。しかしそのことごとくがロイくんに討ち落とされていた。20騎余りを討ち取られた辺りでようやく敵騎兵隊は下がった。
彼は息を切らしてすらいない。ゴクリと息を飲む。まさに鎧袖一触。レベルカに聞いていた以上の強者だ。もはや言葉も出なかった。
誰もこの戦いぶりを聴いても信じはしないだろう。それ程に規格外なのだ。
「・・・マリオさん。行きましょうか。」
「い、行くってどこへだ? ここで踏ん張るんじゃなかったのか?」
「先ほどのぶつかり合いでじっとこちらを観察していた4〜5騎の集団が居てました。その中の一人が頭に赤いふさふさをつけてます」
「あ、ああ、それはおそらくだが騎兵部隊の隊長か、もしくはユークリッド軍の将軍かも、知れんぜ・・・・・・・・・何を、考えてる?」
「そのフサフサが此方を見に来て、下がるとなにやら指示を出してます。嫌な予感がします。一度、叩きます」
ゴクリと唾を飲んだ。
「どうやるんだ?」
「殿の左端の旗騎馬の後ろに出て下さい。その後、敵騎兵隊に向け反転突撃。敵騎兵隊を左から右につき抜ける感じで突っ切って下さい。敵は此方の横陣モドキに合わせて横に伸びているだけで備えはありません。かなりの数を叩けます」
・・・とんでもない。単騎で数百騎の騎兵に突っ込む。まさかここで散る気かロイくん? 駄目だ。にわかには賛同できない。それに我らが離れたら残りの騎馬だけでは殿は僅かな時間しか耐えられないだろう。このままここで敵の追撃を凌ぐのが妥当に思える。
「フサフサの指示か敵騎兵隊が少しずつですが別れ始めています。さっき数騎の騎馬が隊から離れて駆けていくのを見ました。援軍を探る為の斥候だと思います。つまり」
「援軍がいないとわかれば数で押し包むか、騎兵隊を分けるかしてくると? そうゆう事かロイくん?」
「敵騎兵は3つに別れると思います。半数で殿を抑え、残りの半数で横陣を迂回して馬車を襲う。数が多ければ各個撃破の心配もない。きっとそうしてきます。いや、やる。僕ならば、そうする」
今ならば、此方が先手を打てる。ここが序盤の勝負所か。だが懸念もある。
「待ってくれ。突っ込むにしてもどれ位でここに戻れる? 戻った時、殿が全滅してたではなんにもならんぞ」
「・・・・・・・・・およそ20分」
両側にいる騎馬に作戦を伝える。直ぐに返事がきた。必ず凌いでみせる、との返答だった。先程のロイくんの戦ぶりを見て全員の闘志が滾っている。此れなら守り通せる。
その返答を聞いて我らは殿の左端の旗騎馬の後ろに出た。黒雲の首を数回叩くとブヒンと返事が来た。お前もやる気だな! よし! 行こう!
「やるぞぉぉ!! ロイくんっっ!!」
もはや逡巡はなかった。黒雲の手綱を大きく左に引き上げるとその場で急反転。敵騎兵に向いた。
「ウオオオオオオオオオオオオオオオオォ」
「ウオオオオオオオオオオオオオオオオォ」
雄叫びが谺する。敵騎兵の顔が一人一人くっきりと判った。明らかに怯えている。そのまま猛然と敵騎兵に突っ込んだ。
黒雲やロイくんの槍が敵騎兵を吹き飛ばしていく。突き進む。俺の頬を敵の槍が掠めた。脇や足にも浅い傷を負っていく。いくら進んでも敵だらけだ。数の上ではあちらが圧倒的だ。
だがそれがどうした! ゆくぞ! 再び雄叫びを上げた。黒雲がさらに加速する。手綱を左手に持ち右手で力の限り剣を振り回した。3人は人馬一体と化していた。
ユークリッド騎兵隊が真っ二つに断ち割られていく、誰にも遮れはしなかった。
──────────────箔山の麓、峡谷
『ペシーン』
軽い打撃音が峡谷の上から木霊した。
「こら。なにを呆けとるレベルカ。しっかり見とかんか」
「・・・頭叩かないで。ちゃんと見てるわよ。ボケっとするわけないでしょ? マリオが身体張って敵を連れて来るんだから」
遠目が効くギルドのレベルカが箔山峡谷の丘の上から遥か南の平原を見張っていたが、後ろから父のローエンが頭をはたいた。
「ならば良し! 心配かもしれんが冷静にな。首尾良くいけばいいが戦じゃ。一刻待っても姿が見えない時は、失敗の判断を出す。その時は全員解散させる手筈じゃからな」
「わかってるわよ! もしも失敗したら箔山側は、知らぬ存ぜぬで通すために少数での作戦なんでしょ? もし仮に彼らの命が助かっても、その時は誰からも見捨てられる役回りになる」
「・・・・・・・・・わかっとるならばよい。そこは見誤るなよ。儂も昔は何時もそう割り切って戦に臨んどった。今のギルドがやっとる様な、簡単な賊徒や野盗の討伐ではない。何時も同志の誰かが返ってはこんかった。激しい戦の連続じゃたからの」
横を向いたままの父はそのまま空を見上げていた。私ではない誰かに向けて話し掛けている様にも見えた。
「確かユークリッド軍の騎兵を率いているのは『バングラ・ランス』将軍。冷静な戦をする男よ。厳しい相手だわ。果たして上手くこちらの策にのってくれるかしら。全ては殿部隊の戦次第・・・」
「カッカッカッ。そう案ずるな。昔、絶望的な戦であっても必ず生き残ってきた奴がおる。最も苦しい状況で、最も厳しい場面で、あの野郎はドデカイ仕事をしてのけた! いつもここぞとゆう時、あいつは勝ってきた。」
「・・・・・・・・・それが、英雄ロビン」
「あの小僧はそのロビンの孫。雰囲気も放つ武威の気もロビンの若い頃にクリソツじゃた。あいつならばきっと上手くやる。信じて待つんじゃレベルカ。勝利の後の酒は、殊更うまいぞ」
・・・・久しぶりに父と娘の会話っぽくなってるのに、戦がネタなのはどうだと思う。でもこんなに話がしやすい父も珍しい。
少し笑いが漏れる。父なりの気遣いなのだろう。でもそんなに切羽詰まった顔をしてたのかしら。
この戦が終わった後のお酒は、特別に美味しいものでありたい。一人も欠けることなくみんなが笑顔で、また揃っていればいいなとレベルカは思った。
──────突っ込んで来た。其れだけはわかった。
騎兵隊の中央に居ながらにして、伝わる衝撃。左翼側の騎兵隊が、人が、空に次々に跳ね上がっていく。それが徐々にだが、こちらに、中央に近づいてくる。全身の毛が総毛立つ。
敵の殿を見る。しっかりと横陣を組んで走っている。と、云うことは単騎での吶喊!? 文字通りの一騎駆け! 知らぬうちに唸り声を上げていた。
刺すような視線を感じる。此方を見ている。思わず武者震いが走った。俺の首を狙ってあの小さな英傑が突き進んでくる。望むところだ。
見事に咲いた戦乱の徒花よ、この俺がお前の首を飛ばしてくれる。得物である大薙刀を上段に構え、待ち受ける。
さあ来い!ユークリッド軍、『バングラ・ランス』はここに居るぞ!
無鳴剣を振り切る。その度に敵騎兵が赤い花を咲かせる様に消えていく。剣の届かない騎兵は奪った槍で突き倒し、突き上げた。そしてひたすら騎兵隊の真ん中を断ち割っていく。
既に敵騎兵隊に突っ込んで10分は経っている。流石に無傷ではいられない。身体のそこかしこに浅い傷を負っている。それでもマリオさんの馬術と黒雲の速さで、かなりの相手の攻撃を受けずに躱せていた。
直ぐそこには赤いフサフサが見え隠れしていた。敵の隊長か将軍。あえて首は取らない。ただ、其れを・・・・貰う。
馬群が突如割れた。気の込もった大薙刀の振り下ろしが眼前に迫る。慌てず軽く無鳴剣で下に受け流す。フサフサは馬上で大きく前のめりになり、背中が丸見えになった。
其処でフサフサ目がけてジャンプする。上手くフサフサの背中に乗っかった。
周りの騎兵もフサフサ本人も一瞬、時が止まった。何が起きているのかわからない。そんな静寂。馬群の足音しか聞こえない。
僕は敵将の頭の赤いフサを握ると背中からジャンプして黒雲に戻った。そして予定通り右に駆け出す。今の光景に敵は呆気に取られたのか、動きもなくすんなり騎兵隊の右側に入って行けた。
右手には奪ったフサがあった。上手くいった。右手に握って上空で赤いフサをヒラヒラさせる。勝ち誇る様に。
「ロ、ロイくん。凄い事するな。だ、だがもう止めてくれ。肝が冷えた。敵もあ然としてる」
「此れも勝負です。討ち取ることなく怒らせる。どんなに冷静な将でもこんなマネをされたらどうしますか?マリオさん」
「・・・地獄まで追いかけてでも討ち取ろうとするだろうな。こうなったらもう作戦も戦術も関係ない」
確かにあれは許し難い恥辱の筈だ。どんなに冷静な将でも、まともな武人であればある程、もう追わずにはいられない。
首を取られた以上の怒りを騎兵隊全体が持ったろう。これからは一切の容赦は無くなる。小勢だろうが娘を守る義兵だろうが関係ない。皆殺しにする気で向かってくる筈だ。
その怒り狂う相手を俺たちが一手に引き受ける。それは同時に殿を助け、作戦の成功にも繋がるだろう。全く恐ろしい事を考える少年だよ。そして見事に実行して見せた。
まだ峡谷まで5里、ようやく半分を駆けたところだ。




