ロイ・マクエル受難の日々④
第26話
「虎の主人」
「そこまでよ、リンネ!!お止めなさい!」
ハウンズ家の正門前によく通る澄んだ声が響いた。
その澄んだ声の主から下されたの命令に従い、リンネは闘いの手を止めると素早く対応に動いた。
頸を決めて押さえ込んでいたバーバリー令嬢の拘束を解き、呼吸が治るのを待ってハンカチで綺麗に顔の汚れを拭った。そして両腕に刺さっていた双剣を抜いて血止めを行い、落ちていた龍槍を掴むと令嬢から離れる様に後ろに下がった。
この御方の命であるならばリンネに否応はない。どのような状況であれ従うと決めている。
この死闘を止めた声の持ち主こそがハウンズ家長女のハウンズ・ルイ・マリアンヌである。
闘いの直後にも関わらず特に警戒した風もなく、楚々とした優雅な足取りで歩を進めるとバーバリー令嬢の目前にて歩みを止めた。
バーバリー令嬢は思わずビクッと身体を強張らせる。先程まで息も絶え絶えだったのが、リンネの処置のおかげで呼吸が戻りいくらか落ち着きを取り戻していた。
バーバリーは俯て唇を強く噛み締めている。
私たちは正面からハウンズ家に戦を挑んだ。
・・・・・・・そして破れた。
自分たちが行ってきた戦に於いて、盗賊やならず者たちにしてきた事が頭に思い浮かぶ。泣いて赦しを乞う迄棒で打ち。頭頂のみを剃り上げて辱めを与えると、街中を曳き廻し嘲り笑った。
因果応報。
今度はそれが、己が身に降り掛かるはずだ。敗者の誇りも、尊厳も、全てを踏み躙る残酷な仕打ち。でもそれは勝者が行使する当然の権利。
小刻みに体が震えだす。頬が引き攣る。怖い。なりふり構わず逃げ出したい。今なら理解できる。本当の私は戦の怖さを何もわかってはいなかった、実のところ、己の命を捨てる覚悟も、大義を掲げる決意も、何ひとつ定まってはいなかったのだ。
そしてこんなにも小心者だったのだ。
恐怖からかいつまでも震えが収まらない。
死ぬまで痛ぶられ、殺されるのが怖い。
目の前で仲間たちが弄ばれるのが怖い。
恋も知らぬまま、犯されるのが怖い。
更に震えが大きくなる。
その時、懐の奥から袋に包まれたあるモノが、バーバリーにとっての宝物がすべり落ちた。
「あっっ!・・・」
「?」
それを見つけたマリアンヌはドレスの汚れも気にせずしゃがみ込み、その包みを手に取るとそっと中身を確認する。それは、青味がかった綺麗な髪飾りだった。
バーバリーには手が出せなかった。恐怖で身体が竦んでいた。無様だった。あの髪飾りは母から7歳の誕生日に贈られた最後のプレゼント。
そんな宝物すらも取り返せない小心者な自分に涙が出た。死んでも認めたくなかった。でも、愚かで、小心で、意気地なしで、本当は欠片ほどの勇気も持ち合わせていないのだ。自分は・・・自分は所詮・・・下賤の娘・・。
暗い絶望の淵に立つバーバリーの両手を何かが包み込むように触れる。
ハッと我に返ったバーバリーは思わず涙でグシャグシャになった顔を上げた。そこには優しげな微笑みを湛えた美しい女性がいた。
「あ、あ、わ、わたし、バーバリー、です」
微笑みに吸い込まれる様な、魂が揺さぶられる様な、不思議な感覚がバーバリーを包み込む。思わず無造作な言葉が口から出ていた。
「落とし物よ。とても綺麗な髪飾りね。」
「あ、ありがとうございますっ。あ、は、母の形見なんです。」
「素晴らしい品ね。大事に為さって下さいね」
「は、はい!はい!あ、ありがとうございます」
髪飾りをそっと手渡された。その笑顔と優しさに触れて、もう恥ずかしさも絶望感も全てが吹き飛んでいた。飾り気もなにもないだたの真っ直ぐなお礼の返答。
宝物である母からの髪飾りも自分の元に戻ってきた。キラキラと太陽の光を浴びて、前にも増して輝いて見えた。
「改めて。ようこそいらっしゃいました、スタンピ・バーバリー伯爵令嬢様。私はハウンズ家長女のハウンズ・ルイ・マリアンヌと申します」
優しくバーバリーの手を取り立ち上がると、正式に挨拶をしてくれた。慌てて挨拶を返す。
「ス、スタンピ家の一女。スタンピ・バーバリーです。と、突然のご訪問失礼を致しました。そ、それに加えての乱暴狼藉、侮辱の数々お詫び申し上げます」
「ふふふ。本当にびっくりしちゃったのよ。いきなりな上に、あの『タノモウ』なんだもの。でも、貴女とても強いのね。驚いちゃったわ」
「い、いえ、お隣におられる執事殿に軽くあしらわれました。自分の未熟さを痛感してます」
バーバリーは方言を出す事なく、しっかりした敬語で会話をしていた。この高貴な御方に無礼があってはならない。そんな気持ちになっていた。
「少し気が変わりましたわ、リンネ、サラ、皆さん。この四人を応接室にお通しして頂戴。全員の傷の手当てと、当家自慢のお茶菓子を楽しみながら、少しお話をしてみたくなりました」
「かしこまりました。マリアンヌ様」
リンネが代表して即答するとチラリとバーバリーを見てウインクした。バーバリーは顔を真っ赤にして思わず俯いた。優雅で柔らかな微笑みに恥ずかしさが込み上げる。鼻息荒かったのは私たちだけで、ハウンズ家は私たちなど歯牙にもかけていなかった。
マリアンヌと共に現れた5人の執事たちに支えられるとバーバリーのお供3人もようやく立ち上がった。もちろん獲物は全て取り上げられているが歓迎して貰える雰囲気に皆、安堵している。
あの3人とはもう3年近くを共に過ごしてきた。今では姉妹の様なもので、大事なさそうな姿に安心した。そして父がハウンズ家をベタ褒めしていたのも頷けた。私如きでは到底図れない、途方もなく巨大な家だ。リリアーヌの姉御の落命時はきっと巨大な何かと戦っていたであろう事が想像できる。それこそ大きな軍隊とか、国家とかだろう。
バーバリーが色々考えてる内に門前に出てきたメイドたちの手によって両腕の傷跡に素早く手当てが施されていた。
応急的な治療を終えて門前にいる全員でハウンズ家本邸に向かおう。としたその時、近くの森から少し甲高い笛の音が断続的に聞こえきた。
するとバーバリー達4人以外が一斉に動き出した。
執事たちや武芸に長けていると思われる使用人たちがマリアンヌを中心に素早く陣を敷く。
外壁の内側からも兵士の様な出で立ちの者たちが30〜40名程飛び出して来る。二手に別れると一方は外壁上部で弓を番えて構え、もう一方は門前には整然と防護陣を敷いた。
僅か1〜2分間の出来事だった。軍学を学んでいるバーバリーには判った。これは小隊規模の防御陣で前方方位陣。驚くべき迅速さで瞬く間に完璧な陣が敷かれた。
バーバリーは一瞬戸惑ったが、理由は直ぐに判った。
すぐそばの森から、静かに、悠然と、周りを睥睨するかの様にその2頭は姿を現した。
森林虎。
堂々たる体躯。ハウンズ家付きの者なら誰もが知る、迷いの森に住まう恐るべき獣。人の手に余る猛獣。
2年ほど前はハウンズ領の村々を襲い、その後もハウンズ家腕利きの護衛が食い殺されている。手に負えずやむなく懐柔策に出ることもある。それが今、この場に姿を現していた。マリアンヌや護衛、兵士たちは皆一様に緊迫した表情でこの2頭を迎え討たんとしていた。
これ程の戦力を投入してもなお、予断を許さない程の怪物なのか?バーバリーは初めて見る森林虎から目が離せない。まだ50メートルは離れている。よく動きを観察しようと目を凝らしたその瞬間。
「がはぁ!!!」
5メートル左の方位陣の3名が吹き飛んだ。バーバリーには事態が飲み込めない。気迫の籠もった掛け声でマリアンヌ周囲の手練と兵が今吹き飛んだ箇所に槍を突き出した。巨大な獣が空を舞う。そのタイミングで小剣が飛び、虎の身体に数本が突き立つ。着地した虎は堪らず後退した。
ようやくバーバリーは事態を把握した。50メートルの距離を数秒で詰めて爪で払ったのだ。だが吹き飛ばされた3名は完全防備の兵なのか直ぐに立ち上がると再び堅陣に加わる。
一度だけ父の部隊、虎将軍の騎馬隊【烈虎騎】の訓練を見たことがある。騎馬隊のぶつかり合いで突き倒されても致命傷は避けて直ぐに訓練に復帰する。『倒れない兵の部隊。此れは怖いぞバーバリー。敵に圧倒的な絶望感を与える、こうゆう敵とは当たりたくないな』精鋭部隊だから出来るのだ。と父が自慢気に語っていたのを思い出す。
確かにその通りだと思った。今それを目の当たりにして、いくら叩いても崩れない相手との戦いは恐怖でしかない。その圧力は一戦するだけで敵の戦意を挫くだろう。ハウンズ家を守るのは間違いなく精鋭の護衛と兵士たちだ。
後退した虎に気を取られていると今度は反対側の陣に衝撃が走った。陣を敷いている兵が一人、二人、三人と空に舞う。まだ止まる気配がない。バーバリーは思わず動いていた。陣の中心に来させる訳にはいかない。
「虎姫が参る!ひけぇぇぇぇぇぇ!!」
バーバリーは雄叫びを上げつつ兵の舞った辺りに向けて全力で身体ごと突っ込んだ。
壁にぶつかるような衝撃。いた。コイツが森林虎だ。私との突進にぶつかる形で足が止まった様だ。虎が棹立ちになっている。丸腰の私は牙と爪が届かぬ腹に抱きつく。力で抑え込んでみせる。全力で虎の腹を絞め上げる。水の入った樽を抱き割ったこともある。森林虎であろうとも容易くは動けまい。私が抑え込んだ瞬間、周りから一斉に槍が殺到する。良し。一匹仕留めた。
そう確信した瞬間、吹き飛んでいた。虎が飛び上がって槍を躱していた。私もふり飛ばされたんだ。虎がそのまま陣の中心に踊り込む。駄目だ。駄目だ。そこには失ってはならない人がいる!!
「だめぇぇーーーーーーーーーーーーーー!」
「ガイイィィィィィィン!!」
バーバリーの悲鳴と同時に固い刃物が弾き合う音が響く。
踊り込む寸前、空にいた虎に2つ影が飛び掛かり弾き飛ばした。マリアンヌ様を守ったふたつの影。
森林虎を弾き飛ばす離れ技。こんな芸当ができるのは、バーバリーには確認せずとも判る。一際飛び抜けた気を放つあの二人だ。
「やれやれ、まさか森林虎と野戦で殺り合うことになるとはな。限界まで気を張っていけよ。リンネ」
「軽口はいいですよ、サラさん。マリアンヌ様の元にだけは行かさないように防御に徹して下さい」
森林虎が陣の中から一気に飛び出し後退した。
流石にこの2人は一筋縄でいかないと察知したのか、闇雲に飛び掛かからず一旦下がった。陣中でまごまごしていると槍に仕留められると判るようだ。
人との戦いに慣れている。バーバリーは森林虎が何故ここまで恐れられるかが、分かった気がする。知能が高い。力の強弱をしっかり見極めるのだ。此れは、手強い。バーバリーには、未だに勝敗の行方がわからない。
陣から少し離れた森林虎は弓矢を射掛けられ、更に後退するとバラバラに別れていた2匹が隣り合う。冷たい汗がバーバリーの背中に吹き出してくる。単独で向かって来てもあの圧力だった。それが2匹同時に同方向から飛び込んで来る。抗しえるか?私の得物、龍槍があればマリアンヌ様の盾ぐらいにはなれるものを。バーバリーは歯噛みした。
弓矢の範囲から離れた位置で森林虎が姿勢を低くしている。来る。おそらく先程の小手調べではない全力の飛び込みが。互いに気を計っている。間もなく始まる。命懸けのぶつかり合いが。怯えを振り払えバーバリー。今度こそ。今度こそは示すのだ。立ち向かうのだ。虎姫として奮い立て。命に代えてもあの御方を、守り抜くのだ。
「・・・・・・・・・・・・〜・〜・」
何かが、虎の出て来た方角の森から聞こえる。人の声のようだ。
森林虎の動きが止まった、尻尾を下げて耳を伏せるとキョロキョロしながらその場に座った。森林虎が、怯えている?
なんだどうなっている?陣のみんなも状況が飲み込めなかった。再び人の声が聞こえる。
「・・こ・・・・・・・〜〜〜〜〜〜」
ん?聴き違いかな?この戦場に全く相応しいない、おかしな言葉が聞こえた気がする。
「うん○〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜」
完全に全員の動きが止まった。
コレはもう間違いない。というかバーバリーは全身から力が抜けていくのを感じていた。
しかし何故か。マリアンヌ様とリンネと云う名の女執事は声の方を見ながら目をキラキラと輝かせていた。
もう理解不可能だとバーバリーは思った。そして気が抜けるとその場に座り込んでしまった。
最後までお読み頂き有難う御座いました。
もう今回はラストう○こが全てと言っても過言では
ありません。25話ぐらいに本作「超絶!コミュ障騎士!」のジャンルをハイファンタジーからコメディに
変更したのである意味吹っ切りました。




