ロイ・マクエル受難の日々⑭
第36話
「傷と痛み」
どうにもおかしな事態になっていた。
紳士仮面ことマーク・ザインは左翼に展開していた部隊の制圧を完了して、弟ロイ・マクエルに合流するため中央部隊の側まで来ていた。
だが直前になって部隊から感じる雰囲気に違和感を感じたマークは、連れてきていた前軍の男を木の根元に寝かせて木に登り中央部隊の様子を伺った。
木の上から見ると、どうやらアルト・サラと眼帯をした黒服女の一騎打ちが始まる感じだ。マークは一騎打ち中の横やりなどの不測の事態に対応するため、そのまま木の上で待機することにした。気配を消して深い森の闇に紛れる。容易な事だった。
・・・ただ、ロイだけが一瞬だが此方に目をむけた。気配は完全に絶っているのに、あいつだけは私に気付いている様だ。なんだか少しだけむず痒い気持ちになる。
あの誘拐未遂事件がキッカケで私はお祖父様と共に旅をする事になり、隠密剣士として1年ほどの間師事していた。剣の鍛錬や密偵の技、潜入調査のやり方などをその時お祖父様から学んだ。
ロイと同じ戦場にいるのはあの事件以来3年ぶりになる。無様に怯えていた兄と果敢に剣を振るった弟。今はどれほどの違いがあるのか? 私とてあの醜態を恥じて、積み上げてきたものがある。
そんな今の私は隠密としてはかなりの腕前のはずで、その私にあっさり気付くロイはつくづく大した弟だと思う。そのロイが言外に『不測の事態は任せるよ』と目で伝えている気がした。まだ13歳の少年がどこまで想定しているのだろう。どうやらロイはこの一騎打ちを止めるという気はないようだ。
・・・それにしても今のこの場所と状況は戦の最中といってよい。つまりはそこには凄惨な殺戮風景が広がる筈なのである。事実いくつかの遺体も散見される。
でも何故だろうか? 皆がそれを忘れている。むしろこれから始まる一騎打ちを愉しむ雰囲気すらある。
これはロイ・マクエルが導いたものではないのだろうか・・・? 何を考えているのか解らない弟。それを考えるのは楽しくもあり恐ろしくもあった。
はたして弟は神か、悪魔か。英雄か、暴君か。ロイ・マクエルが導く世界があるとするならば、過去に読んだ如何なる物語よりも面白いものになりそうだ。
たまらなく愉快だった。ハウンズ・マーク・ザインは心の中でその世界を空想し、ほくそ笑んだ。
戦場には十分な気が満ちていた。
相対する2人の武人は互いに気を高めながら、相手の様子を窺う。すでに対峙が5分以上続いているがどちらもこれといった隙を見せないので膠着状態になっている。
黒い鉄棒を右脇に挟み左前半身で構えるアルト・サラと、戟を大上段に構えるトウ・オーカ。
2人から発せられる闘気は凄まじいもので周りの人間達も固唾を飲んで見守っている状態だ。
サラは感心していた。この女の武人、オーカと言った。相当に腕が立つようだ。しかもまだ若い。さらに伸びしろを残している。女だからと手加減のできる相手ではなさそうだ。
これ程の圧を受けるのは、2年前のロイ様と対峙して以来かもしれない。サラは静かに黒鉄棒を下げる。血が漲ってくる。
「おおおおおおおおおおおおおおおおおお」
雄叫び。下段に下げた黒鉄棒を天に向かって振り上げてからの振り下ろし。地を叩く轟音。オーカはかろうじて左に避けて躱した。地面に黒鉄棒がめり込む。一瞬地面が揺れる様な感覚。オーカと目があった。怯んではいない。手にした戟を上空で振り回し始めた。
「たああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」
オーカが声を上げる。かろうじて躱したが身の毛がよだつ一撃だった。弟も怪力だったがこの男は桁が違う。無駄に力あるわけではない。ここぞと云う時にでる力と強さがあるのだ。この男、私の顔をちらりと見た。測っているのだ私の力を。たまるか。全力で振り回した戟をそのままの勢いで男にぶち当てた。手の骨が砕けるほどの衝撃。男は戟を黒鉄棒で受け止めていた。並の男ならば4〜5人 纏めて吹き飛ばせる。戟の持ち手を替えて頭、腕、腹、次々に戟を繰り出す。男は絶妙の棒さばきでいなしていく。こんな棒術使いがいるのか?オーカはさらに繰り出す戟の速さの回転をあげていく。アタシのすべてをぶつけてでも勝つ。勝たなければならない。弟のためにも、妹のためにも。
オーカは忘れていた目の痛みを思い出していた。
─────────────数日前、箔山
「どうゆう事なんだい叔父上。なぜ妹のユーナをユークリッド王の元に行かせなければならない。説得してくれたんじゃなかったのかい」
「察してくれ、オーカ。お前がこれ以上村人たちと争うのが見てられなかったんだ。それに自分の身ひとつで村が救われるならと、あの子は覚悟を決めたんじゃ。・・・あの子はお前の妹なのだ。姉を見て、育ったんだ。オーカ、納得してくれ」
オーカは血が滲む程 唇を噛み締める。まただ。また逃れようも無い悪夢が降り掛かってくる。いつになったら終わるのか、何をすれば終わるのか。自分の身に降り掛かった過去の忌まわしき記憶が頭を、目を、痛みで苛む。
けっして這い出せない絶望の穴に落ち込んでいく感覚にオーカは襲われていた。
箔山は中央6ヶ国の北、最北に位置する山で、そこには3百人程の人間が暮らす集落が10余り点在する。合わせると3千人程の人間が住んでいて、それらはひとつの村として他の国々からは【箔山の民】と呼ばれていた。
箔山の山は昔からの金脈があり、豊かに取れる金を売る事と僅かな農園で採れる農作物で民たちは生計を立てていた。
長年豊かで自由な山の民として暮らしていた箔山の民だが、5年程前から金鉱脈からの産出量が激減する。一番産出量の多かった金鉱脈からの産出が途絶えてしまったのである。
此れまで豊かな金の産出に支えられた村が一変した。村の長老達は新たな金脈を探そうと躍起になり、あちこちの山を掘り出し始めた。
だが結果は惨憺たるものだった。村は蓄えを無くし途方に暮れた。責任は全てが村長であるオーカの父が背負わされ全財産を吐き出させられた。何故?村人の合意があったから進めた金鉱脈探しだったはずだ。
どうしても納得のいかなかったアタシは批判を主導していた長老の一人と口論を繰り返し、ついには打ち殺してしまった。
その時のアタシは村の若者を率いて山賊や賊徒から村を守る兵士の長を務めていた。ただ、女だてらに男を指揮する姿を村の上役や長老たちからは疎まれていた。
そういった因果も含めてなのか長老殺しの一家として、アタシたち家族は村から完全に孤立してしまった。
そんな折に弟が病を患った。一月も保たない難病と云われる病だった。両親は諦めてしまっていたが、私は諦めなかった。村中を周り頭を下げた。土下座もした。そしてようやく高名な医者に弟を預ける事ができた。だが莫大な医療費が借金として残った。
村の上役の一人から奉公の話が家に持ち込まれた。支度金として莫大な金も積まれた。相手はユークリッド王。何人もの女を買い漁る悪名高い【好色王】、奉公とは名ばかりの側室集めに違いなかった。
今の一家に選択の余地などあろう筈もない、両親のすすめもあったアタシはその日の夕方には城に入っていた。
奉公初日に犯された。アタシが武勇に優れていると知っていたのか、手足を縛り付けて行為に及んだ。悪夢でしかない初めての夜。そのまま3日3晩行為は続いた。男の放つ精が身体の中のあらゆるところに注ぎ込まれた。身体中が男の欲望に塗れた。あの男の嬌声と交わい。それはアタシにとって凌辱以外のなにものでもなかった。
アタシは必死に耐えた。耐え抜いた。身体はどんなに汚れようとも心だけは渡さない。それは戦いだった。
王は靡かぬ女に殊更嗜虐心を掻き立てられた様だった。3日3晩の後も2日と開けずに部屋に来てはアタシを強引に犯していった。食事中は交わいを周囲のものに見せ付けた。就寝中にいきなり抑え付けられお付きの男たちに代るがわる犯させた。王はそれを愉しげに見つめていた。
それでも一切、一言すら声を出さなかった。其れだけは、心だけは守りたかった。
喘ぎ声を諦めた王は痛みを与え始めた。交わいながら身体に彫り物をさせた。おぞましい蛇や蛙が交わう絵を身体に彫り込んでいった。毎夜毎夜彫り物と交わいが繰り返され、アタシの身体は凌辱の限りを尽くされた。
そうして1年が経ち、最後は身体中に彫り物をされたアタシは目を抉り取られ城から追い出された。王の最後の言葉は「お前の勝ちだ。自由に死ね」だった。
幽鬼の様な姿で村に帰り着いたアタシは家を見て立ち尽くした。あの古びた家が信じられないぐらいの豪邸に代わっていたのだ。
村人を捕まえ話を聞いた。娘を売った金で今や村一番の長者様。ユークリッド王に金のない家から娘を買って送っている。と、吐き捨てるように話をして去っていった。
その後の事は余り覚えてはいない。気が付いたら血の海でバラバラになっている両親の身体と、血塗れの戟を握っているアタシがいた。ただ、目の奥が痛かった。
弟や妹は叔父上に預けた。両親の家から持ち出した金もそのまま預けた。アタシは一人で暮らしを始めた。村は変わらず貧しいままで出ることもない金鉱脈を探してはあのユークリッド王に金を借りているそうだった。余りに愚かだった。
だがある日、ユークリッド王は莫大な村の借金の代わりにアタシの妹ユーナの引き渡しを要求してきた。絶対に許せる筈がなかった。何度も何度も長老たちは頼みに来た。断り続けた。ユークリッド王はユーナを奉公に出せないなら今後の取引の一切を止めると通告してきた。
最後は村の男衆を30名引き連れてやって来た。全てを打ち倒した。殺し合いになる既の所で妹ユーナが割って入った。そして、自ら口でユークリッド王の元に行くと告げたのだった。
もはや一刻の猶予も無かった。かつての兵士仲間たちに声をかけた。直ぐに50名以上が集まった。皆 姉や妹をユークリッド王にとられていた者たちだ。
ユークリッド王を討つ。奴が全ての元凶なのだ。兵たちの士気は高い。王の鷹狩りのタイミングを狙えば供回りは100人程だ討てる。
・・・・・・・・・痛い。
叔父上が可笑しな事を言い出した。【英雄ロビン】が村に来たと云うのだ。そして西側にある【迷いの森】に行くと言い残し去って行ったらしい。妹の写真を取りに来たと。眉唾な話だった。
確かに30年前にこの村は【英雄ロビン】に助けられた事があったらしい。近くの山に山城があり、そこを2千人近い賊徒が根城にしていてちょくちょく村は強盗に入られていた。そんな時にフラリと現れた【英雄ロビン】は2百程の部下を引き連れて瞬く間に賊徒を根絶やしにしてしまった。
それ以来、村の老人や年配の人間は村の窮地には【英雄ロビン】が来てくれると信じるようになったそうだ。
・・・・・・・・・痛い。
馬鹿げていた。そんな英雄がいるならばなぜこれまで現れなかったのだ?なぜ助けに来ないのだ?なぜ写真だけ撮って帰るのだ?しかも叔父上は預けた大金を中央ギルドに払い【英雄ロビン】の捜索を依頼してしまっていた。困ると他人に頼る。叔父上もやはりこの村の人間だった。
それはもはや愚かを通り越して憐れですらあった。
・・・・・・・・・痛い。
目的は2つになった。【英雄ロビン】を語った老人を殺して首を持ち帰り、村人たちの目を覚まさせる事。然る後ユークリッド王の首を取る事。ギルドの傭兵を囮にすることもこの時思いついた。人の命などどうでもよかった。
・・・・・・・・・痛いのは心だったのか。目だったのか。今はもう解らなくなっていた。ただ、絶望の中でアテもなく藻掻いている。そんな気がした。




